3 武功夜話セミナー −ブログより−
土曜日には、武功夜話セミナーへ行ってきました。 サブタイトルは〜「武功夜話」に記された墨俣一夜城 〜、講師は「武功夜話」訳注者 吉田蒼生雄氏です。
私は大きな誤解をしていました。
墨俣一夜城についていろいろ引用されるのが「永禄墨俣記」。私は独立した書と思っていたのですが、これは『武功夜話』と称される一連の書の中にある「永禄州俣記」そのものでした。
吉田蒼生雄氏は書かれている内容を具体的に紹介してくださいました。
お話の要旨を一部紹介します。
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今回で20回目のセミナー。
私の祖先は850年からあそこに住んでいる。これまでに関ヶ原まで話したので、今回は、墨俣に焦点を当てたい。
武功夜話は偽書ではないか、という話をしたい。古文書すべてに目を通したのは私だけ。
写真を撮って印刷できるようにした。
( 中 略 )
かつては庭の中に五輪塔があった。戦国時代の武士の墓らしい。祖母が「気持ち悪いから五輪塔を捨ててきた。」といっていた。また、祖母が、「文書はまだたくさんあった。祖父が花火やさんに売った」と言っていた。そんなことで、いくつかはなくなっている。
確実にいえるのは、文書を父や祖父が書いたことはない。曾祖父の筆跡とも違う。
幸い現物が残っているので、紙の検査ができる。法隆寺は木の年輪で古さがわかるという。検査を受けたい。展示する機会があればみていただきたい。
一夜城がなかったという人がいる。
どうしてあそこに?一夜で?
・・・・・・・・・・・・以下は土井・・・・・・・・・・・・・
ここで、理解を助けるために信長に関する年表を紹介します。
永禄元年 1558 尾張東四郡を支配する岩倉城の織田信賢を浮野で破る。
永禄2年 1559 上洛して将軍足利義輝に謁見する。
岩倉城を攻め落とす。
永禄3年 1560 今川義元を田楽狭間にて討つ(桶狭間の戦い)。
6月 美濃に侵攻し、斎藤義龍と戦う。 8月 再び美濃に侵攻。
永禄4年 1561 義龍死す。その二日後美濃に攻め入り、義龍の子・龍興と戦う。
永禄5年 1562 松平元康(徳川家康)と同盟。美濃軽海にて龍興と戦う。
永禄6年 1563 小牧山城に移る。 4月美濃侵攻。新加納で戦うが敗戦。
永禄7年 1564 犬山城を落とす。(永禄8年説も)
永禄9年 1566 美濃侵攻。敵味方とも足場が悪く帰陣。
永禄10年 1567 美濃三人衆の内応、稲葉山城を攻め落とす。
稲葉山を岐阜に改め、居城を移す。33歳
永禄11年 1568 足利義昭を奉じ、上洛。
この後は破竹の勢いで、1573年には将軍足利義昭を追放します。
・・・・・・・・・・・・・・ここまで 土井・・・・・・・・・・・・・
永禄3年、桶狭間の戦いの後、美濃に侵攻している。しかし攻め落としたのは永禄10年。実に7年間もかかっている。
なぜか?
齋藤家が強く、稲葉山城の守りが堅かったためだ。木曽三川は暴れ側、尾張は45万石に対して美濃はもう少し上、伊勢は50万石。ようするに、信長には、すぐに美濃を攻める力はなかったのだ。
まず、家康と同盟を結び東の備えをし、信長に反旗を翻した犬山城の織田信清の処理にあたった。その後、墨俣に行った。
西美濃三家衆(美濃斎藤氏の有力な家臣だった稲葉良通、安藤守就、氏家直元)と内応し築いた砦が墨俣一夜城なのだ。
墨俣は永禄9年の9月。
一夜城というが一夜で建つわけはない。石組みなどは、秀吉は、過去に攻めて失敗したときのものを使っている。材木は、あらかじめ必要な長さに切って、上流から流してきている。いわばプレハブ工法である。馬止めの柵を結い回した、にわか仕立ての城だ。
9月12日の朝スタートし、15日に信長が入っているので、3日間で出来た。
城といっても掘ったて小屋と柵だけだが。
「信長公記」には墨俣の「す」の字もでてこないので、「一夜城はなかった」という人もいるが、一夜城は侍で作れるわけがない。
普段、堤を直す人や大工、そういう人を集めて、川の水量が減るのを待って、一気に作った。
小六は戦いの係だが、前野長康は柵の係だったので、「永禄州俣記」には柵のことばかり書いてある。
藤蔓や麻縄、もっこ、備中、手斧が何丁、誰が何を準備と書いてある。
墨俣は戦争ではない。土木建築だ。だから、服装は軽く、刀は不要、必要な人でも短刀でよい、袴は短いものなどと書いてある。
大きなものは川で運ぶしかないから、大商人の生駒氏の力を借りている。
「着到表」があり、女の人も賄いなどで行っている。いわば出席表で、ここに名前を書いてもらえないと、後から手当がもらえない。「来ました」と言って、名前を書いてもらう。提供した道具もそう。書いてもらわないと、精算してもらえない。
墨俣は、侍だけの戦いではない。いろいろな人の戦いだ。そうした記録も残っている。
( 中 略 )
前野長康は、秀吉から但馬の国をもらっている。4万石から12万石へ加増された。
領地が増えるから、給料も増えるだろう。
『武功夜話』を執筆した人は1350石。家来を100人持たなければならない家柄だ。
例えば、忠臣蔵の浅野家は5万石で、大石内蔵助は1500石。
『信長公記』を書いた太田牛一は石高はほとんどない。『太閤記』の小瀬甫庵も同様。
『武功夜話』は、格式のある、主だった人と面会できる立場の者が書いている。
ただ、武功夜話でも間違ったことも書かれている。思い違いもあるし、聞いた話が間違っていたかもしれない。
書いた孫四郎は江南市の前野に住んでいる。『武功夜話』には、島津攻め、朝鮮出兵、鳥取攻め、中国の戦いも書いている。書いた本人は、地理的な知識を知らないで書いている。江戸時代初期なので、実際に行って帰ってきた人の話を書くしかない。間違っていても、そのまま書くしかない。
歴史は、時代時代の申し子だ。( 以下略 )
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今後、『武功夜話』は公開の方向で考えてみえるようです。
全国の歴史マニアの注目を浴びることは間違いありません
4 民主党の分裂はすでに確実 新たな低迷へ突入する日本/人民日報〜日本の総理
ブログ 2012-07-02 06:22:13 | 日本を見つめる世界の目 より
中国・人民日報が、日本のことを深読みしています。
日本経済が失われた30年に突入し始めた時点で、政治もすでに失われた10年を経験していたが、それが今や失われた20年に突入しようとしている。日本がこの低迷から脱するには、なお少なからず時間を要すると思われる。(文:陳言・日本問題専門家/日本産網站CEO)
(以下略)
さて、中国に「失われた10年を経験していたが、それが今や失われた20年に突入しようとしている」と言われてしまいました。
それはいつからのこと?
20年に突入と言うからには、平成に入ってからのことです。
ここで、日本の総理を復習してみましょう。
平成元年6月 消費税導入を果たした竹下総裁に代わり、宇野宗佑
同 8月 海部俊樹
3年1月 湾岸戦争勃発
11月 宮澤喜一
4年5月 日本新党結成
ここが20年前
5年9月 細川護煕(自民党政権から大連立政権へ)
6年4月 羽田 孜
6月 村山富市(自・社・さ連立政権)
7年1月 阪神淡路大震災
8年1月 橋本龍太郎
6月 消費税5%へ
10年7月 小渕恵三
11年1月 EUが単一通貨ユーロ導入
12年4月 森 喜朗
13年4月 小泉純一郎
18年9月 安部晋三
19年9月 福田康夫
20年9月 リーマンブラザーズ破綻
9月 麻生太郎
11月 オバマ大統領
21年9月 鳩山由紀夫 自由民主党から民主党の政治へ
22年6月 菅 直人
23年3月 東日本大震災
9月 野田佳彦
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「失われた20年に突入しようとしている」ということは、自民党政権から大連立政権に移ったことを示しています。そこから、日本の政治が失われたと、中国は見ているのです。
その大連立をまとめ上げたのが、小沢一郎氏です。
小沢一郎氏から、日本政治の失われた20年が始まったといえるのかもしれません。
さあ、今日は、また小沢一郎氏が動きます!
5 役立ちWeb特集
(1)文部科学省「情報ひろば」のホームページはこちら!
(2)総合広報誌(e-book)「文部科学広報」平成24年6月号
(3)平成23年度学校における教育の情報化に関する調査結果【速報値】
(4)高等学校歴史教科書に関する検定結果(平成23年度)
(5)外国人の子どもの就学機会の確保に当たっての留意点について
(6)特別支援教育資料(平成23年度)
6 平成23年度文部科学白書の公表について
文部科学省では、教育、科学技術・学術、スポーツ、文化・芸術にわたる文部科学省全体の施策を広く国民に紹介することを目的とし、文部科学白書を毎年刊行しています。このたび、平成23年度文部科学白書を公表しましたのでお知らせいたします。
1 構成
平成23年度文部科学白書は、1 特集:東日本大震災からの復旧・復興〜人づくりから始まる創造的復興〜、2 文教・科学技術施策全般の年次報告、の2部構成となっています。
<第1部 特集 東日本大震災からの復旧・復興〜人づくりから始まる創造的復興〜>
震災による被害の概況、震災発生時の緊急対応、復旧・復興のための取組、原子力発電所事故への対応、震災の教訓を踏まえた今後の取組の考え方等について記述。全体的に、コラム等で各地の復興に向けた様々な主体による努力などの事例を取り上げた。
<第2部 文教・科学技術施策の動向と展開>
文部科学省の施策全体の現況を中心に概観。
2 今後の予定 平成24年7月上旬〜中旬 刊行予定
文部科学省ウェブサイトにおいて、平成23年度文部科学白書の骨子を掲載しています。