第220回 社楽の会報告    第219回へ    第221回へ   TOPへ
                                           
報告者  土 井
2004年11月25日(木)布袋北学供にて社楽の会を開催しました。参加者(勤務校)を紹介しましす。
土井(大口北部中)、高橋先生(門弟山小)、奥村寿先生(岩南小)、杉田先生(大西小)、浅井先生(五条川小)、野沢先生(柏森小)、高木先生(犬山中)、大野先生(岩南小)、勝村先生(楽田小)、斉木先生(犬南中)、早川先生(江北中)の11名でした。

☆ 土井より、今回紹介したものの目次です。番号をクリックしてください。

 第20回ナゴヤシティマラソン参加報告
便利Web特集

 教育関連情報
 メルマガ紹介  

第20回ナゴヤシティマラソン参加報告
口頭で報告しました。
 便利Web特集
(1)「現代世俗史」リンク集 http://www.onfield.net/link/link3.html
 生活に密着したモノやコトの変遷をざっくり見渡せるサイトを集めてみました。ロングセラー商品の歴史、参考になる社史や業界史、個人が趣味で作っている特定領域の歴史、各種歴史データベース、懐かし情報満載のサイトなど。

(2)『アジア戦跡情報館』 http://www.asian-mm-forum.org 
 見てびっくり、豊富な資料で見応えがあります。

(3)「もの知りテーマパーク」 http://www.monoshiri-tp.com   
 このサイトでは、日常生活で子どもが興味を覚えるようなことがらに対して、それぞれの分野の専門家が説明をする形式をとっています。豆知識サイトとして大人の方にも充分楽しんでいただける
内容になっています。

(4)平成17年度財政投融資計画要求の概要
http://www.mof.go.jp/jouhou/zaitou/h17youkyugaiyou.htm 
 総額5兆円には驚きです。

(5)Optical Desktop with Fingerprint Reader http://www.microsoft.com/japan/users/keyboard/finger/ 
指紋認証機能を搭載した、新登場の「Optical Desktop with Fingerprint Reader」を使えば、読み取りのリーダー部分に指を置くだけで、自動的にパスワードや ID が入力され、Web サイトへアクセスする事が可能になります。

(6)「やる気のあるなし」はどこで測るか 東京都、教員の給与制度検討委員会
  http://webdk2.sorun.co.jp/cgi-bin/INCOMING?SEND_KEYWORD=04BOCL-c176fb8a_4 
  東京都では、給与制度検討委員会の2回目が開かれた。主な意見として、「教員として、やる気のある者とそうでない者等への給与が一律に支給されている現状を見直す必要がある」などの意見が出された。

(7)流山市の小学校と中学校間で教員が「交換留学」(千葉)
 流山市教育委員会は二学期から、小学校と中学校の間で教師を三日程度派遣し合う「
交換留学」制度を始めた。子どもたちの成長やそれぞれの授業の進め方を見てもらうの
が目的。《全文はこちら》 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/06/20041122wm05.htm 
  
 
教育関連情報
(1)神奈川県教委が、公立中学3年生の今年度の成績を学校ごとに、ホームページに公開することを決めた。
☆★☆ コメント ☆★☆
 それ以来、毎日のように神奈川県教委のHPを見ているがまだ探せないでいる。いつの成績を載せるのだろう?それがどんな影響を与えるのだろう?下位の学校の保護者は、どんな感想を抱き、学校にどんな要求をするのだろう?知りたくてたまらない。
 
(2)商品開発・販売を実体験 「起業家教育」広がる(山形)
 商品開発や販売活動を実体験する「起業家教育」が、県内の小中学校や高校に広がっている。それぞれの学習段階に応じて、コミュニケーション能力を養ったり、実際の経済の仕組みを学ぶのが目的で、経済団体などもバックアップしている。
《全文はこちら》 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/03/20041116wm01.htm 
☆★☆ コメント ☆★☆
 新聞記事では、実際に小中高で行われている実践が紹介されている。個人的には大好きな活動だ。大人でもそうだが、やってみてわかることがある。理論もやってみてより明確になるし、またその不備も見えてくる。経済活動のような半抽象的・半具体的な活動は、具体的行為の中から原理原則を見いだし、抽象的な理論と結びついた時、学問の奥深さがわかるのではないだろうか。
 
(3)都立高で奉仕活動を必修科目に 都教育庁
 東京都教育庁は2007年度から、都立高校全校に「奉仕」を必修科目として導入する方針を決めた。来年度は研究校を20校指定し、試験的にスタートさせる。同庁によると、都道府県レベルで奉仕活動を必修科目とするのは初めて。
☆★☆ コメント ☆★☆
 「奉仕」活動の教育的意義は否定しない。これこそ、やってみなければわからないし、やってみればすぐにわかる。ただ、必修科目として成り立つのかは疑問だ。それなりのねらいと方法論、評価方法が確立していなければ科目として成立しないのではないかと思うのだが…
 東京都教育庁と連絡を取り、具体的な運用方法の資料を手に入れていきたい。
 
(4)二学期制ではなくこの手があった!東京・葛飾区の全24中学が夏休みを減らす
 東京都葛飾区は9日、区立の全24中学校の夏休みを1週間減らし、2学期開始を8月25日とすると発表した。来年度からの実施で、学力アップを目的に、一斉に授業を年間約30時間(6時間×5日間)増やすのは極めて異例。文部科学省が始めた「ゆとり教育」への揺り戻しとして注目される。
 法律では、夏休みや冬休みは自治体の教育委員会が決めることができる。このため区は昨年11月から、夏休みの短縮を検討。
☆★☆ コメント ☆★☆
 やられた!時間数の確保は、だれもが「夏休みを減らせばいいと」思ったのではないか。でも、実際にやってしまうとは考える自治体がでるとは思わなかった。
 2学期制という時間合わせではなく、実質的な時間増をねらった点、そしてそのために空調まで整備してしまう点には頭が下がる。きっと増えるに違いない。
 
(5)家庭に眠る本提供を!
 これも以前から考えられてきたこと。香川県教委は10月から、家庭に眠っている絵本や文庫本などを回収し、学校や市町の図書館などへ提供する事業「集まれ!子どもの本」をスタートした。
 同事業は、学校図書館などの蔵書を充実させ、子供たちの読書への関心を高めるのが目的。県内5カ所に回収センターを設置し、回収は運送会社に委託。同社は依頼を受けた各家庭を巡回して本を回収する。蔵書の充実を図る保育所(園)や幼稚園、小中学校、高校、市町立図書館、公民館などの各施設は、各センターで必要な本を選び、持ち帰る。
☆★☆ コメント ☆★☆
 やられた!これだって、誰もが考えてきたことだが、実際にはできなかった。本の業界に気を遣ってのことだ。これを小さな自治体ならいざ知らず、県レベルで組織的にやってしまおうというのがすごい。でも、本の業界には痛いのではないか・・・・
   
 
メルマガ紹介
(1)小泉内閣メールマガジン 第164号 ========================== 2004/11/18
[シリーズ郵政民営化(数字でみる日本)]
☆★☆ コメント ☆★☆
 小泉首相がかねてから訴えてきた郵政民営化。この意味がよくわかる記事だ。大蔵畑らしく「官から民へ」はわからないわけではない。ただ、都会の論理であることはまちがいない。三位一体改革そのものがそうだ。自立できる自治体はよいが、そうでない自治体はどうしたらよいのか。将来的には、過密・過疎がますます深刻になりそうな気がする。
 
● 347兆4963億円
 347兆4963億円とは、平成15年度末における郵便貯金残高227兆2994億円と簡易保険運用資産残高120兆1969億円の合計です。
 郵貯残高は11年度末の260兆円をピークに、また、簡保運用資産残高は13年度末の約125兆円をピークに、それぞれ減少しているものの、15年度末における現金・預金、保険、株式などの個人金融資産残高1415兆8434億円の約4分の1を占めています。
 貯金事業を国が運営している例は多くありません。国が運営していたところでも、例えばドイツでは1995年に、イタリアでは1998年に、イギリスでは2001年に民営化が行われたように、民営化がひろがる傾向にあります。また、生命保険事業を国が運営している例は主要国ではほとんどありません。
 郵貯・簡保の資金運用は、安全性・確実性を重視し、国債の保有や地方公共団体への貸付け、財政投融資を通じた特殊法人への融資など公的部門を中心に行っています。特に国債については発行総額約570兆円の約4分の1を保有しています。
 こうした公的部門中心の運用は、郵貯・簡保事業の創設以来の長い歴史をもっており、国の基盤整備や産業振興、地域活性化のための資金を融通する制度として機能してきました。今、「民間にできることは民間に」という構造改革の中で、特殊法人改革と一体となって、郵貯・簡保で集めた資金の流れの見直しが必要となっています。
 郵政事業の民営化により経営の自由度も高まるため、運用面では、公的部門に流れている資金を株式市場やベンチャー企業などの民間部門に流すことができるようになります。資金の流れを「官から民へ」変えることで、経済全体を活性化することが、郵政改革の国民に対する大きなメリットとして期待されています。
 なお、民間の銀行や保険会社なら、不測の事態に備えて預金保険機構や生命保険契約者保護機構に加入し、保険料を支払わなければなりません。しかし、郵貯・簡保の場合は、国が全額保証して肩代わりしています。こうした「見えない国民負担」の見直しも、郵政民営化のポイントの一つです。
※ 首相官邸ホームページ(郵政民営化) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/yuseimineika/index2.html 
 
(2)日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)1150号
               2004年11月23日:火曜日発行
編集・発行 梶原末廣  sukaji@po.synapse.ne.jp   http://www.synapse.ne.jp/~kanoyu/sukaji/index.html
☆★☆ コメント ☆★☆
 よく紹介する優良メルマガ。無料では申し訳ないような情報が数多い。ありがたい。
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■ 「オーストラリア便り」(11)壷坂宣也 
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◆ 集団意識と判断力
 日本には『出る杭は打たれる。』という言葉があるように、集団の中で唐突に発言すると嫌がられることがあります。ましてや、年功序列の慣習がある日本において新人や若手にあたる層の人からの強い主張はすんなりと受け入れられないのがまだまだ一般的ではないかと思います。私達は常に他人を意識しながら、その集団の輪を大切にするという意識を幼い頃から、家庭や学校で訓練されています。
昨年、たまたまこちらで近所の幼稚園を見学する機会があり、そこで面白い場面に遭遇しました。日本の一般的な幼稚園では園児のするアクティビティーが時間帯で区切られ、クラスの生徒は同じ時間帯に同じことをするのが一般的かと思いますが、こちらの幼稚園で見たのは、同じグループに所属する幼児達が同じ時間帯に違うことをしながら楽しんでいたのです。何人かの子供達が絵を描いている間に、別の子供達は積み木をしているといった具合です。
日本では歌の時間、体操の時間、お絵かきの時間、…というように、教師主導で毎日のプログラムが進んでいき、園児には選択権がないように思います。オーストラリアにもいろいろな特色のある幼稚園があるでしょうから、私がたまたま見学した幼稚園をすべての幼稚園の代表として位置付けるのは良くないかもしれませんが、日本ではやはり小さい時から将来に向け、集団意識の教育を始めているのだなと感じました。
また先日、日本に一時帰国した際に、実家の近所の小学校の運動会を見学し、小学一年生の生徒が入場行進で寸分の乱れも無しに歩調を合わせ、全校生徒の準備体操では小学一年生が音楽に合わせて上級生と同じ決められた動作をきちんとこなしている姿を見ながらいろいろと考えました。
日本の体育祭とオーストラリアの陸上競技大会を単純に比較しても意味はありませんが、私の勤務校の体育祭に当たる校内陸上競技大会では、ウォーミングアップは各個人に任されており、やる気のある生徒は食事や水分の補給の時間や量を気にしながらウォーミングアップにも三十分ほどかけます。
生徒はチームの勝利に貢献しようと努力すると共に、結局は出場している個人全員が個人のレベルでもスポーツを楽しんでいるといった感じです。原則は全員参加と言いながらも走るのが嫌いな生徒は、友達が走るのを応援したりチームや教師のサポートをしたりしながら行事の成功に貢献します。全ては個人の判断に任されています。
オーストラリアでは社会の中でも学校の中でも協調性は求められるものの、それは、他人に迷惑をかけないとか、協力して活動するといったごく基本的なレベルのことで、日本の集団の中で求められるようなものとは異なります。日本の社会が集団の枠の中に個人が存在しているとすれば、オーストラリアの社会は個人が集団を作っているといった感じがします。ここで、大きな違いは個人の判断力にあります。 
私の勤務校には毎年数人の日本人留学生が来て、私は彼らの世話をすることが多いのですが、彼らと話をするときにはオーストラリアの生徒と話をするような速さで話が進まないことがよくあります。判断力のスピードに差があるのです。
例えば、選択科目の中でどの科目を選択したいか、ホームステイの家庭とうまく行っているか、何か問題はあるか、…というごく簡単な質問した際でもなかなか答えが返ってこないことがあります。また、時にはその判断を他人に委ねようとする傾向も見られます。
オーストラリアの生徒でも特に下の学年の恥ずかしがり屋の生徒は回答する際にしどろもどろすることがありますが、自分の意見はある程度はっきりとしていますから、結論を導いたり、判断をしたりするスピードは日本人のそれに比べて格段に速いと思います。留学生だけではなく、それは私自身の中にもあります。
日本で集団の中にいれば集団の中心になる人物以外は自身で考え判断する機会が殆ど無かったり、個人に判断させなかったりするのが主な理由かと思います。家庭では親に、学校では先生やクラブの先輩や友達に、会社では上司に、いつも誰かに依存して、集団の流れに乗って自分自身で判断する機会がなかったり、自らそれを放棄していたりするのです。
日本の社会が年々国際化し、会社や旅行や留学で日本人の団体の一員としてでなく、個人としてして個人主義で育った外国人と接する機会が増え、日本人は日本特有の素晴らしい輪の文化を残しながら、一方で、判断力や決断力のある人間を育てる必要に迫られているのではないと思います。
 
(3)JMM [Japan Mail Media]  No.298 Thursday Edition    http://ryumurakami.jmm.co.jp/ 
☆★☆ コメント ☆★☆
 これも毎回読み応えがある。今回も面白い。

  ■ 『大陸の風−現地メディアに見る中国社会』 第33回   「トイレ革命」
  □ ふるまいよしこ :香港在住・フリーランスライター
 1週間のうちに仕事場前のポプラ並木がすっかり丸裸になり、寒々しい枝の向こうの通りをひっきりなしに車が往来する様子が透けて見えるようになった。今年は暖冬らしいが、北京でもここ数日のうちに雪が降るという予想が出ている。本日の最低気温はすでに零下。1年のほぼ半分を占める冬が始まった。
 九州育ちのわたしにとって、北京での生活が初めての北国暮らしなのだが、戸外のお祭りフェスティバル好きの傾向がある南の人々の暮らしに比べて、あたたかい室内での集まりやパーティが北の習慣といえるだろうか。北京での生活に慣れるにつれて、街の不特定多数に情報が流れるわけではないけれど、「口コミ」招待の小型の集まりは厳しい寒さの冬になればなるほど活発化することに気付き始めた。中国の、特に政治の中心地である北京や北部地方(華北と呼ばれる)で、今だに庶民の間で口コミ文化が大きな力を持つのはこういった気候による密室型活動の影響もあるのだろう。
 消費ブームに沸く大都市では、そういった小さな集まりの場も、個人の自宅からレストランやバーなどに移りつつある。そんな需要を察して、ゆったりとくつろげる空間を提供する、おしゃれな造りのバーやレストランも増えてきた。先日、北京に開店したばかりの有名台湾系レストランも、その看板メニューの小籠飽(シャオロンポー)を「食べさせるため」ばかりではなくて、お客がお箸を動かしながら、だべりあってのんびりと過ごせる空間が演出されていて好感が持てた。
 人間、お腹が満たされ、精神が緩むと、好む好まざるに関わらず、生理的に次の段階へと自然に進んでいく。
「中国では、これがやっかいなのよね」、席に戻って来た一人が言った、「でも、ここは大丈夫」。そこから、テーブルのメンバーたちは安心したようにその話題を自然に先週北京で開かれたWTOサミットに向けた。テーブルには追加注文したカニ粉入り小籠飽が載っている。
 WTO、World Trade Organization(世界貿易機関)、ではない。World ToiletOrganization(世界トイレ機関?)である。最初に聞いた時には、このところ「国際接軌」(国際軌道へのリンク、つまり国際化という意味)に夢中になっている中国人による、外国人には笑えないコピーの類か、と思った。
 なにせ一昨年には車のナンバープレート登録スタイルが改訂されて、「自由に選んだアルファベット3つに数字3つ」という規定に変わった時、自分の名前の頭文字を取ったもの(例えば毛沢東 Mao ZedongならMZD)や「PRC (People's of RepublicChina…だろう)」「RMB(Renminbi=人民元?)」はまだ良いとして、「WTO」だとか「CNN」だとか「IBM」だとか「MSN」だとか「IOC」だとか「CEO」だとか「CPO」だとか「MIT」だとか、それって何かあなたと関係があるの? と思わずドライバーに尋ねてみたくなるようなプレートが街に溢れ出した。特によく見かけたのが「USA」と「USD」。みなが知ってる文字を勝手に登録しちゃったわけですね。そうするうちに、当局関係者もこりゃちょっとマズいぞと感じたらしく、そのスタイルはわずか数カ月で中止となり、旧スタイルに戻った。もちろん、すでに発行した新ナンバーを再登録させるわけにもいかなかったようで、今、街には2種類のナンバープレートが走っている(ナンバープレートをつけずに走っている車もあるが)。先日見かけた「USA001」というプレートの車から降りてきたのは西洋人だったけれど。
 ともあれ、トイレの方のWTO(以下全て、特に注記しない限りトイレの方)は、その公式ウェブサイト(http://www.worldtoilet.org)によると2001年にシンガポール人によって設立されたNGOで、その設立日の11月19日を「世界トイレ日」に指定し、これまでにシンガポール、インド、台湾でサミット会議を開いているそうである。4回目の北京サミットの資料を見ると、日本からも日本トイレ協会という機が参加している。さらにそのウェブサイト(http://www.toilet.or.jp/)によると、日本では11月10日が「トイレの日」らしい。
 トイレサミットin北京。北京に住む外国人にとって、それはなかなか興味深い組合せである。中国に来たことのある人ならきっと分かっていただけるだろうが、それは外国人にとって避けては通れない重要な話題なのである。なぜかを知りたいという、強烈な好奇心をお持ちの方は、あまりお勧めはしたくないがこの写真
http://story.news.yahoo.com/news?g=events/lf/ 111704toiletsummit&a=&tmpl=sl&ns=&l=&e=6&a=0&t=&prev=5
をクリックしていただきたい。ただ、少しでも戸惑いのある方や心臓の悪い方、お食事中の方は絶対に見ないように。カメラマンの勇気には拍手を送りたいが、一言付け加えるなら「これでもマシな方」である。
「中国では、トイレの衛生はこれまでずっと人々を悩ませている一大難題である。資料によると、これまで10年間に、中国の都市・農村で声高に『トイレ革命』が進められ、1998年末の時点で全国2.38億戸の農家のうちすでに35%に各種衛生型トイレが設置されたが、『衛生的なトイレを使う』『衛生的な水を飲む』『衛生的な環境に暮らす』は未だに9億余りの農民が解決を待っている3大事なのである……」(「北京で世界トイレサミット開催 中国トイレ文化のオアシス化期待」金融時報・11月19日)
「35%に設置された」ということはつまり、1998年の時点で65%の農家に衛生的なトイレが設置されていなかったということになる。さらに記事は続く。
「経済が比較的発達した大中都市ですら、公衆トイレの衛生はまた頭の痛い問題なのである。外国からの観光客によるクレームのうち、かなりの部分がトイレの衛生に関するもので、北京のトイレを批判する報道がどれだけ行われてきたことか。これまで多くの外国人観光客は我々の公衆トイレを『鼻を抓まんで入り、爪先立ちで出てくる』『一に跳び上がり、二に叫び、三に笑う(床が汚水にまみれ、虫が這い、トイレにドアがないので苦笑する)』と形容しているのだ」(同上)
 中国とは80年代からの付き合いの筆者からすると、それでも北京あたりでは最近はまだましになった。女性トイレではドアどころか隣の「個室」との仕切りすらないところ、どーんと長い溝が掘られているところの好きな「位置」をそれぞれ選んで用を足すもの、簡単にいうと、徹底的に手とお金をかけないこと、がモットーらしい。ある超有名病院のトイレでは、中には電球すらなく、高い高いところにまるで刑務所の明かり取りのような小窓があるだけで、昼間だというのにほとんどなにも見えず、手探りのようにして用を足した経験もある。「見えなくてよかった」のかどうかは今だにわからないし、考えたくもない。そういう経験を重ねた結果、筆者は8時間くらいまでトイレに行かずに過ごせる術を身につけた。そして、その術は、今の中国で外出するときにも十分に有効なのである。
 雑誌『環球』誌によると、「2001年末の時点で、中国には合計107656基の公衆トイレがあるが、13億の人口で計算すると、12000人に1基の割合となる。そしてこれらの公衆トイレは、ほとんどが都市に位置している」(『中国人のトイレでとうとう革命が始まる』11月19日)のだそうである。さらに、「統計によると、人は毎日平均して6〜8回トイレに行き、1年で約2500回となる。人が生まれてから死ぬまでトイレで過ごす時間を合計すると、少なくとも2、3年にあたる」(同上)という。誰しもが8時間も我慢出来るわけではないので、やはり切実な問題である。
『北京文学』誌が中国の歴史書からトイレにまつわる話を集めた「国厠滄桑」によると、60万字に上る『中国古代建築史』という書籍にも、一切トイレに関する記述はないそうである。さらに、先にあげた『金融時報』の記事によると、「中国文化はずっと『食う、飲む』を重視し、もう一方を軽視してきた。この古い文化と伝統を持つ中国という国では、『厠文化』はオアシスのない砂漠のように、忘れられていた。人々の伝統的な観念では『厠』は上品な場には出してはならず、最も汚れた、最も不吉な場所だった。北京の伝統住宅もこのような伝統風水学の理論に基づいて、東南を大吉として玄関、台所をここに置き、西北を大凶と見なしてトイレを置く場所とし、またそれは非常に簡便なものであった」という。北京名物の「胡同」と呼ばれる細い路地に沿った古い住宅地では、今だに各戸にトイレがないところも多く、住民は公衆トイレを日常的に利用しているのである。
 そんなトイレ事情を抱える北京市はWTOサミット開催を機に、2008年の北京オリンピックまでに公衆トイレ問題を改善することを宣言した。それは例えば、通行人が5分か10分ほどで見つけられるよう、600メートルから800メートルおきにトイレを設置する、男性用と女性用の空間比率を4:6とする、毎年400カ所の公衆トイレを増設する、さらには『観光トイレ品質等級区分と評定』条例に沿って現存の公衆トイレを4星レベルトイレ(パーソナルテレビ設備、高級ペーパー付き高級トイレ)を88カ所、3星レベル(ペーパーホルダー付き優良トイレ)を161カ所、星レベル(ペーパーホルダー付き、その他条件は状況によって決定)を312カ所、1星レベル(基本的使用に合理的なもの)を110カ所、さらには水を使わないエコロジータイプ76カ所へと改造する――というものらしい。
 さらに『北京青年報』では、衛星を使った地理情報システム(GIP)を使って「衛星技術によって、公衆トイレの具体的な位置、星レベルを知ることが出来、さらには個室数、男女個室比率などの詳細な情報を、インターネット及び市街地に設置された電子情報ボックスを使って最短時間に一番近い公衆トイレを探し出すことが出来る」ようにすると伝えている(『衛星が市民の公衆トイレガイドに』11月18日)。しかし、今のところ、携帯電話サービスですらメールのやり取りが出来ない北京において、街角でインターネットや電子情報ボックスを探すべきか、まずトイレを探すべ
きか……。
 中国の国家旅行局が制定した上記『観光トイレ品質等級区分と評定』は便座の質から個室の広さまでをこと細かに区分したもので、最高は5星レベルで、その設備規定には「入り口は自動ドアとし、鉢植えや花、その他装飾品を飾り、豪華便座、豪華タイル、高級大理石を使い、高級トイレットペーパーを備え、パスワード式ロッカー、パーソナルテレビ、高級チェア、豪華芸術コートかけを設置し…」と、「豪華」「高級」という文字がずらりと並ぶ。個室ドアの項目では5星から3星にははっきりとその高さまで記されているが、2星、1星では、「条件によって決定」ということになっている。清潔でドアがあってペーパーがついていれば、個人的には公衆トイレにパーソナルテレビまでつけていただく必要はないと思うのだが、このあたりが「唐代には寺を建て、宋代には廟を建て、今の幹部はトイレを建て替える」(『トイレ革命』北京文学・8月号)と市民が謡う所以かもしれない。
 台湾の女性作家、龍応台さんはかつて、しゃがむタイプのドアのない「個室」が並ぶ中国のトイレに驚き、「中に向かって座るか、外に向かって座るか」を真剣に考えた。すると、「顔を外に向けるに決まってるでしょ。すっぽんぽんの後ろを入って来た人に見せるわけにはいかないんだから」と同行の中国人作家に言われたと、著書『百年思索(百年の思索)』に書いている。そして、中国人作家の賈平凹氏が著書『西安這座城(西安という街)』で「大衆料理屋で一人で飲んでいる老人や街で見かけるしわくちゃの老婆をばかにしてはいけない。彼らは特異な能力を蓄えた奇才であるかもしれないのだ。早朝の野菜市場に行くと、手に豆腐を載せた2、3人が立ったまま国内のニュースを討論しているのを目にし、公衆トイレにしゃがんでいると、最新の国連会議の内容を耳にすることすらあるのだ……」と描写しているのを目にして、「公衆トイレは、つまり現代の公共空間であり、市民が意見を交わし合い、議論を行う場所なのだ」と理解したという。
 龍さんは言う。
「昔の君主たちは市民が集まって政治論議をしないように、広場にさまざまな施設を建設して、広場の公共空間という役割を抹消してしまった。しかし、市民の『井戸端会議』の欲望は遮られなかった。人々は公園へ向かい、古い廟へ向かい、そして公衆トイレに向かったのだ」
「そこはドアで塞がれていないために、市民は国事に対する見識を交換し、幅広い見識を集める。人々の土地に対する想いが交流によって同舟のものとなり、個人が腹に抱えるものは全て、十分にその個性や能力を放たれるのである。そのような大きな責任を持つ公共空間としての公衆トイレにとって、ドアがあるかないか、顔を外に向けるかどうかは、大きな違いとなる」
「個人が腹に抱えるもの」にもいろいろだろうが、確かに龍応台さんのように考えると、密室口コミ文化の中国で、そんな場がなくなるのもまた寂しいことではある。
ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22 
個人サイト:http://members.goo.ne.jp/home/wanzee 

      問い合わせは 土井謙次  syaraku@tcp-ip.or.jp