個人別に出題する。

手順

  • ブックリストの中から各自課題図書を選んで熟読してもらった。
  • 1月15日までに課題図書に基づき、「何をテ−マとして後期試験を受けたいか」を申請してもらった。
  • 課題図書を集計し、複数の申請のあった次の3書について課題を課した。
    他の書目を申請したものは、いずれかの課題を選んでもらうこととした。
  • 「ちいさなおうち」「モモ」「水と緑と土」

「モモ」を読んで

ミヒャエル・エンデの「モモ」は、ヨーロッパにおける「近代とは何か」という問いを子供の言葉で書き、話題を呼んだ。

モモの物語を成り立たせているヨ−ロッパ文化の根本にはキリスト教の歴史がある。 長く人力と家畜によるヨ−ロッパ域内の農業によって生活していた人々は、15世紀以降の大航海時代と呼ばれる頃から、 航海技術の発展とともに活動の「空間」を拡大していった。 ヨ−ロッパにおける農業基盤の一つは牧畜業であり、 「キリスト教徒である、選ばれた人間が額に汗をして働かなくても、羊が草を食べて増えれば良い。」 という考え方は、その後「神の国を広げる」という理想の元、 大規模土地所有と、家畜或いはキリスト教徒以外の人間のエネルギーを、キリスト教徒のものとして利用するという形での、 植民地の時代を造り出した。
大航海時代には、空間の克服に較べて、時間の克服はそれほど進んでおらず、ヨ−ロッパにおける列強の戦争突入が、 カリブ海に伝わるまでに数カ月を要する、というものであった。 時間はまだ一年を通じて循環する、四季という「神の時間」によって営まれる産業に根ざしたものであり、 帆船による航海も同様に、季節風を利用する年間サイクルのものであった。

19世紀に入り、それまで暖房用の熱源に過ぎなかった石炭を、動力に利用することが考え出されると、 時間を「神の時間」から「人間の時間」に、という挑戦が始められた。 動物エネルギーの利用によって、速度に限りのある馬車は汽車に変わり、 それまで「風を読み、神に祈って」戦われていた、大西洋横断航海のスピ−ド記録は、機械技術の進歩によって果てし無く短縮され始めた。 かっては馬の速度で運ばれていた手紙は現在、電話と電子メ−ルによって世界中が「同時」という情報化時代を迎えている。
振り返ってみると「近代」は、それまで生物エネルギ−・環境エネルギ−に限られていたエネルギ−資源を、 化石エネルギー・核エネルギ−にまで拡げた時代であるとも言えよう。 そしてミヒャエル・エンデが「モモ」を通じて投げ掛けた問いは、「近代」によって人間は幸福になれたか否か、という問いであろう。

例えば自動車を例に揚げても、技術によって手に入れた快適さの反面、 人間の自分勝手さによって問題をひき起こしている例を思い浮かべることが出来よう。 短い時間で遠回りをする、坂を楽に登る、という快適さを実現するために開発された自動車であるが、 その自動車が増えた結果、歩行者の方が遠回りをし、階段を昇り降りする地下道・歩道橋を使わなくてはならなっている。 同じ人間の身勝手さが核エネルギーのあやまった使い道に走ればどうなるかもまた、現在の世界を覆う危惧である。
20世紀の終わりに「環境問題」が西欧文明圏から提唱されたのには、産業近代化を終わった国々が、 化石エネルギー・核エネルギ−の利用によって実現した近代を「振り返る」という側面があり、 常にまだ産業近代化を果たしていない国々との矛盾を見せている。

化石エネルギー・核エネルギ−の利用に先んじた西欧の文明と、我が国の伝統的な産業のあり方とは対照的なものであった。
幕末・明治に日本を訪れた西欧人の、殆ど全員が驚いていることに、日本には化石エネルギーはおろか、 家畜さえも、農耕用のわずかな例を除いては、広まっておらず、篭・人力車といった交通手段までもが、 人力によるものであること、その反面、工芸品など人間の手仕事によるものづくりの技能では、 西欧の職人を遥かに凌駕するものであること、を揚げている。
牧畜業が「土地と家畜を増やせば増やす程豊かになる」という伝統を持っていたのに対し、 単位面積あたりの土地生産性では畑作の数百倍という水田稲作と、それに適した世界有数の降水量を持つ我が国では、 「水とお天道様は付いて回るもの」であり、あとは各自がどれだけ働いたか、によって豊になるという、勤勉な文化伝統を持っていた。 そしてこの時代、生活は生物エネルギ−・環境エネルギ−を中心とした自然に寄り添うものであった。

明治以降の日本では急速に産業の近代化が達成されたが、それを支えたものに、それまで我が国で大切にされて来た、 勤勉さと職人の「手力」への信頼が大きな力となっている。西欧文明の近代が、人間以外のエネルギーに依存していたのと対照的に、 我が国では「自分の手の力」で近代化を成し遂げた、という点が揚げられよう。
現在までの日本人は「働き過ぎ」「仕事中毒」と言われ、世界の先進国の人々が「生きるために働く」のに対し、 日本人のみが「働くために生きている」とも言われるが、それにはこのような我が国の近代化のあり方にも根差すものであろう。 現在の日本で口にされる「ものの時代から心の時代へ」「ゆとりのある暮らし」と言ったキャッチフレ−ズには、 人間以外のエネルギーに依存する、西欧近代的な時間の捉え方が反映されている反面、 日本人の飽くなき「手づくり」への希求には「人間の手の力」への信頼、あるいはものを作った人が、 それに要した時間の尊重が、見受けられる。

さて21世紀の我が国では、「モモ」が批判してみせた様な「近代」的な時間が流れるのであろうか、 あるいは「モモ」が立つ様な、西欧の脱近代的な時間が流れるのであろうか、それとも西欧文明に流れて来た、 あるいはこれから流れるであろう時間とは、別の時間が流れるのであろうか、考察を含め4000字程度にまとめよ。用紙は自由とする。



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