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報告者  土 井

 2012年7月12日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました 。

 参加者(勤務校)は、土井(江南市教委)、早川先生、長谷川先生、宗倉先生(藤里小)、高橋先生(岩倉市教委)、坪内先生、川邉先生(岩倉中)、大島先生、柴田先生(草井小)、馬場先生(宮田中)、田中先生、高木先生(犬南中)、奥村先生(岩南小)、尾関先生(岩東小)、天野先生(大南小)、大藪先生(犬南小)、松田先生(曽野小)、鈴木先生(城東中)の18名でした。


土井が提案した資料を紹介します。 

1  高校入試問題を解く!
授業シミュレーション −2−
  武功夜話セミナー −ブログより−
  民主党の分裂はすでに確実 新たな低迷へ突入する日本/人民日報〜日本の総理
 役立ちWeb特集  
 平成23年度文部科学白書の公表について   
MM紹介
 
 高校入試問題を解く!
 私が毎年必ず購入するのが「全国高校入試問題正解 社会」旺文社です。
 まさに、アイデアの宝庫!
 中学校で社会科を教えるのなら、必ず全国の入試問題に目を通しておくべきです。ポイントがわかるからです。
 高校入試問題によく出題される = 高校が重要だと思っている内容です。 
 
 私は、まず解答を見ます。解答の幅は、工夫の幅とかなり比例します。今回では、山形県、石川県あたりが全国でもトップクラスです。
 別紙で、主な県の解答と、石川県の問題を紹介します。
 高校入試が変われば、必然的に授業の質が変わります。 
            
 授業シミュレーション −2−
 別紙を見ながら違いを比較してみましょう。いかに子どもを繋いでいくか・・・。

  参考文献『学校を応援する人のための 学校がよくわかる本U』大西貞憲 著 PLANEXUS


 武功夜話セミナー −ブログより−
 土曜日には、武功夜話セミナーへ行ってきました。 サブタイトルは〜「武功夜話」に記された墨俣一夜城 〜、講師は「武功夜話」訳注者 吉田蒼生雄氏です。
 私は大きな誤解をしていました。
 墨俣一夜城についていろいろ引用されるのが「永禄墨俣記」。私は独立した書と思っていたのですが、これは『武功夜話』と称される一連の書の中にある「永禄州俣記」そのものでした。
 吉田蒼生雄氏は書かれている内容を具体的に紹介してくださいました。
 
 お話の要旨を一部紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 今回で20回目のセミナー。
 私の祖先は850年からあそこに住んでいる。これまでに関ヶ原まで話したので、今回は、墨俣に焦点を当てたい。
 武功夜話は偽書ではないか、という話をしたい。古文書すべてに目を通したのは私だけ。
 写真を撮って印刷できるようにした。
 ( 中 略 )
 かつては庭の中に五輪塔があった。戦国時代の武士の墓らしい。祖母が「気持ち悪いから五輪塔を捨ててきた。」といっていた。また、祖母が、「文書はまだたくさんあった。祖父が花火やさんに売った」と言っていた。そんなことで、いくつかはなくなっている。
 
 確実にいえるのは、文書を父や祖父が書いたことはない。曾祖父の筆跡とも違う。
 幸い現物が残っているので、紙の検査ができる。法隆寺は木の年輪で古さがわかるという。検査を受けたい。展示する機会があればみていただきたい。
 
 一夜城がなかったという人がいる。
 どうしてあそこに?一夜で?
・・・・・・・・・・・・以下は土井・・・・・・・・・・・・・
 ここで、理解を助けるために信長に関する年表を紹介します。
 
永禄元年 1558  尾張東四郡を支配する岩倉城の織田信賢を浮野で破る。
永禄2年 1559 上洛して将軍足利義輝に謁見する。
岩倉城を攻め落とす。
永禄3年 1560 今川義元を田楽狭間にて討つ(桶狭間の戦い)。
        6月 美濃に侵攻し、斎藤義龍と戦う。 8月 再び美濃に侵攻。
永禄4年 1561 義龍死す。その二日後美濃に攻め入り、義龍の子・龍興と戦う。
永禄5年 1562 松平元康(徳川家康)と同盟。美濃軽海にて龍興と戦う。
永禄6年 1563 小牧山城に移る。 4月美濃侵攻。新加納で戦うが敗戦。
永禄7年 1564 犬山城を落とす。(永禄8年説も)
永禄9年 1566 美濃侵攻。敵味方とも足場が悪く帰陣。
永禄10年 1567 美濃三人衆の内応、稲葉山城を攻め落とす。
        稲葉山を岐阜に改め、居城を移す。33歳
永禄11年 1568 足利義昭を奉じ、上洛。
 
 この後は破竹の勢いで、1573年には将軍足利義昭を追放します。
・・・・・・・・・・・・・・ここまで 土井・・・・・・・・・・・・・
 永禄3年、桶狭間の戦いの後、美濃に侵攻している。しかし攻め落としたのは永禄10年。実に7年間もかかっている。
 なぜか?
 齋藤家が強く、稲葉山城の守りが堅かったためだ。木曽三川は暴れ側、尾張は45万石に対して美濃はもう少し上、伊勢は50万石。ようするに、信長には、すぐに美濃を攻める力はなかったのだ。
 まず、家康と同盟を結び東の備えをし、信長に反旗を翻した犬山城の織田信清の処理にあたった。その後、墨俣に行った。
 西美濃三家衆(美濃斎藤氏の有力な家臣だった稲葉良通、安藤守就、氏家直元)と内応し築いた砦が墨俣一夜城なのだ。
 墨俣は永禄9年の9月。
 一夜城というが一夜で建つわけはない。石組みなどは、秀吉は、過去に攻めて失敗したときのものを使っている。材木は、あらかじめ必要な長さに切って、上流から流してきている。いわばプレハブ工法である。馬止めの柵を結い回した、にわか仕立ての城だ。
 9月12日の朝スタートし、15日に信長が入っているので、3日間で出来た。
 城といっても掘ったて小屋と柵だけだが。
 
 「信長公記」には墨俣の「す」の字もでてこないので、「一夜城はなかった」という人もいるが、一夜城は侍で作れるわけがない。
 普段、堤を直す人や大工、そういう人を集めて、川の水量が減るのを待って、一気に作った。
 
 小六は戦いの係だが、前野長康は柵の係だったので、「永禄州俣記」には柵のことばかり書いてある。
 藤蔓や麻縄、もっこ、備中、手斧が何丁、誰が何を準備と書いてある。
 墨俣は戦争ではない。土木建築だ。だから、服装は軽く、刀は不要、必要な人でも短刀でよい、袴は短いものなどと書いてある。
 大きなものは川で運ぶしかないから、大商人の生駒氏の力を借りている。
 「着到表」があり、女の人も賄いなどで行っている。いわば出席表で、ここに名前を書いてもらえないと、後から手当がもらえない。「来ました」と言って、名前を書いてもらう。提供した道具もそう。書いてもらわないと、精算してもらえない。
 墨俣は、侍だけの戦いではない。いろいろな人の戦いだ。そうした記録も残っている。
( 中 略 )
 前野長康は、秀吉から但馬の国をもらっている。4万石から12万石へ加増された。
領地が増えるから、給料も増えるだろう。
 『武功夜話』を執筆した人は1350石。家来を100人持たなければならない家柄だ。
 例えば、忠臣蔵の浅野家は5万石で、大石内蔵助は1500石。
 『信長公記』を書いた太田牛一は石高はほとんどない。『太閤記』の小瀬甫庵も同様。
 『武功夜話』は、格式のある、主だった人と面会できる立場の者が書いている。
 ただ、武功夜話でも間違ったことも書かれている。思い違いもあるし、聞いた話が間違っていたかもしれない。
 書いた孫四郎は江南市の前野に住んでいる。『武功夜話』には、島津攻め、朝鮮出兵、鳥取攻め、中国の戦いも書いている。書いた本人は、地理的な知識を知らないで書いている。江戸時代初期なので、実際に行って帰ってきた人の話を書くしかない。間違っていても、そのまま書くしかない。
 歴史は、時代時代の申し子だ。( 以下略 )
−−−−−−−−−−−−−−−−
 今後、『武功夜話』は公開の方向で考えてみえるようです。
 全国の歴史マニアの注目を浴びることは間違いありません
 
 

 民主党の分裂はすでに確実 新たな低迷へ突入する日本/人民日報〜日本の総理
            ブログ 2012-07-02 06:22:13 | 日本を見つめる世界の目 より    
 中国・人民日報が、日本のことを深読みしています。
 http://j.people.com.cn/94474/7861572.html から一部引用します。
 
 日本経済が失われた30年に突入し始めた時点で、政治もすでに失われた10年を経験していたが、それが今や失われた20年に突入しようとしている。日本がこの低迷から脱するには、なお少なからず時間を要すると思われる。(文:陳言・日本問題専門家/日本産網站CEO)
 (以下略)
 さて、中国に「失われた10年を経験していたが、それが今や失われた20年に突入しようとしている」と言われてしまいました。
 それはいつからのこと?
 20年に突入と言うからには、平成に入ってからのことです。
 ここで、日本の総理を復習してみましょう。
 
平成元年6月 消費税導入を果たした竹下総裁に代わり、宇野宗佑
 同  8月 海部俊樹 
  3年1月  湾岸戦争勃発 
    11月 宮澤喜一
  4年5月  日本新党結成
       ここが20年前
  5年9月 細川護煕(自民党政権から大連立政権へ)
  6年4月 羽田 孜
    6月 村山富市(自・社・さ連立政権)
  7年1月  阪神淡路大震災
  8年1月 橋本龍太郎
    6月  消費税5%へ   
  10年7月 小渕恵三
  11年1月  EUが単一通貨ユーロ導入
  12年4月 森 喜朗
  13年4月 小泉純一郎
  18年9月 安部晋三
  19年9月 福田康夫
  20年9月  リーマンブラザーズ破綻
    9月 麻生太郎
    11月 オバマ大統領
  21年9月 鳩山由紀夫 自由民主党から民主党の政治へ   
  22年6月 菅 直人
  23年3月  東日本大震災
    9月 野田佳彦
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   
 「失われた20年に突入しようとしている」ということは、自民党政権から大連立政権に移ったことを示しています。そこから、日本の政治が失われたと、中国は見ているのです。
 その大連立をまとめ上げたのが、小沢一郎氏です。
 小沢一郎氏から、日本政治の失われた20年が始まったといえるのかもしれません。
 さあ、今日は、また小沢一郎氏が動きます! 


 


 役立ちWeb特集 
(1)文部科学省「情報ひろば」のホームページはこちら!
  http://www.mext.go.jp/joho-hiroba/index.htm 修学旅行の折にはぜひ。

(2)総合広報誌(e-book)「文部科学広報」平成24年6月号
     http://www.koho2.mext.go.jp/index.html    自動でページをめくってくれます。

(3)平成23年度学校における教育の情報化に関する調査結果【速報値】

(4)高等学校歴史教科書に関する検定結果(平成23年度)

(5)外国人の子どもの就学機会の確保に当たっての留意点について

(6)特別支援教育資料(平成23年度)


 平成23年度文部科学白書の公表について
 文部科学省では、教育、科学技術・学術、スポーツ、文化・芸術にわたる文部科学省全体の施策を広く国民に紹介することを目的とし、文部科学白書を毎年刊行しています。このたび、平成23年度文部科学白書を公表しましたのでお知らせいたします。
1 構成 
 平成23年度文部科学白書は、1 特集:東日本大震災からの復旧・復興〜人づくりから始まる創造的復興〜、2 文教・科学技術施策全般の年次報告、の2部構成となっています。
<第1部 特集 東日本大震災からの復旧・復興〜人づくりから始まる創造的復興〜> 
 震災による被害の概況、震災発生時の緊急対応、復旧・復興のための取組、原子力発電所事故への対応、震災の教訓を踏まえた今後の取組の考え方等について記述。全体的に、コラム等で各地の復興に向けた様々な主体による努力などの事例を取り上げた。
<第2部 文教・科学技術施策の動向と展開> 
 文部科学省の施策全体の現況を中心に概観。
2 今後の予定 平成24年7月上旬〜中旬 刊行予定
 文部科学省ウェブサイトにおいて、平成23年度文部科学白書の骨子を掲載しています。
 

 MM紹介
(1) 知らなきゃ損する!面白法律講座 2012年7月9日   第630号
 第9回「自転車の交通ルールと罰則 -(2)自転車特有のルール その1-」
  今回のテーマは、自転車の守るべき交通ルールのうち、自転車特有のものとその罰則。
  前回同様、反則金制度がないために、いきなり刑事罰が科せられる点が特徴です。
 (1)歩道走行に関する違反
  軽車両として車道走行が原則の自転車ですが、車道を通るとかえって危ないとき(たとえば、運転者が児童である場合)などは、例外的に歩道の通行が許されます。
 このとき、自転車は歩道の中央から車道寄りの部分を徐行することとされているのですが(道路交通法63条の4第2項)、歩道で歩行者の間を縫って走行するなど、車道寄り以外の部分を走れば違反行為とみなされ、2万円以下の罰金または科料に処されます(同法121条1項5号)。
 (2)横断方法に関する違反
 道路や交差点を横断する際、自転車は付近に「自転車横断帯」があればそこを通って道路を横断すべきとされています(同法63条の6、7)。
また、「歩行者・自転車専用」と表示されている信号機があれば、優先的にそれに従うことになります(同法7条)。
 これらの横断方法は違反しても特に罰則はありません。
  
 しかし、自転車が交差点を右折するときに行うべきとされている「2段階右折(車のように一気に右折するのではなく、歩行者のように信号機を2回渡るなどして、交差点を直角に右折する方法。34条3項)」の違反に対しては、2万円の罰金または科料(121条1項5号)が規定されています。
 このほか、自転車特有のきまりではないものの、ぜひ注意してほしいのが道路横断時の「安全確認」です。
 一時停止を促す標識等がある交差点で一時停止を怠ったり(同法43条)、狭い道から広い道に出るときに徐行しなかったりすれば(同法36条3項)、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金を負うことになります(同法119条1項2号、2号の2)。
「自転車の安全確認の影響なんて、自動車に比べれば大したことはない」と思われる方も多いでしょうが、これで懲役刑になるということは、法は自転車を結構危険な乗りものと考えているんですね。
 事実、最近は自転車の重大事故も相次いでいますので、それも頷けますが・・
 自転車事故の詳細についてはまた後日説明します。