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「鷹隼類以外」 フォルダ の 目次
更新月日 タ  イ  ト  ル
23.07.11  「知る」ための認識
23.01.01  幸福な鳥見 ― 足るを知る ―
22.08.15  あらゆる生命は「死にたくない!」と思っている
22.07.30  虫歯にならない(なりにくい)方法
18.09.25  下村兼史写真展が 開催されました
18.09.02  下村兼史写真展 いよいよ開催!
17.08.30  下村兼史生誕115周年 100年前にカワセミを撮った男の写真展
17.08.15  風景・景色・景観に関心ありますか?
17.08.03  暑中お見舞い 「真夏のだじゃれ集」
16.12.10  eiπ=-1 と eiπ+1=0
16.09.06  閑話休題 「誤解」
16.07.14  私たちの 「鳥見の風土」
16.03.21  先輩から聞いた老化の話    
15.12.14  73年前の野鳥写真 下村兼史著 『カメラ野鳥記』
15.05.20  竹林 広がる
15.04.15  イノシシと クズと ネムノキ
14.07.11  (夏の閑話2) 歯磨きのペースト
14.07.07  (夏の閑話1) サランラップの幅
13.11.10  今年はイスカの 当たり年!
13.10.01  雨が降ったら… (2)
13.05.14  ハシボソガラスとハシブトガラス シルエットでの識別法
13.03.16  小形シギの主食は バイオフィルムだった
12.08.01  川名国男氏著 『 ミゾゴイ ~その生態と習性~』
11.07.17  『ゾウの時間 ネズミの時間』から20年
11.06.01  雨が降ったら… (1)
11.03.21  「幼稚園児と大型犬」 のたとえ
10.06.01  鳥を見て森を見ず
09.05.28  自宅で 勤務先で
08.04.20  新緑 萌える
07.03.11  かなり白っぽい ケリ
07.01.06  クグツ 考
03.04.05  マーリン通信 この7年
03.03.14  ハシボソガラス と ハシブトガラスの識別
03.03.13  亜種 オオアカハラ
01.12.26  ノゴマ
97.08.02  ハシボソガラス と アシナガバチ
97.08.01  ツバメの巣立ち雛とアオダイショウ
96.10.30  コジュケイの美しさ 再発見!
96.10.30  ヌートリアを見ましたが…
96.10.30  ホンドリスは やはり美しい!
96.10.30  ヤブサメ
96.10.30  ツチガエル
96.10.30  雨の日の探鳥もいいですよ


「知る」ための認識


 時々ですが、予想・予測が当たることがあります。先日、深夜から未明に大雨が降りました。巣立ったばかりの2羽のオオタカ幼鳥はきっとびしょ濡れになっているだろうと思っていました。翌朝、梅雨時とは思えないほどみごとに天気が回復し、快晴の青空になりました。夜が明けると、あの幼鳥たちはきっと日光浴をしに林縁部の明るいところへ出てくるだろう。出てくるならきっとあの木かその隣りのあの木か……と予想を立てました。夜が明けるのを待ってそのあたりへ行きました。午前5時19分、幼鳥が連れ立って羽を乾かしにやってきて、翼を広げ始めました。下の画像です。歳とともに予測が当たることが増えてはきましたが、当たると嬉しいものです。


未明の大雨の後、2羽のオオタカ幼鳥が羽を乾かしにやってきた  愛知県 7月6日 若杉撮影

 

 私は朝早くタカを見に行くことが多いです。冬の寒い時でも、夏の日の出時刻が早い時でも、おおよそ日の出頃から観察を始めます。もちろん例外もあって、チュウヒ類やコチョウゲンボウのねぐら立ちやねぐら入り調査は日の出・日の入り前後の観察になります(こういう時は昼に休憩します)。継続調査が必要な時は朝から夕方まで見続けることもありますが年齢とともに少なくなってきました。これらの中で、私が一番好きな時間帯はうっすらと明るくなり始めるころや朝焼けのころから観察を初めることです。多くの人たちが動き始めるころに終了(帰宅)するという時もあります。

 早朝から始めていると、数時間が経過した正午近くにはたいてい「そろそろ帰ろうか……」という気分になってきます。でもそれはタカ見に充分満足したからというわけではないです。タカのハンティングやその一部が見られたり、獲物運びの様子が見られたり、交尾をするところが見られたりと、それなりのシーンを見たり撮ったりしても、それらを見たから満足です、もう十分に撮りましたということではなさそうです。「帰ろうか」となった理由をよく考えると、その原因は目が疲れてきたからとか、朝から花粉をたくさん吸ってしまっただろうとか、(私はほとんど座らず立ちっぱなしで見ていますので)足がやや疲れてきたからとか、そんな肉体的な理由から来るものばかりで、十分に満足できたとか、心が満足したからもう帰ろうかということにはなってないようです。

 そういう日々の理由を考えると、こうして長い間タカばかり見続けて来たにもかかわらず、この先高齢になっても「もう充分見ました」「もうタカを見ることには満足しました」「これだけ見てきたからもうこの先は鳥を見なくてもいいでしょう」という状態になるかどうかは大いに疑問です。それよりも、心が満足する前に目など体の一部が壊れて見られなくなってしまうか、六根の6つ目の「意」が壊れて「行」がなくなる、つまり意欲消滅で終わり! になるような気がします。

 私は珍鳥狙いではなく、まだ撮ってない鳥があるとかまだ見てない鳥があるとかそういうことは全然興味がなく、何種見たとか何種撮ったとかそういう興味もまったくないですが、それでも今までのタカ見・鳥見は「刺激を求めること」ばかりだったように思います。自分の眼を楽しませる、耳を楽しませる、連写のシャッター音を楽しむ、心を楽しませるなど、心と体に刺激を与えることばかりでした。

 こういうところから脱却して、これからのタカ見はもっと「知る」ための認識を行うタカ見にすべきではないかと考えています。ある行動の目的を知る、こちらの推測が正しいかどうかを証明する、こちらの判断が間違っていないかを確認する、ある仮説が納得できるものであるかを知る、現状がこうなっている理由は何か、巷で言われている定説は本当なのか(疑問符が付くものではないか) ……など。

 もう一つ昔から興味があったテーマは、タカ類の種間関係、種間影響です。ある行動を見た時に、それは本能から来るそもそもの行動であったのか、あるいは、別の種や別の個体がいたから結果的にそういう行動をしただけなのかの見極めです。種間関係も大きく言えば環境の一部分です。これはけっこうおもしろいものです。人間は我が強い生き物ですが、タカを見ていると、タカは意外と我が強くなくて、私はタカがうらやましいなと感じます(この感情も私の煩悩の一つであることは知っています)。逆に言えば、人間というものはどうしてこんなに悩んだり、迷ったり、苦しんだり、羨んだり、怒ったり、欲深くなったり、不安を感じたり、やるべきことを放っておいたり、無視したり、共感しすぎたり、……、限りがないのでこれくらいの列挙にとどめますが、こういうものはほとんどの野生動物にはないです。少なくとも心が病気になるほどの悩みは持たないです。

 人間は死ぬまで心と肉体に刺激を与え続けていますが、それでも死ぬまで満足することはなく、満足する前に体と心が壊れて、そこでいよいよ「はい、これで終了!」ということになってしまいます。そうなる前に誰でも仕上げておくべき大きな宿題が一つありますが、いいところまで行く時がありながらもなかなか完成しません。

--------------- + (余談)

 中学生時代の私は変わった少年で、いつも、早くお爺さんになって世の中のことが分かるようになりたいと、老人にあこがれていました。ご老人によく話しかけたり、老人の書いた本を読んだりしていて、年上の人や老人と付き合うことが多かったです。小学6年生の時にはお寺のお坊さんになりたくて、いろいろ友人と画策したりしていたこともありました。今、この歳になって確かに昔と比べると生き方が変わってきましたが、その代わりに別の問題も出てきました。

(Uploaded on 11 July 2023)

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幸福な鳥見 ― 足るを知る ―


 人が鳥を(タカを)見に行く時、たいていの人は目的があって出かけます。〇〇町の営巣ハヤブサを見よう、〇〇岬でサシバの渡りを見よう、〇〇干拓で越冬するチュウヒ類を見よう …… などと種名まで決めて見に行くことも多いでしょう。そして多くの場合、ハヤブサはヒナに小鳥を運ぶところを3回くらいは見たいな、サシバは1,000羽以上は出てほしいな、チュウヒだけでなくハイイロチュウヒ雄成鳥も見たいな …… などと、欲張った期待・希望を持って出かけることが多いでしょう。

 ところが現地で「今日はなかなか出てこないなあ」「今日はタカがほとんどは渡らないなあ」とか、想定したほどの出現がないことはよくあることです。人によってはこんな時「今日はダメだ」「なんだこれは」と怒り始める人や悔しがる人さえ見かけます。

 パーリ語に santussako サントゥッサコー という言葉があります。「足るを知る(知足)」という意味です。足るを知るということは我慢しなさいということではなく、また、そういうふうに自分に言い聞かせなさいということでもないです。自然法則を理解したり、あるいは人の心の傾向を理解できれば、自然とこれが真理であることが分かると思います。現状を正確に認識できると、(いろいろな複雑な思いはありますが)今は想定以上に恵まれているということも理解できるようになってきます。これ以上詳しく説明しても、すでに分かっている人には地球は丸いというくらい当たり前すぎる話ですし、まだ分からない人にはいくら説明してもとうてい理解できない話ですが ……。

 目的があるかないかに関わらず、まずは目の前で見られるものをじっくり見ることが大切だろうと思います。ありのままの状態をそのまま、まずは見るということです。それを嫌だとか、もっと出ろ!と言っても仕方ないと思います。そういう思考はむしろ「病気」に近いものです。だって、見えるものしか見えないでしょ。あなたが大声で「出てこい。飛べ!」と言っても、出てくるわけないです。こちらの思いが強すぎると、かえって鳥は逃げていきます。先月中旬、愛知県の某干潟後背地でのできごとです。タゲリ30羽ほどが田んぼに下りていましたので、これを見ていればオオタカやハヤブサ、ハイイロチュウヒが出現した時に私よりもうんと早くその出現に気づいてくれるだろうと思い、車の中から長時間静かに見ていました。すると車2台がやって来て、私とタゲリの間の道路に車を停めて、高齢男性2人が車から降りて写真を撮り始めました。休憩中のタゲリに動きがほとんどなかったので、一人が石を拾ってタゲリのほうに投げましたが、距離があって届かず何の反応もありません。するともう一人が相手にジェスチャーで合図しながら水路を越えて畦道を歩いてタゲリに近づいていきました。タゲリはびっくりして飛び立ちましたが、普通こういう時は向こう側へ飛んでいくので写真にはなりません。この時もそうでした。2人はすぐに車に乗って帰っていきました。虚しい光景を見てしまいましたが、私は鳥見の邪魔をされたというよりも「気の毒な2人だな。今までどんな人生を送ってきて、これからどのように生きていかれるのだろうか」と2人の行く末が心配になってきて、怒りはまったく出てきませんでした。

 思ったほどタカが出ないという日でもハクチョウの一群が月の前を横切ったり(下の画像)、自分が座っている近くの木の枝にニュウナイスズメがとまったりすることはないですか。他の鳥でもいいです。どんな日でも(←この言葉自体がそもそもおかしいのですが)よく考えてみるとそれなりの発見やそれなりの興味深い出来事がある日が多いです。


タカが渡らない日でも、何らかの楽しみがある(ハクチョウ13羽) 10月 若杉撮影

 

 これは受け身的に生きよ!とか、諦めて静かにしていなさい!とか、そういう話でもありません。自然相手に観察する限りは自然法則にのっとった客観的な見方をせざるを得ない、それしか方法がないということです。あなたひとりの都合や嗜好に合わせて自然が(鳥が)動いているわけではないので、目の前の自然をそのまま見るしか方法がない、仕方がないということです。まあそういう中にも楽しみや充実感はじゅうぶんありますので、それを発見してください。今日は正解だった、今日は失敗だった、今日はひどい日だったということは本当はどれもないのです。自分自身の期待・希望(=欲)が過大だったということを理解することが必要でしょう。

 人は同じ刺激を何度も受けるとその刺激に対して麻痺してきます。強い喜びを得た刺激でもすぐに慣れっこになってしまい、先週はあんなに飛びあがるほど歓喜していたのに、今日は同じものを見ても特に感激はしなかったというように一回で慣れてしまうこともあります。今まで以上の強い刺激や満足感を求めて毎日毎日出かけるようになったり、より大きな期待をして、しかし果たせずしゅんとしてしまったりするものです。こういうところは各自が世の中をどう見るか、どう考えるかということに関わってきます。認識を深く掘り下げて、鍛えて、「世界はこういうふうにできている。人間はいつもこう考えてしまうものだ」と実感し、理性で解決するしかないでしょう。

 この秋もしばしばタカ見に行きました。数が多く、最後にまとめたら、こんなに飛んだのかというほどの数の日もけっこうありました。でも、みんなタカの飛ぶ高度が高く、出てもすぐに上昇気流に乗ってどんどん上がっていくことが多くありました。たくさん見たような気にはならず、写真もそれほどは撮れなかったですが、こういう日はタカにとってはまさに「渡り日和」で、条件の良い中をタカは渡っていくことができました。こういう時こそ「今日は飛びやすい日でよかったね! 苦労なく、楽に渡れる日でよかったね!」と喜んであげられるようなそんな余裕があるといいですね。

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 さて、ここから先はご自分、またはご家族のだれかが「鳥見病」、「鳥見たい病」、「あの感動をもう一度!病」かもしれないと思う人だけ読んでくだされば結構です。

 10月、新潮新書で『ドーパミン中毒』という本が発行されました。この本は米国人精神科医が薬物依存症をはじめ、食べ物、ニュース、ギャンブル、買い物、ゲーム、電子テキスト、性的電子テキスト、フェイスブック、インスタグラム、YouTube、ツイッター、アイドル、酒、セックスなど様々な依存症についてカウンセリング内容の具体的な例を紹介し、そこからの脱出法について書いています。鳥見とか鷹見は入っていませんが、入るでしょうね。この本ではクライアントの話す内容があまりに赤裸々で、具体的で、詳細すぎますので、多くの人が読んで戸惑ったりページを伏せたくなるだろうと思いますが(私も一部飛ばしました)、もし心配なことがある人や依存症からの脱出法を知りたいと思う人はこの本をチェックされるのも良いと思います。

 ドーパミンが前駆体となるノルアドレナリンでも話はほぼ同じです。鳥見の世界ではバードとアドレナリン(ノルアドレナリンではないです)をくっつけてバードレナリンと言っている人もいますね。

 仕事にしろ研究にしろ何にしても一生懸命やろうとするとどうしても寝食を忘れてしまったり、寝食よりも優先してしまったり、家族のことよりも仕事や研究を優先してしまって …… となってしまうことはありうることです。そこで判断の基準は社会生活が営めなくなるほど鳥見に夢中なのか、あるいは身体を壊してしまうまで鳥見をしてしまうとか、週末を待ちわびて仕事に集中できず、休日に何か大事な用事があっても放っておいて鳥見を優先してしまうとかしてしまい、そしてそのことで本人や周りが困っているという程度までレベルを下げてもいいのではないかと思います。

(余談)
 わたくしは理論物理学を専攻していましたが、理論物理学の新たな世界を切り拓いていったのはアインシュタインやフェルミ、ディラックなど世界的にも歴史上でも名を残している大天才たちばかりでした。研究の最も大事なコアな部分はそういう人だけにしか切り拓けないという厳然たる歴史的事実がありますので、学問の核心部分はそうした人にまかせればよいものだと思います。天才は自閉スペクトラム症に関連している場合が多いようですが、上記のような依存症には関係がなさそうです。大天才にはかなわないですが、物理を仕事としてやるならそれなりに一生懸命やって、少しでも社会の役に立てばそれで充分だと思います。趣味でやるならそんなに力を入れすぎない程度に頑張って、無理なく楽しめば良いのではないかと思います。一方で、趣味ならば金銭面で元が取れるかどうか考える必要がなく、だからこそ趣味は徹底的に集中して、やりたいことを損得なくやって、時間も効率も収益も何も考えずに楽しくやればいいという思いもします。

(Uploaded on 1 January 2023)

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あらゆる生命は「死にたくない!」と思っている


 人が近づくと鳥は逃げます。人が近づくと一部の獣は人を襲ってくることがありますが、ほとんどの獣は逃げます。ほとんどの虫もまた逃げます。なぜ逃げるのでしょうか?

 古い話ですが、私が小学校に入る前のこと、その可愛さからスズメやアゲハチョウを捕まえようとしたことがあります。庭に来るスズメを素手でつかもうとしましたが、当然ながら逃げて捕まえることはできませんでした。庭の花にとまったアゲハチョウを直近までそっと近寄って素手でつかもうとしても逃げられました。もちろん捕まえて食べるとか飼育するとか、どうこうしようという気持ちはこれっぽっちもなく、ただただかわいいとかきれいとかいう感情だけでしたが、こちらの思いとはまったく違って彼らは当然のように逃げます。人と鳥のどちらが敏捷でどちらが鈍いかとか、どちらの運動神経や認知能力・画像処理能力が優れているかとか、そういうレベルの話ではなく、とにかく生命は「逃げる」ということです。

 年月が経って、1999年のある日のことです。山の中の見晴らしがよいところにすわってじっと鳥を見ていた時、ハッと気づくことがありました。鳥も獣も昆虫もその他の生命も、すべての生命は「生きていたい」「死にたくない」という気持ちがあることに気が付きました。専門用語ではこの気持ちを「渇愛(かつあい)」(パーリ語で Taṇhā タンハー)」と言います(3つあるタンハーのうちの2つ目)。生きていたいという気持ちは本能的にあらゆる生命が生まれながらに持っているもので、わたくしたちは他者のその気持ちは尊重してやらなくてはいけないものだと思います。時々「人はなぜ生きているのか」と聞かれますが、その人に「死にたいの?」と聞くと「死にたくない。それだけは避けたい」という返事が普通です。私は「だから生きているだけですよ」と。人は目的や使命があって生まれてくるわけではなく、訳も分からず生まれてきたけど、タンハーというものがあって死にたくないから死を少しずつ先延ばしにしながら生きています。

 さて、ここに一頭のハクビシンがいるとします。ハクビシンでなくヌートリアでもアライグマでも何でもいいです。ある人は見て、「ハクビシンは珍しい。初めて見て感動した。かわいい」と言い、一方で別の人は「アライグマは侵略的な特定外来生物種で、人間の生活に多大な迷惑をかけているから駆除しなければいけない」、「ハクビシンは大量のマダニを運んでくる嫌な奴だ」「木登りが得意なので、オオタカの営巣に大きな悪影響を及ぼしている」と。あるいは別の人は「これは食べるとおいしいかも」などといろいろな感情や思考、見方が出てくると思います。

 ただ言えることは、人とハクビシンは体の作りがひじょうによく似ていて、ともに心があるということです。正確な数字は分かりませんが、DNAの90パーセント以上は同じなのでしょうか。ともに心臓があり、体中に血液を送り込んでその血液が再び心臓に戻ってきます。肺に酸素を取り込んで、二酸化炭素を吐き出しながらガス交換をしています。その酸素は細胞の中で食べ物を燃焼させて熱の発生などに使われます。肝臓、腎臓、いくつかの消化器なども人と同じ働きです。そして手や足や背骨、頭蓋骨などの骨格系、神経系や免疫システム、感覚器官は顔に目が2つ、耳が2つ、鼻は1つで穴は2つ。口は1つで口から肛門まで長い管が一本あって、食べることから排泄することまで何から何まで(ここには書ききれないほど)まさに人とそっくりです。人と同じような仕組みで生殖し、子孫を残します。さらに、各個体には死にたくはないという気持ちがあり、独立した心を持っていること、欲と怒りを持っていることも人間と同じです。

 こういうことが知識としてではなく、心で分かってくると(ストンと腑に落ちるものがあると)、巨大な生き物から人と同じくらいの生き物、小さな生き物まで、もうどんな生命をも殺すことはできなくなってしまいます。

 かなり昔から私の家には一年中すぐに使えるように捕虫網が置いてあります。室内に入ってきた虫やクモなどをそっと捕えて外へ出しています。逃がすというよりも、「すみません、あなたは外で暮らしてください」という気持ちです。蚊が家に入ってきた時も原則同じです(時々腕にとまった蚊をパチンとやってしまいますが殺意はないです)。

 

 さて、生物のことをこういうふうに書くと必ずというほど反論が来ます。多くは「そんな生き物を放っておいて良いのか」「駆除すべきではないか」というものです。例えば、愛知県のホームページにはハクビシン、アライグマ(特定外来生物種)、ヌートリア(特定外来生物種)について以下のように記述されています。

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 ハクビシンは「第二次世界大戦中には毛皮用として飼育されていたが、毛皮の質が悪いため野外に放され、戦後になって個体数が増えたといわれている」、「果樹などの農業被害が問題となるほか、近年では民家の屋根裏への侵入による騒音や糞害が問題となっている」と記述されています。

 アライグマは「ペットとして、あるいは動物園などの人気者として広く飼育されてきた。全国各地で野生化しているが、いずれも飼育個体が捨てられたか、逃亡が原因とされている」、「さまざまな在来小動物を食べるため、地域の生態系に影響を及ぼすおそれがある。このほか、農作物などを食い荒らしたり、民家の屋根裏などにすみつき、建造物を傷つけるなどの被害も出ている」と記述されています。

 ヌートリアは「1939年頃、軍服の毛皮用、食用として導入された。戦時中は西日本を中心に各地で飼育されたが、終戦と同時に飼育個体は野外に捨てられた」、「農業被害としては、水稲のほか、夏期には瓜類、芋類、根菜類、葉菜類、豆類などが、冬期 には葉菜類、根菜類が認められている。巣穴を掘ることで水田の水が抜けたり、堤防の強度が下がるなどの問題もある」と記述されています。

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 いずれも、もともとは人間が勝手な都合で日本国内に持ち込み、無責任にも自己中心的に逃がしたもので、結果的に現在、深刻な被害が出ています。昆虫類などで特定外来生物に指定されているものの中には建築資材や原料に紛れ込んで日本に来てしまったものや、コンテナの隅についてひっそりと日本に運び込まれたものなどが多く、植物も小動物も、ほとんどは人間が意図的にあるいは意図せずに運び入れてしまったものばかりです。

 ですから、これらの意見を無視する気はまったくありません。駆除も必要でしょう。上の方に書いた私の意見は一意見であって、「そもそも生命とは何?」という思索から始まった、まったく違ったところから出てきた意見なので、他の人の意見を抹殺しようとか、意見は一つしか持ってはいけないとか、そういう極端な考えはありません。どの意見が正しいか、どれが間違っているかということではなく、さまざまな意見があるというだけで、そのどれも否定することはできません。人が意見を持つということはそういうもので、世間にはいろいろな意見があってもよいと思っています。 

 さらにこういう反論のほかにも私には複雑な思いがあります。まず、人は他の生命を食べないと生きていけないということです。人が食べることができるものはすべて有機物で、それはすべて他の生物の体の一部です。食べると生き物がかわいそう、殺すと生物がかわいそうだ …… だけでは生きていけません。他の生命を食べなければ、そもそも生命の存在そのものが成り立たないわけです。「わたくしは他の生命を殺しません」という考え方はひじょうに大切なことと思いますが、その代わり誰かに捕獲してもらって、誰かにその生命を殺してもらって、それを食べられるように準備してもらっているわけですので、この一連の行為にまったく関わりがない、問題もないというわけにはいきません。

 ベジタリアンの方の生活は食べ物が生物であることには変わりないですが、植物中心の食生活なので(植物も生命だという点は変わりないのですが)、そこには敬意を払います。ただ、誇らしげに自慢されるとそれはちょっと …… という思いもしてきますが。

 もう少し考えると、他の生命を殺して食べなければ私は生きていけないことは分かったので、せめて私が食べることに関係のない生物を殺すことだけは避けようという考えが出てきます。これは最低限の選択です。私がやっていることはその程度のことですが、おもしろ半分に生命を捕獲したり殺したりしない、趣味として生命を捕獲したり殺したりしない、邪魔だからといってみんな殺してしまうことはしない、そして、生命をいっさい飼育しないというだけで人の心はびっくりするほど自由になります。

(Uploaded on 15 August 2022)

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虫歯にならない(なりにくい)方法


 私は幼少期から学生時代までの間、しばしば虫歯になりました。その都度、歯医者さんでガリガリと削られたり、神経を抜かれたり、時に歯を抜かれたり、結構痛い思いをしてきました。学生時代にはある大学の歯学部付属病院で受診中に麻酔液が漏れて舌にかかり、気分が悪くなったり、あるいはほかの日には麻酔が思ったほど効かなかったり、思い出したくないですがいろいろありました。

 38歳のある日、歯にかぶせていたものがぐらぐらしてきたので隣市の歯医者さんへ行きました。治療後、歯科医に「しっかりと歯を磨いてくださいね」と言われましたら、何を思ったのか私は「歯の磨き方がよく分からないのです」と言いました。こんな変な質問をする40歳近い患者はたぶんいない、あるいはかなり少ないだろうと思いますが、その歯科医は歯科衛生士さんを呼んで「歯の磨き方を教えてあげてください」と丁寧に言ってくれました。

 歯科衛生士さんは「歯の磨き方で一番大切なことは、今どこを磨いているかしっかりと意識して、意識し続けることです」と言われました。そして概略、下の図のように歯ブラシを移動させてくださいと言いました。


歯の磨き方。これで虫歯とは(たぶん)さようならです

 

 小さくクルクル クルクルと歯ブラシを回しながら、おおよそ矢印のように移動させて行きます。これを上の歯と下の歯で一方からもう一方に向かって進めていくだけのことで、ぜんぜん難しいことはありません。裏面も同じように磨きます。磨き始めてから磨き終わるまで「今どこを磨いているか」に気づいていることが大切だそうです。歯と歯の間、歯と歯茎の間だけを磨けばよくて、歯そのものを磨く必要はありません。歯の表面を磨かなくても歯は自然と磨けています。

 私はもうすぐ70歳ですが、この32年の間、この「気づき」によって一度も歯医者さんのお世話にならずにすんでいます。時々、市の健診で歯の無料健康診断というのがあって診てもらいますが、今も「虫歯なし、歯周病なし、歯垢はほぼ無いに等しいくらい少なく、歯と歯茎については何一つ問題はないです。8020は100%大丈夫でしょう」と言われています。この先まだ油断はできませんが、「気づき」のおかげで、こうして32年にわたって歯痛・歯茎痛の苦しみから完全に解放されています。あの歯科衛生士さんを思い出して、いつも感謝しながら歯を磨いています。

 起きて、朝ご飯を食べる前にしっかりと歯を磨くことも、虫歯予防ではないのですがかなり重要なことと思います。就寝中に口の中に発生した汚れをそのまま朝ご飯と一緒に体の中に入れてしまうのはひじょうにまずいことなので、朝起きて顔を洗うと同時に就寝前と同じくらい丁寧に歯磨きをしています。昼ごはんの前とかおやつを食べる前にもぶくぶくうがいをしながら口をすすいでいます。そうすると気分もいいです。

【 8月5日補足 】

1 歯磨きメーカーの解説や言うことは宣伝が多く含まれていますので、そこを賢く割り引いて読むことが必要です。会社の儲けのためには仕方がない書き方と思いますが、ペーストの使う量とか、歯ブラシの交換時期とか、ひどい話がいっぱいあります。
2 メーカーの解説では、歯を磨いた後、しっかりうがいや口すすぎをするとせっかく入っているフッ素が出て行ってしまうので、大さじ一杯くらいの量の水で一回だけすすぐと良いということが書かれていますが、これはとんでもないことです。磨くことで口の中には何百億とか何兆(正確な数字は分かりません)という細菌、ゴミが掻き出されてペーストと唾液でぐちゃぐちゃになっていますので、まずはそれをきれいに口の外へ排出することが必要です。決して胃腸の中へ入れてはいけないです。合成保存料や人工香料も多く含まれていますから、なおさらそういうものを胃の方へ送ってはいけないです。フッ素塗布がどうしてもしたいのなら、何回もうがいやすすぎをした後で軽くもう一回磨けばいいです。

 (歯以外のことで ……)

 これまでほとんど病気に罹らず、こうして生きてこられたのは遺伝のおかげだったか、あるいはただ運が良かったからかもしれませんが、自分なりにいくつか注意してきたこともありました。たくさん書きたいのですが、人によって体質が異なりますし、「そんなことは私には真似できません」と言われそうですから、2点のみ書きます。

〇 何を食べるかはもちろん大事ですが、それよりも「何々は食べない、何々は口に入れない」ということも大事。今の時代、体に入れてはいけないもの(昔はなかった化学物質など)が世の中にはいっぱいあります。ここには例示しませんが。
〇 大昔から人間は冷蔵庫の中にあるような冷たいものはめったに食べてきませんでした。今は多くの人が冷凍品や冷蔵品をよくそのまま食べて体を極度に冷やしてしまっています。夏でも体を冷やすことはあまりよくないことで、極力しないようにしています。

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 (補足)

 普段の生活の一挙手一投足に、すべての行為に「気づき」を入れることは重要なことです。お経に「四念処経(しねんじょきょう)」というものがありますが、日本語訳を読んでいると、身体・感覚・心・法の四つに気づき(念)を入れることが一番重要と書かれています。また、「七覚支(しちかくし)」というとても大事な7つの順番がありますが、7つのうちで一番最初にやるべきものも「念」で、これは気づきのことです。私の名前は稔ですが、この字のつくりが「念」になっていることがうれしくて、名前を書くたびに両親に感謝しています。歯の磨き方という、そんな単純そうなことの中でも「気づき(念)」が一番重要で、俗っぽい話なのですが、気づきがあるというだけのことで、虫歯にもならない(体質にもよりますから、虫歯になりにくいというほうがよいか)、他にもいいこといっぱいということがうれしいです。

(Uploaded on 30 July 2022)

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下村兼史写真展が 開催されました


 下村兼史写真展が東京有楽町朝日ギャラリーで9月21日から26日まで開催されました。

 下村兼史氏(1903-1967)については今までこの通信で何度も書いてきましたので、よく似たことの繰り返しになる部分もありますが、また書きます。

 1970年代後半から1980年代にかけて私はチュウヒやハチクマの生態を調べていました。ところが当時、日本野鳥の会名古屋支部でタカ類・ハヤブサ類のさまざまなことを私に教えてくださった先生は「若杉くんにはオオタカの研究をしてほしいのだけれど、江戸時代の人からゲテモノといわれているチュウヒやハチクマのことばかりやっている。現職としての仕事があるし子育てや家事も忙しいだろうけれど、でも何をやるにも下村くんのように一生懸命やらないと、どれ一つものにはならないよ」と、よく言われました。私があれもこれもと好き勝手なことをやっていたからなのですが、「下村くんのように一生懸命に……」という言葉はもう何度聞いたことでしょうか。当時の場面が目と耳に焼き付くように脳内に残っていて、今も鮮明に思い出され耳にも聞こえてきます。

 同じことを何度言われても、私は少しもひねくれた受け止め方はせず、素直な気持ちで先生の言葉を聞くことができました。しかし、当時佐賀県で3大富豪といわれた資産家の長男で、誰も買えないほど高価なカメラをいくつも買って、撮影旅行には力のある助手を雇ってカメラや乾板を持たせて、無理に職業に就く必要もないそういう裕福な下村と単純に比べられてはちょっと困る……という気持ちも心の片隅に若干ありました。

 下村は1920年に慶應義塾大学文学部予科に入学した翌年「病気」を理由に中退しています。しかし、ほんとうに病気だったのかどうか、私にはよく分かりません。当初先生は何も話してくれなかったのですが、後になって、父親が知人の債務の連帯保証人になっていて、それが元で破産に追い込まれていたことが分かりました。時期が重なりますので、「大学中退・帰郷」と「破産」になにも関係がないことはないだろうと推測しています。

 そうすると、私の「私と裕福な下村を比べられても困る……」という根拠が完全になくなりました。以後先生からは下村兼史氏の人となりやら実績、ほんとうに人間らしいさまざまなエピソードや撮影や生活の裏話をたくさん聞くにつけ、実に偉大な努力の人だということが分かってきました。そして、「下村くんのように一生懸命やらないと、どれ一つもものにはならないよ」という先生の言葉はいつのまにか、私の頭の中にも胸の中にもずしりと場所を構えて居座るようになりました。これは今、この歳になっても同じ状態のままです。鳥類研究の分野、鳥の世界には有名な人や尊敬すべき人が過去にも現在もひじょうに多いのですが、私の頭の中には下村兼史が他の誰よりも大きな部分を占めています。

 写真展には9月24日に行ってきました。世界的に有名な画家の展覧会などと比べればマイナーな写真展であろうし、カラー写真しかない現代に展示写真はモノクロのみで、しかも数十年前から百年前の古いものばかりなので入場者はきっと少ないだろうと思っていましたが、開場時刻頃に行ったところ受付で並ばなければいけないほど人が多く、開場後もひっきりなしに人がやってくるという状態でした。この日は3連休の最終日で少ないほうで、まだ一昨日、昨日のほうが人が多かったとのことでした。


9月24日11時過ぎの入り口付近の様子(一部モザイクをかけてあります)

 

 展示品の中には私が提供した画像や、私が発掘したある人のエッセイが紹介されたり、私の謎解きしたいくつか(For my Jass の Jass は当時の恋人の愛称ジャスミンのことだったとか、この写真の場所は昔の名古屋にある東山動物園のオホワシ舎(現、オオワシ禽舎)だとか、下村と一緒に写っている男の人は私の先生である……など)も紹介されていました。下村氏の書いた文章の中で私が最も共感した「私は……案山子のような……」という一節が大きく紹介されていて、(個人的な自己満足ですが)ちょっぴりうれしかったです。


下村兼史が使った藁製のブラインド。開口部から兼史の顔とレンズが見える(鹿児島県荒崎 1928年)
この大型パネルの前で塚本洋三さんと記念写真を撮りました

 

 100年前の写真を見ていて、今私は何のために写真を撮っているのだろうかと改めて思いました。タカ類の風切の欠損とか個体識別のためにどうしても撮らなければならない場合が多いので数多くの枚数を撮ることは良しとしますが、証拠写真にもならないようなどうでもよいものにシャッターを一日何百枚も押している日があることに気が付きました。つまらない写真を1万枚撮っても何か意味あるのかという気持ちもあります。これぞ残しておくべき・撮っておくべきという写真を何枚か撮ったほうがまだよいという思いもあります。

 すべてまったく私個人の気持ちの問題で、画像に関して他の人の評価とか数十年後の評価という思いはただの1%さえもありません。アサヒペタックスSPから始まる53年間の一眼レフ生活の中で、人の評価を意識した写真は一度も撮っていません。思った通りの、願いにドンピシャな画像が撮れることがまれにありますが、それはそれだけでおわりです。祝杯をあげるとか人に見せびらかしたり自慢したり…とか、そういうことは特にないです。私は、BIRDERの記事の脇に添える画像や、「マーリン通信」の文章の間で説明用の画像として役に立てばそれで100%十分です。

 すばらしい写真展を企画してくださった塚本洋三さんはじめ、山階鳥類研究所の皆様、関係の皆様に感謝です。ありがとうございました。

 会場で販売されていた図録(全131ページ、頒布価格1,500円)はひじょうに参考になります。

(Uploaded on 25 September 2018)

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下村兼史写真展 いよいよ開催!


 この通信で今まで何度も紹介してきた日本の野鳥生態写真の草分け、下村兼史氏(1903-1967)の写真展が、9月21日(金)~ 26日(水)、東京の有楽町朝日ギャラリー(東京 JR有楽町駅前マリオン11F)で、いよいよ開催される運びとなりました。

 
下村兼史写真展のチラシ 表面と裏面

 

 開催時刻や交通案内等の詳しい案内は、山階鳥類研究所のホームページに載っていますので、リンク先を下に貼ります。クリックしてください。

 「下村兼史写真展」のWebページは、【ここをクリック】です。

 会場は東京です。この写真展を見ることの他に今回は何も用事がないのですが、私はこの写真展を見に行くために名古屋駅から新幹線に乗ります。それほど「見ておくべき写真展」だと思っています。

 この記事の一つ下の記事は1年前に書いたものですが、そちらもご参照ください。

(Uploaded on 2 September 2018)

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下村兼史生誕115周年 100年前にカワセミを撮った男の写真展


 日本の野鳥生態写真の草分け、下村兼史氏(1903-1967)の写真展が、2018年9月21日(金)~ 26日(水)、東京の有楽町朝日ギャラリー(東京 JR有楽町駅前マリオン11F)で開催されます。

 昔から、ちょっとした縁があったので、下村兼史さんにはずっと長い間大きな興味を抱いていました。特に、私が鳥の勉強を教わった先生からは、「若杉君、何をやるにも下村兼史君のように一生懸命やらないと、どんなことでもものにはならないよ…」と、私がまだ20代だった頃から事あるごとに何度も繰り返し言われていました。その先生からは下村さんのエピソードや人となりをいっぱいお聞きしていましたが、聞けば聞くほど「下村さんという人はいったいどんな人だったのだろう…」と、ずっと思っていました。


下村兼史氏(山階鳥研のページより)

 

 写真展の案内は、山階鳥類研究所のページに詳しく載っていますので、リンク先を下に貼ります。クリックしてください。

 「下村兼史写真展」のWebページは、【ここをクリック】です。

 このページの一番下の方に、以下のような下村兼史氏の関連サイトも載っています。

〇 下村兼史資料ページ目次、生涯の記録、資料の価値、資料の概要、足跡と原板、代表的作品
〇 下村兼史の写真と足跡(BPA 10周年記念ネット写真展「下村兼史」)
〇 「私は死ねない 『下村兼史写真展』開催までは」(BPA らくがき帳 Day by Day 2014年10月号)

 

 また、BIRDER 2017年6月号の30~31ページには、「日本の野鳥生態写真の祖、下村兼史の写真から」というタイトルの文章と写真展の案内等が載っています。上記、「私は死ねない」とともに、写真展事務局代表の塚本洋三さんの文章です。ぜひお読みください。

(Uploaded on 30 August 2017)

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風景・景色・景観に関心ありますか?


 たとえば江戸時代、人々がごく普通に見ていた景色は今とはかなり違っていただろうと思います。大都市・江戸の街中はけっこうにぎやかだったそうですが、今ほどのことはなかったでしょう。しばしば再放送されているテレビ映画「水戸黄門」には山や川の風景がよく出てきますが、当然ですがそこには鉄塔や送電線、電柱、電線、舗装道路、鉄筋の家々、大きなビル、大規模な山林開発、山の上を飛ぶ旅客機などは出てきません。画面には飛ぶ鳥はあまり写りませんが、数は今よりも多かったでしょう。夜は騒音がなくかなり静かだったようです。

 今はどうでしょう。よほどの山奥まで車で行ったとしてもそこかしこの尾根には必ずといっていいほど鉄塔が建っていて送電線がたくさん見えています。風力発電の風車を見かけるところもあります。道路や車、飛行機やヘリコプターなども便利だからということで増えてきましたが、おかげでどこへ行っても風情ある景色を見ることはできなくなってしまいました。今後、ドローンが大量に飛ぶようになってくると、私たちが鳥を見に行っても、「きょうは鳥の数よりもドローンの方が多かった。ドローンってけっこう大きい音がしてやかましいですね~」という時代が来るような気がします。

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 さて先日のことですが、三重県志摩市が太陽光発電施設の乱開発に歯止めをかけるため、市の全域で再生可能エネルギー発電設備等の抑制を進めることになったと、ニュースで報じられました。

 下は2017年7月15日付けのNHK三重 NEWS WEBからのコピーです。

(以下NHKニュース)

    志摩市全域を再生エネ抑制区域に(7月15日 12時25分配信)

 太陽光発電施設の乱開発に歯止めをかけようと、三重県志摩市は7月1日に施行された条例に基づいて、市の全域で開発の抑制を求めていくことになりました。

 志摩市は全域が国立公園に指定され、豊かな自然の景観が重要な観光資源となっています。市では景観を守るため、太陽光発電などの再生可能エネルギー施設の建設を抑制する条例を7月1日に施行し、この条例に基づいて、このほど市内全域を開発の抑制を求める「事業抑制区域」と定めました。

 これを受けて今後、志摩市で太陽光発電施設を建設する際には市と事前に相談をした上で、提出する事業計画書に景観への配慮をどう行うかを盛り込み、さらに地域の特性に応じたさまざまな条件を満たすことが求められます。たとえば津波の浸水が想定される区域では施設が津波で流されないよう防止する措置などについても示すことが求められるということです。

 志摩市は「市は全域が国立公園に指定されているので安易な開発は防ぎたい。開発を行う場合でも事業者には影響や対策を事前に十分に検討してほしい」としています。

(以上NHKニュース)

 上記「7月1日に施行された条例」というのは、志摩市の「再生可能エネルギー発電設備の設置と自然環境等の保全との調和に関する条例」です。

 志摩市は伊勢志摩国立公園内にある観光都市ですので、再生可能エネルギーよりも景観を大切にしたほうがこれからの地域の利益につながります。一方、観光都市等でない地域では、このようなことは行いません。「景観」よりも「開発」や「経済性」が当然のように重視されてしまいます。観光地でないところでは「美しい景観」を望むことは不可能で、今や当たり前の風景さえも見ることが難しいです。

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 下の写真をごらんください。タカの写真を撮る前にカメラの露出がおおよそ適正かどうか、つまり露出不足や露出オーバーになっていないかを確認するために試し撮りをするのですが、その時たまたま撮った写真の1枚です。ふだんは画像を確認したらすぐにその場で削除してしまうか、家に帰ってからいらない写真としてまとめて削除しているものですが、PCの画面で見て電線の多さにびっくりしました。


数十本の電線が写っていた

 

 画面のいたるところに横方向に伸びる電線が30本以上見えます。画面左上のやや遠いところには、うすくて見にくいですが、斜めに高圧鉄塔の送電線が10数本写っています。画面の一番上の端ぎりぎりにはすぐ近くの電線の一部も写っています。ふだんは慣れっこになっていて、近くの電柱や電線くらいしか気にならないのですが、こうしてじっくり見るとほんとうに電線の数が多いことに気がつきます。

 眺めのよいところへ鳥を見に行っても、こういう電線や電柱、送電線や鉄塔がたくさんあります。当然、景観はかなり悪くなります。車で移動できるような道路脇の地点、車から降りてすぐのところには特にたくさんあります。電線を地中化すれば多少は景色がよくなりますが、それには莫大な費用がかかります。

 私たちがふだん眺める風景は悪くなるばかりです。一方、原子力発電は大きな地震が頻発する国土という立地の問題、核のゴミは安全に処理できないという問題、そして今の科学技術で原子力発電のシステム全体を無事にコントロールできるかという問題があります。原子力はだめだけど、再生可能エネルギーならすべてが許されるのかというとそうでもないです。上に述べた景観の他にも、多くのマイナス面、たとえば風車に衝突する鳥類の問題、メガソーラーによる山林やヨシ原の大幅な減少等を十分に考慮できているかなど、再生可能エネルギーといえども私たちが見るべき視点や解決できていない問題点はいくつかあります。

 私も人並みに電気を使って文化生活を送っていますし、手にする工業製品も大量の電気がなければ製造できないような品ばかりですので、あまりむちゃなことを言うつもりはないのですが、やはり景観も大切にしてほしいと思います。目の前に広がる風景、景色、景観というものに、多くの人たちが関心を持ってくださるとうれしいです。

(Uploaded on 15 August 2017)

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暑中お見舞い 「真夏のだじゃれ集」


 いつも「マーリン通信」をお読みいただき、ありがとうございます。ふだんまじめなことばかり書いていますが(?)、今日は、趣向を変えて涼しく笑っていただこうと思います。

 主にタカを見ている時に頭に浮かんだ親父ギャグです。つまらないです。見たくない方はパスしてください。お付き合いくださる方は笑ってください。

 

 一番初めは、まじめなだじゃれから。

 「このチョウゲンボウの写真、小翼羽が立って、よく目立つね。小翼羽は何枚あったっけ?」
 「小翼羽はたしか 4枚あるら~」

 (→ 小翼羽は英語で アルラ alula です)

 

 タカ類の観察中に雨が強くなってきて、大雨警報が発令されました。別の車で観察していた友人が、「今、どうしてる?」。「うん、たくさん雨が降っているから、車内大金(じゃなくて)、車内待機しているよ」

 (→ 大雨は危険です。車内に大金を置くことも危険です)

 

 今日は暑かったねぇ~。かなり bird な(いや、 hard な)一日でした。

 (→ バードとハードの聞き間違いは歳のせい?)

 

 今日も暑いです。35度異常(35度以上)あるかな?

 (→ 最近の気候はちょっと昔とは違うくらい暑くて雨がよく降る。異常気象)

 

 私はちょっと若過ぎる?のかなぁ~。

 (→ 名前で友達をからかうな、名前で遊ぶなと、昔はよく叱られました。これは自分の名前だから大丈夫です)

 

 車をブラインド代わりにして窮屈な姿勢でずっとオオタカを観察していたので、運動不足になっちゃった。だから、スポーツ義務へ(じゃなくて)、スポーツジムへ行ってきました。

 

 そんなハードに鳥を見た後はきっと疲れているよ。自宅に帰って車で、来るまには十分気を付けてね!

 (→ 「車」と「来るま」が逆でした)

 

 今日は冷えますねぇ~。外の気温はマドレーヌ、うん?、マダレード、まだ0度 です。

 (→ 愛知県はあまり冷えませんが、隣の長野県まで行くと冬の観察時には、氷点下のことがよくあります)

 

 「車から降りると風があって涼しいけど、車内は蒸し暑いね」
 「うん、それはまぁ、しゃあないね」

 (→ 車ぁ内ね)

 

 (私)「あっ、出た、ハイタカだ! すっごく高~い。high 高だっ!」
 (北海道の人)「うわ~ほんと高い、高い。あまりに高すぎて貧乏人のこの私には手が届きません」

 

 オオタカが出たら「おおっ、タカ!」。
 ハヤブサが猛スピードで急降下したら、「ハッヤー \(^o^)/」

 (→ これは誰かが言っていたのを聞いたような記憶がありますから、私のオリジナルではないかもしれません)

 

 でも、このダジャレ、僕が言わなかったら、ジャ誰!(ジャダレ)が言うの?って感じ。

 (→ 「だじゃれを言うのは誰じゃ~」という文言を聞いたことがありますので、これも100%私のオリジナルではないです) 

 

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。暑い夏を、健康で、笑顔で、お元気に乗り切ってくださいませ。これからも私はだじゃれを言って皆を笑わせます。

(Uploaded on 3 August 2017)

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eiπ=-1 と eiπ+1=0


 この文章は、多くの人、というかほとんどすべての人にとって、たぶんどうでもいいような話だと思います。でも、こんなことをちょくちょく考えている人間(私や以下で紹介する著者)が世の中にいる… というだけでもおもしろいのかなと思いながら書きます。

 

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 スイス生まれの数学者オイラー(1707~1783)の発見したオイラーの公式は、

     e=cosθ+isinθ  というものです。

 めんどくさそうな式だと思われてしまいそうですが、もしこの公式がなければ、現在、パソコンは動かないし、車も走っていない、テレビも見えないということになっているはずです。もちろんオイラーがやっていなければ、他の誰かが少し遅れてでも発見していたでしょうが…。

 この公式で、θ=π と入れると、eiπ=cosπ+isinπ=-1+ i × 0 =-1 ですから

     eiπ=-1 

が得られます。

 e はネイピア数で、2.718…と永遠に続く無理数です。自然対数 ln の底でもあります。
 π はご存じの通り円周率で、これも 3.141…とどこまでも続く無理数です。
 i は i2=-1 となる、虚数単位です。

 無限に続く e と π が虚数単位 i で結ばれて、e を iπ乗すると -1 になるという、目が覚めるような美しい驚嘆すべき式です。

 この式を、eiπ=-1 と書くか、または eiπ+1=0 と書くべきか、どちらが良いのか? どちらがスマートなのか? この思いは、かなり前の若い時からずっと私の頭の中にありまして、時々ふと思い出しては考えていました。

 そんな中、たまたま、吉田武著 『新装版 オイラーの贈物 人類の至宝 eiπ=-1を学ぶ』 (東海大学出版会 2010年1月第1版発行)を読んでいたら、235ページに次のような文章を見つけました。「こんなことまで、書籍の中で文章にする人がいる!」と思い、嬉しくて、そしてびっくりしました。


吉田武氏の文章(上記の書籍よりコピー)

 

 書名の副題にもありますが、この eiπ=-1 は、「人類の至宝」「人類の宝物」とまで言われています。

 ノーベル物理学賞受賞者のファインマンが言った言葉がこの本の第Ⅲ部の扉の裏にも書いてありました。参考までに、下に載せます。


ファインマンの言った言葉 「This is our jewel」!

 

(Uploaded on 10 December 2016)

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閑話休題 「誤解」


 ある漁港の防波堤の隅っこで、600mmレンズを三脚に据えて海のほうに向けていました。目の前の海面上に浮き上がってきたカワウがヒラメのような魚をくわえていて、ちょうど飲み込むところだったので、狙っていたわけではないのですが、何枚か撮影していました。すると、たまたま近くを通りかかった釣り人(老人)が、

 「ごくろうさまでーす。今日は多いですか」と。

 「多いですか」のあたりで微妙に顔をしかめたところがあったのですが、それを瞬時に読み取ることができなかった私は、

 「いいえ、すごく少ないです」

 「そりゃ良かったですねぇ」

ここで、だいたいのようすが分かってきましたが、流れに任せたほうがいいと思った私はそのまま、

 「いえいえ、たくさん飛ばないとシャッターが切れないので、鳥は多い方がいいですよ」と。

 「あ、お宅さん、鳥の人かね。てっきり(魚介類の)密猟監視員さんだと思ってましたよ」

 「 … 」

 そういえば今までにもこんなことがよくありました。あるお婆さんから、わけもなく丁寧なねぎらいの言葉を受けたあの時も、この日と同じように何か別の人と間違えられていたのかもしれません。鷹好きなので、100%勝手にタカを見ているだけで、他の人に褒められるようなことは何もありません。

 世間では思いもよらぬ誤解を受けてしまい、想像もしなかったような事態に発展してしまうことが時々あるそうです。上に書いたような好意的な人ばかりではありませんから、これからは、「私は鳥を見ています。野鳥の会の人間です」と、どこかに表示したほうがいいと思う瞬間もありますが、逆にこれは危ないものです。近くに来た人が鳥嫌いな人や鳥害に悩んでいる人、野鳥の会と利害関係があって会に恨みがあるような人だったら、かえってそれもよくないことです。

 

 ここからは山の話です。

 昔、双眼鏡を持って人のまったくいない山道を歩いていた時に、三人連れの男の人に会いました。オオルリ等を密猟する目的のようでした。自分の楽しみのために一羽だけを捕獲するというものではなく、商業的に売買する人たちのようでした。それは持ち物や道具で分かります。すれ違いざまにニコッと挨拶をしましたが、双眼鏡に目がいったようで、表情が急に変わりました。もちろん、私のほうから非難するようなことは言いませんが、こういう時、まずいことを言ってしまうと危険です。

 今では野鳥人口(野鳥を見る人や撮影する人の数)が多いので、双眼鏡や望遠レンズは市民権を得ていると思われますが、昔はそうではありませんでした。双眼鏡は何かを監視するもの、覗くものとも見られていました。

 保護区になっている県有林で山芋(自然薯)を掘っている人に会うことがしばしばあります。県の地域環境保全委員の私は、トラブルになってはいけないですが、何も言わないわけにもいかず、「去年、掘ったままの穴にはまって足を骨折した人がいますが、穴を埋め戻すことは可能ですか」と、優しく聞いてみたら、その人はニコニコしながら、「ハハハ。そんな埋め戻す暇があったら、誰でももう一つ穴を掘るよ…」と。「そうですか。ではお気を付けて」と言って、話を終えました。

(Uploaded on 6 September 2016)

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私たちの 「鳥見の風土」


 下の文章は、1982年春に講談社から出版された「鳥についての300の質問」の中で、ペンギン博士で有名な青柳昌宏さん(1934~1998)が「訳者あとがき」として書かれた文章の一部分です。


青柳昌宏さんの1982年の文章

 

 この文章が出てから34年になりますが、現在の鳥見の風土はこの頃と何ら変わりはなく、少しも進歩していないようです。

 まず、珍鳥についてです。今は1982年の頃と比べれば、鳥の数そのものがびっくりするほど少なくなっていますので、昔はそれほど珍しくなかった鳥が、今では珍しい鳥の部類に入ってしまいました。たとえば30数年前の鍋田干拓(愛知県)では、ヨシゴイはごく普通に多く見られる鳥でしたし、シマアジが繁殖した年もありました。セイタカシギやツバメチドリもごく普通の鳥で、いつ鳥見に出かけても見ない日がないほどでした。干拓地近くの干潟や干拓地の淡水で見られるシギ・チドリの数も桁数が違うほど多くいました。エリマキシギの雄夏羽もちょくちょく水田で見られ、それほど珍しくはなかったです。海近くの干拓地でありながら、あたかも山間の高原のようにカッコウがたくさん来て、オオヨシキリに托卵している年もありました。

 今では、一人で探し回っていても昔ほどの鳥を見ることはなかなかできません。誰かからの情報がないと多くの種類を見ることができなくなったというのも事実です。私も見たい鳥がまだまだありますから、珍鳥を見に行くことを否定はしませんが、珍鳥を追いかけるだけでは鳥見の楽しみのかなりの部分を損しているような気がします。身近な鳥の生態をじっくりと見ることや、ある一種の鳥の生態をしっかりと観察することによって初めて見えてくるものがあります。そうしないと見えてこないものがあります。

 カメラマンについてのくだりは、この文章の書かれた頃よりも今のほうがひどくなっています。撮影機材が良くなって、誰でも美しい写真を撮ることができるようになったことや、経済的に余裕ができて自由に使える時間が多い人が増えたこと、珍鳥等についての情報がメールや携帯で入りやすくなったことなどが一因でしょう。私もキヤノンの600mmF4を使っていますので、他の人から見れば一人のカメラマンですが、このレンズを買った目的は、

〇 肉眼では点のようにしか見えない遠くのタカ類を個体識別したい。
〇 春がすみや逆光等の悪い条件下でもタカ類の風切・尾羽の欠損のようすや雌雄成幼・型などの個体情報が欲しい。

というものです。

 青柳さんの「ゆったりと、くつろいで…、素朴な疑問に答えを…、共感を得て… 」というあたりはほんとうに重要なことでしょう。昨今、「カメラマンはバードウォッチャーじゃないから…」という、あきらめともとれる言葉をしばしば耳にしますが、すごく残念なことです。カメラマンとバードウォッチャーと鳥類研究者の間に、線を引いたり壁を作ったりはしたくないです。青柳さんの34年前の文章は、今読んでも考えさせられる含蓄のある文章と思います。

(Uploaded on 14 July 2016)

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先輩から聞いた老化の話


 長い間、いろんな意味ですごくお世話になった先輩から聞いたお話です。その方がおっしゃるには、

 「人は毎年一歳ずつ歳をとるんじゃないのです」

 「うーん、おおざっぱな言い方をすると、例えば10年ごとに10歳ずつ歳をとるのです」

 「人の老化は階段を一段一段と下るように進んでいくのではないです。エレベーターのワイヤーが切れたように、ある時ストーンと老けるのです」

 ワイヤーが切れるのは大きな病気をした時や、思いがけない出来事でショックを受けてしまった時などだそうです。でも、こうもおっしゃいました。

 「ある程度、老化を遅らせることはできます。生活のしかたとものの考え方しだいですよ」

×      
老化は一段ずつ進むのではなく、ワイヤーの切れたエレベーターが落ちるように進む

(Uploaded on 21 March 2016)

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73年前の野鳥写真 下村兼史著 『カメラ野鳥記』


 下村兼史著 『カメラ野鳥記』 は、1952年(昭和27年)に誠文堂新光社から発行されました。当時の定価は250円でした。25年ほど前に手に入れて時折読んでいます。なかなか興味そそられる本です。

 下村兼史氏は私が鳥を教わった先生の大の親友でもあって、長いつきあいだったそうなので、この先生から下村氏の一生懸命さやエピソード、人柄をたくさんお聞きすることができました。

 

 この本のはしがきに、こんなことが書かれています。

 「私という人間は、空費する多くの時間を背負ってこの世に現れてきた、いわば案山子のような人間かもしれない。ただ私が案山子と違うことは幸いにして目を持っている。…」

 うなずけます。鳥をやっている人にはたしかに無駄な時間が多いものです。貴重な「無駄な」時間ですので、突き詰めて考えてみると何が無駄かはよく分かりませんが…。

 

 はしがきには、こんな文章もあります。

 「新しい事実を発見することは甚だ愉快なことである。だが珍奇なことばかりを望んでそれに挑むのは自然に対する冒涜である。そう何処にでもたやすく珍現象や特種が、ころがっているはずもない。それを強いて望めば、どうしても誇張や虚構が現れてくることになる。…」

 私もそう思います。珍しい鳥ばかり追いかけなくてもよいと思います。珍鳥もその本来の生息地へ行けばそこではごく普通種という場合が多いものです。時にはやや珍しい鳥もよいのですが、普通種の生態観察はけっこうおもしろいものです。

 

 さて、この本の記事は、1940年6月から始まります。今から75年前の話です。最初の文章は慈悲心鳥(じひしんちょう)、つまりジュウイチの托卵の話です。これがすごくおもしろいのです。


1942年撮影のジュウイチの托卵

 

 杜鵑類の托卵についてはすでにこの時、広く世に知られていたのですが、細かな観察記録や映像はなく、当時の人たちの頭の中にはさまざまな想像や妄想が入り乱れていたようです。たとえば、小さな小鳥の巣の中に大きな杜鵑類がどのような姿勢で卵を産んでいるのか。ひょっとしたら、地上で産み落としたものを口の中に入れて巣まで運ぶのか。その時の想像図までいろいろあったようです。実際は上の写真の上から2枚目のような体勢で卵を産み落とすそうです。

 また、コルリの巣に托卵するジュウイチの撮影をしていると、撮影に行くことのできない雨の降る日の夜に限って卵がしばしば盗まれたそうです。下村氏の想像は膨らんで、さらにいろいろ調べているうちに、ツツドリの雛を捕る職業というか「仕事」が存在することに行き着きます。本文中に、こんな記述があります。

 「…。いったいツツドリの雛などをとって何になるだろう。それは杜鵑類の鳥を一括してホトトギスの黒焼きといってかなり高価に売れるからであった。…」 

 この、「黒焼き」については事実であったようですが、卵を盗った実際の犯人は大きなゴロタ (ヒキガエル)で、雨の日の夜に巣の前に現れてツツドリの雛を飲み込んでいたということです。ヒキガエルが巣の前に近づくとツツドリの雛は喜んで体を乗り出してくるので、ヒキガエルは雛をいともたやすく飲み込むことができたとのことです。下村氏が見回りに行けなかった雨の夜に下村氏が雇った人夫がそれを目撃して、唾液でどろどろになったツツドリの雛とゴロタを証拠として持ち帰ったそうです。

 現在の私たちも、タカ類・ハヤブサ類の巣の上の雛が突然消えた時に、ついつい密猟を疑ってしまいます。でも、実際はそうでない場合が多いようです。たとえば雛が何らかの原因で急死して、親鳥が雛の死体を足に持って巣の外へ捨てにいったとか、ハシブトガラスやアオダイショウに雛が捕られてしまった、他のタカに雛が捕食されてしまったなど、いろいろなケースがあるようです。

 

 今はデジタルカメラや超望遠レンズなどの機材の性能がひじょうによいです。IS手ぶれ防止機能とかAFオートフォーカス、明るく軽く切れのあるレンズ、超高速シャッター、高くても粒子の荒れないISO感度、毎秒10コマの連写、RAW撮影と簡単な画像補正、撮影可能枚数の多さ、機材の価格の安さなど、昔はどれもなかったものばかりです。おかげで、どんな腕のよくない人でもきれいな鳥の写真が撮れてしまう時代になりました。73年前の機材や写真乾板のことを考えると、当時の撮影はかなりたいへんだったように思います。

 本文中に、たとえば次のような記述があります。私にはよく分からない部分がありますが、興味をお持ちの方もあると思いますので、書き記しておきます。1922年は大正11年で、今から93年前です。

 「こうして私の生態写眞の原板第一号ができたのであった。もちろんそれは手札のガラスの原板である。私の撮影手帖には、『No.1 カワセミ 1922年1月5日 夕方 タロー・テナックス ゴルツドグマー F4.5 1/5 乾板=ウエリントン、アンチスクリーン』とある」

 大正15年、有明海の干潟での撮影では、次のように書いてあります。

 「No.601 ハマシギの群飛 1926年10月25日 正午 イーストマン・グラフレックスカメラ(手札型) ルオテレアナスチグマット 絞りF/10 露出 1/400 イムペリアルエクリプスオーソ乾板」

 全部書いていたらきりがありませんが、昔の本はかなりおもしろいです。読み進むごとにわくわくしてきます。有明海のシギ・チドリの撮影旅行のようすはことのほか新鮮に感じました。満潮干潮の時刻も簡単には分からなかったようで、今だったらこういうふうなんだけど、あの頃はそういうふうだったのかな…と思いながら読むところばかりです。

 野鳥の関係では大正から昭和初期に出版された書籍がおもしろいと思います。これからも、昔の本を紹介していきます。 

(Uploaded on 14 December 2015)

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竹林 広がる


 竹林がものすごい勢いで広がってきています。どんどん増殖して、繁茂し、その面積を拡大中です。車を運転していても、電車に乗っていても、いたる所で竹林が見られ、「この竹やぶって、ほんとうに必要なの?」 と、ついつい思ってしまいます。そのいう目で気にしながら見てしまうということもあるのですが、やはり多すぎるような気がします。

 昔は土地所有者がしっかり手入れをし、竹やぶが広がってしまう前に切っていました。私が若い頃まで、私の自宅脇にも竹やぶがありました。隣近所の8世帯の農家が共同で使っていました。もちろん分筆されていて、登記簿上もしっかりと線は引いてありましたが、境界線がどこで、どの部分がだれだれの土地という意識はなく、ほぼ好きなように自由に切って使っていました。 稲の架やエンドウの支えなどの農作業、お祭りなどの年中行事、子どもたちの遊び道具作りなど、必要に応じて必要な太さ・長さの竹を勝手に使っていました。

 宅地や畑の中にタケノコが伸びてくれば、すぐにその周りを掘って、根を切って処分していたものです。竹林が広がるとやはり困るからです。ところが、そういう処分をせずに新しく「進出」してきたタケノコをそのまま放置すれば、

 ・ 地下茎が目に見えないところで勢力を伸ばしていく
 ・ 地上に現れた部分だけ切っても、根はしつこく残っている
 ・ ユンボで掘り起こして、丸ごと土を処理するくらいのつもりで根を完全に処分しないとなくならない
 ・ その結果、竹林の面積がどんどん広がってしまう

 ということになります。雑木林の植物の生態系が乱れ、ヤブ蚊が発生しやすくなり、よいことは何もないです。しいて言えば、自宅の窓越しにヒメボタルを見ることができたことぐらいですが、それも、薮の中に水がたまっていたためであり、衛生的にはけっしてよいわけではありません。

 竹林が広がらないようにするには人手が必要です。しかし、高齢化・過疎化・人口流出・若者の多忙化などで、人手は減る一方です。何年も何十年も放置されて、もう手が付けられないほどに竹林は広がっています。雑木林の隅のわずかな竹林、必要に迫られて民家の脇にあえて作っておいた少面積の竹林が、下の写真のように、いつの間にやら山の斜面を這い上がっているという光景が全国各地で見られます。

 


昔…柿畑、今…雑木林。ここでは竹林がどんどん広がっている。

 


低い尾根ですが、尾根近くまで竹林が広がる。

 

 「里山が荒れている」 と言われ始めて、かなり経ちます。民家周辺、里山、雑木林で竹林が、人の意に反してどんどん広がっています。

(Uploaded on 20 May 2015)

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イノシシと クズと ネムノキ


 NHKの連続テレビ小説 「まれ」 の舞台、石川県能登半島へ、去年の7月、タカを見に行きました。山間部の細長く連なる水田の脇の舗装道路に車を止めて見ていました。巣立ったばかりのノスリの幼鳥が、ぎこちない飛び方ですが、何度も何度も短い距離を飛んでいました。飛行後、木の枝にとまろうとして左足をツルンと滑らせ、着陸をやり直したりするほどでした。飛行術は、慣れればすぐに上達するのでしょうが、私はひやひやしながら見ていました。

 タカを見ていて、周りの風景で気がついたことが3つありました。

 (1) 水田に電柵が一つもない。この地区にはイノシシはいないのか?
 (2) クズがやたらと大きく生長して、周りの樹木に覆いかぶさっている。ヤブガラシが都市公園の垣根のツゲに覆いかぶさって、皆、枯らしてしまっているような感じです。
 (3) ネムノキが多く、あちこちにたくさん花が咲いている。


多くの中低木がクズでびっしりと覆われている。手前はネムノキ、左下は水田とあぜ道。

 


クズに覆われてしまった樹木。かなり枯れている。

 

 たまたま通りかかった、近所に住むという老人に話を聞きました。

 「イノシシは多いよ。被害もたくさんある。…でも、電柵はお金がかかる。というよりも、そもそもこの地区には電気が来てないからねぇ」

  (あっ、そうか。周りを見ても、電柱や電線が一本もない! と、その時初めて気が付きました。日頃、電柱や電線が景観を壊していると何度も言ってきたのに、老人に言われるまで、この地区に電線がないことに気がつかなかった…)

  (電柵の電源は電池のところもありますが、電池はやはり世話がかかる?)

 「こんなに枯れちゃうと気の毒だよねぇ。クズは切りたいけど、年寄りばかりで人手がない。あぜ道や道路脇の草刈りをするような余裕も、体力も、気力も、暇も、なーんもない」

  (う~ん、ここにも過疎化・高齢化の波が大きく押し寄せていました)

 「ネムノキはいいねえ」

  (私も、ネムノキの花や葉は好きです)

 

(Uploaded on 15 April 2015)

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(夏の閑話2) 歯磨きのペースト


 下の写真は、ラ〇オン株式会社の歯磨き(歯磨きペースト)の原材料や添加物等の成分表示です。特にコメントはしませんので、見ていただければと思います。


成分表示

 

 さらに、この表示のほかに次のような注意事項も書かれていました。


注意表示

 

 「目の中」と「口の中」の違いは分かっているつもりですが、目に入ったら医者に行かなければいけないことがあるものを、口の中に入れて磨いているんですね。もし、ペーストを使うなら、よほどすすぎをしっかりしないと体の中に入っていってしまうので、よくないですね。

 

 もっとも、ハム・ソーセージ等や、コンビニで売っている多くの食品に入っている「亜硝酸ナトリウム」のほうが、私はうんと怖いのですが…。亜硝酸ナトリウムはごく普通に使われているのに、「劇物」 で、「致死量は約2g」 と言われています。   

(Uploaded on 11 July 2014)

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(夏の閑話1) サランラップの幅


 今日は突然ですが、食品用ラップフィルム(商品名サランラップなど)の話です。一般的によく売られている食品用ラップは幅が30cmのものです。ところが、私が使うことの多いケースは、下の写真のように、例えば紅茶のふた代わりにしたり、あるいは果物の切り口に当てて冷蔵庫に入れたりするというものです。


紅茶のふたとバナナの切り口

 

 お皿や鍋にラップする時は30cmの幅が必要ですが、上の場合、30cm幅では余ってしまい、たいへんもったいない気がします。最近は22cm幅とか15cm幅のものも近くの店に時々出回っています。私は15cm幅のものがけっこう重宝しています。一番需要の多い30cm幅のものは安売りセールをよくやっていて、ごく普通にかなり安く買うことができます。しかし、当然のことながら15cm幅のものは買う人が少ないので割高です。下の写真の短いものは幅15cm×長さ20mのラップです。


30cm幅と15cm幅のサランラップ

 

 

 7月7日現在、アマゾンの通販でそれぞれ長さ20mのものを1個ずつ買うと、

  幅30cm×長さ20mのサランラップ1本 … 税込み 176円
  幅22cm×長さ20mのサランラップ1本 … 税込み 666円 !!
  幅15cm×長さ20mのサランラップ1本 … 税込み 203円 ! です。

 スーパーやドラッグストアでの買い方によっては当然逆転することもありますが、こういうことは経済学の常識でしょう。15cm幅のものは30cm幅のものに比べて、とても半額どころの話ではなく、むしろ逆に高くなっています。さらに、買う人の少ない22cm幅のものはびっくりするほどの価格です。愛知県〇〇〇市での安売りセール価格例は、幅30cm … 税込み 138円、幅22cm … 税込み 149円、幅15cm … 税込み 160円などです。客寄せのための特別販売とか半値セール、見切り品セール、デザイン変更に伴う安売り等の場合は、うんと安いものがあります。

 細かい金額はどうでもよいのですが、さて、私たちはどれを買うとよいのでしょうか。サイフの問題の他に、資源や原料のこと、製造時のエネルギーのこと、運送や流通のこと、スーパーの仕入れのこと、ゴミのこと、また、誰がどう儲けるのか、自然や私たちの環境のためにはどれがよいのか…。考えるべき側面はいっぱいありそうですが、「いっさい使わない!」、「できる限り使わない!」 または、「焼却時のことを考えて、違う素材のラップを使う」 という考え方も一つの選択肢として考慮に入れながら、一度考えてみる必要がありそうです。

 

 【使い方の例】 付箋(ふせん。商品名 住友スリーエム社の Post-it など) は12.5mm幅のものをよく使いますが、普段はカッターナイフとか押切りで3つに切って、約4mm幅にして使っています。こうすると当然3倍使えます。書き込みをしない時にはこれはよい方法です。もったいないとかケチとかいうのではなくて、自然保護だと思ってやっています。手先が器用な人で、技術があれば、食品用ラップフィルムも半分の幅に切って使うことができるでしょう。容器は市販の15cm幅のものを何度も繰り返して使うことができます(私はまだやっていませんが…)。  

(Uploaded on 7 July 2014)

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今年はイスカの 当たり年!


 2013年の秋は各地のタカの渡り観察ポイントから、イスカ Loxia curvirostra の渡り情報が伝えられています。11月8日、私が観察しているポイントでも数群のイスカが渡りました。約20、30、20、20、30羽の5群を見ました。一緒に観察していた人が、樹木の向こうを飛んだのを見たとか、低いところを飛んだのを見たという数も含めて合計約180羽でした。時刻はおおよそ9時から10時半にかけてでした。鳴き声はアトリの 「キョッ」 を濁らせたような 「ギョッ」 で、飛びながらよく鳴きました。群れの中の多くの個体が同時に 「ギョッ」 「ギョッ」 と鳴くので、やかましいように聞こえることもありました。快晴の青空バックに赤色と黄色(黄緑色)が交じってパラパラパラッ…と飛ぶのは何年ぶりでしょうか。なんともいえない快感です。

 撮った画像を丹念に調べましたが、ナキイスカらしき個体はいませんでした。

 イスカの渡りは毎年必ず見られるというものではなく、私は数年に1回程度しか見ることがありませんでした。今年はイスカの当たり年ですね。ただ、今までの当たり年では、冬期、私の自宅近くの雑木林や観察に行った山で、イスカはまったく見られませんでした。愛知県を通過して、もっと南の四国や九州方面まで渡っていってしまうのでしょうか。それとも、限られた針葉樹林にしか棲まないのでしょうか。

 


快晴の青空をバックに飛ぶ鮮やかなイスカ。2013.11.8 愛知県。EOS70D、400mmF5.6

 

 2010年の文章ですが、 【 タカ類・ハヤブサ類の渡りを彩る 小鳥たち 】 も、ぜひご覧ください。

(Uploaded on 10 November 2013)

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雨が降ったら… (2)


 2年半前の、「雨が降ったら… (1)」の続きです。あの時もそうでしたが、雨が降ると今でも嬉しくなり、なんとなく傘をさして歩きたくなります。大粒の雨の時と小雨の時とで異なり、楽しみも様々です。車の中にいる時は屋根に当たる見えない雨滴を想像します。雨粒が風に流されるからでしょうか、いつも一様に落ちてくるのではなく、タタタタやタンタンタンタンが時々慌てたようにタンタンタタタタやタタタンタンタタタタとなったり、樹の枝葉から少し大きな雨塊がボタッボタンとのしかかるように落ちてきたり…。車の中からは見えませんが、何が当たってくるのか想像して識別するのが楽しいです。

 


フロントガラスに当たる雨。上から下へ一条の筋が頻繁に走る

 今の車のフロントにはシリコンワイパーを使っていますので、フロントガラスに降る雨は、いつもまんまるの雨滴になります。その雨滴と雨滴のなかを上から下へ一条の筋が走ります。 「次はここから落ちる」と予想して指をさしても違うところから滴(したたり)り落ちます。1つか2つ先手を取られてから、意中の雨滴がやっと落ちていきます。ピタッと当たることは稀れですが、たまたま当たるとなんとなく嬉しくなってしまいます。

 ドアの窓ガラスにはサイドバイザーがあり、シリコンは使っていないので、こちらの雨滴はいつも脇役です。細い縦すじを何本も何本も引いて、小さく静かにしかも頻繁に落ちていきます。落ち着かなくて、なんとなく、ちょっとかわいそうな気がします。

 フェンダーミラーにつく雨滴はめったに落ちてきません。ここの雨滴は駐車中も運転中もいつも邪魔です。以前、市販の専用オイルを塗ったことがありますが、後方視界の 「画質」 がひじょうに悪くなりました。だから、今は使っていません。

 余談ですが、雨と車と傘は相性があまりよくないようです。強風と大雨でベタベタ・ドボドボに濡れた傘をたたんで車に乗ろうとしたとき、皆さんは傘をどうしますか。助手席の足下に置くしかないですよね。その時、ハンドルは濡れるし、変速ギアのノブも濡れて、ドアの内側も濡れます。後部座席においてもいいですが、ドアを2枚も開けなくてはいけなくなります。自動車会社さん、何かよい方法はないものですか? 傘をドアの内側に収納するスペースをつくるとか、1.3億人の中にはすごいアイデアマンやアイデアウーマンがいるはずなので、いろいろ工夫できるんじゃないかな…と思うのですが。

(大雨で洪水の被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。また、少雨のため水源の貯水率が下がり、節水対策を余儀なくされた方にもお見舞い申し上げます。地域によって雨の降り方はバラバラです。もともとそんな降り方だったのですが、「暴走する人類」 にとっては、こういうことも大きな脅威になってしまいます!)

(Uploaded on 1 October 2013)

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ハシボソガラスとハシブトガラス シルエットでの識別法


 その気でやればたいしたことはないのに…、本気で取り組めばそれほどのことではないのに…。だらだらと手を付けず、ずっと放っておいたものがあります。それは、飛翔中のハシボソガラス Corvus corone とハシブトガラス Corvus macrorhynchos のシルエットによる識別です。しっかり見てみると、この2種はけっこう形に違いがあります。飛び方にも違いがあります。たくさん出ている図鑑の中でいちばん参考になったものは、日本鳥類保護連盟の「鳥630図鑑」(1988年3月発行)でした。以下に識別表を載せます。

  飛翔中のハシボソガラスとハシブトガラスのちがい(Ver.1)

視 点 ハシボソガラス ハシブトガラス
翼 の 形  ブトよりも相対的に短く、幅広い  ボソよりも相対的に細長い
尾 の 形  ブトよりも相対的に短い  ボソよりも相対的に長く、先に丸みがある
頭の突き出し  ブトよりも相対的に少ない  ボソよりも相対的に多い
ソアリング・グライディング  あまり、しばしばしない  しばしば、する
くちばし・おでこ  嘴は細い。嘴と額に段差(角度)がほとんどない  嘴は太いものが多く、嘴と額に激しい段差(角度)がある
鳴 き 方  「ガァーガァー」が多い  「カァーカァー」、「アーアー」が多いが濁ることもある
大 き さ  オオタカ♂くらいの大きさ。ハヤブサ♀くらいの大きさ  ボソよりも体が一回り大きい。オオタカ♀くらいの大きさ
そ の 他     翼をあげたまま浅く羽ばたくことがある
(参 考)  頭を上下させて鳴くことが多い。鉄塔にも巣を作る。地上にものを落として割ることがある。車のタイヤでクルミを割らせることがある。電線にぶら下がることがある。  石けんやろうそくを食べることがある。

 上空を飛んでいるカラスが、ハシボソガラスなのかハシブトガラスなのか、最近、くちばしやおでこが見えなくてもある程度は分かるようになってきました。でも、まだまだ不十分で、いつも分かるわけではありません。下の図版は、上記図鑑の 307ページにあるもので、佐野裕彦氏の絵です。

 

 
ハシボソガラス Corvus corone (左) と ハシブトガラス Corvus macrorhynchos (右)
日本鳥類保護連盟の「鳥630図鑑」(1988年)より

(Uploaded on 14 May 2013)

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小形シギの主食は バイオフィルムだった


 「バーダー」 2013年4月号(2013.3.16発売)に、記事「シギ・チドリ類は干潟で何を食べているの?」 (文・写真 桑江朝比呂さん)が載っています。

 私のおすすめは、
(1) まず、下の文章(1月に書いたもの)を読む。
(2) 次に「バーダー」4月号の記事を読んで、論文の全体像をつかむ。
(3) 一番下のリンク先にある pdf ファイルで、論文を読む。

---------------------------------------------------

 独立行政法人 港湾空港技術研究所 沿岸環境研究チーム、桑江朝比呂さん・三好英一さんの論文、「鳥類の食性の探究による干潟生態系の保全と再生」を、昨年12月に桑江さんから論文の抜刷を郵送していただき、読みました。鳥類の研究について、さまざまな分野の方がいろいろな研究機関でがんばっていらっしゃるんだなと思いました。

 この論文のメインはタイトルにあるように、「小形シギの主食は、バイオフィルム(biofilm)である」ということです。

 バイオフィルムとは、「堆積物や付着基盤の表層に形成される微生物やそれらが体外に放出した粘質多糖類で構成されたごく薄い層。干潟堆積物や岩礁、港湾構造物の表面など水圏に遍在する。」と説明されています。私たちが双眼鏡やスコープで観察していると、小形のシギは干潟の泥を食べているように見えたり、泥の中の小さな生物を食べているように見えたりしますが、実はバイオフィルムそのものを食べていたようです。ムツゴロウのようなハゼ科の生き物もバイオフィルムを食べているのでしょうか。この論文の一番伝えたいことは下の図でかなり伝わってきます。教科書が書き換わるような結論です。

 


この論文の一番伝えたいこと … (左と右を比べてください)

 

 この論文は、Webページの、【 港湾空港技術研究所報告 051-03-01 】  から pdf ファイルで読むことができます。全画面で見たい方は、Shift キーを押しながらマウスを左クリックしてください。シギチ ファンのみならず、ぜひ皆さんに閲覧をお薦めします。

(Uploaded on 16 March 2013)

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川名国男氏著 『 ミゾゴイ ~その生態と習性~』


 川名国男さんの文・写真で、『 ミゾゴイ ~その生態と習性~』が発行されました。ISBN : 4990645601、第1刷発行日は、2012年5月15日。サイズは 20.8 x 14.8 x 1.2 cm。168ページ。自費出版で、定価は 1,500円です。私は、Amazon で購入しました。

 


川名国男著『ミゾゴイ』

 書籍の内容紹介には、

・ 本書の特長。
・ 初めて明かされたミゾゴイの生態。
・ 写真336枚、図表20枚を使用し、生態を分かりやすくまとめました。
・ 渡来に始まり、巣作りから抱卵、ふ化、育雛、巣立ちまでの生態、さらに営巣樹、繁殖率、営巣地の保全、和名の新説など豊富な内容です。
ミゾゴイはこれまで夜行性の鳥とされてきましたが、詳細な調査結果から昼行性の鳥であることを明らかにし、鳥類生態学における新説の普及を図り、研究経過を記録にとどめました。
・ 今まで不明であった生態の一面を明らかにしたことにより、希少種の保護を図るうえで大きな意義があります。

… と、書かれています。

 かつて、愛知県瀬戸市や豊田市、春日井市などでミゾゴイを見たことがありますが、ほとんどが夜明け前や早朝に暗い林道を走っている時に車の前照灯が照らし出した歩くミゾゴイばかりでしたので、私も、この鳥はてっきり夜行性だと思っていました。でも、昼行性の鳥だそうですね。確かに、5月の朝8時過ぎにも鳴き声を聞いたことがあります。

 この本は、ミゾゴイに関するすばらしいモノグラフです。これから、いろいろな種類の鳥について、このような形の本が出されることを願っています。今年の正月に、本ページで、今年の初夢 すべてのタカ類・ハヤブサ類の monograph を書きました。よかったらこちらもご覧ください。

(Uploaded on 1 August 2012)

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『ゾウの時間 ネズミの時間』から20年


 19年前にビッグセラーになった、『ゾウの時間 ネズミの時間』の著者、本川達雄氏の『生物学的文明論』(新潮新書 423)が2011年6月、新潮社から出版されました。ISBNコード: 978-4-10-610423-7、248ページ、税込777円です。

 


本川達雄氏著『生物学的文明論』

 表紙カバーの裏には、「豊かな海をはぐくむサンゴ礁にも、日夜潮だまりで砂を噛むナマコにも、あらゆる生きものには大切な意味がある。それぞれに独特な形、サイズとエネルギーと時間の相関関係、そして生物学的寿命をはるかに超えて生きる人間がもたらす、生態系への深刻な影響…。技術と便利さを追求する数学・物理学的発想ではなく、生物学的発想で現代社会を見つめ直す画期的論考。」と書いてあります。

    『生物学的文明論』の目次

  第1章 サンゴ礁とリサイクル
  第2章 サンゴ礁と共生
  第3章 生物多様性と生態系
  第4章 生物と水の関係
  第5章 生物の形と意味
  第6章 生物のデザインと技術
  第7章 生物のサイズとエネルギー
  第8章 生物の時間と絶対時間
  第9章 「時間環境」という環境問題
  第10章 ヒトの寿命と人間の寿命
  第11章 ナマコの教訓

 私は、第5章からぐっとおもしろくなってきました。終わりのほうで定年退職後の生き方にも触れて、最後、再びナマコに戻ります。

 参考までに、『ゾウの時間 ネズミの時間 -サイズの生物学-』(中公新書 1087)は、今から19年前の1992年8月に中央公論社から発行されました。230ページ、税込価格714円です。この本は、当時大きな話題になり、多くの人の考え方に影響を与えたようです。さて、この本の巻末に、下のような歌が紹介されています。

    一生のうた

1 ゾウさんも
  ネコも ネズミも 心臓は
  ドッキン ドッキン ドッキンと
  20億回 打ってとまる

2 ウグイスも
  カラス トンビに ツル ダチョウ
  スゥハァ スゥハァ スゥハァと
  息を 3億回 吸って終わる

3 けものなら
  みんな変わらず 一生に
  1キログラムの 体重あたり
  15億ジュール 消費する

 どうですか? けっこうショッキングな歌ですよね。でも、この20億回とか3億回というのは、あくまでも生物学的な数字です。だから今日、あなたがハアハアと息せき切って走り回ったからといって、その分だけ早く20億回に達してしまうので「早死にしてしまう!」というものではありません。そんな単純なものではないです。

 表紙カバーの裏には、「動物のサイズが違うと機敏さが違い、寿命が違い、総じて時間の流れる速さが違ってくる。行動圏も生息密度も、サイズと一定の関係がある。ところが一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギー使用量は、サイズによらず同じなのである。本書はサイズからの発想によって動物のデザインを発見し、その動物のよって立つ論理を人間に理解可能なものにする新しい生物学入門書であり、かつ人類の将来に貴重なヒントを提供する。」と書いてあります。

    『ゾウの時間 ネズミの時間 -サイズの生物学-』の目次

  第1章 動物のサイズと時間
  第2章 サイズと進化
  第3章 サイズとエネルギー消費量
  第4章 食事量・生息密度・行動圏
  第5章 走る・飛ぶ・泳ぐ
  第6章 なぜ車輪動物がいないのか
  第7章 小さな泳ぎ手
  第8章 呼吸系や循環系はなぜ必要か
  第9章 器官のサイズ
  第10章 時間と空間
  第11章 細胞のサイズと生物の建築法
  第12章 昆虫―小サイズの達人
  第13章 動かない動物たち
  第14章 棘皮動物―ちょっとだけ動く動物

 この本は、私にとっても刺激的な本でした。若い方で、まだ読んでない人には、ぜひお薦めします。

(Uploaded on 17 July 2011)

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雨が降ったら…


 6月になりました。愛知県では、例年6月初旬に梅雨入りしますが、今年は5月27日に梅雨入りしました。これから、しとしとと雨の降る日が続きます。各地で大雨や洪水等の心配がありますが、この雨がないと、稲などの生育に大きな影響が出てきて、日本中が困ることにもなります。

 雨が降ったら…。雨音を鑑賞することがあります。雨の強さや当たるものによってさまざまな音が聞こえてきます。雨が弱い時は、傘をさして、ぽつぽつという音を聞くのもよいものです。水田や水たまりに次々と落ちる雨滴の文様を見るのもよいです。濡れた草や木の葉のみずみずしさにはしばしば魅せられます。落ちてくる雨の軌跡を見つめるのもよいです。ちょうど、歌川(安藤)広重「東海道五十三次 庄野 白雨」のような感じです。


歌川広重「東海道五十三次 庄野 白雨」

 山の植物たちは喜んでいるだろうなと想像してしまいます。オオタカのヒナたちはずぶ濡れできっと寒がっているだろうなと想像します。一面に広がる水田が水で満たされるところを想像するのは爽やかです。

 娘がくれた水色のハンカチーフをポケットに入れて、骨が折れていない傘をさします。時々、傘をさして近くの耕地へ野鳥を見にいきます。雨が降って、いやだとはあまり思いません。

 風が吹いたら…。髪がみだれてしまうからあまり好きではありません。しかも、歩きにくいです。黄砂が大気中に充満したり、花粉が飛んでくるような気がしたりします。

 でも、先日、久しぶりに近くの公園の松林で「松風」を聞きました。私にとっては、30年以上、久しく忘れていた音でした。これとはちがう日でしたが、5月の薫風は、やはり気持ちのよいものでした。おまけに、風が吹けば汚い空気が吹き飛ばされることもありますね。こんなことから先月、風に対する印象が変わってきました。風は奥が深いですね。

 台風が来たら…。中学生だったころ、私は天文少年・気象少年でした。そのころは、〇〇大学防災研究所に入ろうと思って勉強をしていました。ある年の日曜日、台風が私の住む地方に近づくということで、中学校からブルドン管気圧計を借りてきて、時間による気圧の変化を観測したことがあります。ちょうど台風の目にすっぽりと入って、それはそれはきれいな形のグラフが描けて、満足しました。目の中に入った時は、よく言われているようにしだいに青空が広がり、風がやみました。そして、数十分後?だったでしょうか、にわかにくもりはじめ、暴風が吹き荒れました。その時の雲の速い動きは今もよく覚えています。

 (季節は飛びますが) 雪が降ったら…。私の住む地域には、年に数回くらいしか雪が降らないので、多くの場合、喜びます。この年になっても雪はうれしいものです。まわりの世界が変わって見えるからでしょうか。雪が積もったら、ものさしで深さを測り、日記につけます。一番うれしいのは、山をバックにしんしんと降る大粒の雪、そして、朝起きたらいつの間にか積もっている雪です。豪雪地帯に住む方には申し訳ないのですが、愛知県に住むものにとっては、生活に変化を与えてくれる楽しみでもあります。

(Uploaded on 1 June 2011)

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「幼稚園児と大型犬」 のたとえ


 鳥を見て心の底から楽しめるのは、自分自身と周りが平和な時だけですね。このことが大震災でよく分かりました。

 3月11日(金曜日)の午後に発生した東北地方太平洋沖地震と大津波、それに引き続く福島第一原子力発電所の事故で被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。また被災により亡くなられた皆様のご冥福を心からお祈り申し上げます。親族の皆様には、お悔やみを申し上げるとともに、哀悼の意を表します。

 巨大地震と大津波だけでも未曾有の大惨事でしたが、原発の事故(人災)まで発生してしまいました。

 「マーリン通信」 にはタカやハヤブサを中心に生物のことばかり書いていますが、私は、理学部物理学科の卒業生で、素粒子理論を専攻していました。素粒子のほか、宇宙論、プラズマ、原子力、磁性体、現代数学などに興味を持っていました。大学での講義で特に印象深かったのが、タイトルに書いた、「幼稚園児と大型犬」 のたとえ です。私の尊敬している教授の講義の中で触れられたものです。それはこんな話でした。

 「人類が原子力発電をおこなうことは、幼稚園児が大型犬を散歩につれていくようなものだ。犬がおとなしいときは、小さな体の力のない幼稚園児一人でも楽しく散歩ができる。でも、いったん犬が興奮しだしたり、ぐいぐいと引っ張りだしたら、とても園児一人では手に負えない。園児ばかりが何十人と集まってきて押さえようとしても、犬はおとなしくはならないものだ。」  ……という話です。


デジタルグローブ ISISより

 大学を出て30数年がたちますが、それ以後、この話をことあるごとに友人や知人に話してきました。原子力発電には賛成できませんでした。原発やダムに頼らない生活スタイルを国民が作り上げていかなければならないと思いながら、その日その日の仕事の忙しさに負けて、何もせずに今まできてしまいました。悔やまれます。

(Uploaded on 21 March 2011)

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鳥を見て森を見ず


 5月中旬のある朝、自宅の近くにある雑木林とため池に、鳥を見にブラリと出かけました。車から降りて長靴にはき替え、リュックサックを背負ったところで、双眼鏡を忘れたことに気がつきました。家に取りに帰ろうかとも思いましたが、それもめんどうなので、双眼鏡なしで歩くことにしました。ため池のコイがちょうど産卵のピークで、池の端のヨシが生えている浅いところ数カ所で、バシャバシャと水しぶきをあげていました。水面につき出たアカメガシワの枝からは、2羽のカワセミが交代でチャポンチャポンと水中に飛び込んでいました。いつもだったら、双眼鏡でコイの口が見えるかなとか、カワセミはオスかなメスかな、背面の瑠璃色はきれいかな、などと見ていたはずです。しかし、この日は双眼鏡がないので、ずっと肉眼で見ていました。すると、自分でもよく分からないのでしたが、どことなく不思議な気がしてきました。コイもカワセミも池全体の、森全体の一部だという、ぼんやりとした感情がわいてきたのです。今まで、どうして双眼鏡の作りだす画像に固執していたのだろう。肉眼の画像はどうしていたんだろう。

 「木を見て森を見ず」のことばのように、最近は、「鳥を見て森を見ず」の状態だったのではないかと、はっと気がついたのです。双眼鏡で細かいところばかりを見て、望遠レンズで鳥ばかりを追っかけているうちに、つい、森全体のつながりを忘れていたような気がしてきました。双眼鏡や望遠鏡、カメラを否定するつもりは少しもありませんが、時にはこれらなしで、肉眼だけで鳥見に出かけるのも必要だなと思いました。
 以前、このホームページに、こんな文章を書いたことがあります。

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 タカの渡りを見ることはとても感動的で、楽しいことです。頭の中に、岬の地形全体を、日本列島の全体を、また、アジア全体を想像しながら見ると、また、違った意味で、趣があります。「木を見て森を見ず」と言われますが、その渡り版といったところでしょうか。「タカを見て渡りを見ず」ではちょっと寂しいですね。その気で見れば、風が見えるし、上昇気流も見えてきます。自分がタカだったら、「今日はこうしたいな」、「こちらからあちらへ渡るのになぁ」という感情が自然と出てきます。

 渡り全体のダイナミックさは、それに浸れば浸るほど感動的です。タカが渡るというエネルギー、タカの意志の力というものを、体中で感じることができます。そのためには、ほんとうは双眼鏡も望遠鏡も何も使わないのが一番です。だからというわけではありませんが、渡りの時期、私はなかなか写真を撮ることができません。というか、撮っている暇がありません。写真を撮っているとその間、タカを見ていないことになってしまいますし、この渡り全体の雰囲気を写真にどう表現していいのか、分からなくなってしまうからです。でも、時々は写真を撮っています。

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 -----から-----まで、再掲です。最近、この心を少しだけ忘れていました。

 さて、10月に愛知県名古屋市で生物多様性条約第10回締約国会議COP10が開かれます。会議の成果が得られ、開催地の住民にもよい影響が与えられることを期待しています。

(Uploaded on 1 June 2010)

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自宅で 勤務先で


 昨日、午前10時35分頃、勤務先でハチクマ2羽の渡りを見ました。ぐるぐると旋回しながら上昇し、最後は東の方へスーッと渡っていきました。新鮮でした。普通は、〇〇岬、〇〇崎、〇〇山展望台などでしか見ないものですが、思いもかけないところで見るタカは感動的です。そういえば今までもいろいろなことがありました。

 ・自宅上空をサンコウチョウが渡っていった。
 ・自宅で、夜、アカショウビンの声を聞いた。
 ・職場の運動会の最中に、地上30センチほどの高さでカワセミがグラウンドのど真ん中を横切った。
 ・職場上空で、サシバ30羽ほどの鷹柱が見られた。
 ・職場のガラスにいろいろな野鳥がぶつかった。ノゴマ5羽、センダイムシクイ、メボソムシクイ、エゾビタキ、サメビタキ、キビタキ(多数回)、オオルリ、ルリビタキ、オオヨシゴイ、ゴイサギ、ハシボソガラス、キジ、トラツグミ、モズ、コジュケイ、カシラダカ、ジョウビタキ、シロハラ、ハクセキレイ、ホオジロ、セグロセキレイ、ウグイス、メジロ、カケス、アオバト、ヤマシギ、カシラダカ、キジバト、スズメ、ヤブサメ、アオジ、ヒヨドリ等々、他にもいろんな野鳥。死亡した鳥が多かったのですが、中には放鳥できた鳥もいました。みんなが見ている中、3階の窓から放鳥すると、拍手喝采でした。

 当時、日本野鳥の会で販売していた(今も販売していますが)ハイタカをかたどったバードセイバーを一番よくぶつかるところへ取り付けてみました。効果があって、その部屋の窓にはまったくぶつからなくなりました。そこで、画用紙で作ったハイタカのバードセイバーをすべての部屋に一枚ずつ付けました。おかげでぶつかる小鳥の数は減少しましたが、「すべてのガラスに」付けることはできず、やはりぶつかる小鳥もいました。ガラスの数が多すぎて限界でした。

 ・職場へ持ち込まれた野鳥 … アカショウビン、ウミスズメ、セッカ、トビ、コチドリ、ケリ。この6羽はすべて生きていました。アカショウビンは3日ほど飼育し、愛知県弥富野鳥園へ持っていきました。

 上記の鳥、一羽一羽にそれぞれの思い出があります。有名な探鳥地ではなく、自分のフィールドで思いもかけずに見られた鳥はうれしいものですね。

(Uploaded on 28 May 2009)

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新緑 萌える


 2008年4月20日、愛知県瀬戸市へサシバの春の渡りを見に行きました。あいにく、午前中、サシバは現れませんでしたが、雨上がりの後で遠くまで見渡すことができ、新緑がモザイク状に萌えていました。きれいな景色を見ながら、イカル、トラツグミ、アカゲラ、センダイムシクイ、シジュウカラ、オオルリ、コジュケイ、キジなどの声を聞いてのんびりと半日過ごしました。

 


名古屋市守山区の東谷山 モザイク状に彩られた(直線距離で1.7km)

 

 


御嶽山 山頂の雲はずっととれなかった(直線距離で78km)

 

 


白山 まだまだ雪は多い(直線距離で104km)

 

 


能郷白山 くっきりと鮮やか(直線距離で77km)

 

 


名古屋駅周辺 背の高いビルが増えてきた(直線距離で22km)

(Uploaded on 4 May 2008)

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かなり白っぽい ケリ


 2007年3月10日、愛知県にあるY川の河口の干拓地にて撮影。


かなり白っぽい ケリ 

 私が発見した個体ではありません。教えていただいたものです。このケリは他のケリのペアーに追い払われて近くの田へ飛んでいきましたが、どこのケリもそろそろ繁殖期ですので飛んでいった先のケリにも追い払われて、また、よそへ飛んでいきました。なかなかじっとしていられないようです。今日は暖かく、そこらじゅうでケリのかん高い鳴き声がよく聞かれ、ひじょうに活動的なケリばかりでした。

(Uploaded on 11 March 2007)

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クグツ 考


 「クグツ」とは、小枝やテグスを使った、小鳥捕獲用のワナのことです。もちろん私は作ったことも使ったこともありません。あまり細かく作り方や詳しい写真を載せるとよくないので、ここではおおざっぱな話だけにします。


地上1mに作られたクグツ 

 2002年の冬、名古屋市の境界付近の雑木林を藪こぎしていたときに、林の中にほんの少し開けた場所があって、そこで偶然、仕掛けられていたクグツというものを見つけました。それが上の写真です。実に巧妙な作りで、細かなところまで神経が行き渡っているように感じました。私の想像では、年配のかなり凝り性の人が作って仕掛けたのではないかと思えるようなつくりでした。この日は、たくさん写真を撮りましたが、まねて作る人がいるとまずいのでHPに載せるのはやめます。

 クグツの原理や歴史について書かれた、永井正身氏の2つの文章を紹介します。まず、 【野生をたべる話】を読んでいただいて、一旦、「戻る」ボタンを押していただき、次に、 【クグツ文化遺産】を、読んでいただくと分かりやすいことと思います。

(すみません、いつの間にかリンク先が不在になっていました。今は読めません)

 なお、この狩猟法は、昭和14年発行の堀内讃位著『寫眞記録 日本鳥類狩獵法』や明治25年、当時の農商務省発行の『狩獵圖説』にも、載っていませんでした。

(Uploaded on 6 January 2007)

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マーリン通信 この7年


 1996年(平成8年)10月30日の「マーリン通信」開設以来、2003年4月5日にアクセス回数が5万件に達しました。皆さんのご訪問、ありがとうございました。音楽、映画、健康、スポーツなどのメジャーな分野とは違い、やや特殊な、範囲の狭いタカ類・ハヤブサ類専門のページですので、これだけ多くの方に見ていただけるとは開設当初は思ってもいませんでした。この6年5か月の間いろいろなことがあったことを思い出しました。

「マーリン通信」の経過
 日本野鳥の会愛知県支部の室内例会でお話をさせていただいていた時に、そのスピーチの資料としてデータや説明図などを1枚の紙にまとめ、コピーしてお配りしたことが始まりです。しばらくして「マーリン通信」と題して記事らしいものを載せ、この室内例会で配ったり一部の方々に郵送していました。私は小形のタカやハヤブサ類、例えばツミ、ハイタカ、コチョウゲンボウなどの洗練され尽くした俊敏な飛翔や目を見張るような狩りの技術が好きで、コチョウゲンボウの英語の名前から「マーリン通信」としました。  
  


室内例会での資料

 1996年1月からは「日本野鳥の会愛知県支部報」に月1回の割合で掲載するようになりました。その年の12月でいったん休憩し、その後、翌年の10月から12月まで3回掲載しました。合計で15回掲載しました。

  


日本野鳥の会愛知県支部報に掲載

 しかし、どんな書籍や雑誌でも原稿を書いてから2ヶ月くらい後の掲載になってしまうことや、カラー写真が載せられないことなどのため、このインターネットに発表の場所を移すことにしました。

最初のころ
 ホームページを作り始めた1996年のころは、まだインターネットが一般的ではなく、野鳥関係のホームページもほとんどありませんでした。近くにホームページの作り方を教えていただける方もなく、一人でこつこつと作り始めました。まだ今のようなホームページ作成専用の良いソフトが無く、また、ワードや一太郎のようなワープロソフトもHTML文書には対応していなかったため、一つ一つ「タグ」というものを覚えながらウィンドウズの付属ソフト「メモ帳」で作成していきました。

 いまだにこの習慣が続いていて、「マーリン通信」は「メモ帳」で作っています。そのおかげで、専用のソフトで作ったものよりも、かなり軽く動くようなデータ量になっています。最近はADSL回線やCATVで接続していらっしゃる方が多くなってきましたが、「マーリン通信」は 28.8キロのダイアルアップ接続の方でも画面が瞬時に表示されます。中には、J-PHONEの携帯電話で見ていただいている方もありますが、すぐに画面が出てくるはずです。

 マーリン通信の中身をごらんになりたい方は、例えばウィンドウズの「インターネットエクスプローラー」を使っていらっしゃるならば、画面を右クリックし、メニューの中の「ソースの表示」を左クリックしていただくと見ることができますよ。< >カッコの中のローマ字がタグというものです。

 以前、ブラウザーのバージョンによっては目次がつけられないもの、つまりフレーム表示のできないものがありました。その頃は、目次ありのHPと目次なしのHPと二つ作っていました。

カウンター
 表紙に付けてあるカウンターが一つの励みになりました。数年前は1日の訪問者数は数名でしたが、最近はインターネット人口の増加もあって、1日あたり、少ない日で30名、多い日で70名になりました。

 実は、このカウンターの付け方にもいろいろあって、「マーリン通信」の左端にあるような目次のないホームページは、一つ一つの画面を見るたびに元の表紙に戻らなければいけません。表紙に戻るたびにカウンターの数が1つずつ増えてしまいます。普通はいくつかのフレーム、画面を見ますので、このようなページの造りですと、一回だけの閲覧でもカウンターが7つも8つも増えてしまいます。そうすると「マーリン通信」も今ごろ、40万件?にもなりますが…。

雑誌等での紹介
 ポータルサイト Yahoo! の「今月のオススメ」で1998年6月17日に紹介されました。

 月刊「バーダー」誌の1999年11月号で紹介されました。このコーナーは団体のホームページの紹介が中心で、今まで個人のページはほとんど紹介されたことがありませんでした。


月刊「バーダー」1999年11月号

 このころの表紙は、名古屋市内でのツミの巣だちびなの写真を使っていました。その前はイヌワシでした。最近は、故 樅山勝己さんが撮影されたコチョウゲンボウ(マーリン)を使っています。心温かだった樅山さんを今もよく思い出します。

 最近ではドキュメンタリー映画「WATARIDORI」公式サイトのWeb Ringの「7」で紹介されています。このサイトへのバーはこのページの上の方に貼り付けてあります(注:取りました)。

 リンクについては、今はもう海外のものだけにしてしまいました。一時、国内のHPのリンク集を付け始めたこともありましたが、多くの方が、すばらしい充実した内容のリンク集を作ってくださっていますので、そちらにお任せしてしまおうと思うようになったからです。海外分については、これからも短いコメントを入れながら紹介していくつもりです。

うれしかったこと
 メールをたくさんいただいたこと、ご質問をいただいたこと、情報を寄せていただいたことがうれしかったです。こんなタカが鶏小屋に飛び込んだ、道路の脇でぐったりしていた、保護したと、写真を添付して情報を寄せていただいたことで、いろいろと勉強にもなりました。メールをいただいた方と、その後メールのやりとりが続いていることもあります。 

これからのこと
 これからも1ヶ月に1回以上の割で更新しながら、「マーリン通信」を続けていきたいと思っています。

 クロサシバ、ハイイロハイタカ、タカ類の個体差、タカのディスプレイ飛行、飛翔の違い、タカの鳴き声、江戸時代の鷹狩り、『鷹匠は語る』の全文紹介、毎週のタカ観察の便りなど、書くべき内容はいくらでもありますが、あまりタカ類・ハヤブサ類の繁殖情報は書かない方がよいと思っていますし、繁殖場所や冬季の観察場所についてもできたら書かない方がよいと思っていますので、記事が自ずと制限されてしまうこともあります。…でも、楽しみにしていてください。

(Uploaded on 5 April 2003)

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ハシボソガラス と ハシブトガラスの識別


 タカ類・ハヤブサ類の観察者にとって、カラス(特にハシブトガラス)はタカ類・ハヤブサ類の存在を教えてくれる貴重な協力者です。

 野鳥の会に入って26年になりますが、いまだにブトとボソの区別に迷うことがあります。

  <ある日の会話から>
Aさん:あのボソが止まっている木の向こうの山の……
Bさん:あれはブトですよ。
Aさん:えっ?くちばしが細いのに?うーん、……そういえば、くちばしとひたいの角度が直角に近いですね。
Bさん:くちばしの細いブトって結構たくさんいますよ。

 「ハシボソガラスはくちばしが細くてハシブトガラスはくちばしが太い」とは限らないですね。「くちばしがドーンと太ければハシブトガラス」というのは正しいでしょう。しかし、ハシブトガラスの一部あるいはいくらかは、くちばしがかなり細いようです。私も今まで、くちばしの太さが中途半端で、ボソかブトか分からないような個体をよく見ました。

 今までの観察記録をもう一度見直していかなければいけないと思いました。ブトなのにボソとしていたものが多くあるかもしれません。「くちばしが細いからボソ」としていたものの中にブトが混じっている可能性があります。鳴き声についても、「アオ、アオ」と鳴くから即「ブトだ」としていたものも本当によいのか見直す必要があるようです。

 カラスの識別は難しいですね。

 決め手はくちばしと頭の角度、つまりひたいの部分がくちばしと直角であるかないかをしっかりと見ることでしょう。識別に当たって、鳴き声とくちばしの太さは、ともに補助的に使い、全体を総合的に見ていった方がよいでしょう。

 私はブトはボソに比べて飛び方(羽ばたき)が力強く、どっしりとしているように感じますが、風が強い時にはこれもよく分からないことが多いですね。

(Uploaded on 14 March 2003)

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亜種 オオアカハラ


 この冬、自宅の庭で何度かアカハラを見ました。胸や腹が橙色で、頭が黒っぽい個体でした。アカハラってこんなに顔が黒かったかな?と思っていましたが、先日、図鑑で調べてみたら、どうもオオアカハラだったようです。  

 山渓ハンディ図鑑7「日本の野鳥」の483ページには、「羽色が濃く、体の大きい、亜種オオアカハラのオスに相当する個体は、少なからず冬鳥として観察される」とあります。「少なからず」とありますので、今まで、真冬の雑木林で時々見かけたアカハラもオオアカハラだった可能性があります。  

 自宅の庭へは、今年2月にルリビタキがやって来ました。1月末には信じられないようなことですが、オオコノハズクもやってきました。バードテーブル、水場、ミルワームなど、何もしていませんが、庭に隣接して広い竹やぶがあるので、いろんな鳥類がよく来ます。この竹やぶは、私を含め7軒共同で所有ですが、区画整理の関係で後1年もしない内になくなってしまいます。私にとっては、かなり貴重なかけがえのない竹やぶだったのです。

 


オオアカハラ

 撮影データは、2003年3月1日、午前9時30分ごろ、自宅の庭にて。キヤノンEOS5、400mmレンズ、ISO400ネガフィルムで撮影し、2Eサイズにプリントしたものをスキャナーで取り込みました。画像処理はいっさいしてありません。

 天候は雨。尾羽や風切りについているものは雨滴です。窓ガラス越しで、しかも雨天のため、ややボケていますが、頭がかなり黒いことが分かります。

(Uploaded on 13 March 2003)

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ノゴマ


 2002年は午年。午年で連想する鳥はコマドリやノゴマです。その中でどういうわけか、ノゴマにはいろいろと縁があります。

 ノゴマは日本では主に北海道で繁殖する夏鳥です。私の住む愛知県では春と秋に通過していくだけの旅鳥です。しかし、その習性上、あまり目立たないため、観察記録はごくわずかしかありません。その珍しい鳥を5羽も、〇〇市内で、しかもすべて私の勤務先で保護、拾得しました。


拾得したノゴマのはく製 1978年10月

 1978年10月30日。〇〇市立A中学校にてオス1羽。窓ガラスにドーンとあたるところを生徒が目撃。即死でした。愛知県農地林務部自然保護課(当時)にて拾得証明書を取って、はく製にしました(上の写真)。

 1979年10月17日。〇〇市立A中学校にてメス1羽。私の数学の授業中に窓ガラスにドーンとあたった。即死。

 1993年10月下旬、〇〇市立T小学校にてオス1羽。ガラスにあたり脳しんとうを起こした状態で児童が保護し、手のひらにのせた状態で私のもとへ。まだ生きていたのでダンボール箱に入れ様子をみていたら、すぐに元気になりました。30分ぐらいたって、ばたばたし出したので放鳥しました。

 1999年10月30日、〇〇市立S小学校にて、のどが淡いピンク色のメス1羽。のどが赤いメスはこの時初めてみました。窓ガラスにあたって死んだ模様です(原因は推定)。

 2001年10月15日。〇〇市立S小学校にてオス1羽。ガラスにあたって死んだ模様(原因は推定)。のどの赤がひときわ鮮明でした。


 拾得したノゴマ、オス 2001年10月15日

 〇〇市は名古屋市に隣接する面積20平方キロメートル程度の小さな市です。山林や水田もありますが、名古屋市のベッドタウンで、渡り鳥が特に多いところではありません。上記の3校が3校とも私のその当時の勤務校でした。私の勤務校だけで、このようなことが起こるはずはないですので、他の学校でも同じ程度の確率で起こっていることは十分考えられます。

 これらのことから推測すると、ノゴマは、愛知県をかなりの数が通過しているはずです。ブッシュを好む鳥ですので、人目に付かず、藪から藪へと動きながら、渡っていくのでしょう。1,000羽以上?のノゴマが10月下旬、毎秋人知れず愛知県を通過!と想像するだけでも楽しいではないですか。

(Uploaded on 26 December 2001)

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ハシボソガラス と アシナガバチ


 1997年7月13日の正午過ぎのことです。小雨の降る中、〇〇市内の駐車中で車の窓越しにふと外を見ると、近くにある2階建ての民家の一階部分の屋根の上で、ハシボソガラスがくちばしを上に向けてピョンピョンと何度も飛び跳ねていました。

 よく見るとくちばしを開けて、ハチを捕らえているようでした。飲み込んでいたかどうか、確実には分かりませんが、どう考えても食べているとしか思えませんでした。くちばしを開けて上に飛び上がり、すぐに下を向き、また同じことを繰り返しましたし、数匹いたハチがすぐに少なくなったからです。

 しばらくしてハチが減ってきたら、今度はハチの巣をとって、1メートルほど離れた屋根の上で幼虫をついばみ始めました。比較的早く食べ終えて、さっさと飛び去っていきました。

 台風が多いことと関係があるかもしれませんが、今年はアシナガバチがわが家の車庫の中に巣を4つも作りました。危ないので取り払いました。

(Uploaded on 2 August 1997)

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ツバメの巣立ち雛とアオダイショウ


 1997年7月29日午後6時ごろのことです。ちょうど、台風9号くずれの熱帯性低気圧が本州付近を長期間ウロウロしていましたので、大気が不安定になり、愛知県内では何度も大雨洪水警報が出ました(拙宅の庭においてある雨量計ではこの低気圧のおかげで5日間で180ミリの雨を記録しました。10キロほど離れたところにある名古屋地方気象台の記録は125ミリだったそうです)。

 さて、この日午前中に拙宅のはなれ(というか、納屋)で繁殖していたツバメが3羽巣立ちしました。最初は4羽でしたが、1羽は4日ほど前に落ちて死んでしまいました。巣立った3羽のうち1羽はほとんど飛べず、屋根の低いところでずっと動かずにいました。夕方私が帰宅した時、ほかの2羽は、近くの電柱からはなれへの引き込み線(長さ30メートルくらい)のちょうど中間にいました。大雨洪水警報が出ている中、土砂降りにも関わらず、じっと同じ場所を動かずにいました。2羽はきっと綿羽までずぶぬれだったでしょう。「こんなに雨が降るのに…」と思って見ていました。

 その後、私は20分ほど風呂に入っていましたが、風呂から出た後すぐにツバメを見ると、ツバメがいた同じ場所に、太いひもが1本ぶら下がっていました。「まさか!」と思いながら、双眼鏡を持って近くまで見に行くと、やはり、それはアオダイショウでした。口を大きく開けて、その口から尾羽と風切羽が見えていました。口元の近くが2つのこぶ状になっていましたので、2羽とも飲み込んだようです。

 2階建ての屋根のてっぺんより少し高い位置です。ヘビはツバメを飲み込んだことで動けず、そのまま翌朝までだらりとぶら下がっていました。ぶくぶくに太って、とても綱渡りはできません。翌日、午前6時50分にはまだぶら下がっていました。しかし、7時半頃見るといつの間にか、いませんでした。

 ツバメはなぜ逃げなかったのでしょうか?

 大雨でずぶぬれなので飛べなかったのでしょうか。巣立ち当日なので、何が何だか全くわけが分からなかったのでしょうか。ツバメはヘビに興味を示したのでしょうか。ヘビに飲まれるとは思いもよらなかったのでしょうか。ヘビのスピードがかなり速かったのでしょうか。

 巣立ち当日ということと大雨ということの2点が何か関係があるような気がします。ヘビに飲み込まれることを知らず、また、ずぶ濡れで飛ぶこともできず、2羽が次々と飲まれたのでしょう。

 拙宅では昔からツバメが営巣していますが、毎年のようにいろいろなドラマがあります。

(Uploaded on 2 August 1997)

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コジュケイの美しさ再発見!


 3月5日早朝、雑木林のササが茂る小さな道を歩いていたら、足元で何かがゴソゴソと音をたてました。ネズミかなと思ってのぞき込んだ時、目の前をコジュケイがバサバサッと計4羽、おお慌てで飛びたちました。ちょうど低い位置に太陽があって、その方向に飛んでいったこともあって実にきれいでした。6月7日にはかわいい3羽のひなを連れた親2羽を見ました。

(Uploaded on 30 October 1996)

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ヌ-トリアを見ましたが…


 5月7日、いつも行く雑木林の池にヌ-トリアがいました。周りの一部に土の堤防があって、そこに二つの穴が掘ってあり、しばらく泳いだ後でその穴に入っていきました。

 これはとても小さな池ですが、春には一面がジュンサイやヒシに覆われ、岸にはミミカキグサの仲間が出ます。若葉をほぼ全部食べられ、ソブ水が浄化されずに茶色く濁って死の池になってしまいました。こんな生き物は日本の風土にはまったく合わないと思います。自然破壊です。

(Uploaded on 30 October 1996)

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ホンドリスは やはり美しい!


 5月27日、自宅近くの雑木林で、ホンドリスを見ました。冬場しばしばリスを見ましたが、この日は完全に夏毛に換っていましたので、それはもう本当にきれいでした。木の上でゆっくりと休養中で、じっくり見ることができましたが、4肢の付け根付近の赤茶色、腹の白と背のコントラストが鮮やかで、これを見ると全身灰色のうすぎたないタイワンリスなど見たくもなくなってきます(こういう表現はいけないかな。でも、日本の雑木林にはタイワンリスは似合わないと思う!)。

 この雑木林に入る楽しみがまた一つ増えました。

(Uploaded on 30 October 1996)

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ヤブサメ


 1995年9月20日の朝8時15分、勤務先で朝の巡視を終えて部屋に入ったとたん、一羽の小鳥が窓から室内に入ってきました。一瞬アブラコウモリかと思った程に尾が短く感じましたが、すぐにヤブサメと分かりました。捕まえるつもりはありませんでしたが、外に出ようとガラス戸にぶつかって下へおりたので捕まえました。

 ヤブサメは、1983年10月12日と1992年10月に続いて3度目の保護で、いずれも無事放鳥することができました。掌にすっぽりとおさまってしまう程のこんな小さい体で、今から東南アジアまでよく渡っていくものだと感心しました。その代わり、やっぱり凛々しい顔つきでした。

(Uploaded on 30 October 1996)

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ツチガエル


 我が家の庭にはニホンアマガエルとツチガエルが普通にいます。1995年9月23日11時頃、ふと玄関を出るとツチガエルが、ピョーンピョーンピヨーンと大きく飛び跳ねてました。不思議に思って、来た方向に目をやると、70センチ程のヤマカガシが体をSの字にくねらせて、すごいスピードで追跡中でした。私がいたことで、カエルは私の足元で止まり、ヘビは3メートル程手前で左へ曲がり、サツキの枝中へと入っていきました。ヘビには悪いことをしました。カエルは足元でいつまでも心臓をトクトクさせていました。脈拍がトントン、トントンとすごく速く、毎分160回位でした(トントンを1回として数えました)。

 見ているうちに「今日は秋分の日でお彼岸の中日だ」と思い出し、何か不思議な気分になりました。我が家の庭にはアオダイショウが一番多く、つづいてシマヘビ、ヤマカガシがよく来ますが、かわいいもので何一つとして悪さはしません。ふだんニホンアマガエルをよくねらってますので、しいて言えばそれがかわいそうかな。

(Uploaded on 30 October 1996)

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雨の日の探鳥もいいですよ


 1995年5月1日、段戸山裏谷へ一人で探鳥。到着前から小雨が降り始めていて、嫌だなと思いながらも歩くことにしました。ところが悪いのは天候だけで、気分というか雰囲気は最高でした。今まで雨の日はせいぜい車の中から双眼鏡でのぞいてみるぐらいで、わざわざ山道を歩こうなんて思いませんでしたし、歩いていて途中から雨になった時は急いで帰っていましたから、あまり経験がなかったわけです。

 「探鳥は、天気の良い朝方だけ」と思わずに、夕方の様子を見に行ったり、天気の悪い日に見に行ったり、また「季節はずれ」?に行ったりするのも良いですね。冬は風邪をひかないように!

(Uploaded on 30 October 1996)

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