キネマ館に雨が降る(映画的日記片)

【キネマ館に雨が降る】

その3 『グレイスランド』/『ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア』編

***

ママ あの映画を観せておくれ
おれは、天国の扉をたたいてるみたいだ


 映画を立て続けに2本観たのだ。アメリカ村は、パラダイスシネマ、でだ。『グレイスランド』と『ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア』の二本、をだ。
経験則で言う。5本に1本は、観てよかったと思うのだ。5本に1本は、観なければよかったと思い、後の3本ならしばらくすれば記憶の彼方。それが映画というものだ。だから、映画は数観にゃならぬ。でないと、これだっ!の1本にだって金輪際出逢うことはない。
 男達は出逢うべくして出逢うのだ。
路上で出逢う。若者が同乗させるハメになってしまったヒッチハイカーは、自分こそかのエルヴィスなのだとうそぶく。「ザ・キング」の、だ。その男がハーヴェイ・カイテルで、寸毫たりとも似ているわけもない。若者もそして観客もそう信じて決して疑わぬ。
 病院で出逢う。脳にテニスボール大の腫瘍を抱えた青年は、病室でも煙草をふかす突っ張りだ。末期骨髄症の青年は、−それがジミー・ページに似てるといったら−同室となったことにすら怯えるような気弱で内向的な青年だ。共に、余命は幾ばくもない。
 そうしてふたつの物語は始まる。
 若者が乗るキャデラック59年型コンパティブルは目の覚めるようなブルーに輝いている。しかしその運転席側にドアはなく、無惨にも事故の傷跡を生々しく残すのだ。その事故で最愛の妻を亡くした若者は、未だにトラウマを癒せぬままに彷徨っている。男が言うままに、二人はエルヴィスが死んだ場所であるグレイスランドを目指すのだ。
 二人の青年は、酒をしこたまに飲んでは酔っぱらい、すっかり意気投合してしまう。命が風前の灯火な二人なのだ。その挙げ句、ギャングの手下が隠し金を運ぶための車をそうとも知らずに失敬する。パステルブルーのメルセデス・クーペに乗り込んだ二人は、自分たちが死ぬ場所でもある未だ見たことのない海を目指すのだ。
 言うまでもなくロードムーヴィだ。
 二人の旅は、ファンタスティックに続くのだ。その旅の途中の出来事は、男がエルヴィスの模倣者だと決め込んでいた確信をどんどんと曖昧にさせ、そのうち、もしかすれば、と思わせるに足る充分さである。ハーヴェイ・カイテルは、似ても似つかぬその姿形から、次第にエルヴィスを彷彿とさせていく。
 二人の旅は、コメディタッチに続くのだ。無一文・パジャマ姿の二人の青年は、イカしたスーツを手に入れるため銀行強盗をやらかしたその上に、車にあった大金まで手に入れることになる。急転直下、物語は警察とギャングに追われるハチャメチャな逃避行に打って変わる。
 そうして、死と向き合って、終わるのだ。
 「いつでも人生なんてやり直せる」エルヴィスはそう何度も言い続けるのだ。初め て妻の墓前に立つことになった若者は、妻の死に真正面から向かい合い、ついにその 死の呪縛から解き放たれることになる。修理され、すっかり見違えたキャデラック・ コンパティブルを運転し、新しく愛した恋人の下へ走り出そうとする若者と、人差し 指を突き出した両手を幾分開き気味にして、「キングを忘れるな!」とキメのポーズ をとるエルヴィスは、もう二度と出逢うことはない。
 ギャングと警察の挟み撃ちを命からがら抜け出したのも束の間、ついに二人はギャ ングのボスに捕まってしまう。が、脅かされても、二人に惜しむ命はもうないも同然 だ。ボスは言う。「天国では海のことを皆話す。夕陽のこと。あのバカでかい火の玉 を眺めているだけでも素晴らしい。さあ、海を見に行くんだ」二人はひたすら海を目 指すのだ。ディランの『ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア』をバックに、だ。大き な夕陽が落ちる海なのだ。やっと辿り着いたのだ。逆行の中、青年が一人ゆっくりと 倒れていく。ぴくりと動くこともなく、死と向き合ったその途端死に合体する。二人 の青年は、もうこの世で二度と出逢うことはない。
 こうして、二つの物語は、ジ・エンド、となる。僕は映画館の座席に深く凭れ込ん だまま、ふぅぅっと、深い息を吐いてみる。

 ママ また映画を観せておくれ
 おれは、天国の扉をたたいてるみたいだ
 でも、、、
 天国の扉をたたくのは決して一回こっきりじゃない。

***
text by あがった

【キネマ館に雨が降る】その2 (BACK_NUMBER)

【キネマ館に雨が降る】その1 (BACK_NUMBER)


[CONTENTS]