向こうに見えるのは1994年夏にお世話になった全羅南道莞島郡の卞さん方の牛小屋。

親父のソナタ2

冬のソナタのモトネタというか、正真正銘の「親父のソナタ」を発見。なんと「武器の影」の黄晳暎さんの

「懐かしの庭」/黄晳暎/2002/岩波書店  がそれです。

「光州五月民衆抗争の記録」を編集・刊行した著者がその後越北、ドイツ統一とソヴィエト崩壊を現地で見た後93年帰国と同時に下獄、98年の出獄後に執筆した80年代、90年代の私的韓国現代史です。しかし韓国でも私的韓国現代史だけでは売れない、ということでしょうか、これをベストセラーとすべく、中心にユートピアである「懐かしの庭」を置いています。「あなたの本当のお父さんは、」という古典的プロットも用意されていて、ここから現代史を省いて若者がテレビドラマ向けに書き直すと「冬のソナタ」での「親父のソナタ」になるのではないでしょうか。この後黄皙暎さんは越北のひとつの成果を「客人」としてまとめています。

韓国でも1980年5月の光州で牙をむき出しにした国家権力は、その後次第に見えにくくなっているようです。 しかし、かの地の親父連には90年代に過激化した労働争議を見る目にも「自分で自分の道を決めることができず、「言われた通りにしろ」と強要される限り、この世は監獄と同じだ。」という歴史から学んだ知恵があるのではないでしょうか。それと対照的に、第二次世界大戦が終わって米国から「民主主義」なるものをタナボタ式に頂戴した我々は「オマエがオレの言うことを聞くか、オレがオマエの言うことを聞くか」といういじめの原形をバラエティーショーとして毎日テレビから流し込まれるうちに、感覚がマヒして「この世は監獄と同じだ。」と自殺する子供の増殖を前におろおろしているよう思えます。

傷付き、散りはてた親父達の「懐かしの庭」の向こうに、黄晳暎さんはさらに美しいラストシーンを描いています。それと名乗らない父親に向かってケータイを片手にした娘が口にする「お父さん」という言葉です。

インターネットを探すと、今年になり、当代の美男美女を配して映画化もされている様です。しかし若者はともかく、我々と同じ年代の韓国の親父連にとって「画面には出ないけど、ワカッテルネ」と言う部分が日本の親父連にどこまで通じるか、ちょっと疑問です。

画面ではどうか解りませんが、原作のBGMは昭和初期の名曲である次の曲で始まり、「美しく青きドナウ」で終わっています。聞いているとこの2つの歌、似ていることに気付きます。

「鳳仙花」洪蘭坡/作曲、金享俊/作詞(韓国のちょっとあやしいサイトより)


iTunesで手に入るものでは「白竜」の歌う「鳳仙花」が私には一番ぴったり来ます。