ホテル前。まずは、福岡港へ。けっこう広い通りだが、港に向かう道路はかなり込んでいた。 途中、福岡駅の前を通った。 つい最近(11月8日早朝)陥没事故のあったところも通ったのだろう。 |
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福岡港から対馬へは、ジェットフォイルで移動した。出港すると、間もなく乗務員から念入りに注意事項が伝えられた。高速走行するので、必ずシートベルトを着用して下さいということだった。いるかなどに衝突すると、ショックでけがをすることがあるとのことだった。 スピードを体感できなかったが、確かにフェリーの倍の速度走行しているのだった。 |
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対馬での滞在時間は、約2時間。しかも到着が13時ということで、立ち寄った壱岐芦辺港でのせた弁当がお昼ご飯。揚げ物を中心にしたがっつり弁当。午前中は、船でおとなしくしているだけだったので、さすがに完食はできなかった。 対馬厳原港に着くと、バスガイドさんが迎えてくれた。 |
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我々がこの島に渡ったのは福岡港からだったが、この島は長崎県。人口は3万2千人で、島全体が対馬市になっている。島の広さは、佐渡島、奄美大島に次いで、第3位とのこと。 まずは、高台から対馬を見渡そうということで、上見坂公園へ。 しおりの説明では、「リアス式海岸の絶景。九州や韓国の山々が見える国境の島 対馬ならではの眺望」とあったのだが… |
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芝生の広場があり、そこには、対馬を長く治めた宗家の人の碑があった。 石段を上って、展望台へ。展望場は、三日月形をしていて、40人近くの人が上るには狭かった。 |
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対馬は、朝鮮海峡と日本海を隔てていたが、運河がつくられ、東西の海はつながっているとのこと。 ここは、島の南部の中心あたりにあるところらしい。運河や空港が、うっすらと見えた。天気が良ければ、韓国も見えるのだろうか。 地図で見れば、壱岐と韓国南部のちょうど中央あたりに位置している。 |
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観光バスは大型で、38人のツアーだったが、お一人様は、2席分が割り当てられていた。 次いで、宗家の菩提寺である万松院へ。駐車場は、歴史民俗資料館の下で、そこから少し歩かなければいけなかった。 |
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駐車場からは、お城への登城門とも思える立派な建物があったが、ふるさと創生事業の補助金を充てて作られたものだとか。 いずれは、お城も再建するということなのだろうか。 長い石垣に沿って進んでいった。 まだ夏の暑さも残り、気だるさを思えながら歩いた。 |
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15分ほど歩いただろうか、やっとガイドブックにも紹介されている山門の前に出た。 この寺は、たびたび火災に見舞われたそうで、元和元年(1615年)創建当時のものは、この山門だけのようだ。 |
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この寺は、朝鮮通信使を接待する役目を担った宗家の菩提寺で、朝鮮国王から寄贈された三具足が、今も残されている。 左の「万松精舎」の額は、後水尾天皇第三皇女鏡の宮の書ということで、皇室からいただいたものだとか。 |
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朝鮮通信使を接待するということで、幕府から資金の援助などもあり、宗家の接待が、幕府の接待とみなされるものだったとか。 そのため、寺には、徳川歴代将軍の位牌も安置されている。 |
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宗家19代以降の廟屋が、寺の横の石段を上ったところにある。 この石段が、なかなか趣がある。時間は限られていたが、ここまで来たら行かなければもったいないでしょう。 |
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石段をのぼりつめたところは少し広場のようになっていて、そこから東と西のそれぞれの参拝口につながる石段があった。 東の参拝口のところにある大杉は、長崎県の天然記念物に指定されている。 |
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19代から36代の藩主や夫人の廟屋が、ずらりと並んでいるさまは荘厳ともいえる。 あわただしい中での参拝(見学)で、ガイドさんの説明もしっかり聞けなかったが、石段にしても、廟屋にしても、歴史の重みを感じさせる、心に残る風景だった。 |
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再びバスを降りた駐車場まで戻り、そこから少し坂を上った先にある対馬歴史民俗資料館へ行った。 残念ながら、資料館内は撮影禁止となっている。ここで見落とせないのが朝鮮国信使絵巻。参勤交代の朝鮮国版とでもいった感じだろうか。意味合いはずいぶん違うのだろうが。 ここには、ツシマヤマネコの剝製もあった。 |
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