(1)JMM [Japan Mail Media] No.588 Monday Edition
■Q:1115
菅直人新首相は、「増税で得た財源によって成長をはかる」というニュアンスの主張のようです。増税による経済成長というのは、現実的に可能なのでしょうか。
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☆★☆ コメント ☆★☆
これまでの数ある質問の中で、最もシンプルです。みなさんはどう思いますか?考えた後で読んでみてください。
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■ 真壁昭夫 :信州大学経済学部教授
増税によって政府が得た資金を、成長分野などへ配分することによって、経済成長を高めることは理論上可能でしょう。あるいは、悪化している税制を、増税によって再建することができれば、長い目で見るとわが国経済の効率性が高まり、それが経済成長に資するというロジックは成り立つと思います。
最初の論理では、政府により大きな資源配分の役割を担わせることになりますが、そこには、かなり大きなリスクがあると思います。今までの実績から考えると、政府が効率的な資源配分をできるとは考えにくいからです。自民党政権では、90年代初頭以降、雇用の維持を優先することに固執したため、人、モノ、金のような主な経営資源は、効率性の低い建設業などに集中することになりました。
それが結果的に、わが国経済の効率性を低下させ、未だに産業構造の改革が出来ない状況に追い込んでしまったと考えられます。改革が遅れ、必要とされるものを作れる構造になっていないこともあり、わが国経済は、今でもGDPの2%を越えるデフレギャップを抱えることになってしまったと思います。
また、民主党政権は選挙に勝つことを優先して、国債の増発によって調達した資金を、子ども手当てなどの格好で国民に配分するという政策を取ったように思います。その結果、財政の規律は、自民党政権当時よりも一段と弛んでしまいました。自民党政権下よりも、財政状況の悪化はさらに進んでいます。そうした状況から、政府に、資源配分の役割を期待することは難しいと思います。今までできなかったことが、これから簡単にできるようになるとは考えにくいからです。
一方、菅新首相は、弛んでしまった財政規律に対して、かなり強い危機感を持っているといわれています。その背景には、海外から、わが国の財政状況に対する懸念の声が高まっていることがあると思います。財務大臣を経験した菅新首相の最近の言動を見る限り、財政の再建が重要であることを十分認識しているようです。
そうした状況を考えると、新政権のロジックは、後者、つまり、増税によって財政の再建を図り、わが国の安定的で持続可能な経済成長を達成することを目指すという趣旨と考えられます。ただ、そうしたロジックの組み立ては説明されず、むしろ、増税によって、直ぐに経済成長を高めるという論理のように見えます。そこには、大きなリスクがあるように見えます。
現在の政府のニュアンスでは、国民は、政府が増税をすることで、直ぐに経済成長を高めることができるような印象を持つことになると思います。ところが、増税をすることは、短期的には経済にマイナスの効果が及ぶ可能性が高く、しかも、政府が今までのように、資金という資源配分を間違えると、経済成長率が高まるどころか、経済を長期低迷のパスに導いてしまうことが懸念されます。
そうした問題を解きほぐすためには、二つのことが必要になると思います。一つは、政府は、増税をする目的が、長期的な財政再建が目的であるということを、国民に分かり易く説明することです。そして、増税は短期的に景気を下押しする可能性があることも説明が必要です。
もう一つ必要なことは、わが国が抱える少子化、年金、介護、医療、さらには財政悪化などの問題を総合的に議論することです。全ての問題を隠すのではなく、国民に分かり易く伝えて、広い範囲の議論を行うのです。政府は虚心坦懐に、国民と議論する姿勢を示すべきだと思います。北欧諸国が現在の年金制度を作るとき、問題点を洗い出して、超党派で、しかも時間をかけて国民と議論する機会を作っています。わが国政府にも、そうしたスタンスが必要だと考えます。
信州大学経済学部教授:真壁昭夫
(2) Mail Magazine:「ザ・教室」2010-06-12 No.715◆ザ・教室2009[2010年6月7日(月曜日) NO.39]
[いろはかるたを覚えました]
音読の学習もかねて、いろはカルタを覚えました。
国語のノートに「視写」してあるので、のぞいてみてください。
ことわざ等々、意味がわからなくても、音で感じることも大切だと考えています。
※教室に”ことわざ辞典”を置いてあります。興味のある子は、調べてみる、というふうにしてい
ます。
さて、「いろはにほへと」というのはご存知だと思います。全部書くと、「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」です。
これは、「いろは歌」と呼ばれる、47文字のひらがなを全部1回ずつ使った歌に出てくる文字の順番です。
では、そのいろは歌について解説してみます。
原文
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
読み方(現代仮名遣いで)
いろはにおえど ちりぬるを わがよたれそ つねならん ういのおくやま きょうこえて あさきゆめみじ えいもせず
意味
花は咲いても散ってしまう。そんな世の中にずっと同じ姿で存在し続けるものなんてありえない。「人生」という険しい山道を今日もまた1つ越えてはかない夢は見たくないものだ、酔いもせずに。
解説
○色は匂へど 散りぬるを
昔の人は花が咲くことを「色が匂ふ」と表現していました。
したがって、この文章は「花が咲いても散ってしまうのに」という意味です。
○我が世誰そ 常ならむ
「我が世」は「私の住む世界」ですから、「この世の中に」という意味。
「誰そ」は「何が〜だろうか」という、疑問を表現する言葉。
「常」はここでは「永遠に同じ姿のまま」という意味ですから、「誰そ常ならむ」は直訳すると「誰が永遠に同じ姿のままなのですか」という意味です。
でも現代でも、「1億円もする宝石なんて誰が買うんだ?」というと、誰が買うのか知りたいのではなく、「1億円もする宝石なんて買う人はいないだろう」という、強い否定と同じ意味を表わしますよね。それと同じで、「誰そ常ならむ」は、「永遠に同じ姿で居続けるものなんていないよ」と言っているのです。
○有為の奥山 今日越えて
「有為」自体は「形あるものと形のないもの」、つまり「愛や憎しみといった形のないものまで含めてこの世に存在するすべてのもの」という意味ですが、「有為の奥山」というと、そんないろいろなものが渦巻く人生を比喩する言葉になります。
「そんな険しい人生を、今日もまた1つ越えて」ぐらいの意味です。
○浅き夢見じ 酔ひもせず
「浅き夢」は、眠りの浅い時に見る夢のことですが、そのぐらいあっという間に消えてしまう願望のことも指すようです。
「浅き夢見じ」の「じ」は「〜したくない」という意味なので、文章全体では酔ってもいないのに、そんなはかない夢は見たくないということです。
(3) 教育情報 Magazine/ある小学校教師の独り言
[1]各教科等・各学年等の評価の観点等及びその趣旨
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来年度から評価の観点が変わる。小学校では,社会・算数・理科・音楽の観点が変更される。
評価活動が変わるのだ。当然,授業も変わる。
これに対して,読者の皆さんの学校ではどのような対応をされているだろうか?
すでに,発表された「小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について(通知)」
また,この中に【別紙5】として,「各教科等・各学年等の評価の観点等及びその趣旨」が示されている。
観点が変わった教科については,特にじっくりと別紙5「観点の趣旨」を読み込まねばならない。
授業のあり方も検討していかねばならない。もちろん,評価基準も変更しなければならない。
これらについて,文科省はじめ,民間研究機関や出版社などが例を示すまで待っていては遅い。
たとえ示されたとしても,それをもとに自校化しなければならない。
今年度は,そんなたいへんな年なのである。
[1]読み解きたい評価観点とその趣旨
評価の観点は,社会や理科,音楽のように大きく変更されているものもあるが,算数のように小さな変更や変更のない教科もある。
しかしながら,変わっていない教科でも「趣旨」は変更されている。
例えば国語。
「書く能力」で見ると,
現行:自分の考えを豊かにして,相手や目的に応じ,筋道を立てて文章に書く。
改訂:相手や目的,意図に応じ,文章を書き,自分の考えを明確にしている。
改訂では,
「相手や目的に応じ」から,→「相手や目的,意図に応じ」と,「意図」が加わり,「自分の考えを明確にしている」で結んでいる。
今までは,「・・・・・・・,文章に書く。」だったものが,「・・・・・・・,自分の考えを明確にしている。」となっている。
このことを読み取らねばならない。このことを理解した上で,授業に取り組まねばならない。
学力の3要素としてあげられた,「思考力・判断力・表現力」がこんなところにまで影響しているのだ。
これは一例であって,どの教科でも言えること。
「思考力・判断力・表現力」という観点は社会と理科のみだから,他の教科では関係ないと思われがちである。しかし,実際はすべての教科のあちこちに盛り込まれている。
実際の授業や評価活動にあたっては,このことに十分留意しなければならない。
現に,筒井教科調査官は次のように述べている。
「評価の観点の名称は現行のものと同一であるが,その趣旨については学習指導要領の改訂を踏まえて改善を図っているので,十分留意することが必要である」
「評価の観点」や「その趣旨」が変わるということは,授業が変わるということ。
少なくとも,授業研究の際はこのことを十分意識した授業構想でなくてはならない。
今年度中に「評価の観点とその趣旨」を手にとって,自身の目で確認しておきたい。
以上,書いたことをまとめて勤務校で全職員に配付した。