(1) ワールド・ニューズ・メール ☆ 金曜スペシャル版 □
[1]海外便り(ブログ http://blog.worldtimes.co.jp/ …世界おもしろニュース)
○期待できない陸上新記録(オーストリア)
日本では中国製毒入りギョーザ事件で、中国製の食品に対する警戒心が高まっているが、ウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)の残留性有機汚染物質問題の専門家は「中国は生産禁止された化学物質を依然、完全には生産・使用をストップしていない。なぜなら中国政府は経済成長を食の安全問題より優先しているからだ」と指摘した。
また、「ロンドンで国際会議が開催されたが、そこでは中国製のステンレス製シャベルが紹介された。簡単に壊れるので調査した結果、ステンレスなど使用されていなかったことが判明した、という話を聞いた。中国製は食品だけではなく、衣服、おもちゃ、器具などに、禁止された化学物質が使用される一方、安価な代用物質が利用されているケースが少なくない」と述べた。
特に、毒性が強く、分解が困難で長期間、人体や環境に悪影響を与える残留性有機汚染物質の場合、「数年後、10年後にその影響が現れる。汚染された土壌から生育する食物の安全問題は深刻だ。中国当局はその深刻さを認識しだした。なぜなら汚染された土壌から収穫された食物の最初の被害者は国民だからだ。そこで中国政府は先日、国連機関に中国国内の汚染土壌図の作成支援を要請してきた。中国当局は自国の汚染地域を把握していないというのだ」と強調した。
話が北京五輪に及ぶと、「自国から食料を持ち込む欧米選手が増えるだろう」と述べる一方、「北京市の大気汚染はひどい。五輪競技の中でも陸上競技が最も被害を被るだろう。北京大会では、100メートル競走を含め、世界記録は期待できない。選手も呼吸系の後遺症を懸念せざるを得ない」と説明し、「陸上競技は北京市以外の空気のいい都市で実施すべきだ」と提言した。(O)
(2)MM小学1858 荒木茂□ 江戸時代の寺子屋の暗誦教育(その3)
今回は、「江戸時代の寺子屋の暗誦教育はどうであったか」について書くことにする。
本稿を書くについては、下記の資料を使用した。(略)
寺子屋の概略
寺子屋とは、主として一般庶民の子弟を対象として、「読」「書」「算盤」といった、初歩的実用的な知識を授ける私的教育機関である。その起源は、中世、室町時代の後期にまでさかのぼることができる。寺子屋の起源をみてみよう。
すでに鎌倉初期から、僧侶となる少年を対象とする教育と、在家の子ども(武士や庶民)をあずかって、初歩的な文字の読み書きを教える教育と、二つの側面をそなえていた。室町中期となると、庶民の子ども達に文字の手ほどきを与える風習が一般化してきたが、室町後期になると、武士や庶民の世俗教育に必要な教育内容をいろいろ取り入れるようになった。
この中世寺院教育の世俗教育が、近世の寺子屋の先駆と目されるのだが、武士の子弟が中心であったこの寺院の教育が、庶民を対象に発生した寺子屋として普及・発展していくためには、近世社会の社会特有な経済的、文化的諸条件の発達があった。
小商品生産の台頭・発展によって、庶民大衆の日々の生活や生産活動に「文字」の果たす役割が重要となってきた。文字学習の要望が高まり、その要望にうながされて、庶民大衆自身が全国各地にひろく設立したのが寺子屋であった。
「寺子屋」は「寺子」と「屋」との合成語であって、「屋」は寺子が通う家をあらわし、本屋、米屋といった家を意味し、手習いを経営する家をあらわした。
寺子屋の普及度
寺子屋は民間の塾であるから、寺子屋に関する記録は幕府や藩の公文書にはない。寺子屋の師匠の子孫に伝わる文書からしか見つけることしかできない。
幸いにも、明治十六年に文部省が全国の都道府県に依頼して教育史の調査をしたことがある。それを編集した『日本教育史資料』(明治23〜25刊)がある。この資料は二十三巻からなる膨大なものであり、寺子屋を知るには最良の資料となっている。
開業数の統計をみると、寺子屋は19世紀に入る頃から急激に増加し続けている。とくに安政から慶應にかけての14年間には、年間300を越える寺子屋が開業している。『日本教育史資料』によると開業の年代が不明のものも含めて一万六五六〇軒あったという。しかし、実際には江戸だけでも大きい寺子屋が4〜500、小さいものをまぜれば1000から1300ぐらい存在していたといわれている。
寺子屋への入学年齢
寺子屋はまったく自然発生的に設立されて、発展していったものである。そのため、決まった入学年齢があるわけでもなく、入学日、就学年齢が決まっていたものでもない。卒業証書などもなかった。入学年齢は、各寺子屋によってもまちまちだし、その家庭の事情によってもまちまちであった。しかし多くは六〜八歳が入学年齢であった。学習期間も特別の規定があるわけでもなく、二〜三年間が普通であったようである。
寺子屋の師匠
師匠の職業は、地域によって異なる。東京府が小学校設立のために寺子屋師匠に提出させた調書には726名分の旧身分が書かれている。多いのは平民(町人)で、雑業、農民、商人などの江戸の町人である。次に多いのが士族である。女性の師匠も86名確認できる。
千葉県の袖ヶ浦地域で確認できる手習い師匠の人数は35名、内訳は、僧職10名、農民4名、神官4名、医師3名、不明14名である。このことから江戸では町人が多く、農村では僧職・神官・農民であったことが分かる。
寺子屋の学習内容
学習内容は、時代により地域により家業によって多種多様であった。とはいえ、圧倒的多数は、なんといっても「読み・書き・算盤」であった。なかでも手習いにはどの寺子屋も時間をかけ、手習いは中核であった。一人一人が個別に指導を受け、練習をしては師匠の前に進み出て清書をし注意を受け、また自分の机に向かうといった形式であったようだ。
師匠は頃合を見て一人の寺子を呼び出し、目の前で書かせ、朱筆を加えたり、運筆の順序、言葉の意味内容を教授したりした。師匠は一人一人の寺子の年齢や進度、学力、性格、興味、家の職業などに応じて、手本の内容を変えるなど細かな配慮をして指導した。手習い指導のとき師匠は「倒書」といって、さかさまに文字を書いてやらなければならない。「倒書」の技術に熟達しなければ寺子屋の師匠とはいえなかった。
寺子屋における手習いは、単に文字を上手に書くことだけが目的ではなかった。手習いで文字を学び、手本を読むことで様々な知識を習得した。手本の内容は、日常の躾、礼儀作法、教訓に至るまであった。この意味で、手習いは、近世庶民の子ども達の人格形成の根幹を支えていた修身教育にもなっていた。
寺子屋の教科書
寺子屋の教科書は、総称して「往来物」といわれている。往来とは「往復一対の手紙・書状」のことである。日常生活の中に使われている手紙・書状を習得していなければ、何人も日常生活の支障をきたすと考えられていた。身分、職業、性別、季節によって、そこで使われる手紙・書状は形式・種類が実に多様であった。手習いの教材文は日記調、手紙調、問答調で書かれたものも多くあった。季節の挨拶、年中行事、近所付き合いの仕方なども記されたものもあった。女子は、読み、書き、算盤を主としながらも、茶、生花、裁縫、絵なども教えられた。
往来物には日常生活に必要な実践的な知識や道徳律が書かれてあった。読み書き能力と道徳性の涵養が密接に結びついていたことが寺子屋の特質である。子ども達は膨大にある往来物の中から師匠が一人一人に適当と選んだものを与えて学習させた。往来物のほかに師匠が特別に書いて与えた「お手本」もあった。「草紙」と呼ばれた練習帳を真っ黒にして手習いに励んだ。
以下 見出しのみ
寺子屋の学習形態、寺子屋の試験、寺子屋の「終りの会」風景、野村吉三郎の寺子屋の思い出
(3) 日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第1946号☆
■「プロジェクト志向でいこう!」(27)若槻 徹(浜田市立宇野小学校)
NHKのディレクターさんからの個人的な質問に答えた私の見解を紹介します。
◆今の子どもたちに求められている学力とは?それは、どうやって身に付けさせたらいいか?
1.これから必要な学力
・高度情報化社会の中では、テレビや新聞におどらされないで、本当に自分に必要な情報や正しいものを見抜く目が必要です。メディアリテラシーが最も重要だと私は考えます。(思考・判断力が必要)
・昔は、机に座って先生の話を聞いて、知識を頭に入れていけばよかったのですが、時代の流れが速くなり、学校で学んだ知識は、社会に出たらもう古くなってしまっています。自分で知識をどう得るか、その学び方自体を身に付ける必要があります。(知識を覚えるだけでよかった時代ではない)
・また、ケイタイ、ゲーム、インターネット、テレビ…子どもたちを誘惑する魅力的で楽しいものが溢れている日常生活の中で、自制心を持ちながら、自分をコントロールしていくことも難しくなっています。(学習意欲を削いでしまう環境あり!)
・少子化やゲーム等の個人中心の遊びなど、人間関係を自分から作る経験が少なくなったために、仲間との関わることが苦手な子が増えてきています。基本的なコミュニケーション力を育てることが学校教育の中で必要になってきています。
2.それを身に付けるには・・・
・学校での授業のやり方を見直して、基礎基本として知識等をしっかり身に付ける部分(IN)とその知識を活用して生活に結びつけて自分で実際にやってみる(OUT)を取り入れることが大切だと思います。フィンランドで言うテーマ学習やプロジェクト学習の考え方にあたります。
・子どもたち自身に自分を客観視できる力を育てていく必要があります。学習を振り返って自己評価する場面を授業の中に取り入れたり、自分の思考の変化や成長を記録するなどポートフォリオを取り入れるなど教師の指導の工夫が必要です。
・友達と協力した活動したり、共に学び合う場面で、思いを伝えたり、受容したりする中で、コミュニケーション力を育てていくことが大切です。
◆教師の指導力・技量の向上を訴えているが、今の先生たちの指導力・技量はどの程度だと思うか? それは子供たちに学力をつけさせるに足るものか?
・現場の多くの教師は、まじめで責任感があり、授業に対しても熱心に取り組んでいます。しかし、残念ながら、自分で指導法を工夫し、成長しようと努力している教師はあまり多くありません。10年前、20年前と同じ授業のスタイルを続けている教師も少なくありません。研究授業(自分の授業をほかの教師に見せて研究する授業)を1年間に1回もしない教師も多いと思います。
つまり、教師の指導力は、経験だけでは身に付くものではなく、学び続ける意志がなければ向上しません。
そして、授業のやり方が書いてある「教師用指導書」の通りにしか授業をしない(しかできない)先生も多いように思います。自分で教材を開発したり、単元を考えたりする等自分で授業プランをつくれる先生は少ないです。そのため、総合的な学習の時間をどうすればいいか悩んだり、いいかげんになっていたりします。
したがって、子どもたちに真に必要な学力をつけさせるためには現状では充分ではないと思います。
教師の指導力の向上が進まないのは、先生たちが忙しすぎるという現状があります。授業にだけ集中できる環境を作り、責任とともにお金を学校に与えれば改善できると私は考えています。(後略)
☆★☆ コメント ☆★☆
内容はともかく、一人一人が自分の回答を持つことが大切だ。
(4) KMM 教師のエスプレッソタイム NO.179 NIEクリップ 1
■ここでは、最近まで私が別の箇所で流していた原稿を紹介します。新聞情報なのですが、ためになると思います。
A.『新聞社』読後感!
■この本は、河内孝という方が執筆されているわけですが、毎日新聞社の元常務取締役で退職された方です。だから、現実味があります。次のような文章や情報が目につきました。
1)日本の新聞産業 通信社を含めて全112社、全従業員数53000人、1年間に376万トンの新聞用紙使用 毎日5256万8032部の朝夕刊発行、販売店は20865店舗、従業員数は44万人、年間売り上げは2兆4000億円
2)もっと詳細には!
広告代理店から売上1兆円、出版事業から3700億円、駅コンビニ売上700億円、販売店から1兆7700億円(5000円世帯、600万事業所)
逆に、広告代理店へ手数料2500億円、販売店へ手数料6500億円、販売促進費1500億円が全体で動いているとのこと。なお、販売店へは折込みチラシの売上4800億円が入っているとのこと。
3)2005年 VS 1999年
5256万部(120万部減少)、新聞を講読していない12%(倍増)、閲読時間23.9分(2分減少)、首都圏で講読していない単身者は48%(8%増)
4)新聞販売店の収支は
新聞販売収入と折込み収入の割合は57対43。全体的には新聞販売で73%、チラシで19%、本社から補助金7%
5)押し紙と販売部数
詳細は避けますが、新聞社と販売店のかけひきがあります。販売店にとっも、新聞部数はチラシに影響、新聞社は実際以上の予備新聞(押し紙)を販売店へ送付、部数の伸びに対して、新聞社より奨励金の利率変更と、かなり複雑な関係にあるようです。
6)残紙
少なくとも印刷部数の10%は廃棄処分になっているとのこと。仮計算でも、37万トンが廃棄され、486億円の無駄になっているとのこと。
これらのことと、環境問題が同時に扱われておりました。つまり用紙が占める木材の割合等々、なかなかシビアなものでした。
7)株保有問題
地元の熊日も熊本放送やFM中九州、シティFMにも出資してありました。どこの新聞社もやっているようです。大手新聞社長がこういっているそうです。「新聞は衰退するかもしれないが、当分はテレビで食える」と。最後の護送船団ともいってありました。
8)携帯 VS 新聞
10年前にはなかった家庭の支出項目として、携帯代が大きく項目となっており、何を切り詰めるかとなった場合、著者は「お父さん、新聞は小遣いから駅で買ってね」が目に浮かぶと言われています。
こういう状況だからこそ、ネットとの模索をしていかめないといけないと著者は言われておりました。
9)最後に、こんな学生の感想を紹介してありました。
「新聞は発見メディアだということ。ページをめくっていくと、予期せぬ発見がある。なるほどと思うニュースにも出会う。それに比べてインターネットは検索メディア、関心のあることをより深く調べられる」と。
(5) 安岡正篤一日一言 〜心に響く366の寸言〜
【四十、五十にして聞こゆるなきは 1】
世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえない、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、お前おったのか、というようなことではつまらない。
少しできた人間ならば世間はともかく、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。
「四十、五十にして聞こゆるなきは(畏るるに足らざるのみ)」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。またそれでよい。 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)