(1) 知らなきゃ損する!面白法律講座 週1回発行(月曜日) 第557号
なっとく!法律相談 第545回
「泥酔客を殴ってケガをさせてしまった 」
□相談□
風俗店で働いています。先日、泥酔のお客が女性を叩いたので、その客を外に出したら殴りかかってきて、その客を逆に殴り怪我をさせてしまいました。検事には、和解ですむならその方がいいと言うことだったのですが、相手から多額な請求をされて困っています。まだ罰金の方がいいのか悩んでいます。どうしたら良いのでしょうか。 (30代:男性)
□回答□
被害者との間で和解を成立させ、検察官に起訴されないようにしましょう。
人を殴ってケガをさせた場合、「刑事事件」として傷害罪の罪に問われるとともに、「民事事件」として被害者から治療費や慰謝料などを請求されます。両者は基本的に別のものです。
ご相談の場合、検事から「和解で済むならその方がいい」と言われたとのことですが、これは、「被害者との間で、治療費などの民事上の請求について和解が成立し、告訴が取り下げられれば、刑事事件としても起訴猶予処分となる可能性がある」という意味であると考えられます。
傷害罪は親告罪ではないので、被害者の告訴がなくても加害者を起訴できます。しかし、被害が軽微なときは、被害者の告訴の取下げの有無が、起訴するかしないかの判断に大きな影響を及ぼすのです。
起訴されて有罪判決が確定すると、あなたに傷害の前科がつきますが、被害者との間で和解が成立して起訴猶予となれば、前科はつきません。
そのため、まずは被害者との間で和解を試みるべきでしょう。多額な請求をされているとのことなので、弁護士に相談して間に入ってもらうべきです。起訴されるかどうかがかかっているので、できるだけ早く行動しましょう。
仮に、和解が成立せず、検察官に起訴されてしまったとしても、初犯で被害者のケガも軽微であれば、罰金刑である可能性が高いです(法定刑は15年以下の懲役又は50万円以下の罰金、刑法204条)。
しかし、刑事事件と民事事件は別のものなので、被害者は、あなたが刑事事件で有罪判決を受けたか否かに関わらず、民事事件として損害賠償を請求できます。
ただ、言いがかりのような理由のない損害を賠償する必要はありませんし、ましてご相談の場合は「相手が殴りかかってき」たため、自分の身を守るために相手を殴ったようですから、過失相殺による減額を主張できるでしょう。
[関連情報]
・刑事罰が下る前に民事調停を成立させると不利?
法律クイズ 第231回 【問題】
「裁判にかかる手数料はいくら?」
Aさんは、知人のBさんに100万円を貸したのですが、返済期日が過ぎても一向に返してくれないので、民事訴訟を起こして100万円の貸金返還請求をしようと考えています。このとき、Aさんが裁判所に支払う手数料はいくらでしょうか?
1. 1,000円
2. 3,000円
3. 10,000円
□解答□
3. 10,000円
裁判手続を利用するには、裁判所に手数料を納付しなければなりません。この手数料の額は、「民事訴訟費用等に関する法律」により定められており、収入印紙で、訴状などに貼り付けて納付します。
本問のAさんは、Bさんに対して100万円の貸金返還請求訴訟を起こそうと考えています。そして、訴えを提起する場合で、訴訟の目的の価額が100万円までのときは、その価額10万円ごとに1,000円の手数料を支払わなければならないと定められています。
そのため、Aさんは、手数料として10,000円を裁判所に支払うことになります。
(2)時事通信「内 外 教 育」メールマガジン 2010/12/3 第323号
《学校は流行に振り回されず教育の王道を》
元日本国際教育支援協会理事長 福田昭昌
学校は、社会の現象の課題解決のために、学校教育に責任を負わない特定の分野、業界、団体などから、学校に直接要請されるような教育論なき教育論の流行に振り回されてはならない。
かつて、軍事国家は軍事強化のための、専制国家・独裁国家はその政治のための道具として、学校を位置付けた。今は特定分野などの関係者が、経済の活性化のために小学校から株式教育を、起業家教育を、教材・教具のIT化を、新聞販売数確保のために新聞記事の活用を、裁判員制度普及のために模擬裁判をと、普通教育の目的や発達段階、教育の適時性などとは無関係に、学校に直接要請してくる時代。この類(たぐい)のものは、保険教育も、稲作教育も、漁業教育も、薬剤教育も、観光教育もと際限がなく、初中教育は無目的なものとなる。
ほとんどは、現象の課題の変化に応じて生滅(しょうめつ)していく、時代の一時的流行にすぎないものであり、社会の構造的な変化に伴う時代の本質的な新たな変化、不易の価値と共存しあるいは一体となり得るような新しい変化に対応するものではない。
普通教育の眼目は、今現在の現象へ対応することではなく、社会がいかに変化しようと主体的に対応できる基礎的基本的な資質・能力の育成を目指すところにある。流行の特定の価値観や特定分野などの振興の観点からのみ出されてくるような教育論には、学校は、学校教育上の意義や必要性、指導法を主体的に判断し対処すべきである。
社会の中に絶えず生じてくる変化のうちで、何が今後の教育改革の方向として新たな時代の本質的な変化を示すものであり、何が教育上の課題とすべき変化であるかを見定めることは、芸術の場合と異なり、1個人1分野1集団の独断のよくなし得ざることである。教育政策として衆知を尽くして展望されているグローバル化やIT社会、知識基盤社会などでさえ不断の変化を免れない、現時点における仮説である。いわんや、特定の価値観や特定分野などからのみみる現象的変化においてをや。
(3)メールマガジン「学びのしかけプロジェクト」 53号 2010年11月30日発行
1「教えやすさ」と「学びやすさ」/その2 東北福祉大学 上條 晴夫
最近、ずっと「教えやすさ」と「学びやすさ」ということを考えています。
これまでの「教えやすさのルール」で作ってきた授業を「学びやすさのルール」で置き変えることはできないか。あるいは、うまい具合にハイブリッドができないか。
そんなふうなことをぼんやりと考え続けています。
いま大学から特命を受けて「PBL」について少しずつ調べています。
30年ほど前にカナダで開発された授業形態で「問題基盤型学習(problem based learning)」といいます。欧米の大学では当然。日本でも急速に広がっています。
たとえば、三重大学では「PBL授業」として全学的に取り組んでいます。PBL実践マニュアル制作検討メンバーには本メルマガのLHチームの森脇健夫氏もいます。
三重大学HPでは「PBL授業」を次のように紹介しています。
・4〜8人の学生で一つのグループを作り、学習に取り組む。
・予備知識に関わらず取り組むべき問題事例が示される。
・グループで問題解決のための学習計画を立てる。
・授業時間外に個人で自己学習を進める。
・学習に必要な学習資源(文献・資料)も自分で適切なものを選択する。
なぜ「PBL」が世界の大学で急速に広がっているのでしょう。
そもそものスタート地点は医学教育です。吉田一郎・大西弘高編著『実践PBLチュートリアルガイド』(南山堂)によると次のような理由があったようです。
・日々、猛烈なスピードで新しい知見が加わる現在の医学においては、「知識の半減期間期は6年」と言われている。すなわち、現時点で最先端とされる知識も6年を経てば、その半分は古いものになってしまう。/医学知識を単に記憶する従来の学習方法ではなく、事例をトリガーにして「患者の問題」と関連づけて基礎医学を能動学習することによって、得られた知識はより記憶しやすく、取り出しやすく、すぐ応用できるものとなる。
・従来の伝統的な講義では知識をストレートに与える。それも棚からぼた餅式に、講義室で聞いてさえいれば、与えられるので、学生は受動的な学習態度や依存的学習方法しか身につかない。一方、少人数グループ学習では隣りの学生とのやりとりによっても「疑問」が次々に湧き出してくるという大きな違いがあり、さらに、学生たちに「この学習は自分たちの学習である」という考えをもたせるという利点がある。
・(「学習のピラミッド」と呼ばれる図がある)講義による学習方法では5%しか残らない。これは教授錯誤もしくはプロフェッサー症候群と呼ばれている(教授は学生に講義をしたら、それがすべて学生の頭に残っていると錯覚している)。一方、仲間同士が教え合いながら、学習すれば80%もが学習に蓄えられるという。
端的に言って、「覚える量が増えすぎた」「一方的に聞く講義が辛くなった」「講義より教え合いの方が効率的ある」という3点が変化の理由と言えます。もちろん従来の講義にも相応のメリットはあります。導入に際して、purePBLという全ての講義をPBLにするやり方とhybridPBLという講義の一部を残すというやり方があるようです。
この大学授業の大改革物語をあれこれ読んでいて、「教えやすさ」と「学びやすさ」について思わず膝を打ったエピソードがありました。それは世界の医学部の頂点に立つハーバード大学がPBLを導入する際、まずは慎重に、従来の古典的なカリキュラムとPBLカリキュラムを2本立てで学生に提供し、PBL中心のカリキュラムが圧倒的に学生たちに支持されたので、全面的にPBL中心カリキュラムを採用したという有名な話です。
このエピソードは日本の授業改革にも大きなヒントになります。ヒント1はカリキュラムの決定に学習者のニーズ(「学びやすさ」)を取り入れていること。ヒント2はハーバード大学の医学生たちのような動機づけ十分の学生たちでも、通常の講義式ではなくて、PBLを選んだということ。
これまでは頭がよくて意欲のあるエリートたちは講義方式で十分に勉強ができるからよいと言われていた定説を完全にくつがえしたからです。
わたしは最近ちょくちょく「バランス」責任論ということを言います。従来の「説明・発問中心の授業」と「活動中心の授業」の比率が本当に現状維持でよいのか。学校文化の常識に従っていればよいか。各教師が慎重に決断すべき時期かなと考えています。
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PBLとは何かを簡単にまとめると…
現実にある問題を解決するために、まずその問題にかかわる事実(Facts / Problems)を徹底的に洗い出し、そのなかでもっとも大切と思われる問題に集中し、その解決のための仮設をいくつか立て、グループ内の共通認識にまで高める、それらの仮設を実証するための必要十分な情報を集め、自己学習し、情報収集・学習後に、もっとも優れた解決策は何かをグループ討論して結論を導く。
このメソッドによって身に付く能力 skills は何か?
1. Problem-solving and self-directed learning skillsを身に付ける
2.グループワーク、チームワークの能力Team skillsを身に付ける。
3.患者を取り巻く問題・社会医学的問題の洞察能力を身に付ける。
4.グループワークの中で自己評価能力を身に付ける
5.科学的根拠に基づいた論理思考と問題解決能力を身に付ける
これら5つのスキルを身に付けさせることを大きな基本目標としている。