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報告者  土 井

 2014年5月29日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました 。

 参加者(勤務校)は、土井、奥村先生(岩東小)、早川先生、馬場先生、野沢先生(宮田中)、勝村先生、大薮先生(楽田小)、高木先生、田中先生(犬南中)、天野先生(大口中)、小澤先生(扶北中)、寺谷先生(曽野小)、岩本先生(布袋小)、吉田先生(柏森小)、高橋先生(岩南中)、大島先生(古北小)、竹野先生(岩倉中)、坪内先生(犬山中)、鬼頭先生(羽黒小)、山田先生(城東中)、辻先生(七宝中)、池邑さんの22名でした。
  
土井が提案した資料を紹介します。 

1 県社研に向けて
2 
小・中学校社会科における思考力・判断力・表現力の育成を目指した授業の在り方(1年次/2) 
3 「達人が伝授!すぐに役立つ学級経営のコツ」(2年次)報告書
4 資料紹介
5 江南市縁の七人の戦国武将 そのV(ブログより)
 
 
 県社研に向けて
 前回の話し合いで、28年度の県社研に向けて、前回大会(平成15年 台風で中止になったもの)の検証から入ろうということになりました。
 前回大会とは、場面設定課題 で、社会に参画する人を育成しようというものです。この「参画」は、教育基本法の改定を先取りしたものです。
 
教育基本法は平成18年に改定されました。
(教育の目標)
第二条  
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 
ここで、初めて「参画」が教育の目標になりました。社会の形成に参画させるための教育は、社会科の責任でもあります。
 前回大会の資料をもとに検証しましょう。
「研究授業の企画 今どんなテーマがよいか」
  別紙で紹介しました。

 
小・中学校社会科における思考力・判断力・表現力の育成を目指した授業の在り方(1年次/2)
 佐賀県教育センターは、継続的に、「意思決定を取り入れた討論型の学習」に取り組んでいます。とても参考になりますので見てみましょう。 
 http://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/index.htm#H25 

3 
「達人が伝授!すぐに役立つ学級経営のコツ」(2年次)報告書
 香川県教育センターは、昨年1年次報告を出しましたが、その完成版です。
 たとえば・・・
〔小学校の事例〕
1 当番活動と係活動 ・・・・・・・24
2 教室環境 ・・・・・・・・・・・28
3 座席の決め方 ・・・・・・・・・30
4 褒め方・叱り方 ・・・・・・・・32
5 授業参観 ・・・・・・・・・・・34
6 「いじめ」への対応 ・・・・・・36
〔中学校の事例〕
1 教師としての姿 ・・・・・・・・38
2 学級目標の決め方・・・・・・・40
3 清掃指導 ・・・・・・・・・・・42
4 毎日の「生活記録」 ・・・・・・44
5 PTA個人懇談会の進め方 ・・・46
6 「いじめ」への対応 ・・・・・・48
 など、若手教員の悩みに具体的に答える約100ページの労作です。





 資料紹介
(1)高等学校における特別支援教育の推進   
 ユニバーサル教育高校版ですが小中学校でも十分に使えます。
 http://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h25/05%20toku_sien/h25_toku_sien/H25_top.htm 
 
(2)正しい「辞書引き」学習法
 http://jishobiki.com/ 
 深谷圭助先生が提唱する「辞書引き」学習法を、オリジナルグッズを作成した3Mのサイトです。専用のポスト・イットを活用した実践例や学習の効果が紹介されています。
 
(3)学び直し授業動画/長崎県教育センター
 http://www3.edu-c.pref.nagasaki.jp/manabi/?page_id=13  復習のために動画教材です。
 
(4)学校力を高める小・中学校校内研究の推進・充実/佐賀県教育センター
   http://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h25/02_kounaikenn/sample.htm 
 校内研究の進め方の一つです。どの教育センターでも課題となっています。 



  江南市縁の七人の戦国武将 そのV(ブログより)
《 織田 信雄 》
 最後は、織田信雄です。
 3年前のNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」では、山崎裕太が演じました。
 NHK大河番組HPには次のように書かれていました。
 信長の次男。本能寺の変の後、明智軍を攻めようと進軍するが、兵数が心もとないと撤退。清洲会議で織田家後継者の道を完全に断たれるが、のちに家康と組み、秀吉に対抗する。
 三谷幸喜の映画「清洲会議」では、妻夫木聡がおおうつけとして演じていました。映画HPでは、信長次男。おおうつけだが自分では頭が良いと思っている。秀吉によって信長後継に擁立される。というキャラクターとして紹介されていました。
 江南郷土史研究会の説明には次のように書かれていました。
 
永禄元年(1558年)出生・丹羽郡小折村小折城(生駒屋敷)(現江南市小折町)
幼名・茶筅丸、伊勢北畠具房養子具豊、信意、信雄、侍従中将、中納言内大臣
『正二位清洲城主 100万石』賜う
寛永7年(1630年)72歳 逝去
 
 この信雄も、他の尾張の武将と同様、豊臣と徳川の争いに翻弄されます。
 信雄は、信長の第2子。もちろん吉乃の子です。信長は伊勢平定のため、信雄を北畠具房の養子としました。
 長島一向一揆や雑賀衆、伊賀攻めに、弟の信孝と共に参戦します。
 本能寺の変の後には、尾張、伊勢、伊賀の100万石を得て、織田姓に戻ります。
 賤ヶ岳の戦いでは秀吉に味方し、柴田勝家に付いた弟信孝を攻めて岐阜城を包囲、野間大坊に送り自害させています。兄弟といえども厳しい世界です。
 この後、秀吉からの大坂城の招待を拒否し、対立します。信長の後継者を自認する信雄にとって、秀吉のとった行動は許せないものでした。
 秀吉が信雄を攻撃するのに対し、信雄は徳川家康と同盟を結びます、というより助けを求めます。これが小牧・長久手の戦いとなります。
 家康が清洲城に到着した日、織田氏の家臣・池田恒興が羽柴軍に寝返り犬山城を占拠します。
池田恒興は、姫路城を造った池田輝政の父です。
 生駒屋敷(小折城)にいた信雄を訪ねた家康は、二人で富士塚古墳に登って、秀吉側の動きを偵察したと言われています。
 小牧・長久手の戦いのその後は後日詳述します。
 結果的に、領地を一部減らして秀吉と和睦。長女(小姫)を秀吉の養女に出し、その小姫は徳川秀忠に嫁ぎます。豊臣と徳川の間の微妙な位置関係に立ちます。
 その後も、豊臣と徳川の間を立ち回り、子孫を存続させています。
 優秀といわれた兄・信忠は早く命を落とし、それほどではなく、一部では「暗愚の将」とさえ言われた信雄の家系が続いていくのは皮肉です。
 叔父有楽に茶を学び、茶道、和歌、歌舞に巧みな風流人でもあったそうです。
 
《 織田 有楽斎 》
 犬山ホテルの敷地内にある茶室「如庵」。現在、国宝に指定されています。その如庵を建てたのが、織田 有楽斎、織田 長益です。
 東京の「有楽町」の名の起源である織田 有楽斎。(異説あり)
 織田信長の実の末弟で、甥の信雄も慕っていました。信雄の兄、信忠に、二条城で自害をすすめた人物といわれています。自らは、二条城を脱出しました。異説もありますが・・・。
 小牧・長久手の戦いでは、秀吉と家康の仲介役も務めています。信長の実弟だからこそできることです。
 関ヶ原の戦いでは東軍に属し、西軍の有力武将・蒲生真令を倒す活躍を見せますが、悲しいかな、淀君は姪っ子。豊臣にも力を貸します。大阪の陣では豊臣に付いていましたが、最後は離れます。
 今回のテーマである、豊臣と徳川の間に揺れた一人といえるでしょう。その結果、子孫は続きました。
「勝(か)ち馬(うま)に乗る」といいますが、戦国武将が有利な方につくのは、生き残る術なのです。