1998.10.1

ヴァーチャル空間怖い

ヴァーチャル空間怖い
空中庭園
俯角と仰角
近づき易さI
近づき易さII
ヴァーチャルまちづくり

東京駅舞浜線の地下ホームを初めて見たのはもう10年近く前になる。 新幹線南口からもそもそと東名バス乗り場の後ろを通って行くと、 「アクトシティー」と同じ「動く歩道」があり、そのままエスカレータで地下へ吸い込まれた。 そこらあたりまではまだ私のような田舎の中年ヲジサンでもなんとか平気な顔をしていたのだが、そこから先がいけない。 エスカレータ・シャフトの壁から、ホームの壁まで、無表情なレンガタイルが延々と続いており、 その中をずるずると地下深くに運ばれるうち、次第に気持ちが悪くなってきた。 地下構造物というのはもともと怪しげな所があるのだが、 東京駅舞浜線のホームには「人が手で作った」という感じがしなかったのだ。

今はもう時間の経過と共にそこを通る人の息づかいでもって古び、 それなりの存在感を獲得しているかもしれないが、 竣工直後であろうあのときには、人の手が図面を描いて、 人の手がコンクリートを打って、人の手がタイルを貼った、という「人の手」の介在が希薄であった。
銀座線の古いホームなどは正にその「人の手」感に満ちた地下構造物であって、 いかにも「帝都の地下を行く」という実感があったのだが、 舞浜線のホームにはそうした現実の物理的空間感覚が希薄で、 そのかわりに頼り無げな透明感、あるいは浮遊感に満ちていた。
その空間は別に地下にあってもかまわないが、空中に浮かんでいても別に差し支えない、 なにも物理的空間でなくても一向に問題はないのだ、という現われ方をしていて、 ふとテレビゲームの中に引きずり込まれたような錯覚を感じたのだ。 舞浜線地下ホームはテレビゲームの「お城」や「地下迷路」に見る「延々と続くレンガの壁」にそっくりだった。

スーパーマリオブラザーズ
任天堂株式会社
スーパーマリオコレクション

当時、日本国中がテレビゲームの第一期生である「スーパーマリオブラザーズ」の流行に巻き込まれていて、 小学生は学校が終わると「スーマリ」のBGMを口にしながらゲームの登場人物さながらに手を振り、 ファミコンを持っている子供の家へと行進するのだった。
東京駅舞浜線の地下ホームに長いエスカレータで運ばれながらふと感じたのは、私も前後に乗っている他の人々と同様、 テレビゲームの中の人形さながらに、自分の意思ではなく、どこか遠くにいる操作者のコントロールのままに動かされている、という感覚だった。

そう考えれば舞浜線の先につながっている東京ディズニーランドも、 幕張の見本市会場も共にある意味では現実そのものではない、一種のヴァーチャル空間ではないか。
舞浜線は地下鉄ではないので、都心を離れるとやがて地上に出て、普通の、 つまりは多くの人々が長い時間をかけて作り上げた都市の景観に包まれるので、 やっと安心できたのだが、あれが地下鉄であって、東京駅地下ホームの様な空間をつないで行くのだとすると、 相当に「怖い」ものに感じられるだろう。

久しぶりにそうした「怖い」空間に出会ったのは「アクトシティー」の「屋上庭園」であった。



空中庭園

ヴァーチャル空間怖い
空中庭園
俯角と仰角
近づき易さI
近づき易さII
ヴァーチャルまちづくり

普通、人はどこからあそこへ入るのだろう。 偏平ドームの載った円形シャフトの中の廻り階段を上がるのだろうか。道沿いにある階段から上るのだろうか。
私はたまたま駅ビルから行ったので、道路沿いの外壁の中程に作られた通路のようなところを通って、 階段状広場とでも言うような場所に出た。

斜路が刻まれた幅広の階段を上って行くとちょっとした広場があり、 そこからさらにつづら折のスロープを辿ってホールの屋上らしきところまで出られる。

屋上にはステージが作られていて、ステージの前には2-300人程も座れようかという芝生が張ってあり、それをコンクリートで出来た梁形が、 やはりコンクリート製の円柱の上に載って円く芝生を囲んでいる。
遠くからアクトシティーの偏平ドームなどを見ていると、デザインボキャブラリーが M.C.エッシャーのそれに近いな、 という感じをもっていたのだが、


http://www.worldofescher.com/

ここまで上って見ると、雰囲気はアニメーション映画の「天空の城ラピュタ」に出て来る空中都市のそれに近かった。
天空の城ラピュタ
天空の城ラピュタ3/アニメージュ・コミック・スペシャル/徳間書店/1986

M.C.エッシャーでは「昔の建物」といった趣だった建築物の描かれ方は「天空の城ラピュタ」では作者の持つ、近代への覚めたまなざしによって、 廃虚のモチーフへと変わる。
19世紀には「廃虚趣味」というのがあり、貴族の邸宅などにギリシャ・ローマ時代などの廃虚を模した作り物が作られることがあったそうだ。
手元にあるのはそうしたものではなくて、新聞王ハーストが骨董品から城に至るまでをヨーロッパから買ってきて、 モントレー近くに作った「サン・シメオンの館」の写真である。
La Cuesta Encantada

「市民ケーン」のモデルになり、皮肉屋のバーナード・ショウが「神様が金を沢山持ってたら作ったかもしれない。」 と称したというこの建物にもローマ時代の柱列が再現されているが、そこにも廃虚の匂いが漂っている。 この場合は簡単に言ってしまえば、もともと人が溢れていた建物を金持ちが独り占めした結果、人の姿が消えてしまったので、それが 廃虚の匂いをさせている、とでもいうのだろう。

「人の姿が消えてしまったら」というヴァーチャリティは機械、あるいは近代産業の時代の次ぎに何が来るのかに敏感な感覚をもつ、 コンピュータ・ゲーム・デザイナーにとってもひとつのテーマになる。 そのあたりを表現した「ゲーム」というより「ヴァーチャル・シナーリー・ディスク」とでも言うべき "Myst" にも、やはり人の姿のない景色の中に、 アクトの屋上に置かれたのとよく似た、円柱の上に載せられた円環が現われる。

Images from Myst
Myst 1993 Cyan, Inc. All rights reserved
Myst (R) is a registered trademark of Cyan, Inc.
Used by permission.

ウィークデーの下校時間であるにもかかわらず、モール街など人の溢れている場所とはうって変わって、 アクトの屋上庭園にはわずかにカップルが一組座っているだけだった。




ほぼ同じ時刻のモール街

アクトの屋上庭園が「天空の城ラピュタ」と良く似ていたのは、そこが地上から離れた別の空間という見え方をしていいたことも挙げられそうだ。
"Myst"に現われる「円柱の上に載せられた円環」は水面から突き出ているのだが、 「水面下の世界とは別」という見え方はアクトの屋上に作られた「円柱の上に載せられた円環」とも似ている。 アクトの屋上で円環の向こうを眺めると、そんなことは起こりえないのだが、 地球の温暖化によって海水面が今より20m程も上昇すれば向こうに拡がる「古びた」まちなみは全て水面に覆われて、 "Myst"に現われる円環の向こうに拡がる空間のようなものが現われるだろうか、という幻想に囚われてしまう。
「天空の城ラピュタ」でも鬱蒼と植物に覆われた廃虚のあちこちには池があり、池の水面下には昔栄えた頃の都市が眠っているのだった。

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