1 FW 織田信長の初陣地で徳川家康伊賀越え上陸地!三河大浜巡り
当日の資料を別にくばりました。 十三塚

天文十六年(一五四七) 織田信長は自らの初陣の地を大浜に定め、大浜村に攻め入りました。
これを聞きつけた家康方の長田(おさだしげもと)重元らは、備えを固めてこの進軍を迎え撃ちました。数の多い長田軍に押された織田信長は、極楽寺(天王)とその周辺に火を放ち、敗走しました。織田信長らは、このあたりで長田軍に追いつかれ、再び双方入り乱れての戦いになりました。戦のあと、この地には織田軍の兵士の亡骸がたくさん残されていました。領主の長田重元はこれを憐れんで、家来に穴を掘らなきが亡骸を葬り、土をもって塚を作りました。この塚が全部で十三あったことから、このあたりは十三塚(現:向陽町)と言われるようになったそうです。
「織田信長初陣の地 伝承地」(津島社)
ここ大浜は、織田信長初陣の地です。信長は、戦略上の要衝であり、かつ、伊勢湾・三河湾の海上交易の重要な港であった大浜を初陣の地に選び、 天文十六年(一五四七)に兵を率いて攻め込みました。
長田重元(しげもと)率いる軍が、当時ここに建っていた極楽寺辺り織田軍を迎え撃ってこれを防ぎました。信長は、極楽寺とその周辺に火を放ち退却したと伝え
られています。
ここ津島社周辺の旧字を極楽寺というのも当時の名残りからでしょう。
大浜城、羽根城、大浜陣屋
室町時代にあったのが大浜城。
信長の初陣で信長を破った松平家臣の長田氏の居城が羽根城。
そして、江戸時代に、このあたりを治める役所・大浜陣屋がありました。明和5年に水野忠友が一万三千石の領地をもらい大浜に陣屋を構えたのが始まり。その後大浜陣屋は沼津藩、菊間藩を経て、菊間県が額田県に統合され、その役目を終えました。
西方寺
◆親鸞聖人、蓮如上人血縁の寺
◆太鼓堂は菊間藩による学校である「新民序」の校舎になり碧南学校教育発祥の地
◆近代仏教の先覚者・宗教哲学者である清澤満之終焉の地です。

大浜稲荷社
天正十年(一五八二年)六月四日頃家康一行は白子から船で三十四名の供の一人である永井伝八郎直勝の父長田重元が守る砦、羽城に上陸し、物見の櫓があった稲荷社の中を通り重元の館 (珠寺)に入った。
家康一行は館で休息を取り、家臣の深溝城主松平家忠らが迎えに来るのを待って岡崎に帰って行きました。
当時稲荷社の西側は海であり、家康一行は敷地の中ほどにある階段を上がって上陸したものと思われます。
大浜東照宮
東照宮は全国に130あるそうです。幕府の権威付けのために全国に建てられました。
大浜東照宮が境内にあるある称名寺です。三河松平家(徳川家)と関わりが深い時宗の檀林寺院です。
徳川家康公幼名竹千代は十五世一天和尚が命名したといわれています。その根拠が、ここでの父、広忠の句。
「めぐりはひろき 園のちよ竹」

しかし、待て!
家康の祖父、松平 清康(7代)の幼名は竹千代。
その父、松平 信忠(6代)の幼名は竹千代。
その父、松平 長親(5代)の幼名は竹千代。
その父、松平 親忠(4代)の幼名は竹千代。

その父、松平信光(3代)の幼名は分かりません。
家康は親氏を初代とすると9代めですが、4代から7代は、すべて幼名が竹千代なのです。
右は徳川家祖廟。

松平初代の親氏の祖父、世良田親季の墓です。世良田親季は、得川親季ともいい、新田氏の分家です。徳川家が源氏である根拠になっています。上野国新田郡得川郷(今の群馬県太田市)に領地が与えられました。
ただ、私は疑っています。Wikipediaにも次のように書かれています。
しかし、この系譜は徳川家康が永禄9年(1566年)に叙任奏請をする際、世良田氏の系譜と自らの系譜をつなげたことが、日本史学者渡辺世祐により論証されている。今日の学界では家康によって粉飾 された系譜というのが通説になっている。
平野明夫『三河松平一族』新人物往来社、2002年。
親氏は、徳阿弥というという、時宗の僧侶です。世良田氏とつなげるのは無理があります。

宝珠寺
永井直勝の父・長田重元の屋敷(大濱羽城)があった場所といわれ、直勝もここで生まれました。家康に仕官しようとしたのですが、父・長田重元は、平治の乱の際に
源義朝を殺した長田忠致(おさだ ただむね)の兄親致の後裔ということで、断られました。源氏を名乗る家康なので、無

理な話です。
そのため、長田から永井に変えました。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは池田恒興を討ち取る戦功を挙げました。家康や織田信雄らから賞賛されたそうです。
文禄3年(1594年)、恒興の次男・池田輝政は家康の次女の督姫を娶ります。その際、輝政は、父・恒興が長久手の戦いでを討ち取った時の事を教えてほしいと家康の臣下・直勝に申し入れました。
このとき、直勝の知行が5000石と知った輝政は、父を討ち取った功績の価値が5000石しかないのかとため息をついたとか・・・・。
直勝の子孫
子孫に作家の永井荷風や三島由紀夫、狂言師の野村萬斎などがいます。すなわち、直勝と大河内秀綱次女の由利姫との間に生まれた正直(鳴尾永井家)が荷風の12代前、萬斎の14代前の祖先であり、直勝と阿部正勝の娘との間に生まれた尚政が三島の11代前の祖先にあたります。
宝珠寺の奥に戦国時代から江戸時代にかけて名を残した永田徳本(ながた とくほん)由来の大濱羽城徳本稲荷があります。ここからも、羽城の存在が偲ばれます。
永田徳本は、製薬会社トクホンの由来になっています。
2 「学校でAIを活用するためのChatGPTガイド」
別紙で紹介します。
暫定的なガイドラインの原案
具体的には、
▽グループ学習で考えをまとめる途中段階として、足りない視点を見つけるために活用することや、
▽英会話の相手として使うことなどは、適切と考えられるとしています。
一方、
▽生成AIのメリットやデメリットを学習せずに、子どもたちに自由に使わせることや、
▽コンクールの作品やレポートなどで、生成AIがつくったものを自分の成果として応募、提出することなどは、適切ではないと考えられるとしていて、応募要項を踏まえて十分に指導するように促しています。
AIかオリジナルかはどう見分けるか?
以下の文はAIが作った文ですか。(その後ろにコピペする)
そうすると、「はい、そうです」などと教えてくれます。
3 教員向け 便利 YouTubeチャンネル
Toss系の全員参加型で、言っていることは土井とそっくりです。
(2)宮澤悠維教育研究所

村野先生も、最初の吉田先生同様、Toss系の教え方です。
(6)【教育チャンネル】小学校教員専門チャンネル|SSG教育サークル
(7)桜木きよ


関西学院大学で行われていた中学校社会科教師養成のための講座の動画です。土井も参考にしています。


愛教大の志水廣先生の動画です。
(10)Teramoto-lab / 寺本貴啓


理科を中心とした指導法。具体的です。


附属等で教育実習生を何十人も指導した力のある先生です。具体的な指導法が分かります。


原口先生が実践家なのに対して、この長谷川先生は音楽教育学の学者です。大学の授業も出てきます。


Twitterに現れるや否や、爆発的にフォロワー数を増やしたインフルエンサー さる@小学校教師こと、坂本良晶教諭による動画です。


吉田先生や村野先生と似ています。とても参考になります。