【キネマ館に雨が降る】
その4 『アリーmyラブ』編
映画を観てないわけじゃない。9月末現在で65本なのだから、月7本、昨年同様
のペースを守ってきたのだ。
『ヴァージン・スーサイズ』『パップス』『フルスタリョフ、車を!』『イギリスから来た男』『白い刻印』『キッド』、それに邦画でなら『ざわざわ下北沢』に、なんと『長崎ぶらぶら節』まで。9月に入ってからもそこそこなのである。がだ、心に刻まれる映画に出逢えず、「いや、駄目だわ。」ぶーたれて映画館を出てくる日が続くのだ。
と、思ってた。
が、突然気がついてみると、それは映画のせいじゃない。
とにかく忙しさが過ぎるのだ。朝、水に潜ったら、そのまんま夜まで潜りっ放し。月曜日、水に潜ったら、そのまんま土曜日まで潜りっ放し。で、かろうじて、映画館で息ついで、あっぷあっぷと息ついで、なんとか体面保ってる。心はパサパサで、映画すら、心をドキドキさせることがない。
それが、どうだ。その朗報がそんな僕の心を爆発させたのだ。見る!ずっと見る。
これを見ずにおけようか!
『アリーmyラブ』第一シリーズ23本連続放映の快挙である。オリンピックに惚けてるNHKもなかなか粋なことをする。寝不足忘れて、夜毎の逢瀬を楽しむことになる。
そもそも『アリーmyラブ』を知ったのは、第二シリーズが始まった頃。リモコン・フラッパー気まぐれのまったく偶然の出逢い。ミニスカートのアリーが決して美しいと思った訳でなく、どころか、その唇の広がりはなぜか「化け猫」のその口の裂け目とダブって見えては馴染めなかった。
そのうち、何故かどんどんとハマって、第二シリーズ終了後、終わってしまった悲しみに、日曜日のその時間、なんとも虚ろな夜を過ごしたものだ。
そいつが、23本もやってきた。これで心がドキドキしないでいれるなら、そんな僕なら、あさって来やがれ! |
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荒唐無稽な物語である。
個性際だつ登場人物は、ハマってしまえば「キャラが立つ」、ハマらなければ「腹が立つ」。変人・奇人のオンパレードである。
舞台は、ボストンの弁護士事務所。経営者を筆頭に皆が若く、その上、揃いも揃って一癖もふた癖もあるレギュラー陣が居並ぶ。
毎回ストーリーの軸となる裁判沙汰がまた「ヘンな」で変わってて、神をすら裁判所に引きずり出してしまうような事件揃い、原告・被告ばかりか、裁判長も判事も弁護士も、登場人物すべてが「ヘンな」を際だてていく。
その世界の全体像がおしなべて「ヘンな」であるからして、その世界そのものに「ヘンな」の筋が一本通っては、「ヘンな」にもリアリティが生み出される。
かくして、荒唐無稽な物語は『アリーmyラブ』の世界観をしっかりと構築するに至る。
あまりに人間的に懊悩する物語である。
その悩みっぷりや「OH!NO!」ってな具合である。「ああだこうだ」の物語よろしく、答えはずっと風に舞いっぱなしで、見る側をして揺さぶり続ける。
それはフェミニズムであったり、恋愛や性愛であったり、根元的な孤独であったりする。
しかも、「本音とたてまえ」の揺れであり、論理と感情の行き違いであり、常識と非常識の狭間である。
かくして、懊悩するアリー以下登場人物のその「普遍性」が、共感を生むに至る。
そのスキルたるや、過ぎる程の物語である。 なにしろ、一話完結でワンクール23話の第三シリーズ突入となる。「終わりながら続けていく」その技術力は脱帽もの。しかも、アリーを軸にした群像劇として、個性際だつ登場人物それぞれを時々の主役や脇役に配すその手並み。ハリウッド百年、アメリカテレビドラマ五十年、その重みの何たるかを思い知らされることになる。
かくして、そのスキルにほだされて、熱狂的なるファンを生み出すに至る。 |
現実との格闘は、徒手空拳である。体はヘトヘト、心はパサパサとなること必定。
が、また『アリーmyラブ』が帰ってくる。毎週金曜日午後11時、NHKでの放映である。
なら、月曜日に水に潜っても、金曜日には息つぎができ、週末には、時間をつまんで映画を観ては、また息つぐ。
アリーのように懊悩し、アリーのように爆発し、アリーのように格闘しよう。
『アリーmyラブ』の効用を知る、紅葉の頃。
00/10/08(日) 23:05 あがった(VYT00134)
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text by あがった |
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