8 教育関連情報
(1)和歌山で熱意ある教諭求め、異動希望者を募集
和歌山県教委は、特色ある学校づくりと意欲的な教諭育成のため、県内の教諭の中から県立中学3校と小中学校の研究指定校約30校の勤務希望者を募集する、と発表した。特定の学校への異動希望を募るのは初めて。2005年度末人事異動で応募票を受け付け、県教委が書類選考と面接をする。
対象校は、3県立中と、小中一貫教育モデル校や小中連携研究校、小学校英語活動地域サポート校などの研究指定校約30校。募集人数は1〜2人。
これまでに都道府県・政令市62のうち、18の自治体が公募やFA制度を導入している。県内の公立小中学校の教職員は約7000人で、小関洋治教育長は「熱意ある教諭の応募を期待する。自信のある分野で思い切り力を発揮し、教諭自身の力量もアップさせてほしい」と話した。
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すでに18の自治体で実施されているFA制度。教育現場の活性化にはなるだろう。ただ、そうした教師が抜けた後の学校、そしてその人が来たために外へ出される人が心配になる。どの学校も向上するための人事は可能か?人事は難しい。
(2)「子どもを伸ばす家族の約束6か条」
墨田区は、同区が主催した「平成17年度開発的学力向上プロジェクト推進会議」が話し合った内容を、「子どもを伸ばす家族の約束6か条」と題してまとめ、発表した。
約束6か条とは、
1 子どもには、早寝早起きをさせましょう。
2 心のこもった朝食を用意しましょう。
3 家族の一員、社会の一員としての自覚と責任を教えましょう。
4 子どもに励ましの言葉をかけることを大切にしましょう。
5 子どもにとって学習は、大切な務めであることを教えましょう。
6 家庭学習や読書の習慣づくりをしましょう。
これらの主張のもとになった調査結果は、グラフとして文書のなかに収められている。
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内容は十分納得できる。ただ、3と5はやや抽象的なので、もう少し具体的だとさらに良かった。この6か条をうまく生かして、家庭でできる評価表などにつなげていって欲しいものである。
(3)「京都教師塾」創設
近い将来訪れる教師の大量退職時代に備え、優秀な人材を確保するために、京都市教委は、小中学校教師を志望する大学生らを対象に「京都教師塾」を創設する。学校現場での研修も行い、実践力養成を重視する。同様の「塾」は東京都が昨年開き、杉並区もこの春に開講予定。東京は選抜のうえ卒塾者を採用するが、京都市は受講と採用は関連づけない。
講師はベテラン教師のほか、保護者の声を聞く意味でPTA関係者らにも依頼。指導案作りや模擬授業、市立小中学校での授業補助、家庭訪問同行などを盛り込む。講義場所は市総合教育センターが中心。受講料は1万円程度に抑える。
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そうそう、教師は教員免許を持っていればよいのではない。指導力は、訓練しないと育たない。教員養成大学のカリキュラム改善、現職教員の研修と並び、こうした制度が拡充することが、本当に効果の高いの教育改革となろう。
(4)就学通知書に制度明記−規制改革会議
政府の規制改革・民間開放推進会議は、小・中学校を自由に選べる「学校選択制」の弾力的運用を21日にまとめる最終答申に盛り込むことを決めた。具体的には、部活動や通学距離などを学校変更の理由として認め、保護者に対し制度の周知徹底を図ることにした。
学校選択制は、保護者の申し立てに応じて、教育委員会が決めた学校とは別の学校に通学できる制度。選択制を導入している自治体は、小学校レベルで8.8%、中学校レベルで11.1%にとどまっており、同会議は選択制の全国拡大を求めていた。
しかし、文科相は「選択制を導入するかどうかはあくまで市町村の主体的判断に委ねるべきだ」との姿勢を崩さず、その代わり保護者に出す就学通知書に学校変更申立制度の存在を明記する方針を示し、規制改革担当相も了承した。
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学校選択制は、あまりメリットはないかわりにはデメリットが大きいと思っている。学校間格差が前提となる制度より、学校間格差を高いレベルでなくす方がより建設的だ。やはり、教師の質にかかっている。
(1)ごまめの歯ぎしり メールマガジン版 河野太郎の副大臣日記
予算の大臣折衝。うーん、総選挙での自民党か予算での法務省かという感じの予算になった。法務省合計で285人の純増を獲得。行政機関総定員法が施行された昭和44年以降では一昨年の361人に次いで多い純増だそうだ。内訳は、オンライン化を進めている法務局が221人減。本省と法務総合研究所で7人減。一方、検察庁が49人増、矯正が273人増、保護観察と更生保護委員会で30人増。入管で150人増。公安調査庁で11人増。公務員の5%削減に向けて各省軒並み減員の中で法務省が突出して増員を頂く。
定員を担当する竹中総務大臣に刑務所の実態を知って頂くためにビデオを作ったりいろいろしたことも多少は役に立ったのだろうか。この他に刑務所の外部警備などを民間委託する予算が167人分で4億6400万円ついた。その分、刑務所内部に刑務官を振り替えられる。これですこしでも刑務官の負担を減らすことができるだろう。
大臣に同行し、予算の大臣折衝を初めて経験する。驚いたのは、大臣折衝の場に自民党と公明党の政調会長が同席していたこと。政府の予算案を作る場に、国会で答弁にも立たない党の政調会長が同席するなど二元政治も極まれりという感じがした。大臣折衝もかなりセレモニー化していて、要求項目の下に予想される財務大臣の発言要旨「了承する」なんて書いてある。官邸で開かれるホニャララ対策本部にしろ、この予算の大臣折衝にしろ、セレモニー化しすぎている。政治家はもっと実質の議論をすべきで、対外的なカッコつけは止めた方がよい。
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予算の大臣折衝の様子がわかる。当然ながら、政治は人が動かしていることの一端がわかる。メルマガは、政治を身近なものにするために少なからず貢献をしている。
(2) きょういく・メルマガ 2005.12.23 No.41
《きょうの内容》
●「世界を行動範囲に」−高校留学がひそかなブーム
●朝ごはん大盛り3〜5杯 スポーツ少年の基本は食事
□DNAは残った 第二次男女基本計画のジェンダー論(1)
階級闘争的な思想を注入、「性差否定」の歯止め疑問
□教育ニュース:
・性教育で初の実態調査、4割近くで「教師任せ」 行き過ぎ授業も確認
・「ジェンダー」明記を了承 第2次男女共同参画計画案−自民
・子供の安全確保で路線バス活用を提言−自民
・小中校の変更、部活も理由に/就学通知書に制度明記−規制改革会議
□私の恩師 元・玉川大学教授 前島誠さん
□あすへのノート:サンタ卒業はいつ?
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それぞれ興味深いものが多い。有料部分と無料部分があるが、無料部分だけでも有益である。
(3) ワールド・ニューズ・メール ☆ 金曜スペシャル版 □
[1]海外便り ○電子教科書導入の効果/ほか
[2]特集 ◆フィリピン金メダルラッシュに声あげるタイ
[3]世界の論調 ◆喜ばしい東アジアサミットへの参加
○電子教科書導入の効果(韓国)
「国語の教科書が見つからないんだけど、お母さん捜して」と慌てる娘。「朝準備しないで、寝る前に準備しときなさいって、いつも言っているでしょう!」と怒る妻。時々見られる娘と妻の朝の光景だ。
しかし、この光景も見られなくなる日も近くなったようだ。というのは、紙教科書の代わりに電子教科書で授業できるように、韓国政府が推進しているからだ。
電子教科書の導入は韓国政府の教育人的資源部が主体となり、1年分の小学校修学用電子教科書の開発を来年2月末までに完了し、来年初めにソウルのシナク小学校で試験運用、来年末までには5校で適用する計画だ。
電子教科書は、民間の専門企業が参加して3次元仮想空間体験、フィードバックシステムなどさまざまな機能を備えて、学習効果を高められるように工夫されているのが特徴だ。
電子教科書導入で、生徒は紙教科書の代わりにタブレットPCやデスクトップPCを使って授業を受け、資料の検索から宿題の提出、先生とのコミュニケーションまでパソコンで行う。
でもそうすると、子供たちの情報リテラシー(情報を活用する創造的能力)も要求され、パソコンを扱う教育も必要だし、パソコンばかり見て目が悪くならないか、ネット中毒は大丈夫か、などついマイナス面が頭に浮かぶ。重くてもやはり紙教科書も必要じゃないのかと考えるが、いかがだろうか。(Netseoul・ソウル在住)
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どう考えても、教科書は紙の方がよい。韓国教科書の電子化は、IT化の進展以上に、紙不足という要因が大きい。電子教科書のメリットを生かして、デメリットを補うことができればよいが、簡単ではない。
(4)日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第1504号☆
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良質MMだが、その中でも、このシリーズは最も気に入っている。今回は、これまでの事例紹介とは異なり、理論的な内容に入る。「参加型学習の可能性」とあるが、社会科のねらいと共通する部分が多い。
じっくり読み込みたい。
■ 「参加型学習の可能性」(14)鈴木隆弘
◆「社会」と向き合うということ −開発教育の新たな展開に向けて(1)−◆
本号から、開発教育の新たな展開のための検討を行いたい。
私は、前号で「問われるべきは、私たち学校教員の社会と向き合う態度である。」と記した。よって、まず、ここで問うべきは、学校教員、そして児童・生徒たちが向き合う「社会」とは何かということである。つまり、開発教育の新しい展開を考えていくならば、最初に、(私の考える)開発教育から見た時、現代「社会」はどうなっているのかを明らかにする必要があるだろう。
本号から、以上の問題意識にそって論を展開する。なお、ここでは、「フィールド」としての「社会」・教育の場としての「社会」への考察は省き、以下三点から「社会」を分析する。※1
1.グローバル化による「社会」の変化
2.格差社会による「社会」の変化
3.環境問題による「社会」の変化:持続可能な開発のための教育へ向けて以上の「社会」変化の検討を踏まえた上で、新しい展開の検討を行う。
このうち1は、言うまでもなく90年代以降続く、地球社会全体の変化である。
2は、それに伴う、主として国内社会の変化である。市場原理が「社会」において全面化することに伴う、貧困の国内における再発生問題である。
3は、地球温暖化などの従来の「発展」社会モデルへの問い直しである。
以上1から3を論じたうえで、新しい展開について提言する。なお、今回は、1を中心に論じていく。
◆グローバル化下の「社会」の変化◆
グローバリゼーション(グローバル化)そのものについては、多くを述べる必要はないだろう。押さえておくべきは、いつからグローバル化は始まったのかであり※2、グローバル化によって「社会」の何が変わったのかである。ここでは後者のみを簡潔に考察する。
グローバル化によって社会に生じた変化は、上からの市場化圧力によるによる市民社会の弱体化と国家の役割の縮小であり、逆に、国境の枠を超えた市民社会の変化、拡大と、躍進、その結果による、国家の役割の縮小と市場への統制である。つまり、世界を覆わんとする市場化圧力によって国家・市民社会の縮小という「上からの」変化と、それに伴う市民社会からの、それも一国レベルではなく、相互連帯によるの市場と国家への対抗である。いうならば「下からの」対抗である。
この際、国家は、双方からの挟撃によって縮小傾向を示すが、市場に対しても市民社会に対しても、双方に対して協力的にも敵対的にも成りうる。前者がグローバル化、後者が反グローバル運動<あるいはオルタグローバル運動>※3と呼んでもよい。
以上「社会」の変化によって、社会的不公正に対抗する開発教育、貧困と戦う開発教育は、前者に対する批判的教育活動へと変化する。
◆地域での教育と開発教育◆
日本の教育において、地域は重要な意味を持つ。しかし、「上からの」変化により、地域社会は解体されつつある。よって、開発教育、そして市民社会には、地域社会の再生と、その活性化による対抗戦略が求められることになる。
90年代以降、開発教育協会は地域セミナーを積み重ね、地域からの「対抗」を行ってきたといってよい。また、80年代末から言われてきたNGO活動のスローガン「Think Globaly Act Localy」(地球的規模で考え、地域で行動する)に従い、地域をグローバル化に対抗するフィールドとして捉えつつある。※4
例えば、『シチズンリテラシー』※5という本を見るとその動きが良くわかる。同書では、「地域への参加」が、新しい市民に求められるものとしてあげらる。開発教育でも、地域での活動する子どもが重要視されている。以前紹介した、まちづくり教材を見れば、それがよくわかるであろう。これは、社会科でも同様である。
しかし、上記の「Think Globaly Act Localy」というスローガンには、先ほど述べた現在「社会」のアクターの一角が抜けてしまっている。
市場−国家−市民社会の三者を「社会」のアクターとするならば、地域は、市民社会の内部に位置づけられることとなる。しかし、「Think Globaly Act Localy」という戦略は、「国家」を一足飛びにしてしまっている。これでは、グローバル化に伴う、市場化による国家の役割の縮小と「拡大」、社会権的なものに対する役割の後退と、監視強化、夜警国家化に対して、対抗する視点を提供できない。※6
また、教育上の問題として、『シチズンリテラシー』も採用している「同心円拡大主義」の問題も指摘しておきたい。
同心円拡大主義は、子どもの認識が、学校→地域、そして国家、地球全体までを拡大していくはずだという仮説に基づく、カリキュラム編成原理である。
このような編成原理に対しては、80年代から、グローバル教育の立場に立つ人々によって、批判が加えられてきた。いわく、テレビなどのメディアの発達によって、子どもの認識は、地域を身近なものと捉えるよりも、メディアから入ってくる情報に左右されているというものである。なお、私もこの立場に立つ。地域/国家/地球社会とステップを踏んで認識が発達するのではなく、子どもの中では、地域の情報・国家レベルの情報・地球社会の情報がバラバラに統合されていると考えるべきであるからである。
◆「市民教育」としての開発教育 −政治的リテラシーの育成−◆
つまり、地域参加への知識・態度・技能を育成することを開発教育や社会科、あるいは現在の市民教育(『シチズンリテラシー』)は目標とし、重視している。そのこと自体は、誤りとはいえない。しかし、国家認識・国政参加抜きの地域重視は、ともすれば、教育における「国家」の誤った後景化※7と、国家への参加への志向性を欠落させかねない。
もし、本当に子どもの認識、あるいは参加の意欲が、同心円拡大していくならば、90年代以降取り組まれた地域参加の教育によって育った子どもたちが、国政にも参加していなければおかしいはずである。にもかかわらず、国政には興味を示さない、若者はますます増加しているのではないか。
そして、開発教育がメディアリテラシーをも取り込まざるを得なかったのは、子どもの認識が同心円拡大ではなく、メディアの情報によって左右されてしまうという現実によるものではないのか。
地域社会が衰退しているのは確かである。それを再生させること、そして国家・市場化への対抗する「場」として地域を重視することも必要である。しかし、同時に、日本においては、地域は国家と密接に結びつき、変容しているのである。※8 だとするならば、開発教育は、開発教育なりの日本全体を捉える視点を提供する必要があるであろう。そして、子どもたちを主権者として扱うこと、国の政治に参加する資質を育てることも求められるはずである。
今なされるべきことは、従来の地域参加の教育から抜き取られている、「政治」教育を開発教育が取り込む必要がある、ということである。
たとえば、ODAをどのようにやるべきか、あるいはどこを対象にしてやるべきかなどの問題を分析する教材を、私自身を含め、現在の開発教育の担い手たちは十分に提供できていない。その結果、国の政治を分析する資質を子どもたちに提供できない。私たちは、主権者育成の社会科などからそれを学ぶ必要があるであろう。
その他、現在、新しく登場している「市民教育」からも学ぶ必要があろう。「市民教育」では、政治的リテラシーの育成が目指される。※9 そのための教材開発、南北問題と日本という国全体の態度を結びつけた教材の開発が求められているのではないか。
【注】
※1 「社会」を静的なものと捉えるか、動的なものと捉えるかは、社会科学において重要な問題である。例えば、経済学においても、資本主義を普遍のものとしてとりあえず考える近代経済学と、原始時代から未来社会への過渡期と捉え、「歴史的」分析を行うマルクス経済学では、前者が「静的」、後者を「動的」と捉えている点に違いがある。
現在の公民科教科書、あるいは学習指導要領は、現行の政治制度を普遍(あるいは不変)のものと捉え、変化し得ないものとしている?がために、政治制度教育になっているきらいがある。
開発教育は、当然ながら現行社会における「貧困」「抑圧」あるいは「不公平」を克服しようとする教育活動であるから、「社会」を動的なものとして、よりよいものになりうるものとして捉えるべきである。
よって、開発教育において「社会」を分析するためには、現在の「社会」の情況<「社会」を学ぶ、あるいは「社会」に学ぶ>ことと、変革の方法についてのスキルを学ぶ<「社会」で学ぶ>ことが必要になるが、後者「「フィールド」としての「社会」」についてはこれまでも展開してきたため省略する。
※2 世界の市場化をグローバル化と捉えるならば、その端緒は、産業革命に求められるのだろうか。マルクスも、日本の開国を持って(1854!)世界の資本主義化は完了すると述べている。
ただ、南北問題の原因を「植民地化」に求めるならば、それこそコロンブスのアメリカ大陸到達を端緒としなければなるまい。
開発教育が、南北構造を問う教育であるならば、コロンブスまでさかのぼる必要があるが、現在の私の手には余るため、省略する。
※3 日本では、反グローバル運動と訳されるために「反」にとらわれ、グローバル化の良い側面にも反対する運動ととらえられてしまっている。
例えば、情報流通の促進に伴う社会連帯の加速化、世界的なNGO網の整備や、少数民族の異議申し立てが日本からでも協力できるようになったことにも反する運動だととらえられてしまっている。実は、反グローバル運動には、最近はやりのロハスやスローフード運動も入る。
だとするならば、「もう一つ」のグローバル化:市場化ではないグローバル化を求める運動だと考えるべきである。世界社会フォーラムの「もう一つの世界は可能だ」というスローガンは、このような「反」グローバル運動の主張を良く現している。
などを参照。本ガイドブックは外務省のものである。
国政レベルでの政治教育を挙げている点は評価できるが、カリキュラムあるいは、地球−国家ー市民社会(あるいは地域)の関連が、同心円拡大主義だけであって、明確ではない。その3レベルが相克あるいは協力している点に現在の「社会」の変化があるのではないか。
※6 監視社会化と国家の肥大については、次回詳しく述べる。
※7 80年代末からの東欧での民主化の進展は、国家の役割は衰退するはずだという像を提供した。しかし、依然として国家の役割は大きい。そればかりか、9・11以降、国家による市民監視の問題がクローズアップされている。
※8 社会科では、地域を行政区画と二重写しで捉える教材が多い。また、地域社会の変化が、国政の変化によって引き起こされることが多い。多様な地域の存在は、確かにグローバル化への対抗策となりうるが、現状では、政府が一地方を疲弊させることは容易である。そういった政治の在り様を一切問わなければいくら地域社会の再生に尽力したところで、努力は水泡に帰すであろう。
※9 市民教育(シティズンシップ教育)は、イギリスで2002年から教科として設けられ
を参照。政治的リテラシー(ポリティカルリテラシー)は、政治への参加・分析のための知識だけでなく資質・能力も統合した概念。同教科で重視されるもののひとつである。
このような動きを受けて、佐藤学氏などが「市民性教育」の展開を始めている。
問い合わせは 土井謙次 syaraku@tcp-ip.or.jp