きれいになった横浜のウォーターフロントで「みなとみらい」の北側には日本鋼管のドックがある。  他の写真


ドックの北側は在日米軍瑞穂埠頭である。 1970頃、てえことはヴェトナム戦争の真っ最中、セイシュンをオウカしていた私など、恐いもの見たさと日当を目当てに、 悪友にくっ付いて沖仲仕のバイトに行ったことが有って、 それと「ヴェトナム反戦運動」が重なっていたのだが、

「武器の影」/黄晳暎/1989/岩波書店

には、当時本当の戦争をやっていた韓国の若者のセイシュンが描かれている。 "Once Upon a Time in America"と"Dear Hunter"と「智離山パルチザン史」を併せたような話。 もっとも著者は「善人面のアメリカ人に「鹿狩」りの如きお涙頂戴でヴェトナム戦争を語られたんでは、 殺されたアジア人はたまったものではない。」と断っている。

パリ和平会談が始まったころ、ということは落合信彦と田英夫ともう一人(名前忘れた)、 が「ハノイ一番乗り」を争っていたころのダナン周辺が舞台。 主人公は派越韓国軍の安兵長。 安兵長は憲兵隊でダナン周辺のブラックマーケットの取締、という名目の下、 米軍の軍事物資の闇取り引きを米軍・韓国軍・ヴェトナム軍・その他で張り合っている。 ダナンの闇市場を通して「戦争は所詮、銭儲けであり、 その銭儲けの建て前、或いはお膳立てに必要な「敵」に殺される普通の人たちはどこから言っても死に損」という戦争の姿を描いている。

ユージーン・スミスの「水俣展」が浜松にきた時、 「浜松が水俣だ。」と言うのは「近代産業」というキーワードで括ることができた。 しかし、「浜松は沖縄だ。」と言うには「国家」或いは「戦争」に対する自分の位相を持たなければなかなか難しいのだが、 この小説はそうした意味で参考になった。沖縄の戦後を想像する手掛かりにもなる。 面白かったのは「gook 韓国語起源説」。私が gook という言葉に初めてであったのは

"From Pearl Harbor to Saigon"/Toshio Whelchel/Verso/1999

という日系米人のヴェトナム戦を描いた聞き書き集だった。 新兵訓練所の初日から鬼軍曹による

「おい、そこのお前、前に出ろ。ここへ立て。」
「良いか、みんなよく見ろ。
 貴様らは見たことがねえだろうが、これから貴様らが出会うヴェトコンてのはこういう顔付をしてんだぞ。」
という体験で始まる日系米軍兵士は戦地で
「何で俺達がグークの戦争に命を掛けなきゃならんのだ。」
「グークなんて、いくらぶっ殺したって構わねえのさ。」

という具合に"gook"という言葉を耳にするようになる。 ところがヴェトコンが"gook"なのははっきりしているのだが、 ヴェトナム軍はどうなのか、多国籍軍を編成する韓国軍兵士はどうなのか、 さらに日系米軍兵士は"gook"ではないのか、という疑問にははっきりした解答が返って来ないのである。 この本から私が受けた"gook"という言葉の印象は、境界の曖昧なアジア人の蔑称、というものだった。



顔はベトコン装備は米兵。お前は一体何物だ。



キャンプに戻って「ベトコン退治」ごっこで遊ぶ時はいつもベトコン役。



その正体は・・・日系米軍兵士でした。 (前掲書より)

ところが黄晳暎によれば"gook"の語源は「大韓民国」或いは「朝鮮民主主義人民共和国」という時の「国」なのだそうだ。 大韓民国のローマ字表記は"Dae han min gook"となるので、それを約めて"gook"にしてしまった、ということらしい。
であるならば

「何で俺達がグークの戦争に命を掛けなきゃならんのだ。」という台詞は
「何で俺達が大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の戦争に命を掛けなきゃならんのだ。」

という「朝鮮戦争」の頃にできた言葉、ということが解る。 ヴェトナム戦争も「越南共和国」と「越南社会主義共和国」の戦争なので、「グークの戦争」というのは正しいのである。 「日本国」も"gook"なら「琉球国」というのがあればこれも"gook"なのですね。 我が国では「"gook"意識が足りない」と騒ぐのは少数の右翼青年ばかりで、 「琉球国人」はともかくも、普通の日本人はどうも "gook"意識が足りないノダネ。 ついでに思い出してしまうのは明治初年の吉原かどこぞの岡場所の情景。

「嫌だわねえ、この頃上って来るのは「お国の人」ばっかり。」
「あら、お姉さんも?私言葉も解らないし、「お国の人」に触られると鳥肌が立っちまう。」

これも"gook"か。

柳橋新誌
V-J Day
Gookという言葉
North Pier
ベトナムのラストエンペラー
サイゴンの火焔樹