2012.12.20

「浜松城公園長期的整備構想にかかる意見交換会」というのがあったので、行ってきました。大方の意見は、市民が親しみやすいものにして欲しい、他の公園に対する、浜松城公園の性格付けが良く分からない、といったもので、「箱物は要らない」という意見が目立ちました。

アンケート用紙があったので、意見を記入してきました。左は用紙記入、右は口頭補足と帰って来て気が付いた事です。



「浜松城公園の長期的整備に向けた考え方」

 について

  • 「もったいない」「がまん」という家康公の遺訓を尊重する。

  • 財政赤字の軽減には家康公の「がまん」が21世紀の日本の進路。

  • テーマツリーは「桜」などもってのほか。「松竹梅」とする。



  • 桜、とくにソメイヨシノは5代将軍綱吉康の時に、小姓であった柳沢吉保が「六義園」を造営、江戸から紀州までのミニチュアを作って桜を植え「吉野の桜で御座います。」と喜ばせをしたのが始まりなのだそうです。

    吉野から山桜を取り寄せたのではなく、近所の染井村の植木屋に「良いから桜の木を持ってこい。」という事で産地偽装をやり、後でこれが発覚して「いや吉野のヨシノザクラではなく、染井村にも山桜を育てておって、ソメイヨシノと申します。ということで名が付いたとか。

「歴史ゾーン」について

  • 案内員の配置。建物不要。

  • 元目橋など「総構え」の調査公表。

  • 公園用地でなく、旧市街の昔が解るインフォシステム。

  • 元目橋は家康以前の「元浜松宿」から米蔵用地を城内に取り込み、玄忠寺脇を通っていた新川の流路を変更した際、既存道路が不連続となった為に出来た橋ではないでしょうか?江戸時代には神田筋違橋が有名でしたが、こちらの方が古い筈。

    「犀ケ崖」は家康の転出で工事未了となった外堀ではないでしょうか。1/2,500から等高線を拾うと江戸城北の丸周辺の堀に似ています。

    「犀ケ崖」下流は等高線を横切って栗橋へ90度曲がり、新川に合流し、「勤労会館」北東で再びクランクしています。古図には「硝煙蔵」という書き込みを見る事が出来ます。

    有事には栗橋で堤を切ると、硝煙藏が水浸し、という仕掛けは江戸滝野川の硝煙藏と同じです。

    海老塚付近の東海道本線と新幹線の高架の間は江戸時代の「要害堀」ですが、ゴミ捨て場の様になっているところがあります。

    「城」というと、無かった時代の方が長い天守閣よりも、こうした総構えの城郭施設の方が、現在の都市景観に大きな影響を残しています。天守閣周辺整備だけでなく、こうした「総構え」の中での「浜松城公園」の位置付けが整備の前の構想には必要ではないでしょうか。

  • 「総構え」を解りやすく伝えるインフォメーションシステムを施設内に作ってもなかなかピンと来ないかもしれません。近年の洒落たケータイにはGPS機能のついたものが増えています。ネットに浜松城周辺の歴史情報を入れておいて、GPSケータイで「右側が、、、」と出来る筈なので、建物としての歴史博物館などは、現実の都市空間に置き換えられる筈です。

    「トポミュージアム」の提案

「四季の体験ゾーン」について

  • 「づくり」は不要。桂垣を直して欲しい。



「レクリエーション活動ゾーン」について

  • 整備でなく維持保全。

  • 計画区域を拡張し、出丸ー図書館北側の公用車駐車場がみっともないので、屋根を掛けて、屋上を出丸旧状を復元しつつ、ちゃんと土厚をとった公園とする。

  • 文化活動施設を作るなら、現在の元城小学校の建物を転用する、といった事がこれからの時代の施設利用の形になるのでは?。

「市民と公園の関わり方・参画」について

  • 整備計画構想などは制度的には本来議会に属する機能でしょう。浜松市には都市計画課もおれば建築家もおります。そうした専門家が。議員に協力してまちづくりを進めるのが本来の形ではないでしょうか。「事務局案」というのは本来「あってはならない」ものの筈です。

    シュタットガルトの中心広場の地下は、都市計画の展示場になっています。米国の地方都市では都市計画予算の3/4は広報費用、との事でした。

    そこまで力を入れなければ、まちづくりが市民のものとなる事はありません。「何だか知らないうちに市役所で決めてしまったみたい。」という事では「二の丸根性」と言われても仕方ありません。「事務局案」を止めて「市民案」を議会が取りまとめる、ということでは如何でしょう。

    MITのケヴィン・リンチ先生によれば

    200マイル以上離れたところのまちづくりは無理

    What Time Is This Place?
    Kevin Lynch
    MITPress/1972
    とのことで、東京の都市計画事務所には地方の計画は無理でしょう。

    カナダのヴァンクーヴァーには、まちづくりの展示館があり、市議会都市計画委員会に、再開発の為に提出された模型を見る事が出来ました。中心市街地の大きな模型に、開発業者が作った計画案の模型と、地元大学・建築家・市民団体が作った対案などが並んでいました。何年か掛けてここまでしないと、再開発は認められないとの事でした。

  • 「ソメイヨシノは柳沢吉保の産地偽装であって、家康の頃には無かったのでは?
  • シティプロモーション上も「松」。


具体的要望