(1)KMM 教師のエスプレッソタイム NO.162
「教職員のための金融教育セミナー」08・09熊本市
■3人の発表があった。1人は中央より日銀の方が最近出版された金融教育プログラムの内容紹介を、1人は県の金融関係の方が金融トラブルの最近の事例紹介をされた。最後に、私の方で金融教育実践指定校としての実践発表をさせて頂いた。しかし、まだ指定校としては実践しておらず、今年3学期(昨年度)に行った実践の発表を行った。なお、この模様はNHKのラジオ・テレビでも紹介があったようだ。
「教職員のための金融教育セミナー」08・06・07東京都
■午前中は、岐阜大教授による「金融教育の進め方」という講演とパネルディスカッションであった。午後は、小学校部会に参加し、2つの実践発表を聞いた。
<1>小4社会「くらしを支える水」の実践
■何が凄いか、それは、一連の単元全体をお金に換算して、教材開発をし直し、実践されたことである。社会科の最終目標は、「人々の工夫や努力を見抜くこと」である。この工夫・努力をお金という視点で見ていくというわけである。私は、新しい教材開発の視点に目が開かされた思いがした。普通は、水道の蛇口をひねって、「どこから水は来ているのだろう?」ということになる。
これは、教材開発のコペルニクス的転回である。従来とは180度違うものである。
1>ペットボトル500ml=150円
2>ふろ代は一体?(計算問題)
3>水道水は無料?
4>水道料金調べ(料金表の比較)
5>学習課題の設定
6>水道料金はどうやって決める?
7>水道管・ダム・浄水場・働いている人・土地・森・・・・にかかるお金?
8>水にまつわる工夫をお金の方面から見つめていく
9>態度面での変化『もったいない』(具体的数値で指摘できる子の出現)という変化
■このパターン、つまりお金の換算で教材開発をしていけば、その他の単元も全てできそうである。例えば、農業単元では、「茶碗1杯のご飯はいったいいくら?」ということからスタートできる。従来なら、「どれが一番うまい?(熊本産VS魚沼産コシヒカリ)」というところから、私など授業をしていた。
■この実践者をはじめ、午前中の論客も、こう述べられる。従来の実践に「金融教育の視点」を入れれば、生活科・社会科・家庭科で十分、実践可能!
■ところがである。私は、次のような疑問を持った。引っ込み思案な私は、指摘を曖昧な表現で発表するしかできなかった。つまり、こうだ!
世の中には、ボランティアで仕事をされている方がいる。例えば、公園がきれいなのは機械にかける費用ばかりでなく、地域の老人会の人々の無償の行為があるのかもしれない。あるいは、漏水を防ぐため、水道局の方は日夜、道具を持って道路を歩かれている。こんな「見えない」努力を無視することにならないか!ということであった。全てをお金で換算していく子どもたちを生みだしはしないのか?ということである。もちろん、そこまで考えた上での実践とは思うが、この考え方を抜いた実践は危険でもあると感じた。それにしても、「教材開発」を生業としている私にとっては、とてもおいしい!研修会であった。これから、この考え方をもった上で、お金に換算する教材開発をやってみたいと特に感じたことであった。
<2>小全総合学習「お店を開こう」の実践
■学校長が主体となった教育実践であった。授業に「経営」という視点を盛り込まれ、店を開くにあたって、保護者を巻き込んで、現金を動かし、全校児童(少人数)でグループ化して、売上を競うという実践であった。その競い合いの中で、企画力、発想力、描写力、交渉力等々、総合学習が狙う「生きる力」を身につけるというわけである。競争が問題になるが、現実社会を見せるというわけだ。
■この売上計算が税金・人件費まで項目があって、我々一般教員ではできない実践であると感じた。事務の先生とかに入ってもらわないと、計算方法がわからないような内容である。保護者からも、この計算はおかしいのではという突っ込みも入るということだった。
世の中には、いろいろな実践があり、やはり我々教師は、「井の中の蛙」にならないようにしないといけない!と、つくづく感じた実践であった。
なお、金融教育に関してはウェブページに詳しいので、下をご参照ください。
☆★☆★ コメント ☆★☆★
これまで何度も紹介した金融教育についての実践である。新しい視点ではないが、「水」の方は他への応用が期待できる。「店」の方は、リアルにやればやるほど難しさが出てくる。税金など他の要素が絡んでくるから。しかし、将来の生きる力に繋がる実践であると思う。
●なんで学校に行かないといけないの?
時々聞かれるのが、
「なんで勉強しなければいけないの?」とか、「なんで学校に行かないといけないの?」とかいう類でしょうね。どう考えても勉強をしたくないための方便です。ですが、保護者側としてもサラリと答えたいものですね。
もちろん、正当な答があります。そういった答は文科省にきっとあるのでしょうが、子供たちには納得してもらえないかもしれません。
それではどう納得してもらえたらいいでしょうか。
●自ら勉強するように仕向けるテクニック
学校の勉強が苦手な中学2年生の男の子。数学は、小学生の算数から、例えば分数をわかってないし、英語はまったく最初から何がなんだか。とにかく、なんであれ本を読もうとするとすぐ眠くなってしまい読めません。で、何についてもやる気がないんです!とお母さまはおっしゃいます。そりゃあ、学校でやってること、授業での話、理解できなければ、やる気は失せるでしょう。
やる気をだせ!がんばれ!とか励ますことで何かが解決できるんだったら、とっくに解決してるはず。
さて、こんな中学生、いったいどうしたらいいのでしょうか?
☆★☆★ コメント ☆★☆★
どちらも難しい課題である。自分なりの答えを持って、サイトの回答を読んで欲しい。
(3) 時 事 通 信 「内 外 教 育」メールマガジン 2007/10/4 第165号
《「道徳の教科化見送り」に思う》 日本弘道会会長・鈴木勲
9月19日付の読売新聞の1面に、「道徳 教科化見送り」の大見出しで、中央教育審議会が「道徳は子供の心にかかわるもので、教科書を使って教え込むものではない」と判断したと報じられており、衝撃を受けた。山崎正和会長の道徳教育反対論が報じられてから、中教審はこの問題に消極的と見受けられただけに、その判断を注目していたが、安倍晋三前首相の退陣表明の直後にこの結論が出されたことに感慨なきを得ない。
小渕内閣の教育改革国民会議の17の提案に盛られた「小学校に『道徳』、中学校に『人間科』、高校に『人生科』などの教科を設け」るという提言は検討された様子もなく、せっかくの道徳教育刷新の機会を逸したと残念に思っていたが、安倍内閣の教育再生会議の第2次報告に「徳育を教科化し、現在の『道徳の時間』よりも指導内容、教材を充実させる」という提言が出て、道徳の教科化を多年主張してきた者として、今度こそと期待していたところだった。
教育再生会議の提案は、従来の教科と異なる新たな教科と位置付け、多様な教科書と教材を機能に応じて使うとし、点数の評価はしないと、特別な性格であることを具体的に示している。中教審が「教科書で教え込むものではない」と判断しているのは、従来の教科観の枠内で論じているように見受けられ、特別な教科としての在り方について、どこまで真剣に議論して結論を出したのであろうか。
戦前の修身科廃止の経緯やその功罪を検討し、隣国の韓国で修身科の遺産が引き継がれて「道徳」という名で小・中・高まで道徳教育の教科が置かれ、教科書が使用されているという事実やその内容等について調査されたかどうか。
少なくとも、二つの内閣での、教育改革の核心ともいうべき道徳教育重視の画期的提言を、棚上げにしてはなるまいと思う。中教審や文部科学省に引き続き慎重な検討を期待する。
☆★☆★ コメント ☆★☆★
道徳教科化の賛成意見である。こういったものは、賛成・反対の両方の意見を聞いてから、自分の意見を持ちたい。マスコミには、賛成意見がほとんど流れないので、ここで紹介した。