第319回 社楽の会報告    第318回へ     第320回へ   TOPへ
                                                             
報告者  土 井
 2009年12月17日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました。参加者(勤務校)を紹介しましす。
参加者は、土井(江南市教委)、奥村先生(岩南小)、早川先生(藤里小)、尾関先生(岩倉市教委)、高木先生(犬南中)、大野先生(犬山中)、大島先生、柴田先生(草井小)、野口先生(城東中)、森本先生(古知野中)、小澤先生(扶桑東小)、天野先生(江西中)、山田先生(犬北小)、小澤先生(犬西小)、馬場先生(宮田中)、寺谷先生(附属名古屋中)の計16名でした。
 
 以下は、土井が文書提案したものです。番号をクリックしてください。

  漢字豆知識
 社説を比べる 12月16日
  書籍紹介
   ─「私の教材開発物語」─
  役立ちWeb特集  
  教育関連情報    
  MM紹介

 漢字豆知識 
 漢字表について紹介します。

 常用漢字表(大正12年 臨時国語調査会)会長は森 鴎外。
  ・国民教育及び国民生活における漢字の負担を軽減する目的で作成(1,962字)
  ・「本表ニナイ漢字ハ仮名デ書ク」と明記
・昭和6年に1,858字に

 標準漢字表(昭和17年 国語審議会答申)
・各官庁及び一般社会において使用する漢字の標準(2,528字)を示したもの。
・常用漢字(1,134字)、準常用漢字(1,320字)、特別漢字(74字)に区分

 当用漢字表(昭和21年 内閣告示・訓令)
・法令、公用文書、新聞、雑誌および一般社会で使用する漢字の範囲(1,850字)
・固有名詞は外す
   ○当用漢字音訓表(昭和23年)音訓を示す 
○当用漢字別表(昭和23年)義務教育中に指導するもの。881字
○当用漢字字体表(昭和24年)字体の標準を示す

 常用漢字表(昭和56年 内閣告示・訓令)
  ・字種表、音訓表、字体表を統合した漢字表(1,945字 当用漢字表に95字追加)
  →平成17年文部科学大臣が文化審議会に対して、「情報化時代に対応する漢字政策のあり方について」諮問があり、現在、文化審議会国語分科会いおいて常用漢字表の見直しが行われている。
 
 社説を比べる 12月16日

日本経済新聞

普天間先送りが深める日米同盟の危機(12/16)
 沖縄の米軍普天間基地の移設先決定の先送りは、日米同盟をめぐる現在の危機的状況をさらに深める結果になる。「日米基軸」との言葉とは裏腹に、鳩山政権が行動で示す日米同盟の空洞化と対中傾斜に対し、懸念を覚える。
 政府は15日、首相官邸で基本政策閣僚委員会を開き、普天間基地の移設先の決定を来年に先送りし、(1)現行計画を含め、移設候補地を与党3党で検討する(2)日米の協議機関の設置を米側に提案する(3)現行計画に基づく移設関連費用は2010年度予算に計上する――ことを決めた。
 移設先の決定期限を来年5月とする案もあったが、社民党の反対で見送った。10年度予算への費用計上によって現行の日米合意をかろうじて生かしたが、与党内の協議の行方、米側の対応は不透明だ。決定先送りは、宜野湾市の市街地を分断・占領する形で存在する普天間基地の現状固定につながる。
 日米同盟の管理、運用を担当する岡田克也外相、北沢俊美防衛相は、日米合意を年内に確認するよう求めてきたが、鳩山由紀夫首相は社民党に対する配慮を優先した。米国務省のケリー報道官は14日、「合意済みの米軍再編ロードマップ(行程表)が最善の計画だ」と述べており、日米間の溝が埋まる気配はない。
 岡田外相は日米同盟の現状に危機感を表明してきているが、外交面では既に実害が出ている。
 コペンハーゲンで正式な形での日米首脳会談が見送られれば、日本は温暖化問題で米側を説得する場を失う。環境問題に熱心な鳩山首相にとって、自らの判断がこのような結果をもたらすことに対する自覚はあるのだろうか。
 「日米関係はぎくしゃくしている。まず日中関係を強固なものにして、米国との問題を解決するのが現実的プロセスだ」。民主党の山岡賢次国対委員長の14日の上海発言も、鳩山政権の外交路線に対する国際的な疑心暗鬼を生む。
 山岡発言は、従来の日米関係と日中関係を逆転させた発想であり、同盟の否定にもつながる内容を含む。鳩山政権はマニフェスト(政権公約)で対等・緊密な日米関係を目指すとしたが、山岡発言が中国の力を借りて米国とあたるとすれば、米国と対等の発想ではないし、緊密な日米関係とも両立しない。
 小沢一郎民主党幹事長が影響力を持つ鳩山政権の外交路線は、対外的には離米、対中傾斜と映る。それは成長する中国に複雑な感情を持つ東南アジア諸国にも不安を広げる。
 
 
毎日新聞

基地移設の政府方針 「普天間」固定化避けよ
 与党党首級による政府の基本政策閣僚委員会は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で、移設先を決めずに先送りし、与党3党で協議機関をつくって検討することを決めた。結論を出す時期については、平野博文官房長官が「来年5月まで」との案を示したが、社民党が反対して合意できなかった。
 日米合意の沖縄県名護市辺野古への移設を含めて移設先を再検討しようというものであり、事実上の日米合意の白紙撤回ともいえる。
 ◇対米協議に全力を
 鳩山政権が発足してちょうど3カ月。鳩山由紀夫首相は「最後は私が決める」と繰り返してきた。ところが、移設先はおろか、結論を出す時期さえ決められなかった。事態は3カ月前とまったく変わっていない。「政府方針」と言うのも恥ずかしい肩すかしである。
 首相は11月の日米首脳会談で、オバマ大統領に対して「私を信用してほしい」と言明した。その結果が、期限もつけない連立内の協議では、米側も言葉がないであろう。米政府は、辺野古への移設が唯一の実現可能な案であるとの立場を変えていない。移設が暗礁に乗り上げて普天間飛行場が現状のまま固定化されることのないよう、首相は米政府との協議に全力をあげるべきだ。
 こうした事態を招いた原因は、首相のリーダーシップと、首相官邸の調整能力の欠如にある。首相はそのことを深く自覚すべきである。
 今後、連立内の協議、対米交渉を進めるにあたって注文がある。
 第一は、日米合意の考え方である。政権交代があれば、内政・外交ともに過去の政策を見直すのは当然であろう。しかし、相手のある外交では限界もある。今後の外交方針とは違って、すでに政府間の公式合意が存在する場合には「継続性」が重視される。さらに、日米合意については、国会が承認した「在沖縄海兵隊のグアム移転協定」で明文化されており、法的にも確定している。
 常識的には、政府間合意を覆す場合、相手国が納得できる新たな案を提示する義務は、合意見直しを提案する側にある。普天間の「県外・国外移設」を強く主張する社民党も、連立政権の維持を重視する首相も、この点は理解すべきである。
 普天間問題を、日米同盟全体を揺るがす発火点にしてはならない。そんな事態は、「日米同盟が日本外交の基盤」と強調する首相の本意でもないだろう。対米協議に向けて、鳩山政権はあらゆるチャンネルを使って米側に働きかける必要がある。
 第二は、普天間の固定化への懸念である。普天間移設問題の原点は、市街地にある普天間飛行場の離着陸機による騒音など生活被害の解消、米軍機墜落による周辺住民の危険性の除去である。普天間所属の米軍機事故は年平均2・2件発生し、2004年には、近接する沖縄国際大学で米軍ヘリ墜落事故が起きている。隣接する小学校が、米軍機の校内墜落を想定した全校児童の避難訓練を強いられる異常事態は、一日も早く解消しなければならない。
 移設の協議が長期化するなら、一部訓練の移転などその間の対策が必須となることは言うまでもない。
 もともと普天間閉鎖は「時間をかけて議論するテーマ」ではない。期限を設けない連立内協議が、「危険の温存」「普天間基地の固定化」につながることを強く危惧(きぐ)する。
 ◇沖縄の負担軽減こそ
 第三は、沖縄県全体の負担軽減である。日米合意通り、米海兵隊のグアム移転や沖縄の米軍6施設返還が実現しても、依然として在日米軍全体の施設面積の約70%が沖縄に集中し、基地の存在に伴う著しい負担を沖縄県民に強いる事態には変わりない。基地の縮小・移設を含めた負担軽減は、衆院選マニフェストで「在日米軍基地のあり方の見直し」を掲げた民主党政権の重要テーマの一つだ。首相は、普天間移設とあわせ、負担軽減策の実現に政治生命をかけて取り組むべきである。
 第四は、「負担軽減」と「抑止力の維持」の両立についての議論である。日米安全保障条約に基づく在日米軍基地の存在が、北朝鮮など日本周辺の脅威に対する抑止力として機能していることは、鳩山政権も認めるところであろう。しかし、その議論が政権内で十分になされているとは言い難い。在沖米軍の主力である海兵隊の存在が抑止力維持のために必要だとの議論は、米政府よりも外務、防衛両省を中心に日本政府側に強いとの指摘もある。
 海兵隊を含めた在日米軍基地の存在による抑止力の中身と、今後のあり方について鳩山政権が明確な考えを固める必要がある。そうでなければ、米側との実質的な協議は進まず、すれ違いに終わりかねない。
 繰り返すが、今回の「政府方針」の内容では、何も決めなかったに等しい。このままでは連立内の協議もどこまで真剣に行われるか疑問である。少なくとも結論を得る時期を明確にしたうえで、3党間でただちに協議を開始すべきだ。鳩山首相の指導力を改めて求める。
 
 
読売新聞

普天間移設 展望なき「越年」決定は誤りだ(12月16日付・読売社説)
 鳩山首相は、米軍普天間飛行場の返還を頓挫させたことで、歴史に名を残すのではないか。そんな深刻な危惧(きぐ)を抱かざるを得ない。
 政府が、沖縄県の普天間飛行場の移設問題について、結論を来年以降に先送りする方針を正式決定した。移設先は、現行計画の見直しも視野に入れ、与党3党で協議していくという。
 民主、社民、国民新の3党連立政権を維持するため、国益より党益を優先した結論だ。11月の日米首脳会談で合意した「迅速な結論」を一方的に反古(ほご)にするもので、長年積み上げてきた日米の信頼関係を崩壊させかねない。
 米側は日本の新方針に否定的な姿勢を示しており、今後の日米交渉は難航するのが確実だ。来年の日米安保条約改定50周年に向けて同盟を深化させる協議が開始できないだけでなく、日米関係全体の停滞が懸念される。
 そもそも普天間飛行場の代替施設は部隊運用上、他の海兵隊基地と近接している必要がある。このため、1996年の日米合意以来、一貫して県内移設が飛行場返還の前提条件となっていた。
 この前提を見直して県外・国外移設を提起する場合、この13年間の日米の共同作業は無に帰し、返還合意さえ白紙に戻る。鳩山政権は、その重大な意味を理解し、今回の決定をしたのだろうか。
 この事態を招いた最大の責任は無論、「最後は私が決める」と言いつつ、優柔不断な対応に終始してきた鳩山首相にある。
 首相は、米国も沖縄も社民党も大切だとして、会談相手ごとに都合のいい発言を繰り返してきた。その結果、県外移設論が沖縄や社民党に高まり、自らの選択肢を狭めてしまった。
 本人の発言も、日替わりのようにぶれ、関係者を混乱させた。首相としての資質が問われる。
 問題は、移設先の決着を来年に先送りしても、何の展望も開けないことだ。県外移設は現実的な候補が見当たらない。一から具体案を検討し、米国と沖縄と移設先の同意を得るのは極めて困難で、膨大な時間と労力を要しよう。
 それでも、鳩山首相は、現行計画以外の案を模索する考えを表明した。現行計画の実施費を来年度予算案に計上する、という政府方針と明らかに矛盾する。
 首相発言が新たな混乱を引き起こすのは避けられまい。首相は本当に、日米同盟を堅持しつつ沖縄の負担軽減を実現したいのか、重大な疑問が残る。
(2009年12月16日01時13分 読売新聞)
 
 
朝日新聞

普天間先送り―鳩山外交に募る不安
 米軍・普天間飛行場の移設問題で、鳩山内閣が方針を決めた。決着を来年に先送りし、連立3党で移設先を再検討するという。しかし、これを方針と呼べるだろうか。
 移設先の検討対象には、県外や国外ばかりでなく、自民党政権時代に合意された名護市辺野古も含まれる。移転先の結論を示す時期は明示しない。辺野古移設を前提とした経費は来年度予算案にとりあえず盛り込んでおく。
■展望欠いた政府方針
 沖縄の基地負担、日米合意の重さ、連立への配慮。どれにも応えたいという鳩山由紀夫首相の姿勢の繰り返しにすぎない。ただ結論を先延ばしするだけである。
 危険な普天間飛行場の現実を早期に変えようとすれば、選択肢は限られている。日米合意を基本に辺野古へ移設するか、本気で沖縄県外の移設地を探るかだ。加えてこの間、傷ついた日米当局間の信頼をどう回復するつもりなのか。政権の意思も方向性も見えないままである。
 政権発足から3カ月。これまでの無策と混迷がさらに続くのだろうか。
 この問題の深刻さを認識していたのかどうか、先月の東京でのオバマ米大統領との会談では「私を信頼してほしい」と語りかけた。何の成算もなしにこの言葉を発したと見られても仕方あるまい。
 半世紀以上続いてきた自民党政権から代わったのだから、従来とは違う日米関係、同盟のあり方を追求したいという首相の気持ちは理解できる。沖縄が戦後60年以上にわたって背負ってきた過重な基地負担を、歴史的な政権交代を機に軽減したいと考えるのも当然だろう。
 だが、そうであるなら、手順を踏んで現実的な政策として練り上げ、同盟国である米国の信頼と同意をとりつけていく努力が要る。そこをおろそかにしたまま、ただ「待ってくれ」「辺野古の可能性も残っている」などと優柔不断な態度を続けるのは同盟を傷つけ、ひいては日本の安全を損ないかねない危険すら感じさせる。
■同盟の重要性確認を
 政府方針に沿って、これから事態の打開を目指そうとしても、先行きは極めて険しいことを首相は認識すべきだ。そもそも再交渉するための土台となる米国との相互信頼を一から築き直さねばならない。
 対案をつくるにしても、いつまでという期限が欠かせない。しかし、来年5月までとする考え方に社民党が難色を示し、与党3党の間では合意できなかった。外交には相手があるという現実をあまりに軽く見ていないか。
 結論を先送りし、さらに日米間の交渉が長期化する可能性も大きい以上、普天間返還が「凍結」されることも覚悟する必要がある。辺野古移設とセットの海兵隊員8千人のグアム移転も進まない恐れがある。
 沖縄の現実も、いっそう厳しさを増すだろう。堂々巡りのあげく、辺野古移設の受け入れに戻ろうといっても、県外移設への期待を高めた県民の反発で代替施設の建設が順調に進むとは思えない。来年1月の名護市長選や秋の沖縄県知事選で、辺野古移設反対派が当選すれば、なおさらのことだ。
 鳩山首相に求めたいのは、普天間の移設をめぐるもつれを日米関係そのものが揺らぐような問題にさせないことだ。出発点は同盟の重要性を新政権として再確認することにある。
 日本の安全保障にとって、米国との同盟は欠かせない柱だ。在日米軍基地は日本防衛とともに、この地域の安定を保ち、潜在的な脅威を抑止する役割を担っている。
 むろん、だからといって米国の軍事的合理性だけに基づいて過重な基地負担を地元に押しつけ続けていいはずはない。最小限、どの程度の存在がどこに必要なのか、両国で協議し、納得しあわなければならない。普天間移設で問われているのは、まさにこの問題なのだ。
■大局を見失うな
 首相は、普天間の米海兵隊が担っている抑止力を、飛行場の返還後も何らかの形で補う必要はあると考えているのだろう。3年前の在日米軍再編をめぐる日米合意全体の見直しを目指しているのではなく、普天間の移設先だけの問題であることをはっきりさせるべきだ。
 米政府がこの問題で鳩山政権への不信や戸惑いを深めているのは「鳩山政権は日米同盟を本当に大事に思っているのか」という思いがぬぐえないからだろう。
 首相はかつて「常時駐留なき安保」構想を打ち出したことがある。持論の「東アジア共同体」や中国重視政策と日米の同盟関係のかかわりについても、明確な説明を欠いたままだ。
 日米が連携して取り組むべき課題は、地域の平和から核不拡散、地球環境まで幅広い。米国にとっても日本との関係が揺らいではアジア政策は成り立たない。オバマ大統領は先の東京演説で日米同盟を「繁栄と安全保障の基盤」と強調した。
 普天間をめぐるこじれで日米両政府の円滑な対話ができなくなっては大局を見失うことになる。
 事態がここまで来た以上、決着は容易ではない。首相は現実を直視して、相互信頼の再構築を急ぐべきだ。
 
 
産経新聞

普天間問題 迷走のあげ句先送りとは2009.12.16 02:51
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で、政府がまとめた新たな方針は、日米合意に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)に代わる新たな移転先を明示するものではなかった。当初は最終決着の期限を5月にする考えだったようだが、社民党の反対で決まらなかった。
 鳩山政権発足以来、3カ月を迎えるのに、この問題で鳩山由紀夫首相は迷走し続け、結局、結論を先送りしたにすぎない。日米関係を傷つけ、危機的な状況にまで追い込んでいる。その責任はきわめて大きいのに、自覚すらしていないようにみえる。無責任としかいいようがない。
 米側は日米合意が「唯一、実現可能な案」との立場を崩しておらず、18日までの回答を日本に求めていた。しかも、今後の調整を与党の実務者に委ねることを盛り込んだことで、この問題の早期決着に反対してきた社民、国民新の両党の意向がより強く反映される可能性が高い。
 この結果、日米間の亀裂が拡大しているのに、こうした対応で日米関係が危機に陥る心配はないと、鳩山首相は判断しているのだろうか。日米合意の白紙化、さらに日米同盟の空洞化を避けるため、なお早期決着の道を探るべきである。
 この問題がトゲとなって、さきの日米首脳会談で合意した「日米同盟深化に向けた政府間協議」は開始できない状態にある。来年の安全保障条約改定50周年に合わせ、両国の基盤を話し合う機会を失うことになれば、日米関係は致命的な打撃を受ける。
 日本が米国から「核の傘」を含む抑止力の提供を受けていることを忘れてはならない。インド洋での海上自衛隊による補給支援は、来年1月で終了する。日本によるテロとの戦いの継続を強く求めていた米側は失望している。
 信頼関係を失えば、米側から伝えられる安全保障に関する情報も限られたものになる。同盟の空洞化がそうした形で具体化すれば日本の抑止力を低下させ、結果的に国民の生命・財産を危うくする。安全保障よりも、政党の都合や連立重視が優先されるのでは、国家としての責務を果たせない。
 現行計画は関連経費が来年度予算に計上され、選択肢として残っている。首相は決着をさらに長期化させそうな与党内協議に委ねず、自ら打開すべきである。
 
中日新聞

普天間越年 「県外・国外」に軸足を 2009年12月16日
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の決着は越年が決まった。現行計画通りに県内移設する選択肢は残しているが、民主党が衆院選で訴えた県外・国外移設の検討に軸足を移すべきだ。
 越年方針は、民主党の菅直人副総理兼国家戦略担当相、社民党党首の福島瑞穂消費者担当相、国民新党代表の亀井静香金融担当相らによる基本政策閣僚委員会で決まった。
 結論を出す時期は今後、与党三党で調整するとともに、移設先は新設する実務者協議機関で検討するというものだ。
 現行計画の米軍キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)沿岸部も候補地に含まれており、県内移設の選択肢を残してはいる。
 米側は「唯一実施可能な案」として日米合意に基づく現行計画の実施を求めているが、在日米軍基地の74%が集中し、県土面積の一割以上を米軍用地が占める沖縄県の負担軽減策が、県内に新たな基地を造るという負担強化であってはならない。
 日本国民、特に沖縄県民が先の衆院選で民主党に託した県外・国外移設の検討に向けて本腰を入れるときだ。決着の越年が、県内移設やむなしという雰囲気づくりのための単なる時間稼ぎに終わったら、政治への信頼を損ねる。
 来年は日米安全保障条約改定から五十年の節目の年に当たり、今年十一月の日米首脳会談では、同盟関係を深化させるための共同作業を始めることで合意した。
 移設問題の先送りに米側が反発し、作業開始は遅れているが、同盟深化のための作業と移設先検討は並行して行うことが望ましい。
 在日米軍基地の在り方は、東アジア情勢の変化に合わせて、在日米軍の意義や自衛隊の役割を見直す中で結論を出すべきだからだ。
 そのためにも、鳩山由紀夫首相は、オバマ米大統領との信頼関係構築に努めてほしい。県内移設が困難になりつつある日本の政治状況を率直に説明し、理解を得る努力を惜しんではならない。
 政府は当初、来年五月までに結論を出す意向だったが、社民党の反対で見送られた。
 結論をことさら急ぐ必要はないが、移設問題の根本は、住宅密集地に囲まれた普天間飛行場の危険性除去だ。
 これまでにも事故が度々起きており、再び事故が起きれば、日米安保体制への不信感は決定的になる。結論を出すにあたっては、そうしたことも十分心得てほしい。

☆★☆ コメント ☆★☆
 鳩山内閣が発足した9月16日からちょうど3ヶ月。
 当初は、高い支持率に支えられ、マスコミも好意的な論調が目立ったが、最近は手厳しい。
 普天間問題とは別に天皇特例会見問題の社説も並べてみたが、政府に対する批判が朝日から産経まで見事に一致している。
 米国大統領は発足から100日がハネムーン期間だそうである。マスコミが大目にみる期間である。
 しかし、日本ではハネムーンは短いようだ。日本では人の噂も75日というから、ハネムーンもその程度であろう。
 今後を見守りたい。 

 書籍紹介
  「教え上手」 サンマーク出版 ¥1,500(税別)
 本書には,先生の人を育てる教え方のテクニックと極意が,数々のエピソードを交えながらわかりやすく紹介されている。
 あとがきに「上司が部下を教育するときや,同僚同士教え逢あときなどにもお役に立つでしょう。我が子に教え方を模索している保護者をはじめ,教えることに多少ならずとも関心を持っている方にとっても,指針となるものと信じてやみません。」と書かれている。
 第1章 誘導し,ふくらませる技術
 第2章 考えさせ,追究させる技術
 第3章 引き込み,注目させる技術
 第4章 モチベーションを高め,才能を伸ばす技術
 
  ─「私の教材開発物語」その1(連載 全3回)─  教育情報 Magazine/ある小学校教師の独り言 より

                   岡山県教育委員会津山教育事務所教職員課 高岡昌司

    教材開発の楽しさ 〜何もないような地域でも、必ず驚く事象が存在する〜
  …………………………………………………………………………………………………
 有田和正氏は「授業は教材七分に腕三分」と言われます。つまり,授業について,教師の指導力もさることながら,教材(ネタ)のもつ重要性を主張されています。教材開発については,「一見,何もないような地域でも必ず,驚くような事象が存在する」と全国各地を巡り,34年間で800を超えるネタを開発された経験から述べられています。
 私は,有田氏のこの言葉を実感した経験があります。赴任地はこれといった特徴のない町でしたが,町の社会科副読本に載っていた1行の文が教材開発のきっかけとなりました。
 連載の第1回目は,思わぬ広がりを経験した教材開発について紹介します。
<教材開発の楽しさ〜何もないような地域でも,必ず驚く事象が存在する〜> (以下,常体)

1 教材名
 中学年社会科「長万池をつくる〜地域の開発〜」の教材開発にあたり,特に,地域への愛情や誇りを育てるという視点から,地域に目が向く教材の開発に重点を置いた。
2 教材との出会い
 赴任した当時(12年前)は,農業中心の長閑な町(人口8千人)で,これといった特徴的な産業もなく,少子高齢化や限界集落などの問題が進んでいる現状があった。教科書教材だけでなく,子どもたちに自分の生まれ育った地域をしっかりと見つめ,地域の歩みや人の生き様にふれることができるような教材はないかとずっと模索していた。
 教材開発のきっかけは,町の社会科副読本に「加美小学区には大小合わせて100ぐらいのため池がある」という文章が載っていたことである。ため池はどこにでもあり,大して珍しいものとも言えない。しかしながら日頃から目にはしているが,子どもたちにとって,生活とのつながりやその背景についてはほとんど知らないものでもある。私は,どことなく,このため池の数の多さや位置,関連性にこだわった。そして,中でも,一番大きなため池である長万寺池を取り上げ,教材開発を試みようと考えたのである。
3 教材開発の実際(教材開発の手順 ※本事例の場合)
(1)(身近なところから調べる)地元の役場や図書館へ
 まず,町役場に尋ねたが当時の資料(昭和初期頃)は既に廃棄されていた。そこで,長万寺池地区の古老を紹介して頂いた。古老(81歳)から当時の様子や耕地整理記念碑のこと,池づくりの中心となった人の話を聞いた。昭和初期ということで,実際に池づくりに携わった人たちはすでに亡くなっていた。古老は当時,小学生で実体験を聞けた。
(2)(県内の文献や資料にあたる)県立図書館や市町村立中央図書館などへ
 次に,県立図書館や市立図書館など県内数カ所の大きな図書館で昭和初期の郷土資料にあたった。そこには,隣町での大規模な耕地整理が行われていたことをまとめた書物があった。また,その著者(72歳)は近隣在住の方で,会うことができた。著書は郷土史家であり,現地で当時の耕地整理や池づくりの様子や生活の様子について詳しく聞くことができた。参考文献も紹介していただき,最終的に,授業の外部講師としてお招きした。
(3)(口コミによる情報収集)知り合いや周りの職員,親への声かけ
 職員室や知り合いの先生,保護者にも尋ねてみる事も重要である。実際に,池づくりの経験者(84歳)や,千本づきの道具,だんじこ唄のビデオなど思わぬ収穫につながった。直接,その地域のことでなくても共通点や参考になるものも出てくる可能性は大きい。
(4)(人を単元に位置づける)出会った人は教材として活用
 教材研究の中で多くの人との出会いがあった。長万寺池に関わる人々の思いや願い,知恵を子どもに実感させるには,この方たち以上の証言者はいない。人が教材である。実際の授業では,子どもたちに千本づきを指導し,体験談を語っていただいた。
 
 こうして,ほとんど資料がなかった段階から耕地整理や池に関する文献,郷土史家,地元の古老,池づくりの経験者がそろい教材化(単元化)へと踏み切ることができました。
 特に何の特徴もないと思われていた(自分で勝手に決めつけていた)この地域で,県下を代表するような耕地整理が行われていたことに大変な驚きを感じました。
 これは意図的に調べなければ,絶対にわからなかったことであり,足で稼ぐ中で様々な人々との出会いが生まれました。今,何でも簡単にインターネットで調べられます。
 しかしながらここで紹介した様々な人や書物との出会いは,決して,検索をクリックするだけでは生まれなかったものだと強く思います。大学時代,ゼミの教授から「考えのない奴はとにかく足で稼げ」と何度も叱られたものです。その意味が何となくわかったような気がします。
 動くことで見えてくるものがあるということです。有田和正氏のあの言葉は,意欲的に興味をもち,動いている中で生まれた言葉であると推察します。
 教材開発の楽しさは,何と言っても,人とのつながりが生まれること,何気なくみていた地域を違う視点から捉え直すことで新たな魅力を与えてくれること,まるで宝探しのような気分を味わえることだと私は思います。
 1)教材にこだわる(あらゆる手をつくして情報を得る)
 2)人とつながる(出向いて話を聞く,どこへでも出かけていく)
 3)似た事例を探す(学習活動や学習展開など教材の切り口の参考とする)
 本教材は,最終的には社会科の学習にとどまらず,総合学習として一連のため池の開発を劇化してクラス全員で演じました。保護者はもとより,町内の地域の皆さんを招いて「長万寺池フェスタ」として大々的に披露することになりました。地元のお年寄りの中には,涙を流して喜んでくださった方もいて,子どもたちとともに大きな感動を味わいました。
 教材開発の深さが授業の質を高めることにもつながります。可能な限り手間隙かけて,こだわりのある教材開発を行いたいものです。教材開発の経験は,日頃の教材研究にもつながる力です。時間をつくり,大小様々な教材開発に挑戦してみてください。
 ※私の拙い実践「授業づくりネットワーク(2009年12月号)」も合わせてご覧ください。この記事に対するご意見,ご感想等は  E-Mail:shojoji70@yahoo.co.jpまでお願いします。

 
 教材開発の楽しさ2 〜未来の教材も,先を見通して,レッツ,チャンレンジ!〜

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 教材を,例えば,現在,過去,未来という分け方にしてみます。
 前回は,「ため池づくり」という過去の事例を取り上げましたが,今回は,当時(平成18年度)から見ると未来の「裁判員制度」について教材開発をした経験を紹介します。
 平成21年5月から開始された裁判員制度,平成17・18年度の頃は,裁判所や法務省などが広報活動はしていましたが,一般的には裁判員制度の概要自体も十分には浸透していなかったように記憶しています。
 学校教育については,学力低下が叫ばれる中,新指導要領の改訂に向けて,中教審の話題がよく出ていました。社会科教育においては,時数増,都道府県の名称や位置,自然や文化伝統,法やきまり等の追加が伝えられていました。 
 次期改訂で「法やきまり」が追加されることについて,文科省の安野功教科調査官がよりよい社会の形成者としての資質や能力を育てる観点から入ったと書かれていました。私は社会形成論の立場から実践研究をしていたので,社会科教育の動向に注目しながら,特に「法やきまり」に関心をもちました。また,個人的に裁判員制度に大変興味をもっていました。裁判に一般人を入れるという非常に画期的な制度だと思ったからです。外国には陪審制などがあることは知っていましたが,日本では想像できませんでした。
 私は,「法やきまり」で裁判員制度を扱うことが,新学習指導要領の先取りになり,提案性のある教材になるのではないかと考え,模索するようになりました。
 まず,裁判員制度そのものを調べることにしました。裁判員制度の関連の本は雑誌まで含めると7〜80冊程ありました。また,DVDや映画にもなっていることをはじめて知りました。私は片っ端から借りて(学校用貸し出しだと個人的でも3,40冊貸し出し可),教室に裁判員制度コーナーを設けました。裁判員制度に関する新聞記事も収集しました。 
 当然のことながら,裁判員制度に対しては,賛否両論があります。中にはかなり激しい反対論もあります。世論調査によると75%の国民が裁判員になりたくないというデータもありました。多数の国民が望んでいないような制度が果たして必要であり,うまくいくのかという気持ちが私の中にもありました。そこで,このことを子どもたちはどのように考えるのか,一緒に考えてみるとおもしろいだろうと思いました。
 次に,裁判員制度の位置づけです。教材化する以上,当然,どういうねらいで,どの単元で,どんな学習活動を行うのかということを明確にする必要があります。諸説を参考にしながらも,「裁判員制度は国民主権や民主主義につながる考え方が本質である」と論じられていたことを援用し,学習指導要領社会科6年の2内容(2)及び,社会の形成者としての資質や能力を育てるという視点から教材化をはかりました。
 裁判員制度そのものについては,
 1)法律の専門家ではない一般国民の感覚が裁判の内容に反映され,その結果として国民の司法に対する理解と信頼がより深まることが期待されていること
 2)選挙権をもつ国民から事件毎に6名の裁判員が無作為に選ばれ,刑事裁判を担当し,被告人の有罪無罪の認定とその量刑を決定すること
 3)裁判員制度は国民主権や民主主義につながる考え方がその本質であり,三権に対する参加民主主義への転換が目的であること
 の3点をおさえるべき点としました。
 もちろん,制度に対して賛否両論あることや,今後も新たな動きが出てくる可能性があることを確認しました。
 そして,学習活動です。模擬裁判などのロールプレイや討論,町の人へのインタビューなどを取り入れることで,子どもが主体的に考える学習をめざしました。様々な情報を収集し,根拠をもとに多面的に話し合い,判断するという学習活動はまさしく,今求められる活用型の授業イメージです。
 実際の授業では,裁判員制度に対する様々な立場や見方,考え方をもとに,子どもとの対話,特に,事象に対する意味や価値について交換したり共有したりする学び合いの場を重視しました。
 具体的なテーマは「裁判員制度は必要か?」になりました。そして,子どもの意見から
 1 裁判の短縮で,判決がいい加減にならないか?
 2 裁判員制度は国民主権を無視しているか?
 という2つの論点で討論することになりました。
 結局,最後まで合意にはいたりませんでした。(もちろんそれが目的ではありません)討論の落としどころは,制度の必要性を考えることで,選挙同様,政治に我々国民がかかわっていくことが大切であるとまとめました。
 
 未来の教材については,教師が子ども達との学び合いの中での意味形成の場を重視し,楽しむ事が大切だと思いました。結論の見えない教材を子どもとともに考える楽しみがあります。6年生という感受性豊かな子どもたちからは,賛否両論ある大人の意見とほとんど遜色ない意見が出てくるなど,私は大変,驚きました。
 
 以下は子どもの意見の一例です。ある意味,教師を超えたなあと感じました。
 (裁判員制度に賛成のAくんの感想より)

 「安心してくらせる社会には何が必要か考えるきっかけになる。いろいろな人の様
々な経験から判断できる。判決が甘くなったり厳しくなったりするということは,そ
こに国民が入った意義がある。外国では,裁判に国民が参加するのは当たり前のよう
だ。」
 
(裁判員制度に反対のBさんの感想より)

 「仕事が忙しいし,人を裁く自信がないという人が商店街のインタビューではとて
も多かった。裁判のことを知らない人が多いからプロに任せればいい。大人と自分た
ちの意見とそんなに変わらないと思ったので,今のままでは強制的で反対。」
 
 教材研究の楽しさパート2は,未来の事象の教材開発にチャレンジした事例を紹介させていただきました。結果的には,この教材は多くの方から関心をいただきました。
 ※本記事の詳しい実践は「授業づくりネットワーク(2009年9月号)」をご覧くだ

 役立ちWeb特集 
(1)教育関連ブログ
 村上浩一の教材工房     http://www5f.biglobe.ne.jp/~kyouzai/ 
 ナレッジforum        http://sogogakushu.gr.jp/ 
 おふぃす ひげうさぎ    http://www.higeusagi.com/ 
 TAKA’S CAFE   http://www2.ocn.ne.jp/~itoden/index.html 
 
(2)平成21年度(第2回)高等学校卒業程度認定試験再試験問題
(3)平成20年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(暴力行為、いじめ等)について
 
(4)見た物を検索してくれる新サービス
 携帯電話のカメラで写した物についての情報を検索してくれる新サービスが実験的に登場。写した画像を手掛かりに検索を行い、さまざまな情報を教えてくれる。例えば、旅行先で見た建築物を撮影して検索すると、それが何であるかを教えてくれる。
 
(5)2つの液晶ディスプレイを本体に搭載したノートパソコン
 ノートパソコンの常識を覆す、2つの液晶ディスプレイを本体に搭載したPCが登場。ディスプレイは1画面へ収納することもできるため、ノートパソコンならではの携帯性を損なわない。さらに回転することも可能でビューワースタイルとして動画やプレゼンテーションにも。
 
(6)平成21年度 知的クラスター創成事業パンフレット(日本語版)

6  教育関連情報
(1)教育課程部会 児童生徒の学習評価の在り方に関するワーキンググループ(第10回)
 学習評価の今後の方向性が示されています。一部抜粋します。
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(各教科における評価の観点に関する基本的な考え方)
・基本的には,基礎的・基本的な知識・技能に関する観点と,「思考・判断し,表現する能力」に関する観点に分けて示すことが考えられる。
・その際,基礎的・基本的な知識・技能に対応する観点について,教科の特性に応じ,知識と技能に関する観点を分けて示すなど,1つ又は2つの観点を示すことが考えられる。
・また,「思考・判断し,表現する能力」に対応する観点については,各教科で重点を置いて育成する能力に対応した名称とすることに配慮しつつ,明確に位置付けることが考えられる。
 MM紹介
(1)国際派日本人養成講座 ■■
     Common Sense: 学校の先生が国を救う(上)  〜 校長の孤独な戦い
  日教組教員による国旗・国歌への執拗な反対運動に校長は追い詰められていった。
■1.「君が代なんて、そんな、やらなくていいわよ」■
 平成10(1998)年3月下旬、一止羊広(ひととめ・よしひろ、ペンネーム)氏は、大阪府内の養護学校B校の校長任命の内示を受け、現在の女性校長・宇都宮京子氏から引き継ぎを受けた。
 宇都宮校長は教育委員会の参事という要職を経て、校長に就任した「やり手」との評判高い人物である。
 5時間ほどの引き継ぎの中で、入学式や卒業式における国旗・国歌のことが話題となった。多くの学校で、日教組中心に国旗掲揚・国歌斉唱に対する反対運動が盛り上がっていたからである。
「国旗は、これまで玄関に三脚で掲揚してきました」との説明に、「式場には掲揚しないのですか」と聞くと、「玄関にだけです。本校ではそうすることになっています」と女性校長はさらりと答えた。
「国歌斉唱はどうなっていますか?」と聞くと、意味ありげな微笑を浮かべて、「君が代なんて、そんな、やらなくていいわよ」と答えた。教育委員会の要職を務めた人の言葉とも思えず、一止氏は耳を疑ったが、初対面でもあり、それ以上、突っ込んだ話はしなかった。
 前任者のこのセリフは、これから3年間続く戦いの日々の前触れだった。
 
■2.まやかしの「実施率」■
 3月30日、教育委員会からB校校長の辞令を受け取った後、新任校長だけ別室に集められて、国旗・国歌の指導に関する分厚い資料を手渡され、入学式や卒業式において国旗国歌の指導を正しく行うようにとの訓令を受けた。
 その熱の籠もった訓令と、宇都宮前校長のあの言葉とのギャップをどう理解したら良いのか、一止校長には分からなかった。
 後で分かったことだが、宇都宮前校長は校長会などでは国旗・国歌の指導を正しくやっているとよく吹聴していたという。
 一止校長が引き継ぎの際の前校長の言葉を紹介すると、ある校長は「えっ」と驚きの声を上げ、「あんなに偉そうに言っていたのに」と深い溜息をついた。
 実際には、国旗掲揚も国歌斉唱もしていないのに、教育委員会には「した」と報告し、委員会はそれをデータにまとめて、外部には実施率○%などと発表する、というまやかしが広範囲に行われていたのである。
■3.校長に着任挨拶もさせない職員会議■
 4月3日に最初の職員会議が開かれた。一止校長は冒頭で着任の挨拶をしようとしたが、議長はすぐに議事に入ろうとした。
 校長が立ち上がって、「議題に入る前に挨拶をさせてください」と言っても、議長はそれを無視して「このまま議事を続けます。
 校長の話は最後の連絡・報告のところでしてもらいます」と拒否した。
 一止校長は、脳天に一撃を食らったような気がした。
 それは変ではありませんか。新着任の校長にはじめに挨拶をさせないなんて、考えられません。私は、はじめに皆さんに語りたいことがあります。
 教員たちの間に、反発のざわめきが起きた。なおも押し問答が続いたが、結局、一止校長は押し切って挨拶をし、その中で教育の基本姿勢を述べた。
 新任校長に挨拶もさせないという異様な雰囲気の中で、一止校長の第一歩が始まったのである。
  
■4.「国旗を掲揚したことに抗議します」■
 4月7日、入学式。式次第には国歌斉唱もなく、式場の配置図には国旗掲揚も記されていなかった。教頭に何とかならないかと相談したが、「今からでは無理です」。
 やむなく従来通り、事務長に命じて、国旗を玄関に三脚で掲揚させた。玄関を通るのは、一部の教職員と外部からの訪問者のみで、児童生徒たちは国旗に気がつきもしない。これでは教育上、とても意味があるとは言えない。
 しかも、その直後に、分会長(日教組のB校での代表者)がいきなり校長室にやってきて、怒った顔で一止校長を睨みつけ、
 「国旗を掲揚したことに抗議します」と言って、持参した抗議文を読み上げ、そのまま校長の机の上に置いて、出て行った。
 校長が職員の意向を踏みにじって「日の丸」を掲揚したことは、「職場の民主主義を蹂躙している」のであり、憲法・教育基本法で保障された「教育の自主性」を放棄するもので、「怒りを表明し」抗議する、という内容だった。
 4月22日の職員会議では、この「抗議文」と同様の、校長を非難する意見が数名から出された。そこで一止校長は、国旗・国歌指導の意義を説いた。リレハンメル・オリンピックの会場で優勝した国の国旗が掲揚され、国歌が演奏されているとき、日本の記者団や選手団の一帯だけが起立をせず、国際的なひんしゅくをかった例を挙げ、
 
 我が国の文化や伝統を尊重するだけでなく他の国の文化や伝統も大切にする気持ちを育てること、そしてその一環に位置づけて、自国の国旗・国歌を大切にする気持ちを育て、他の国の国旗・国歌も大切にする気持ちを育てる取組を進めることが求められています。学習指導要領に国旗・国歌の指導が盛り込まれているのもそのためです。[1,p27]
 
 この段階では、まだ「話せば分かる」との思いがあった。
  
■5.反論なき反対■
 その後しばらく平穏な日々が続いたが、11月に入って、翌年の卒業式委員会から実施計画書が出された時から、騒動の第2幕が始まった。計画書には「日の丸は掲揚しない」という一節があったのである。
 一止校長は、彼らの国旗・国歌に関する誤った認識を正さなければならないと、A4版10頁もの資料を作成して、職員会議に臨んだ。
 まず世論調査で「(日の丸が)国旗としてふさわしいと思う」84%、「(君が代が)国歌としてふさわしいと思う」68%、「新学習指導要領による(国旗掲揚・国歌斉唱の)義務化に賛成、どちらかというと賛成」73%というデータで、国民の圧倒的多数が国旗・国歌を支持している事実を紹介した。
 しかし教員たちは今度は、「校長は職員会議の合意を守らず、職務命令で『日の丸』『君が代』を押しつけるのか」と「職場民主主義」論で反発してきた。そこで一止校長は、さらにA4版24枚もの『国旗・国歌Q&A』を作成し、法的な面での彼らの誤りを正した。
 まず国旗掲揚・国歌斉唱を定めた学習指導要領が法的拘束力を持つことは、学校教育法に定められ、最高裁判例によっても確認されている事で、それを「職場の合意」で勝手に無視することは許されない。
 さらに学校運営の最終責任者は校長であり、職員会議は校長の補助機関であるので、彼らの言う「職場民主主義」は過ちであると説いた。
 しかし、一止校長がどんなに筋道を通して説明しても、彼らは反論も出来ないのに反対の姿勢を変えず、結局、職員会議では「国旗は掲揚しない」と卒業式計画書の原案通りの採決をしてしまった。
  
■6.人格攻撃■
 年が明けて、国旗国歌を巡る争いは激しさを増していった。1月27日の職員会議では、分会役員からなる議長団が、「職員会議の民主的運営についてのアピール」という文書を全職員に配布して、一止校長を批判した。一止校長が立ち上がって抗議しても、議長はそれを無視して議事を進行させた。
 校長は、このアピールへの反論を、「国旗・国歌Q&AII」と題したB4版14頁もの文書にまとめて配布し、すべての問題点について再度、丁寧に答えた。
 しかし、組合教員たちは、その文書を配布したことすら抗議する始末で、ついには分会ニュースで、一止校長の人格を攻撃する川柳を載せるまでに至った。また組合本部とも連携して、B校とは直接関係のない他校の組合教員まで動員をかけ、一止校長を批判するキャンペーン葉書を大量に送りつけたりした。
 連日の組合攻撃に、校長としての日常の職務もできない状態で、一止校長は精神的にも肉体的にも相当追い詰められていた。
 そんな折り、広島県立世羅高校の石川敏浩校長が、国旗・国歌に関する組合教員たちの反対に、ついに自殺に追い込まれたという衝撃的なニュースが飛び込んできた。[a]
  
■7.「あれは右翼の旗、右翼の歌だ」■
 3月1日、二人の保護者が校長に面会を求めてやってきた。PTA会長の吉川氏と、ある会社の労働組合の役員をしているという噂の佐藤氏である。二人は国旗掲揚・国歌斉唱を止めて欲しいという「申し入れ書」を持ってきたが、その形式や内容は組合教員たちのものとそっくりで、分会からの働きかけでやって来た事は明白だった。
 一止校長が「申し入れ」を拒否し、「自殺した石川校長の気持ちを察するとお気の毒でなりません」と言うと、佐藤氏は「あの校長はアホや。日の丸や君が代に反対すればよかったんや」と言い放った。
 吉川氏が「『日の丸』を国旗と呼び、『君が代』を国歌と呼ぶのは根拠がない」と言うので、一止校長が「それでは、日の丸・君が代はいったい何ですか」と反論すると、「あれは右翼の旗、右翼の歌だ」。
「そんな主張は社会通念上通用しません」と一止校長は、また教員たちに何度も説明してきたことを繰り返さなければならなかった。結局、二人は怒って帰って行った。
 その夕刻、また分会役員がやってきて、「卒業生が着席したあと、開式に先立って君が代の曲を流すということだが、卒業生が入場しなければどうなるのか」と脅してきた。一止校長は、「そのようなことはしないでもらいたい」と引き留めるのが精一杯だった。
  
■8.「式当日の朝も交渉に来るぞ」■
 孤立無援の戦いを続ける一止校長に、支援者が現れた。PTA副会長の西川氏である。西川氏は、校長から組合からの執拗な反対の様子を聞いて、こう主張した。
 「入学式や卒業式に国旗を掲揚し、国歌を斉唱するのは当然のことである。多くの国民が支持している」「自分が反対だからと言って、生徒を式場に入れないなどというのは許されない。先生方は子どもたちのことをどう考えているのか」「多数決で反対を決めて、それを校長に『守れ』と言うなら、保護者にも多数決をとればいい。保護者は賛成の方が多い」
 西川氏が帰った後にも、教員30名ほどが校長室に押しかけてきて、国旗掲揚・国歌斉唱はしないで欲しい、と言ってきた。
 こうしたやりとりが、連日連夜続いた。夜7時頃になって、「交渉だ」と叫びながら数を頼んで校長室に押し入って来て、押し問答を続けた後、「式当日の朝も交渉に来るぞ」と勝ち誇ったように言い捨てて、帰って行く。
 私はその頃眠れぬ夜が続いていました。慚愧に堪えないことですが、私の心理状態は相当に追い詰められていました。自殺した石川校長のことが胸を衝きました。石川校長もこのような状況で追い詰められて自ら生命を絶ったに違いない。私は、崩れそうになる気持ちを必死で抑えました。[1,p128]
「混乱だけは避けなければならない」との断腸の思いで、一止校長は国歌「君が代」の演奏を断念した。その途端、激しい胃痛に襲われた。
 しかし組合教員たちは、校長の譲歩に気を良くし、「国旗掲揚もやめよ」と迫ってきた。彼らは卒業式当日の朝、校長が来賓に応接している最中にも、突然、校長室に入ってきて、「国旗掲揚をやめよ」と言い出したのである。一止校長は、強い憤りを覚え、その要求を突っぱねた。
  
■9.西川PTA副会長の見識と勇気■
 卒業式は、一見平穏無事に終わった。国旗は式場正面壇上に三脚で掲げられた。本来は正面真ん中に天井から吊す形で掲揚すべきだが、それを妨害するための定石手段として、子どもたちの作品が壁面に飾られていたのだ。それでも、ようやくここまでこぎ着けた、と一止校長は感無量だった。
 西川PTA副会長が挨拶に立った。吉川会長は国旗掲揚に反対の立場から出席しなかったからである。西川氏は会長の挨拶を代読したあと、「個人的な意見ですが」と前置きして、次のように述べた。
 
 卒業生の皆さん、壇上を見てください。壇上の左には校旗がありますね。右には日本の国旗日の丸があります。学校に校旗や校歌があるように、国にも国旗や国歌があります。先生方にお願いします。大人の主義・主張に子どもたちを巻き込まないでください。国旗・国歌について、子どもたちに正しい教育をしていただきますようお願いします。 [1,p131]
 
 西川PTA副会長の見識と勇気に、一止校長は感動を覚えた。同時に、組合教員たちは精神的なパニックに陥った。式が終了して、一止校長が式服を着替えていると、組合幹部がいきなり校長室に入ってきて、抗議文を机の上に置き、「PTA副会長の個人的な発言について、校長としてどう責任を取るつもりか」と詰問した。
 翌朝も組合幹部が校長室にやってきた。一止校長は出張で不在だったが、彼らは教頭に「PTA副会長の発言は、人権侵害だ」「新聞社が知ったら、喜んで飛びついてくるぞ」「裁判に訴えてもいいんだぞ」と言い残していった。
 組合教員たちの正気とも思えぬ行動は、その後、ますますエスカレートしていく。
                                    (文責:伊勢雅臣)


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