
Private Diary
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「2012.1.22」 国民の求めることについて・・・ 「国民総幸福度」という指標があるそうだが、はたして「幸せ」とはそんな単純に 測定し、世の中に示せるものなのだろうか? 国民ひとりひとりにアンケートをとって、「幸せに感じる度合いはいくつですか」と聞いた ところで、「100万円もっていれば幸せ」と感じるひとも、「1000万円しかないのでまだ幸せではない」 と評価するひともいるでしょう。でも、ひとりひとりが、「それで幸せ」と感じているか そうでないかの数値を出したいだけよ、という、なんとも短絡的な発想に感じられる。 「不幸せ」なのは、世の中の競争社会について行けないひとが、先を行っているひとをみて ちょっとねたみの気持ちもあって言っているような気もする。そうすると、この「競争社会」を 作り出したのが悪いのかと考えてしまう。しかし、鎖国時代は別として、国際的に各国の 役割を求められている現代では、良寛さんのように達観して過ごせるわけもなく。 先日の新聞に載っていたが、古い日本では、商売しても儲けすぎるのは「アサマシイ」といって 非難されたそうだ。「足るを知る」「分別をわきまえる」といった精神が大切なのかも知れない。 しかしこれも、国際社会では、先頭を行かないと自分の市場は奪われてしまうようです。 だからといって、よそ様よりたくさんつくるとか、多く売り上げるということを目指す のではなく、自分にしか作れないものを、世の中に求められるだけつくれば良いのだが、 そんな簡単なことではないのはご存知の通り。 少なくとも、こんなことに共感をいだいてくれるのは、日本人であるあなたくらいだろうか と考えます。もしかしたら、あなたも、そうではないのかも知れませんね。 古き良き日本の価値観のようなものについて語り合えたら良いかと願っています。 同じようなことについて、共有できるひとが増えれば、他のひとに説明するときにも 理解してもらいやすい気がします。なぜなら、既におわかりのように、こんな稚拙な 文章では、だれも正しく行間を理解してくれそうもないからです。過去のできごとは、ここ(2011.1)を参考にしてください。
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