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報告者  土 井

 2018年9月6日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました 。

 参加者(勤務校)は、土井、(布袋小)、赤﨑先生(楽田小)、高木先生、寺谷先生(犬北小)、川地先生(大口中)、伊藤先生(岩南中)、柴田先生(古知野中)、安形先生(犬山中)、坪内先生、船渡先生(古東小)、玉置先生(城東中)、奥村先生(岩東小)、高橋先生(岩倉市教委)の13人でした。

土井の資料を紹介します

1 平成30年度 学級力向上研究会(中部部会) 
2 効果のある学校づくりの理論と実践
 巡見街道                
4 教育者研究会 松井伸市先生
5 講演会「江戸時代 江南の歴史の秘密-信長の子どもたち&尾張七代藩主徳川宗春と江南市」
6 江南市いじめ・不登校対策研究会 啓発広報部会 講演会

7 京都大学複合原子力科学研究所 視察
8 連載「通常学級での特別支援教育」川上康則(光村図書)
 
次回以降は、 第497回 9月19日()  第498回10月 2日()  
        第499回10月17日()  第500回11月 1日(木) 曜日が変則です。
 土井の夏休みの研修を2回に分けて振り返ります。

1 平成30年度 学級力向上研究会(中部部会)
学級力とは、「学び合う仲間としての学級をよりよくするために、子どもたちがつねに支え合って目標にチャレンジし、友だちとの豊かな対話を創造して、規律を守り安心できる環境のもとで協調的な関係を創り出そうとする力」と定義されています。
 さらに、具体的な学級力として、次の5つの能力を挙げられます。
領域1 目標をやりとげる力(目標、改善、役割)
 みんなで達成したい目標があり、係活動等に責任を持って取り組み、子どもたちが生き生きとチャレンジしている。
領域2 話をつなげる力(聞く姿勢、つながり、積極性)
 授業中に友だちの意見につなげて発言したり、友だちの意見を尊重してよりよいアイデアや考えを生み出したり、コミュニケーションを豊かに創造できる。
領域3 友だちを支える力(支え合い、仲直り、感謝)
 勉強やスポーツでよく教え合い、係活動等で助け合い、「ありがとう」や「ごめんなさい」が素直に言える。
領域4 安心を生み出す力(認め合い、尊重、仲間)
 友だちの心や体を傷つけたりせず、友だちのよさを認め合い、男女仲よくだれとでも仲間になって遊んだり、学んだりできる。
領域5 きまりを守る力(学習、生活、校外)
 学校の内外で多様な学習や生活のルールを守るとともに、それらを話し合いによって創り出していくことができる。
 
 学級経営を超える学級づくり、子どもたちが主体的に作る学級、「何よりも明日も行きたいな」と思える学級を「学級力」をキーワードにして作って行きます。
 「はがき新聞」「レーダーチャート」「RPDCAサイクル」「スマイルタイム」「アクションカード」の手立てが取られています。
 もっと簡単に言うと、学級の状態を子どものアンケートで見える化し、それを子どもに考えさせて、改善していくやり方です。 
 
2 効果のある学校づくりの理論と実践 鳴門教育大学教職大学院 教授 久我直人
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/052/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/07/23/1359693_03_1.pdf
  確かな学力を育み、いじめ、不登校等を低減する「効果のある指導」を組織的に展開することによる「効果のある学校づくり」を提案しています。
 データに基づいて子どもの意識と行動の構造を明示し、それに基づいて子どもの「頑張り」(Iを伸ばし)と「優しさ」(Weの世界を広げる)を引き出す『効果のある指導』を抽出していきます。その特効薬が、ほめ言葉のシャワーと人の話を聴く。これらを組織的に展開することにより、数ヶ月で生徒指導困難校の改善を実現していくのです。
 
 巡見街道は幕府が地方の政治・民情を知るため全国に張り巡らされた街道です。
 巡見使の一行の陣容は正使一名副使二名で、二千石の旗本が命じられました。
他に警固の武士二十名、馬が三十頭、人足百名ほどの数にのぼりました。
 けっこうな行列です。
 尾張・三河には4代家綱より12代家慶の時まで8回巡見使が訪れており、その順路が左の経路図。町や村々を丹念に歩いています。
 巡見使来訪に当たり、幕府からは「普段の生活」とのお達しがありました。
 しかし、今の学校訪問同様、朝掃除をしたり、教室環境を整えたりと同様、普段通りとはいかなかったようです。
 通常通り農作業をし、道や橋の修理、宿泊所の修繕などは必要なし。金銭、酒類の饗応は禁止する等、通達が出されましたが・・・。
 迎える藩では中央との連絡、地元村々への橋の掃除・改修、家の修理、無宿者の摘発、訴状の禁止など、土木工事、宿泊施設改修など細部に渡る指示が矢継ぎ早に出されたいへんだったようです。
 巡見使を案内する庄屋も、村高や村の状勢、新田開発など、模範回答例の準備に忙しく、金銭的負担も大変だったようです。
 コースを見てみましょう。遠江より姫街道を通り三河へ
1.嵩山 吉田 → 2.大津 → 3.和地村 中村 → 4.田原 → 5.五井村 小坂 新城 → 6.門谷村 田口 → 7.大久保村 稲橋 → 8.明川村 足助 → 9.挙母 松平 → 10.岡崎 土呂 → 11.蒲形村 → 12.萩原村 西尾 → 13.刈谷 → ここより尾張 緒川村 横須賀村 鳴海 宮 猪子石村 → 14.新居村 志段味村 神領村 下原村 小牧 楽田 15.犬山 飛保村(曼陀羅寺) → 16.萩原村 片原一色村 佐屋 ここより伊勢桑名へ
 愛知県内を16泊しました。数字の後が宿泊地、下線が休憩地です。
 犬山城で宿泊し、曼陀羅寺で休憩して萩原へ向かいました。わが家のすぐ横の道を通過しました。その後佐屋で休憩し、桑名に向かいました。
 
4 教育者研究会 松井伸市先生
 テーマ「これまでの道徳教育、これからの道徳教育」 演習;道徳科の授業づくり です。
 印象に残ったのは、「自分で」という言葉を、何度も繰り返されていたことでした。
 道徳的価値は教師が教え込むのではなく、「自分で」感じ取ったことしかものになりません。
確かにその通りで、「道路の飛び出しはいけません」と知識に訴えても、おそらくわからないでしょう。1回ヒヤッという体験をすれば、身に沁みます。
 道徳も同じ。「自分で」がポイントなのです。
 その時間には、多面的・多角的な価値が出てきます。教師が狙った価値とは違うかもしれませんが、子どもが「自分で」大切と胸に落ちたのなら、それもよしなのでしょう。
 道徳には、いろいろなやり方があります。だからこその難しさを感じました。
 
講演会「江戸時代 江南の歴史の秘密-信長の子どもたち&尾張七代藩主徳川宗春と江南市」講師は、高家寺住職 北川宥智氏。
 明瞭な言葉で、とてもわかりやすい講演でした。
 何より、事実と推理を分けている点で、歴史学の講演として信頼できるものでした。その内容の骨子を、メモ書きをもとにまとめてみます。自分の浅い知識も混じっているかもしれません。
 残念なことに、写真撮影が不可だったために、スライドの元もありません。
 すべて、記憶が頼りなので、誤解や曲解もあります。よって、ここに書かれた内容は、主催者である江南市教育委員会や北川宥智氏には一切の責任はございません。特に後半は疲れてくちゃくちゃです。それでもよかったらお読みください。
--------ここから--------
 尾張藩七代藩主 徳川宗春を調べて、本まで出した。それまでのイメージと全く違う。
 宗春はなぜ隠居したのか?実は、江南市に縁がある。
 (改名前の名は「通春」ですが、「宗春」で通します)
 宗春は元禄9年生まれ(1696年11月22日)幼名 萬五郎。20男(第三十三子)40人兄弟だった。しかし、その中で40才まで生きたのは宗春だけ。吉宗は1684年生まれで一回り宗春が若い。ドラマでは宗春の方が年上に描かれている。
 宗春は名古屋に置かれていたが、突然呼ばれ、江戸へ。中山道533kmを通っていった。
 宗春は、いつも若い人に声をかけていた。庶民派だ。(これが後々経済活性策を行う発想の源かもしれません。)
 助六寿司。歌舞伎で有名なのは「助六」、その彼女が「あげまき」。だから助六寿司という名がついた。その助六が初演された頃に宗春が江戸に上る。
 直後に、4代藩主吉道が亡くなる。尾張は、将軍になれなかったのではなく、なる気がなかった。吉道は将軍を断っている。「家康による尾張を守れとの命を守る」という理由だ。
 吉道は宗春をかわいがった。
 吉道の子が五郎太だが、長生きしていればえらいことになっていたかも。
 五郎太の母は吉通の正室である九条輔実の娘・瑞祥院輔子。輔子の実母益子内親王は後西天皇の息女。母は天皇の孫娘なのだ。
 一方、吉通の父の第3代藩主徳川綱誠は、第2代藩主徳川光友と3代将軍徳川家光の長女の霊仙院千代の嫡男である。つまり、五郎太は尾張徳川家・徳川将軍家と皇室・五摂家の血を引いていた。
 しかし、父・吉通が25歳の若さで死去したために跡を継いだが、相続から2ヶ月ほど後に数え3歳で死去した。
(吉道の関係者がこの頃次々に亡くなっています。その死因はおそらく・・・・。憶測です。)
 家督は叔父の継友が継いだが、ケチで有名だった。
 有名な江島生島事件。これも尾張藩と関係があったかもしれない。これにより、山村座が禁止、森田座、中村座、市村座の桟敷が禁止となった。
(江島と尾張藩は関係がありました。将軍世継ぎ問題も絡み複雑です。詳しくは、ここhttp://mantra.way-nifty.com/osho/2011/11/post-c3f5.html をご覧ください。)
 左の画像出典
 宗春が元服し、吉宗が「主計頭(かずえのかみ)」に引き上げた。「主計頭」は、尾張では加藤清正、尾張の付家老の平岩親吉(10万石)のみ。高い位である。
 当時は規制、規制。元禄バブルが、超不況になった。これは吉宗がというより、老中松平乗邑(のりさと)が厳しすぎた。吉宗が宗春をかわいがったが、松平乗邑が規制を強める。ここのしがらみを後の蟄居の原因にしてきた。                   右の画像の出典は、北川宥智氏によって運営されているサイト「徳川宗春」です。このサイトを見ると、さらに詳しい説明がありますので、併せて見てください。
 当時は、インドから白牛が、ベトナムから象がくる時代。              尾張藩徳川家の支藩(御連枝)である梁川藩(福島県伊達市)に藩主がいなくなる。吉宗が宗春に藩主になれと命令。彼は、六斎市を奨励し、かせ鳥や水かけ祭りの改革・中止を命じた(窃盗防止、健康のため)。宗春は、国府宮のはだか祭りも一旦、中止にしている。理由は無茶だから。今と違って、行きすがりの人に厄をかぶせていた。宗春は「物よりも命が大事」とした。
 また、享保年間(1716~1735)の飢饉の時には「種籾を分けろ」と命令し、梁川藩には餓死者がでなかった。松平主計頭通春公(後の宗春)に感謝して始められた「つつこ引き祭」が今も残っている。
 現代に生きる宗春の縁もある。大震災の時に、宗春が藩主時代に過ごした江戸上屋敷市谷邸の縁で、新宿から救援物資が伊達市に運ばれた。尾張がないがしろにされている(笑)。
 ケチな兄がしんでしまうと、吉宗は宗春を尾張藩主に指名する。吉宗と宗春は仲良しだ。宗春が権中納言(黄門)、尾張黄門と呼ばれる。
 ※ このあたりは徳川宗春(http://www.muneharu.net/whois.html )に詳しい。        遊郭、芝居小屋、祭、奇抜な衣装・行列、刑罰軽減・死刑廃止、新興商人を保護、税を緩和、新築物お披露目、マニフェスト『温知政要』
 「京が興冷めした」といわれるほどの繁栄を築いた。仁政を行い、尾張藩を盛り上げた。今までの解釈と大違い。領民の喜びである道化を演じたのも事実。
 天才的感覚で、幕府が財政を緩めれば尾張は締める。逆なら逆をやる。
 呪い殺したと言われたが、宗春は白衣装で祈祷した。領民のための息災だ。呪いは黒装束で行う。
 そうした中で、尾張藩内クーデターが起こる。水戸藩から提出された『大日本史』の出版問題で幕府と朝廷が対立した。宗春の姪の子(姪孫)二人は朝廷の最高権威の血統である五摂家九條家と二條家を継いでいたので、朝廷は宗春に食指を伸ばそうとした。
 その動きを察知し、宗春が江戸に下った後に尾張藩では御付家老竹腰正武たちによるクーデターが起きる。吉宗は宗春を謹慎させると同時に京に特別な贈り物をする。宗春は一切の抵抗をすることもなく隠居謹慎を受け入れた。
 そのきっかけは、江南市が関係している。
 時の桜町天皇は「聖徳太子の生まれ変わり」と言われていた。生まれが元旦でそのとき火事があり且つ実績も立派という共通点からだ。 
 宗春は鷹狩りが好きで、生駒屋敷で泊まった。宮田から木曽川で視察し、入鹿池まで行き駒屋敷に戻った。生駒を大切にしてきた。鷹狩りには古知野のあたりにも来ていた。江南市は尾張藩主の鷹狩りの拠点だ。
 生駒屋敷で宴会もやっている。
 元文2年(1737年)鷹狩りに来て、前飛保の太子山 上宮寺に来る。   宗春が上宮寺に泊まり、部下が曼陀羅寺に泊まっている。        そのお礼として、曼陀羅寺には350石与えた。
 上宮寺にもお礼をといったが辞退した。それならということで、葵の御紋は恐れ多いので、丸八の紋をどこに使ってもよいとの許しが出た。この時から、上宮寺の家紋も丸八になった。
上宮寺の瓦には丸八が使われている。
 その寺にあった聖徳太子像を名古屋城へ持って行く。(桜町天皇のご機嫌を取るためのものか?)宗春が謹慎した時に、上宮寺が名古屋城に「聖徳太子像を返して」という手紙を書いている。門徒さんが「像を返して」と頼みに行っている。
 朝廷は宗春を引っ張っている。幕府はほかっておけない。そのために、幕府は宗春を隠居させた。宗春が隠居のポイントになったのは、上宮寺の聖徳太子像。今は江南市の指定文化財になっている。
 宗春は69歳で亡くなるが、実際には蟄居ではなかった。のびのびと暮らしていた。謹慎解除の建中寺のお墓は鵜沼石だ。 
                            
 左の織田信長の肖像画は、イエズス会の画家が描いたもの。
 信長は、1534年から1582年に生き、子どもが22人。
 その中で名前が残るのは、信忠、信雄、信孝、五徳(信康の正妻)。
 信雄、信孝はよく誕生日が問題になる。生駒の方の3人の子を順に見ていこう。
 
五徳(徳姫)
 信康の正妻。よく信長に武田との内通をいいつけたと言うが、切腹(1579年)の本当の原因は家康と信康の親子喧嘩だ。平岩が謹慎している。
 五徳には二人の子どもがいた。登久姫と国姫(熊姫)。登久姫には8人の子どもがおり、国姫(熊姫)は姫路藩主本多忠政正室となり、5人の子どもがいた。なかには千姫の婿(お江の前)もいた。祖母の実家と言うことで、生駒氏は大切にされた。生駒屋敷(小折城)は、清洲城の15倍。加納馬場は秀吉の領地だった。
 
信雄(1558年-1630年)
 龍神社で生まれている。長女は秀忠の正室、信良は忠長の正妻など、続いている。 
 信雄は生き残る。生駒屋敷を大事にしている。部下に、生駒の名字を与えている事からもわかる。最終的には織田家の本家だ。     
 
 織田信忠の嫡男織田秀信(三法師)
岐阜城が落とされて円徳寺、その後小折城(生駒屋敷)に来ている。そのあと伊勢に行き、高野山の麓で死んでいる。 
 美濃の領主時代は曼陀羅寺に命令している。
 知多は生駒にとって大事。五徳姫の領地(約2000石)があった。
 
 信忠(1555年-1582年)の直接的な記録はほとんどない。信忠の母とされる久庵慶珠は、生駒の方と同一人物の可能性が高い。
 
 永姫は織田信長の四女。前田利家の長男、利長の正室。
 加賀に金沢久昌寺(右写真)を作った。久昌寺からお坊さんを呼んで、信長、信忠、生駒の方を弔った。前田利家は生駒家に出入りしていただろうことがわかる。
 
 その他、生駒の方の孫は、男子は高い位についたり、女子は名家の正室になったりと、続いている。そして、生駒家を大切にしている。
 生駒家長の子、善長阿波生駒家の家祖。
 江南市は歴史的に検証した話で盛り上がってほしい。
 「武功夜話」は真実もあり、誤解もある。楽しめばよい。事実はこれから研究する必要がある。歴史学では否定されていることを十分承知の上で検証する。江南市にとって、物語として宝になる。歴史的事実としてはいけない。
 江南市はもっといろんな物が出てくる。
 市民憲章に付け足したい「私は、歴史と伝統を大切にします」
 江南市は尾張藩にとって大切な場所である。
Q 生駒の方と呼んだ意図は?
A 吉乃は歴史学では使えない。
Q 上宮寺 瓦の丸八マークの意味は?
A 尾張徳川家の分家には丸八マークを使う。かかわりがある。
Q 生駒の方を妻にした理由
A わからない。尾張のために重要な地であったろう。
Q 宗春は大河ドラマに?
A 待ってほしい。もうちょっと検証をしっかりしたい。
  尾張の家老を集めたい。宗春の隠居のキーポイントは江南にある。
 
6 江南市いじめ・不登校対策研究会 啓発広報部会 講演会
 講師は、東京都立矢口特別支援学校の川上 康則 先生 。昨年大口で講演を聴き、大ファンになりました。
 テーマは「子どもの心に響く ほめ方 しかり方」、ほめる時も叱るときも「太く、短く」など、いろいろなヒントをいただきました。
 
7 京都大学複合原子力科学研究所 視察
 8月6日に、エネルギー・環境研究会のメンバーとして、大阪府泉南郡にある京都大学複合原子力科学研究所を視察しました。
 ここは、京都大学の附置研究所で、「原子炉による実験およびこれに関連する研究」を行うことを目的に全国大学等で共同利用するための施設として1963年に発足した研究所です。
 大学で原子炉を持っているところは他になく、共同利用・共同研究拠点に指定されています。
(近畿大学には極低出力(1W)のものはあります。)
 2018年3月までは「京都大学原子炉実験所」という名前でした。
 敷地は甲子園球場4つ分。70人の教官、50人の事務官、大学院生を加えて、200名ほどのスタッフを有します。
 受付では、一人ひとり身分証明書をチェックされます。
 その後、説明を聞きました。HPで見たビデオも見ました。 https://www.rri.kyoto-u.ac.jp/video 最初に、放射性廃棄物処理設備を見学しましたが、出てきたのが女の子でびっくりしました。
たどたどしい説明でしたが、一生懸命話してくれました。
 汚染物は、収納して廃棄物となります。
 日本アイソトープ協会が引き取ってくれないものをここで処理して、固形廃棄物倉庫で保管しています。
 汚染水は、処理し、モニタリングをしてから、所定の手続きを経て放流します。
 
 いよいよ京都大学研究用原子炉(KUR)の建物へ入ります。
 靴にはビニールカバーをつけて入ります。前のグループが出てくるところでした。靴底と手のひらを計器に乗せて、放射線を測定し、OKが出ないと外に出られません。身体に放射線検知器を装着。
 扉も2重の厳重なものでした。その中の中央に京都大学研究用原子炉(KUR)がありました。
 平面図は右図。
 左側が重水中性子照射設備(D2O設備)
 物理工学や医学生物学関係の研究分野に利用されており、様々なエネルギースペクトルを持つ中性子照射が可能です。
 特に、BNCT医療照射はすぐれもの。
 副作用の少ない、一度で済む放射線治療の臨床実験をしています。
 熱中性子単独照射、熱-熱外中性子混合照射、熱外中性子単独照射の3つの照射モードが患部に応じて使い分けられています。
 2018年7月現在で、脳腫瘍254件、頭頸部腫瘍193、悪性皮膚黒色腫27件、肺腫瘍44件、肝腫瘍10件、その他19件のBNCT医療照射が行われてきました。
 
 下側が、低速陽電子ビームシステム(B-1実験孔)
 原子炉炉心のガンマ線による対生成反応で生じる陽電子をビームとして引き出し、陽電子消滅分光法による材料分析に使用することを目的として設置されました。
 
 その右がB-2実験孔照射装置(B-2)
 溶液試料や大きな試料に対して中性子照射をするところです。化学、物理学、医学、生物学、環境科学などの分野で用いられています。
 
 中性子イメージング設備(E-2 & B-4)
 熱中性子を用いた中性子イメージングは、沸騰二相流、燃料電池内やコンクリート、さらには植物内部の水分挙動の把握に極めて有効な可視化技術であり、最近では超臨界水の混合や宇宙用機器の開発にも応用されています。
 その他、原子炉中心部から延びるそれぞれで、いろいろな実験が行われているのです。
 
8 連載「通常学級での特別支援教育」川上康則(光村図書)
【第1回】 子どもはルールよりも「ラポール」にしたがう <2016.05.09>
  子どもは促成栽培のようには育たない。
  周りの教師の目を気にしすぎると,焦りが生まれやすい。
【第2回】 「お試し行動」に振り回されないために <2016.06.08>
  主に,新任・若手教師,支援員や介助員,ハート・ウォーミングな大人をターゲットにし た「お試し行動」という行動がある。
  大人として振る舞うことで,「お試し行動」は漸減または消去できる。
 「堂々と毅然と穏やかに」「焦らず慌てず諦めず」を基本とした関わりが求められる。
【第3回】 子どものつまずきを読み解く“知識”と“洞察力”を <2016.07.06>
  子どもの行動を表面的に解釈せず,つまずきを「氷山モデル」で読み解くようにする。
  姿勢の崩れやすい子は,「関節の角度」や「筋肉の張り具合」に関するつまずきがある。 表面的な姿だけを見て,「態度が悪い」「意欲が低い」と決めつけないようにする。
  子どもを変えようとするよりも,授業改善がポイントとなる。
【第4回】 教師としての軸・枠・型・幅をもつ <2016.08.09>
  クラスが落ち着かない,トラブルの対応に追われているなどのクラスは,夏休み中に学級 経営の課題点を見つめ直す必要がある。
  教師としての「軸・枠・型・幅」の未形成は,子どもたちを混乱させ,クラスの荒れを引 き起こすことが多い。これらを一刻も早く整理しておく必要がある。
  通常学級の指導と特別支援教育に垣根はないことを理解する。
【第5回】 話を聞けない,指示が入らない子 <2016.09.12>
  「話を聞かない,指示が入らない」子には,実は「話を聞けない」という事情がある。
  脳の働きの一つである「注意(attention)」のつまずきの背景を理解し,指導の工夫を加え るとよい。
  子どもを変えようとするよりも,授業をおもしろくすることや,子どもたちから「この先 生の授業は聞く価値がある」と認めてもらえることのほうが先。
【第6回】 支援の空回りを防ぐ <2016.10.11>
【第7回】 切り替えが難しい子 <2016.11.09>
【第8回】 「気になる子」を気にしすぎる子 <2016.12.07>
【第9回】 「なんでオレだけ?!」に対する指導 <2017.01.11>
【第10回】 保護者の理解を得るために <2017.02.08>
【第11回】 落ち着きがない子 <2017.03.09>
【第12回】 「専門家」の言うことは絶対ではない <2017.04.06>
【第13回】 授業の規律や学級の秩序を乱す子 <2017.05.16>
【第14回】 「作戦ゴリラ」 <2017.06.08>
【第15回】 「きょうだい児」の理解 <2017.07.05>
【第16回】 ルールを守ることにこだわりを示す子 <2017.08.23>
【第17回】 人を頼るスキルが乏しい子 <2017.09.14>
【第18回】 「ムカつく」や「ウザい」が口癖の子 <2017.10.19>
【第19回】 子どもの「負の部分」に目が向いてしまうときに <2017.11.14>
【第20回】 二次的障害に陥らせないための三つのポイント <2017.12.15>
【第21回】 学級目標を飾りものにしない <2018.01.22>
【第22回】 忘れ物が多い子・提出物をなかなか出せない子 <2018.02.13>
【第23回】 「してほしいこと」を伝える <2018.03.15>
【第24回】 書こうとしない子の「尊重すべき歴史」 <2018.04.17>
【第25回】 「些細なこと」かどうかは,本人が決める <2018.05.15>
【第26回】 衝動性の高い子どもへの「三大禁じ手」 <2018.06.15>
【第27回】 問いをもち続け,当たり前を見直す <2018.07.17>
【第28回】 力加減の調節が苦手な子 <2018.08.24>       ぜひご覧ください。  

 
 教師力アップセミナー今年度予定
 
第4回 10月8日(月祝)10:00~15:00 野口芳宏 国語、道徳
第5回 10月28日(日))10:00~12:00 横山浩之 特別支援教育の基礎・基本
第6回 1月12日(土)10:00~12:00 白石範孝 論理的に思考させる国語の授業づくり
第7回 2月17日(日)10:00~12:00 佐々木昭弘 理科授業の基礎・基本