2 井上一樹氏 講演会
布袋小学校日曜学級 元中日ドラゴンズ 井上一樹講演会 H28.6.5
演題「野球から得た、育成論」
日曜学級での井上一樹氏の講演の概略を紹介します。
内容は概略であり、主観も交じっていますので、この内容について井上一樹に責任は一切ありません。転載はご遠慮ください。
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鹿児島県霧島市。ご存じか?合併して霧島市。温泉、お茶、黒霧島、黒豚、黒牛。今霧島市の親善大使。白鵬関も霧島市親善大使。彼の方が貢献度が高い(笑)。現役時代なら、もっと貢献できたと思うけど。
1999年、リーグ優勝した。背番号99。ピンクのリストバンド。「ピンキー」と呼ばれるようになった。「一」はピン。一樹で「ピンキ」
なぜピンクをしたか。ユニフォームは、背番号以外はすべて同じ服だから個性を出したいと思った。奇抜なものをメーカーがもってきた。ピンクをはめたら、言われた。キャッチャーがささやく。「ゲイ」「ロリータ」
古いファンには覚えてもらった。印象深い。それは計算内。
開幕から11連勝。今と違ってナゴヤドームは常に満員。巨人との差が詰まってくる。
優勝して当たり前といわれてつらかった。これで優勝逃したらたたかれるプレッシャーがあった。やっと優勝にたどり着いたときには嗚咽した。
選手はどこか痛めている。その中で優勝したら、やってよかったと思った。苦しんだから喜びがある。勝たなきゃ得られるものがない。
その後、指導者になって、先輩になって、必死にやってへたくそな選手はかわいい。できるけど努力しない奴は嫌い。
今日は育成論。みなさん、子どもを育てるのは大変な時期。
昔は、体育会系部活動をやっていたら、殴られた。
今は通用しないかけど、それはそれでありだった。
今は手を挙げられない。厳しい言葉を発すると、パワハラ、モラハラ、いろいろある。今後この風潮が続くなら、このチームに面倒見てよ、強くしてよといわれたら断る。
チームは自分の子ども。必死にやると、怒る。それが問題になるので、今の世間では通用しない。熱血指導ができない。それが悲しい。かといって、国会で「二発まで」というルールは作れない。難しい問題だ。
みんなが左回り走っているときに右回りで走る子がいるときはチームでは成り立たない。
チームプレーは同じ方向を向いて走らないと困る。
試合に出せばエラーするB、試合ではそこそこ打つが練習は嫌いなA。一軍ならAを使う。
Bは2軍から1軍に上げてやろうと思わせる。そういったものを子どもなりに、見せることができるかどうか。それで、伸びる伸びないが決まってくる。
田舎で育った。それでもずば抜けた選手ではなかったがエースで四番。子どもの頃には厳しく育てられた。小学校の頃には野球チームに入った。親は「いいよ、ただし、毎日6時に起きてランニング、素振りをしなさい。それでよかったらいいよ。」
その言いつけを守った。田舎のソフトボールチームに入れてもらった。起きれないときは、おやじが一緒に走ってくれた。厳しいチームだから、けつバットをやられた。母親も厳しかった。いやだったけど、厳しい
中学校では変わった。練習が習慣付いている。そうなったら勝ち。自分の中で、やらなきゃ気が済まないとなればいい。母親のしつけがそうさせた。
母親は、中学校に入ったら「もっと勉強しなさい」といった。中学校の野球部の監督は、我が校に入れてくれときた。そのままトレーニングを続けた。
中学校3年生になったら、高校を考える。相撲会と縁があり、逆鉾、寺尾と親戚。相撲部屋の親方が一樹をよこせ。
東京に遊びに行った。相撲会にはいるとこんなよいことがあるんだと接待された。「わかりました」と返事した。
鹿児島商業がベスト4に入った。近藤真一が享栄高校の頃。かっこよかった。やっぱり高校野球やりたい、と親方に断りを入れた。一樹が決めることだからしょうがねと言われて許された。そうして高校に進学した。
こうした講演は携帯が怖い。すぐにネット上につぶやかれる。山崎さん、山本昌さん、立浪さんも「携帯が怖いよな。こんなこと言ったとつぶやかれる。」僕らの世界では一番怖い。
高校を決めて進学した。高校に入学して、その前に鹿児島商業が旋風を起こしたので、1年生が200何人集まった。そこで、地獄が始まった。ボールもバットも持たせてもらえない。夏までみんな坂道を走らされる。30分までに帰ってこられないとやり直し。だんだん減っていった。夏に50人にまで減った。
親方に断ってまで入った野球部はやめられない。それだけでやった。がんばって、かなわないと思う同級生もいっぱいいた。それらが挫折した。ある意味ラッキーだった。結果、ドラゴンズに指名された。
今、ドラゴンズは、楽天戦。昨日も一昨日もお客さんが入らない。楽天の副会長、星野仙一さんがくると、星野詣でがある。記者や一般の人と共に、僕は星野監督にかわいがられたので呼ばれる。殴られたけど。
「大阪にこいや、京都にこいや」と呼ばれたのは僕だけ。「おい、一樹が来てないじゃないか。」と言われる。昨日も、今池の○○までダッシュ。星野監督のためにやってやろうと思った。星野監督は、そう意味ではうまかった。
テレビで珍プレー好プレーがなくなった。乱闘も最近はない。プロの世界にも。かつては他のチームとしゃべると怒られた。今はそれがない。
ドラゴンズ=熱血 という僕にとっては寂しい。
経験談はこれまでで、育成論に入る。
「あいうえお」のそれぞれに「ん」をつける。
案:自分はどうあるべきか、目標をしっかり持つ。
この子はなにをやりたいのか、それに対しては支援をしてやること。
選手もいる。なにをやってもそこそこ。使いづらい。足だけが速い、その方が生きていける。
陰:なりたいものに対して、陰でのこつこつとした努力がどれだけできるか。怒られたときに陰にならない。
運:がんばった人間にしか運は向いてこない。第三者は見ている。チャンスをあげたいなと思わせる。
縁:小学校、中学校、高校、プロ 助けてもらったのも先生や監督、先輩。縁がどれだけもてるか。井戸端会議も友達としての縁。社長やGMにたのまれるのも縁。人と人とのつながりは大事。縁を大事にする人が上がっていく。
恩:ありがとうといえるか。ごちそうさまといえるか。初めての人にはいえる。毎日会っている人にはいえるか。感謝の言葉
これらの言葉が私が育ててくれた。
小さい頃に、ありがとう、ごちそうさま、それが習慣になっているか。聞いてみたらいい。
「何になりたい?」
目標は?些細なことでよい。自分の中で目標を持つことが大事。チャンスはくる。縁を大事に、恩を大事に、そう意味でのあいうえお。
最後に、努力はうそをつかないというが、それは嘘。結果がでない場合もある。しかし、そこに向かってがんばること、信じることが大事。チャンスを自分でつかみにいく、指導者に恵まれた、
先輩の中に反面教師がいた。あるコーチは看板選手のみかわいがる。そのコーチ。立浪をかわいがる。他の選手には怒る。神宮球場でふつうのゴロを立浪がトンネルした。僕が必死に走ってセカンドに投げる。セカンドがセーフだった。チェンジになってベンチに戻ったら怒られた。ふつうは、トンネルをした方に怒る。しかし、カバーが遅いといって怒られた。
3連戦の賞金がありう、給料以外に 20万、30万 もらえる。そのコーチが賞金を配る係り。立浪厚いな。・・・・。私の時には、そのコーチは封筒を投げ。やってはいけないことで屈辱を味わった。 そして学んだ。自分がそうなったときには、やらない。
指導者は、時には嫌われるときにはある。トップは、戦力外を宣告しなければならない。
しかし、人には情がある。ぼくは優しい人間。断を下せる人にならなければならない。
(この後に行われた質疑応答は略します。実は球界の裏話で、これが面白かった!
とても大きな体で、胸板が厚く、それでいて達筆。
話もユーモアたっぷりで、あっという間に時間が過ぎました。
また、テレビやラジオで出演する時には注目したいと思いました。)