(1)MM小学1903 正義と勇気を育てる学級&学年集団づくりNO88(2009年4月)
道徳教育改革集団鹿児島 内山 義朗
5月連休までに到達すべき子ども像・学級像と不可欠な指導群
2008年度が終了した。前号で4月の学級づくりについて、述べた。
このところ10年間程、私が意識して取り組んできた点である。
「最初の一週間で到達すべき子ども像をまずは描く。」「理想とする学級像とそのための不可欠な指導群を意識して実践する。」の必要性と観点5点を示した。
本号では、その続きを示す。このところ約10年間、私が意識して進めている5点。
1 自習ができる。
教育とは、学習する側の自立を目的とする働きかけである。だから、その子なりに自ら習い学ぶ力を育てていくのは重要である。いわゆる学校における自習ができる力を育てていくことも、大切である。
授業中であれば、教職員が教室に常時居るのが、当たり前。その中で自習ではつけられない力をこそ育てる必要がある。
ではあるが、そうもいかない場合も現実にはある。
例えば、朝自習等が学校の日課表に設定されている場合である。職員連絡会の時間帯に設定されている場合が多い。
職員連絡会を終えて教室が騒然としていれば、後の授業や活動にも差し支えがあるだろう。
殆どの学校では研究授業が行われているはず。その間、学級は自習にして研究授業学級で参観することになる。
自習ができず、担任不在の状態では事故すら起きかねない学級ならば、授業参観どころではない。参観時間も短くせざるを得ない。
ほかにも、「怪我をした子への対応」「体調不良の子への対応及び家庭連絡」「不登校の子への対応」「教室に入れない子・教室を脱出した子への対応」等、学級全員の子どもたちを相手にしていられない場合がある。子ども個への対応が必要な場合がある。
それらは、緊急な対応を要する場合がある。そんな時、「自習しておきなさい。」のように一言で済ませられるような状態にしておく。
自習の条件は一つ。「だれにも迷惑をかけずに学習する。」が条件。
だから、まずは「一人でできる内容」「声・音を出さずにできる内容」をできるようにさせている。
自習の目標は一つ。「自分にとって、ためになる学習をする。」が目標。
年度初め、最初は読書でも良い。教科書を眺めるのも良い。だれ一人座席を離れず話しかけず、しいんとした状態にする。
まずは、教職員がいる場でできるようにさせる。話しかける・音を立てる子を注意する。呼名して返事をさせるだけである。
教職員不在の自習時間帯の後には、「できたか否か」を確認する。自習内容を指示してあった場合も含めてである。
次に、よりためになる内容をできるようにさせる。例えば、計算の苦手な子は計算練習・漢字書き取りが苦手な子は漢字練習。人間、楽な方に流れがちである。
「○○さん、いい自習をしているなあ。」
「○○さん、君はほかにやるべきことがあるでしょう。」
教職員がいる場で、このような自習時間を短く設定してやらせるのが一方法。言葉かけは、教室内のみんなに聞こえる大きさの声。
すると、直接、言葉をかけられなくとも気づいた該当者は、内容を変更する。
テストが早く終わって提出した後も、自習として位置づけている。早く提出した子は、その時間の教科について自習するルールにしている。
例えば、国語科テストの後は、「テストで正解を書けたか自信がない所を確認する」「正しく書けなかった漢字を書く練習をする。」「辞書で言葉の意味調べをする。」「教科書を読む。」など。
2 周囲のごみを拾える。
身の回りに紙くずがたくさん。教室内に使用済みティッシュペーパーや紙切れなどのごみが毎日のように落ちている。
ちり箱の周囲にも、鉛筆の削りかすがたくさん。ちり箱の蓋も開けっ放し。
廊下・階段にも、ごみがしょっちゅう落ちている。全校集会後、たくさんの子どもが先に通っているのに、だれも拾おうとしない。
清掃時間直後であるにも関わらず、ごみが落ちている。
まずは「気づかせる」必要がある。
「教室を見渡してごらん。気づいたことを発表してもらいます。」
すると気づく子が増える。「異常な事実」が出される。
つまり「異常に気づいているのに、異常を変えるための行動が全くない」状態の子が多いのがわかる。そこで、次は行為化が必要。
「1分間あげます。やりたい行為をやってごらん。」
まずは、「気づかせる場」「行動する場」を短く設定し、このような方法を繰り返していけば変わる。
例えば、靴の並べ方が乱雑な時。傘だてに忘れ去られた傘が多い時。トイレのスリッパがぐちゃぐちゃな時。図工室など特別教室の後始末が不十分な時。
学校は公共の場である。公共の場をきれいに使うのは、「正義」行為である。公共の場を汚す・乱雑にするのは「悪」行為である。「面倒だから」の個人の欲望だけで後始末を放って汚いままでしておくのは「悪」行為である。
しかも「使った場所を元通りにする」「ちらしたごみを拾う」のは難しいことではない。1枚の紙くずを拾いちり箱に捨てるのは数秒でできる。
だから、「周囲のごみを拾う」のは正義行為の第1歩でもあるのだ。そんな簡単なことすらできなくて、「世のため人のため」になるような大した行為はできない。
さて、先のように「気づく場の設定」「行為化する場の設定」をしていけば、変わる。その時、子どもの様子を観察しるのが大事だ。
多くの子が気づかない「善」行為をする子がいたら、みんなの前で事実を褒めればよい。例えば「○○さんは、みんなが気づいていない○○をきれいにしていました。」「○○さんは、○○の所と○○の所をきれいにしていました。1番頑張っていました。」と。
すると、褒めた方向に多くの子どもが変わっていく。まずは「ごみを拾える子」を増やしていくのが早道。
ただし、これだけだと「放っておいても日常生活の中で気づく子と気づかない子」「よく動く子と全く動かない子」がいる。「身の回りのごみ・足下にあるごみにすら気づかない子」「ごみを拾う行為をしない子」をそのままにしておいていいはずがない。
そこで、次の段階は「気づかない子」「なかなか動かない子」を変えていく指導が必要になる。
例えば、その子を指名し「気づいたこと」を発言させる。「何も気づかない」ということなら気づかせるようにすればよい。あるいは「気づいている子」に教えさせる。
次に、その子に行動させる。そして「ごみ発見係」にする方法もある。方法は、様々でよい。
めざす具体的な子ども像が定まっていれば、方法は実態に合わせながら工夫していく必要がある。結果として、将来、子ども本人にとって、ためになるようにしていくのが重要だ。
3 落とし物を拾い、みんなに尋ねられる。
(略 2と同じような考え方です)
4 必要性のない形式行為をやめる。
形式主義実践で、子どもは育たない。例えば、子どもたちが「皆さん、どうですか。」「同じです。」「いいと思います。」と毎回発言する授業。毎回、発言の度にパチパチパチパチパチパチパチパチと拍手の音がある授業。
授業における子どもの発言場面で次のように指導されている学級がある。
「皆さん、どうですか。」「同じです。」「いいと思います。」
パチパチパチパチパチパチパチパチの拍手。
そんな学級には、幾つかの共通点がある。
・思いつき発言が多い。 ・なかなか理由や根拠が示されない。 ・子どもの発言の声が小さい。
・子どもの発言が少ない。 ・「違います。」などの反対意見が出されない。
・論争場面がない。 ・子どもの発言が短い。 ・子どもの発言内容が、だらだらしている。
・拍手の仕方がいいかげん。 ・拍手が長い子がいる。 ・授業時間が延びる。
・授業者による新たな知識の伝授が少ない。
いわゆる活動主義授業となっている。
表面上は、子ども同士の意見がつながっているように見える。しかし、深まりがない。
授業者の発言が少なく子どもたちが活動している時間が長いように見える。しかし、良い授業というわけではない。
「子どもたちに、どれだけ学力形成ができるか。」こそが大事である。授業の本質を外してはならない。
意見が分かれるような問いを出し、全員参加を促す目的ならば、○(賛成)か×(反対)かを問い、書かせた後に論争を仕組めばよい。それでこそ個々も集団も思考は深まる。
だから、貴重な授業や活動の時間を浪費する行為は、潰していく必要がある。無駄遣い形式的行為は禁じていく。
最初の一週間・二週間くらいは、様子見もあってよい。当然ながら、子どもたちは、前年度までに身に付けた力をいくらかは発揮する。前年度までのルール通りに行動する子も多いはずである。
その中には効果的な行為もある。それは、学級のルールとして残していけばいい。良い行為は褒めて、他の子にも広げていけばいい。
見定めた上で、形式的な時間の浪費でしかない先のような行為を禁じていく必要がある。
5 質問と連絡・お願いを使い分けできる。
毎年度、同じような経験をしてきた。年度初めに、必ず次の質問をする子が現れる。
「トイレに行ってもいいですか。」
一発目は、「漏れると困りますね。どうぞ。」と答え、トイレに行かせる。このままにしておくと、授業中、トイレに行く子が増える。当然である。「授業中トイレに行ってもいいですか。」と尋ねたら「自由に、トイレに行っても良い」の解釈のルールで進む。
それでいいはずがない。間違いなく前年度まで、それで通ってきたのである。であれば、当然ながら、中学年段階で正す必要がある。
「〜ですか。」は質問である。相手に尋ねる言い方である。当然ながら、「だめ。」と返事する可能性はありうる。
よって、そのような事実を確認した直後、授業で扱ってきた。
「○○さんが、授業中こう言ってきました。」
『トイレに行っても良いですか。』
「この発言はおかしいでしょう。なぜですか。」
「『だめ』と言われたら本人が困る。漏らしたら、周りの人も困る。」
「授業中、トイレに行かなければ困る時、どう言えばいいのですか。」
「トイレに行かせてください。」
「すみません。トイレに行って来ます。」
子どもたちから、このような発言が出なければ教える必要がある。その上で、次のように語る。
「授業中、トイレに行くと、その分授業を受けられないで困るのは本人です。だから、休み時間のうちに済ませておくべきです。その上で、お腹の調子が悪くなる場合もありえます。どうしてもトイレに行かなければまずい時は、『トイレに行かせてください』と、お願いこそすべきです。それだと『だめ』というわけにはいかないでしょう。」
☆★☆ コメント ☆★☆
土井が昔やっていたことと同じようなことが行われている。変わらないものです。
(1)第17回授業実践フォーラム
平成21年6月6日(土)、7日(日) 羽島市文化センター
新学習指導要領とこれからの教育U 〜「習得・活用・探究」を具現する授業づくり〜
6月6日 受付:12:00 開始:13:00 ・講演:神山 弘 ・基調講演:梶田 叡一
6月7日 受付:9:00 開始:9:30 ・課題講演:加藤 明 ・授業実践講座/学校経営講座