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報告者  土 井

 2015年2月26日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました 。

 参加者(勤務校)は、土井、ゲストの太田先生、太田先生(藤里小)、松本さん(大学生)、尾関先生、岩井先生(岩北小)、奥村先生(岩東小)、勝村先生(楽田小)、高木先生(犬南中)、早川先生、疋田先生(宮田中)、坪内先生(犬山中)、高橋先生(岩南中)、池邑さんの14名でした。

 土井が提案した資料を紹介します。 

1 「詩人たちの視線 −「生きる」への提言を含めて−
 金融経済教育研究会 −ブログより−     
 菊池省三先生教育セミナー −ブログより−
 第7回 教師力アップセミナー
 
羽黒小学校 研究授業公開 −ブログより−
 

 3月12日(木)JICA中部 なごや地球ひろば 地球案内人 古川 浩一 氏

   イスラム国で話題のシリア! そのシリアを、世界を回っている古川氏に、画像や動  画を使って紹介していただきます。
   

 「詩人たちの視線 −「生きる」への提言を含めて−
             名古屋短期大学教授 日本現代詩人会会員 太田昌孝先生
 
  谷川俊太郎 の世界を味わいました、  


 

2 
金融経済教育研究会 −ブログより−

 今回は、「今話題の経済ニュースから学ぶ〜世界経済と金融市場の動向〜」というタイトルで、テレビでもおなじみの、信州大学経済学部教授 真壁 昭夫先生の講義でした。
 ピケティ、イスラム国、円安・原油安、バブル、小泉改革、ギリシャとEU、為替相場予測、タイのリスク、日米の金融政策、などなどが話題となりました。
 その後は、名古屋の伊藤達也先生による実践発表でした。
「シミュレーション教材を効果的に活用した経済教育」です。「街のTシャツ屋さん」を使った授業です。こうした体験的な学習を行う時間がもっと取れれば、社会に対する見方が大きく変わると思います。
 来年度も7回計画されています。会費は無料。社会科教師のみなさん、ぜひ参加しましょう!  ※ レジメの一部、次年度の予定を載せておきました。
 
3 菊池省三先生教育セミナー −ブログより−
 
まずもって、こうした会が開催されたことにたいして、主催されたみなさまに敬意を表します。かつて、教員組合の対立があった時代、教員が集まる会を開きにくい雰囲気がありました。
 私が「社会科教師の勉強会(社楽の会)」を発足させるために、多くの手順を踏んだことを思い出します。
 昭和の時代の布袋小の法則化サークル「カンタービレ」。他に犬山にも法則化サークルがありました。これらも、マイナーなものでした。
 時がたち、今回のように若い人が自主的な研修の場を作ることができたことに、お祝いと共に、さらに応援をしていかなければならないと感じました。
 我々の地区でも、学校ごとに、自主的な勉強会が開かれていると聞いています。教科ごとの会も育ってほしいと思っています。
 それはさておき、内容の感想です。
 菊池省三先生には、同じDNAをもつ人の安心感を感じました。若い頃に法則化サークルに刺激を受け、そこで有田先生や野口先生に学び、実践を積んできたのは私も同じです。
 今日の内容でも、いろいろな人の理論&実践が、随所に現れていました。その背景がわかるので、より面白さと親近感を感じました。法則化で共に学んだメンバーも、それぞれ立場が変わり、学級での実践ができなくなりました。当時、共に取り組んだ全国の仲間の中では、菊池先生が最後の実践者??になるかもしれないなと感じました。もちろん、若い実践者はどんどん生まれていますが・・・。
 今日は、軽妙な語り口で話されました。おそらく、子供たちに対するスタンスと同じようにやられているのでしょう。ユーモアや間の取り方は、有田先生とはまた違ったおもしろさでした。
 子供と向き合う姿は、かつての自分を思い出しました。ディベートしかり、係活動しかり・・・。菊池先生の方が、もっと柔軟で、時間をかけています。
「ジョハリの窓」の発想は、私にはありませんでした。理論を理解していると、対処がわかるのです。対処を理解していると、教師は待てるのです。そこが、当時の私と菊池先生の違いです。私は、今から思うと、強引に型にはめようとしていた気がします。
 ただ、菊池先生もいわれましたが、初めは型にはめることです。教育とは、そもそも型にはめることです。
 昨今、「学び合い」を称して、教師が教えることに臆病になりすぎています。それは、「学び合い」が成立している学級を見て、形だけを真似しようと思うからです。そのクラスには、初めには、教師がとことん入り込んでいるのです。
 私も、一年の後半には教師の出番が減りました。自分たちで授業を進めていくからです。それは、ほかっておいてはできません。それではただの放任です。
 岐阜県でよく見る、成長曲線の見える化。これも、かつての私の発想にはありませんでした。
(歴史の授業ではよく使いましたが・・・・)これも、情報なのです。全国の優れた実践が、いろいろな形で伝搬され、広まったからです。
 読売新聞で特集された「秋田の教育」は、岐阜市の研修校で行われていたことでした。そうだと思います。価値あるものは伝わり、残るのです。
 菊池先生の手法は、その多くは全国の多くの学級で使える発想です。
 これを、学年、学校ぐるみで行えば、自分を好きになり、学級を好きになり、学校を好きになる子供が増えると思います。
 今日のセミナーに参加したみなさんは幸せです。第2回が開催されることを期待します。もちろん応援します。

 第7回 教師力アップセミナー 
    京都女子大学講師・元京都女子大学付属小学校長  吉永 幸司先生

  テーマは、「国語力は人間力−言葉で考える子供を育てる国語指導」です。
印象に残ったお話は・・・
○ 授業は学習活動量
○ 国語の授業で終わらないように・・・
 「ことば」で学習と日常生活をつなげるように。国語力は生きる力と結びつく。
○ 必要なときに、必要な言葉をきちっと使えるようになること。
 それが、トラブルを防止することになり、自分や友達を守る。
○ 「○○さん」「はい」の徹底    生活全体が変わってくる
○ 述語が重要。述語をきちっと使うと、主語を省かなくなる。
  主語が丁寧になると、術語が丁寧になる。
  言葉が丁寧になると、丁寧語でけんかをするようになり、日常のトラブルも減っていく。
○ 板書を丁寧に書く。
  書くことが基本。勉強の証拠はノート。ノート指導はとても大切。書く場所まで、指導する。教師は、子供と同じノートで、板書の計画を考える。
○ ていねいに相手の話を聞く。 「それで」とうなずく。
○ ノートは、指示を聞く力が育つ。
○ 国語教育は評価が弱い。
 めあてを立て、それに応じたふり返りに時間をかけるのが授業のコツ。
 目当てに従ったら、こういう力が付いたというのを確認する。
○ 机の上を綺麗に   トラブルが減る。
○ 国語は平等でないことが多い。音読・作文でも、早い遅いがある。
 →時間で指示をする。 早い子は、繰り返せばよい。 途中なら、「後略」を教える。
○ できて当たり前と思わない。 できたらほめる。
○ 声の大きい子を育てる。大きな声は一生の財産。
○ 書くことを日記で育てる。「見ているよ」という気持ちを伝える。
 等々、まだまだたくさんありました。
 「ていねい」な指導という、基本中の基本の大切さを痛感した時間でした。
 

 羽黒小学校 研究授業公開 −ブログより−

【 その1 】
 2月13日は羽黒小学校 研究授業公開でした。 私は、最後の協議会、岩下修先生の講演に参加しました。そこで感じたことです。
 羽黒小学校の研究テーマは、「自ら考え表現できるこの育成  −国語学習を基盤とした自力読みの活動を通して− 」というものです。
 センスの良い人は、このテーマを聞いただけでピンと来るかもしれません。
 私は、このテーマにしびれました。
 実は、昨今の国語の研究は、やたらコミュニケーション能力の育成ばかりで、王道である「読解力」に取り組んだものは少なくなりました。
 コミュニケーション能力も大切ではありますが、それは国語の能力の一部でしかありません。
読後のコミュニケーション活動も、読解力が育ってこそのものなのです。
 また、読解指導といいながら、本文に書かれていない作者の「気持ち」を問うだけだったり、大きなカブの模型を引っ張るふりをしたりするような情緒的な指導が多く、疑問に思っていました。
 「読書指導」なら、気持ちを想像したり、イメージをふくらませたりすることは有効でしょう。しかし、「読解指導」は正しく読み解くための指導です。書かれていることを正しく読み解くか、あるいは直接書かれていなくても、合理的な推論により、よりよい解釈を求めるための指導です。
 読解には、読み解くための方法があるのです。その方法を教えるのが、読解指導の一つのあり方なのです。
 わたしは、昭和の時代、この読解指導に取り組んできました。
 今月出版されたばかりの『社会科教育3月号』で、私は資料としての「挿絵」を読み解く指導について執筆しています。(P.72〜73)
 そこには、次の「物差し」を提示しています。物差しとは、分析の視点です。
 
タイトル・いつ・どこ・季節・人・物・事・形・色・大きさ・長さ・重さ・材質・音・匂い・前と比べて・将来は・作者の意図・意味するもの  
 視点は19あります。(もう一つ増やして20にすれば良かった・・・)
 例えば、一曜斎国輝が描いた「上州富岡製糸場之図」を見て、これらの物差しで読み解いていくのです。慣れてくると、何も言わなくても、新たな挿絵を見た時に読み解いていきます。細かな部分まで見逃さなくなると共に、「将来は」「意味するもの」など、マクロ的な見方もできるようになります。
 これは、国語の教材でも同様です。
 羽黒小学校では、次の20の視点で、気付きを読みとっていきます。
 
時、場所、登場人物、主人公、話者・人称、物・形式・情景、声・音、色、数・距離、心・心情・人柄・人物像、絵・図・資料、対比・類比、理由・根拠・因果、段落・場面・構成、山場、題・副題、主題、キーワード・キーセンテンス、問いと答え、接続語、指示語、例え・比喩
 
 やや多い気もしますが、1年生から6年生にかけて、少しずつ増やしていけばよいのです。
 さらには、社会科の挿絵や図工・音楽の鑑賞教材のように、他教科にも広げていけばよいのです。理想は、中学校まで9年間を見据えて系統的に積み上げることですが・・・・。
 掲示を見ると、これらの視点を元に、児童がノートに気づきを書いていました。 
 ただ、忘れていけないことがあります。分析の物差しは、子供のためでもあるのですが、その前に教師の教材研究のためのものなのです。
 教師が新たな教材に出会った時に、まずは、教師自身が教材文を分析していくのです。
 そうすると、作品理解の前提となる視点、主題に迫ったり全体構造がわかる重要な視点、あまり役に立たない視点が見えてきます。
 初期段階で作品理解の前提となる視点を押さえ、その後、主題に迫ったり全体構造がわかる重要な視点を発問しながら授業を組み立てていくのです。
 その中で、学習用語としての分析の視点を押さえていきます。これらの視点を活用しての成功体験を積み上げていくのです。
 例えば、主人公の始めと終わりを対比すると、全体の構造がわかるんだ!その山場をクライマックスというんだ。そのきっかけとなる内容が、主題と結びつくんだ。
 児童は、徐々に理解していきます。視点を使うと便利なんだと実感していきます。
 自力読みはその後から始まるのです。
 
【 その2 】(前半略)
 羽黒小の「気付き」のヒントにつながる、問題解決に夢中になるような課題が先にあり、満足した後で、「気付きのヒントって、読みとりの役に立つんだね」、「次に一人で読むときには、少し気にしてみようね」と一人読みにつなげるのです。
 私は、この6年間、学校訪問で各校を回りました。午後の研究授業だけでも、100校近く、160ほどの研究授業を参観しました。その中でも、特に印象に残っているのが、古知野南小学校で見た「やまなし」の授業です。
 「なぜ賢治が『やまなし』という題をつけたか」という課題でした。
 もちろん、そこに到るまでに、いろいろな布石があってこその課題です。子供達は真剣に話し合っていました。ある子が、話し合いながら「すげぇおもしれぇ」とつぶやいたのです。全体交流でも、その子は論理的に自分の意見を説明していました。
 この学級の子たちは、この授業で「題」の重要性をしっかりと自覚したと思うのです。
 そして、これ以降は、「題」を意識的に読解のヒントとして使えるようになると思います。
 「気付き」のヒントの重要性に気づかせる、子供が課題解決に夢中になる授業。
 羽黒小学校にも、そんな授業づくりを期待します!