今後の予定
第408回 3月13日(木) タイで活動した馬場さんの活動報告
1 鈴木先生による筑波中央研修報告模擬記者会見
経験しておくと、もしもの時に役に立ちます。
2チームに分かれて、仮想の事故・事件について、学校側として模擬記者会見を開きました。
記者側の追求に対して、たじろぐ場面も見られました。
2 教師力アップセミナー 佐藤正寿先生
平成26年2月16日(日)、大口中学校で開催されました。
その記録を別紙で紹介します。
佐藤先生 ブログ 地域の良さ・日本の良さを伝える授業
同 ブログ 子どもたちに伝えたい 日本の伝統・文化小話
浅田真央がソチ五輪のフリーで表現したテーマは、「今までの人生」。
そして、そのフリーの選曲が、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番 第1楽章」
みなさん、その意味がおわかりでしょうか?
ロシアの作曲家 ラフマニノフは、モスクワ音楽院ピアノ科を首席で卒業し、同年ピアノ協奏曲第1番、翌年には前奏曲を初演し熱狂的な人気を獲得しました。
しかし、交響曲第1番の初演が記録的な大失敗に終わり、評論家にこけおろされ、精神病にかかってしまいます。作曲ができなくなってしまいました。
浅田選手も「ジャンプが跳べない」と言っていた時期がありましたね。
そんな状況で出会ったのが、精神科医のニコライ・ダーリ。
その治療が、どれだけ効果があったのかは今となってはわかりませんが、結果的に彼は立ち直り、その1年後にピアノ協奏曲第2番第1楽章を完成させました。
冒頭のロシア正教の鐘のような、和音の連打がクレシェンドし続けながら打ち鳴らす様は、ラフマニノフのこれまでの苦悩の軌跡を表現しているように感じ取れます。
この曲と、交響曲第2番は、彼の苦悩とそこからはい上がる自分、そして立ち直った自分が表現されていることが感じられます。
私は、校長として2年目の卒業式の式辞で、ラフマニノフ自身の演奏によるこの曲を流しながら、「これから挫折を経験することがあるかもしれない。それは残念なことだが、それより、そこから立ち直ろうとしないことが問題だ。前を向こう」という主旨の話をしました。
卒業生が、この曲を聴いて思い出してくれたらと思います。
この曲の意味を浅田選手が知っていたかどうかはわかりませんが、浅田選手のこれまでの生き様が、この曲を選ばせたのだと思います。
浅田選手との出会い
浅田選手(以下 真央ちゃん)が小学生6年生の頃、大須スケートリンクで、私の右隣で座って、屈んで靴ひもを縛っていました。
真央ちゃんより4歳下の愚息が、私の右前方より靴ひもを持ってぶら下げ、腕を振りながら私の方へ近寄ってきたのです。
「危ない!」と叫んだのが、お姉さんの舞さん。
真央ちゃんがふと顔を上げたので当たりませんでしたが、危うく顔にけがを負わせるところでした。
「ごめんね、真央ちゃん」と私が謝ったのでした。
それでも、あの笑顔で「・・・・」(何と言ったか聞き取れなかった)、跳ねるように氷上へ向かっていきました。
今となっては、懐かしい思い出です。