4 MM 授業実践力向上net紹介
(1)「指導案研修 若手の不満と先輩の苦言」 ─ 本時の授業課題を絞り込む!─
なかなか研究授業が機能しない。
先日参加した某小学校の授業研究もしかり。私は,常々研究授業には「提案性」が必要と言っている。
それを裏付ける興味深い小論を見つけた。安野先生の主張は「本時の授業課題を絞り込む!」
研究授業が機能していないと悩んでいる方,ぜひご一読を。安野先生は以前,社会科担当の教科調査官を務めておられた。ご存じの方も多いと思う。
「指導案研修 若手の不満と先輩の苦言」
― 本時の授業課題を絞り込む!― 國學院大學人間開発学部教授 安野 功
1 参観日の授業と研究授業の違いは何か?
まずは先輩の苦言から……。
参観日の授業と研究授業は似て非なるものである。そのことが分からない若手の先生が意 外と多い。どちらも他者に自分の学級の授業を公開する。だからこそ学級のすべての子ども が活躍する授業づくりを目指す。
この2点だけを見れば参観日の授業と研究授業は酷似している。けれども両者には決定的 な違いがある。それは研究授業が文字通り“研究”を目的として特別に組まれた授業である という点である。だから,時々,先輩と若手との間でこんな会話が交わされる。
先輩:授業の流れは分かるけど,この授業で何をやりたいの?
若手:何をやりたいって,それはどういうことですか?
先輩:もしこの指導案で授業をやればうまく流れそう?
若手:はい。きっとうまくいくと思います。
先輩:だったらこの授業は参観日にでもやったら。わざわざ研究授業でやるまでもないよ。
これに対して若手の不満は……。
いきなり「何をやりたいの」と問われても,どう答えていいのか分からない。そもそも研究授業って何?そんな戸惑いの声が聞こえてきそうである。
2 本時の授業課題を絞り込むことが大切!
先輩と若手の言い分のズレ。それを解消するとっておきの解決策が,本時の授業課題を絞り込むことである。
研究授業とは,今問題となっている教育課題・指導上のある事柄について,「こうすれば,こうなるはずだ」という授業仮説を立て,それを具現化する学習指導案を提示。
子どもの姿を通してその学習指導のプランの有効性を検証する授業のことであろう。
つまり,研究授業の学習指導案には,例えば「工場の見学カードの中から『おいしさのひみつに直接つながるカードはどれか』を吟味・検討し合う言語活動を行えば,工場で働く人の立場で工夫や努力を考えることができるだろう」といった本時の授業課題が必要不可欠なのである。
そのことを先輩が若手に教え,授業課題を絞り込む指導案研修を進める必要がある。
〈社会科教育2011年6月号より転載〉
(2) Vol.407 ─ 2013.10/7(月)◆
◇ 「(第8回)育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」 配付資料
文科省初中局メールマガジンから紹介する。
開催日時 平成25年8月30日。詳細は以下のサイト参照。
この検討会で,座長である安彦先生が(意見)として出された配付資料を紹介したい。
この資料は必ず役立つ。実現する可能性すらあると思う。コピーして自分のPCに保存することをお勧めする。
─安彦座長提出資料─
○ 今後の日本がどんな社会になっているか,を想定してみる。
(1)日本は先進国の一員としての役割と責任を負う。
→「問題解決能力=思考力」中心
(2)知識基盤社会が進行し,高度情報化社会となる。
→「情報活用能力・情報批判能力」
(3)グローバル化社会が進行し,国境を越える諸課題が拡大する。
→「国際的連携能力」
(4)地球環境問題・環境汚染問題に正面から対応する要あり。
→「地球的視野・価値観」
これらのうち,(1)〜(3)は(4)に向けて,幅広く柔軟に育成すべきものである。
→ESD を,地球環境問題を中核にして,教育目的の一つの焦点
(人類の生存)に据える。主に「総合的な学習の時間」を活用する。
→(1)〜(3)は従来の「能力開発型」教育でよいが,(4)は「能力制御型」
教育とし,前者を後者の枠の中に入れて,吟味にかけ,方向付ける。
○ これとは別に,高学歴社会が極限に来て,大学への教育が全面展開し始めたことにより, 本来の「教育」が入試準備のための「訓練training」に変質していることの問題あり。
(1)学習指導要領の改善点
(教育目標)
・ 子どもたちを「日本の未来の主権者」と表現して,それにふさわしい資質・能力を提示す ることが望ましい。「学力」だけがよくなっても,「人格」がよくなければ駄目。
・ 「資質・能力」は両者を明確に区別する必要がある。「資質」は「生来の性質・特性」で 「育てられないが,磨けば外に出てくるもの」,「能力」は「育てて,より質の高いものに変 えていけるもの」ということでよい。前者は,面接やパフォーマンスにおいてとらえられる もので,ペーパーテストで見るものではない。
・ 「目標・内容」は,「資質」「能力」で表わすが,とくに「人格」(道徳性)は「資質」で あらわす。「学力」は「思考力」中心の「能力」で表わすが,「内容」は欠くことはできない。 しかし,「内容」は「大学まで必要な知識・技能は何か」という観点から,これまで以上に 絞り込む。全体に「最低基準」であることを明記する。
・ 公教育学校全体としても「子どもの自立」をめざすこととし,小学校では「自立の基礎」 を,中学校では「自立の基礎」と「個性の探求」を,高校では「自立の準備」と「個性の伸 長」を,それぞれ明確に追求するものとする。この視点が欠けてきている。
(教育内容)
・ 「内容」は小学校中学年までの「道具的な知識・技能」と,それらを使って身に付ける「理 論的・概念的な知識・思考技能thinking skills」とを区別することが必要である。
前者は内容であるとともに認識の手段・方法・用具でもあるという独自性があるので,し っかり記憶ないし行動の定着を,また技能は十分な習熟を図る必要がある。
この部分は「到達目標」で表わす。後者の部分は「方向目標」でよい。
・ 「人格形成」と「学力形成」を分け,前者を全体,後者を部分として位置づけ,前者は, 学校外の教育の場との協働で推進するという原則を明示する。「道徳教育」は学校外の保護 者・地域住民等との連携の下で行うことを明記する。
・ 発達的観点を明らかにして,一定の発達的筋道を,暫定的枠組みとして決める。とくに5 歳前後(言語技能)や9歳前後(抽象的思考)に見られる段階に十分に配慮する。
・ 全学校段階で「学び方」「発表・伝達の仕方」「考え方」=「自己教育力」を身につけさせ る。
・ 教育課程全体に,「地球環境問題」を核としたESDの概念で関連づけ,方向づける。
(組織原理)
・ 教科目構成については,とくに高校段階では科目に分化するとしても,大学受験教科目は 「教科」レベルの問題内容によるものとし,科目レベルの細かい知識は問わないようにさせ る。
・ 新教科を立てるのではなく,現在の教科目構成は残すが,教科内容を変えて,経験的な活 動を加味して,知識と体験とのバランスをとる。
(履修原理)
・ 小学校4年までの「国語」「算数」の技能部分は到達目標を明確にした「課程主義」,その後は「年齢主義」という,全体としては「半課程主義」の教育課程とする。
・ 小学校中学年まではすべて共通必修教科,小学校高学年から中学校までは,それに加えて 「個性をさぐる」ための選択教科(履修原理:広く,浅く,短く,多く,軽く),高校から 後は「個性を伸ばす」ための選択教科(履修原理:中学校までと反対)を設ける。
(指導方法・形態)
・ 学習指導要領に指導方法・指導形態も明記する必要があるとの意見もあるが,それは,学 習指導要領の大綱化の流れの中では,「解説書」の方に入れる方が望ましい。解説書を,も っと資料や教え方なども入れて,現場教員が活用できるようなものにする方向を考える方が よい。
・ 最近の指導方法として小集団を活用するものが提案されているが,それだけが絶対ではな く,目的に応じて種々の指導方法を使い分けることが望ましい。その中にICTの利活用も含 まれる。
(授業日時数)
・ 授業日数・時数は,「最低基準」の数字だけ示して,具体的な配当は学校現場に任せる。
・ 授業時数は,小学校中学年以下は少なめに,高学年から中学校・高校では多めに配当する 必要がある。前者は多いと負担過重となり疲労が出るが,後者は少ないと実験・調査・討論 や発表などの活動ができなくなる。
・ 学校五日制は原則として守る。
(2) 学習評価の改善点
・ 量的(数値的)評価でなく,質的評価を重視する。
→ポートフォリオ評価,パフォーマンス評価,文章評価等を前面に出す。前者を副にし, 補助的・二次的資料と位置づける。IBコースの評価法に学ぶ必要あり。
・ 評価を目的別に明確に区分する。
→まず,成績(順位)をつけるための評価か(評定),活動改善のための評価か(評価), の区別を明確にする。それによって,評価方法が異なることを教員に自覚させる。活用型学 習の成果は「評定」に使わないこと。
・ 小学校中学年までの「国語」と「算数」の「技能」の部分は「到達目標」で表わし,教員 が全員到達に責任をもつこととする。それ以外は無理をせず「方向目標」でよい。
・ 高校入試,大学入試に対する提言を含めることが必要。
(3)Vol.412 ── 2013.11/ 2(土)◆
◇ 未熟な教師の「ダメな点」
未熟な教師の「ダメな点」。子供の実態を無視した,教師主導の思考する場面のない授業。
ひと言で言うとこういうことになる。
授業におけるありがちな失敗 京都文教大学 大前暁政
授業経験の少ない人が小学校で授業をすることがあります。例えば新卒教師であったり,教育学部の学生であったりします。時には大学の研究者が小学生相手に授業をすることもあります。仕事柄,授業経験の乏しい人の授業を見る機会が増えました。授業経験のほとんどない人の授業には,ある共通する「ダメな点」があります。その「ダメな点」の最たるものは,次です。
◆ プレゼン授業になっている。
要するに,教師が一方的に説明して終わるわけです。「講義型の授業」とでも呼べるしろものです。どうして授業の初心者はプレゼン授業になるのでしょうか。様々な理由がありますが,最たる原因は次の三つです。
1.思考場面がない。 2.説明が長い。 3.子どもの実態に合った指導になっていない。
この3つは,どれも授業にとっては,致命的です。
しかしながら,これらの共通点は反面教師として役に立ちます。すなわち,このような点がなくなるように注意すれば授業はずいぶんと良くなるのです。
まずは,「思考場面がない」ということを取り出して考えていきます。
思考場面がないというのは,子どもに考えさせる場面がないことを意味します。思考場面は,例えば発問や指示で引き起こすことができます。授業の初心者も,いちおう,発問らしきものはしています。ところが,それが発問と呼べるレベルにまで達していないのです。知っていないと答えられないことを尋ねたり,ただの質問だったりといったものです。
それに,助走問題をまず出して,だんだん難しい「主発問」に移るといったような原則も,まったく使えていません。
おそらく,「助走発問から主発問へ」という概念をもっていないので,できないのだろうと思います。
単発で発問らしき質問をして,次に進むといった感じの授業になってしまっています。
◆ 説明が長いこと。
もちろん,重要な知識は教師が説明することも必要です。
ですが,小学生相手に30秒以上説明すると途中から聞いていないことが多いです。写真や絵を提示すれば説明を省くことができます。
教師が説明するところを子どもに発表させれば説明を省くことができます。説明する代わりに作業させることで,理解させることだってできます。
「説明」ではなく,「発問→指示→誉める」の繰り返しで,理解させることができます。説明というのは,省くことができるのです。
初心者には,このような「説明を省くことができる」といった概念がないのだと思います。
◆ 子どもの実態に合った指導になっていないこと。
これはもう授業では,最大級にダメな点です。まずは,発達段階を無視していること。そして,レディネスを無視していること。
さらに,子どもが今どういう理解をしているのかを無視していること。子どもの理解のことなどほうっておいて,次々と授業を展開するのが,初心者に共通する点です。
一番まずいのは次の点です。
今どういう理解を子どもがしているのかを確認していない。 授業では,「子どもはどういう理解をしたと,自分で思っているのか」を,その都度確認しなくてはなりません。
ノートや発表で確認する場合もあるでしょうし,レベルが高くなると「子どもの表情」でも確認はできます。
「わからないところや,疑問はないかな」と尋ねるのもよいでしょう。
初心者がいつまで経っても授業が下手な原因は,「概念がないから」です。「授業とは思考場面を用意すべきである」という概念がないからそもそも思考場面を用意 しようとしません。
思考場面は,発問や指示によって引き起こせるといった概念がないから,いつまでも発問 や指示を上達させようとしません。
助走問題のあとで,主発問をすると,子どもが一生懸命考えるといった概念がないから, できないし,努力もできないのです。
戦前の師範学校で,大変よい教育方法がありました。
それは,授業の「原理・原則」をまず知識として学生に教え,その知識を今度は実地授業で技能として身につけるという授業です。
つまり,まず,授業の原理原則を,教える側の教師も生徒も,共通理解をしておきます。
次に,生徒に,その原理原則を知識として教えます。
最後に,実習で,技能として身につけるまで練習させます。今から,120年前の師範学校の授業です。100年以上前なのに,こんなに効果的で,新鮮な授業は他にありません。
授業の原理・原則を概念として知ろうとしないと,いつまで経っても授業の腕は上がらないのです。