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報告者  土 井
 2009年6月18日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました。参加者(勤務校)を紹介しましす。
参加者は、土井、天野先生(大口町委),早川先生,藤枝先生,小山先生(藤里小),勝村先生(羽黒小),大野先生(犬山中),小澤先生(犬山東小),坪内先生(岩中),尾関先生(岩倉市教委),柴田先生(草井小),森本先生(古中),高木先生(犬南中)、奥村先生(岩南小),吉田先生(古西小)の14名でした。

 今回も「関係認識」の発問について、天野先生から説明を受けました。
 
 以下は、土井が提案したものです。番号をクリックしてください。

  『社会科教育7月号』おもしろ雑記帳
 第17回授業実践フォーラム参加報告
  教師力アップセミナー第2回
  ホテルアソシアおもしろ学校−ブログより−
  役立ちWeb特集  
  教育関連情報    
  MM紹介

『社会科教育7月号』おもしろ雑記
 7月号は、高木先生による「博学連携」でした。 こちらの意図が伝わっておらず、紙面構成は残念な結果になってしまいました。次回からは、事前にゲラをもらう事にしました。
 
 第17回授業実践フォーラム参加報告
  平成21年6月6日(土)・7日(日)羽島市文化センターで開催されたフォーラムの参加報告をしました。
 
「確かな学力」に支えられた「生きる力」の育成を
                         中教審教育課程部会長   梶田 叡一

言葉を通して思考力を鍛える
                  兵庫教育大学大学院准教授 勝見 健史
 
 特に、勝見先生の講座はとてもわかりやすく、たいへん参考になりました。ブログ「ようこそ社楽人」でも、5回ほどにわたって解説をしています。そちらもご覧ください。 

 教師力アップセミナー第2回
 
 「小学校外国語活動の在り方と今後」 前文部科学省教科調査官 菅 正隆 氏
 ブログ「ようこそ社楽人」から紹介します。 
 
  小学校英語はどうなる?−1−
 今日の午前中は、小牧中学校で第2回教師力アップセミナーでした。講師は、この春まで文部科学省初等中等教育局教科調査官だった、菅 正隆先生です。小学校英語活動を導入した人と言ってよいでしょう。
 すべてを理解している人の話はたいへん明快です。そのことを実感しました。数回にわたって、その内容を報告します。
 英語が日本に入ってきたのは、それほど前の事ではありません。私が生まれる100年ちょっと前の事です。ペーリーが2回目に日本へ来たときに、函館に水兵が上陸しました。そこでは、水兵と子どもを含む民衆とがふれ合った記録が残っています。はじめて民衆が英語に触れたときでした。
 そもそも、日本にとっての外国語学は蘭学での「訳読」でした。西洋の知識は、オランダ語で入ってきたのです。それを、日本語に訳す「訳読」が語学なのです。「訳読」が語学の中心なのは世界中で日本だけだそうです。島国だからです。
 欧米や韓国、中国は外国と陸続きです。そこでは、必然的に音声言語でのコミュニケーションが発生します。そのため、「話す・聞く」が外国語学の中心になりました。ここが、日本との大きな違いなのです。
 「訳読」の流れが変わるきっかけが、昭和61年の臨教審答申でした。
 「中高での英語教育は成果が出ていない」と結論づけました。そして、「英語教育の開始時期についても検討を進める」とされ、その後、約22年にもおよぶ様々な審議会や研究開発学校等での研究を経て導入されたのです。
 その間の流れは2つありました。
 一つは「国際理解」の流れ、もう一つが「コミュニケーション」の流れです。
 コミュニケーションは、「話す・聞く」だけではありません。例えば、手紙を書くのもその一つです。今回は、英語をツールとしてコミュニケーションを図ろうというものなのです。
 
小学校英語はどうなる?−2−
 菅 正隆先生の講義の続きです。 
 小学校外国語活動の目標は、次のものです。
 外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。 
 小学校では「コミュニケーション能力の素地を養う」ことがねらいであり、極端な言い方をすれば、「伝えたいという気持ちが育てば、英語的にむちゃくちゃでもよい」のです。
 
 そもそも、週45分間で、英語が身に付くはずはありません。
 ここで、参加者で実験を行いました。
 二人一組になります。
 左側の人が、右側の人に英語で1分間自分の夢を語ります。片言で、単語の羅列だけの人もいます。
 次に、右側の人が、相手が言った事を30秒で日本語で話します。
 「あなたの夢は、○○、○○なんですね。」
 見事に通じているではありませんか。この、「相手に通じた!」という感覚を味わわせる事が重要だと、菅先生はいいました。
 実は、英語が得意で、流暢に話せる人ほど、実は相手には伝わらないのだそうです。分かる気がします。コミュニケーションは、伝わることの方が、文法的に正しいかどうかよりも優先するのです。
 英語が苦手な私ですが、かなり安心しました。
 
 菅先生は、こう続けられました。
 「中学校へ入って、最初に英語で自己紹介してと言ったときに、子どもがいやがったら小学校外国語活動は失敗。むちゃくちゃでもいいから、紹介を始めたら成功。」と…。
 
 小学校英語はどうなる?−3−
  2回にわたって菅 正隆先生の講義から小学校英語の概略を見てきました。短い言葉の中に、小学校英語活動の本質が見えてきました。
 今回は、筆者が独自に受けた印象を中心に報告します。
@ 外国語活動はグループエンカウンター、すなわち学級づくりのツールになる。 
外国語活動は、コミュニケーションを主目的としています。学級内の人間関係ができていないと、授業が成立しない可能性もあります。逆に、外国語活動をうまく利用して、学級づくりに生かす事もできます。いずれにしても、担任の力量が必要です。
A ALTはあくまでもアシスタント
ALTの人も勉強していろいろな活動を用意してきています。しかし、あくまでも主役は教師。事前に打ち合わせをして、ALTをうまく活用したいものです。
B 教師は学ぶ姿を見せる
  外国語活動における教師は、「英語を教えよう」と思ってはいけません。「英語で楽しもう」ぐらいがよいでしょう。特に、ALTがいるときは、表現を学ぼう、楽しもうとする姿を子ども達に見せてあげてください。
C 「英語ノート」は選択で
 「英語ノート」はすべてやらなくてもOKです。学級の実態に合わせて、必要なものを選んでください。中学校との接続を考えてあるので、他の教材よりは、はるかに優れています。
D 文字の取り扱いは
 文字を気にすると聞こうとしなくなります。目で見てしまうと聞こえなくなるものなのです。また、英語は、最も文字と音がつなげられない言語の一つです。イレギュラーが多すぎるのです。文字は最低限として、音をメインにしましょう。
 
 全国98%の小学校で英語活動が始まっています。あくまでも楽しく。情意を育てる事をねらって欲しいものです。

 
ホテルアソシアおもしろ学校−ブログより−
  昨日は、ホテルアソシアおもしろ学校本年度2回目、三浦光俊先生の国語の授業でした。
 「黒い目のきれいな女の子」
 さて、みなさん。これは、何通りの意味に解釈できるでしょうか?
 例えば、 
 「黒い目の、きれいな女の子」黒い目をした女の子がきれいという意味です。
 「黒い、目のきれいな女の子」黒い肌をした、目のきれいな女の子という意味になります。
 まだまだありますよ。考えてみてください。解答例は明日のお楽しみです。
 
 次がこの俳句です。
 
 米洗ふ 前(  )蛍が 二つ三つ
 
 (  )には、何が入ると思いますか?
 「に」「へ」「を」
どれも入りますが、意味が微妙に異なります。
 どう異なるかを、みなさん、考えてみてください。
 ※ この続きはブログでご覧ください。

 役立ちWeb特集 
(1)14種の観測装置を搭載した「かぐや」は月の上空約100キロを回る軌道から、各種の観測を実施した。  http://www.jaxa.jp/article/special/kaguya/index_j.html

(2)熱中症の予防に役立つ環境管理温・湿度計 これはいい!
 熱中症の注意レベルを4段階でカラー表示し、家庭やオフィスで熱中症の予防に役立つ温・湿度計が登場。熱中症の指標として気象予報等で使われているWBGT(湿球黒球温度)をもとに、温度・湿度から熱さの指数を想定し、熱中症予防の注意レベルを表示。
 
(3)インターネットの電子図書館、青空文庫     http://www.aozora.gr.jp/ 
 
(4)携帯依存度に関する実態調査
 学生を対象に、学校でのメールチェックについて調査したところ、「休憩時間にチェックする」が過半数を超えてと最も多く、次いで「授業中でも隠れてチェックする」が26.4%。また、眠る時に枕元に携帯電話を置いて寝るという回答が92.7%。
 
(5)情報モラル専用サイト「i(あい)−モラル」
 愛知県教育委員会は、「情報モラル」専用サイトを開設し、「愛知1000校の取組」を始めとした「情報モラル」向上の取り組みの様子を、日々発信。愛知県内にある全ての公立小中学校が、「情報モラル」向上に取り組んだ内容を掲載するとのこと。
 
(6)日食を観察する方法
 7月22日の日食に向け、日食を安全に観察する方法を紹介。肉眼や下敷き、CD、フィルムの切れ端などは目を痛めるので、絶対やってはいけないとのこと。厚紙など、光を通さない薄いシートに小さな穴を開けて、日食中の太陽の光を当てる方法を紹介している。
 

6  教育関連情報
(1)小中学校の新しい教科「日本語」に期待 2007/05/04
 教育特区の東京都世田谷区で今年4月から新しい教科として「日本語」が始まりました。世田谷区では、2004年に特区事業として「美しい日本語特区認定」を総務省から受けましたが、その延長線上に今回の教科「日本語」の開始があります。
 教育指導課によると、教科「日本語」のねらいは次のようなものとされています。
1.深く物事を考える児童・生徒を育成する。
2.自分の考えを表現する力や、他人とのコミュニケーション能力を育てる。
3.日本の文化や伝統への理解を深め、それらを大切にする態度を養う。
 これまで日本の小中学校おいて、「考える教育」「コミュニケーション教育」という観点が薄かったことへの反省があちこちで起こっています。実は、外国人に日本語を教える日本語学校では、ずっと以前から「自己表現」「他者と伝え合うこと」を重視した教育を行っているのです。「考える教育」「コミュニケーション教育」は、まさに日本語学校における教育そのものです。もちろん日本語能力試験や大学受験のため、詰め込み教育をやっている教育機関がないわけではありません。しかし、知識偏重に陥ることなく、「言葉は文化」という視点から授業を行っているのが、日本語学校です。(以下略) http://www.news.janjan.jp/column/0705/0705040884/1.php
☆★☆ コメント ☆★☆
 世田谷区の「日本語」教科書を取り寄せてみました。大人が読むと、なかなか興味深い読み物です。
 
(2)トイレの汚れ・におい分解 全小中学校に光触媒 春日井市今年度中(愛知)春日井市は、今年度中に市立小中学校(54校)のトイレのすべての便器で、光を受けて汚れやにおいを分解する光触媒(二酸化チタン)の塗布を完了すると発表した。
 最近は家庭で洋式トイレが普及したこともあって、「学校のトイレは古くて臭い」「子どもが帰宅するまで我慢している」などと保護者からトイレの改善を求める声が寄せられていた。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/05/20090610-OYT1T00077.htm?f=k
☆★☆ コメント ☆★☆
 残念!掃除を指導する機会を失った。学校のトイレでも、きちっと掃除をすれば臭わない。
 

 
 MM紹介
(1)Japan On the Globe(602)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
     国柄探訪: 外国人の見た「大いなる和の国」
    「私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの」
☆★☆ コメント ☆★☆
 気に入っているMMの一つです。日本人が見てもどうってことのない光景から、日本人の本質に迫るような見方をしています。ご覧ください。(以下引用)
 
■1.スクランブル交差点での傘の群舞■
 高層ビルのレストランで、アメリカから来た老夫妻との食事を終えて、廊下に出ると、雨が降り出していた。廊下から外を見下ろすと、そこはハチ公広場前の大きなスクランブル交差点で、信号が青になると色とりどりの雨傘がひしめいていた。老夫妻は足をとめ、じっと窓から見下ろした。
 私たち、こうするのが大好きなの。日本のことが一番よくわかるから。雨の日、そしてことに渋谷のような大きな交差点。ほろ、あちこちの方向へ動く傘をよく見てごらんなさい。ぶつかったり、押し合ったりしないでしょ? バレエの舞台の群舞みたいに、規則正しくゆずり合って滑って行く。演出家がいるかのように。これだけの数の傘が集まれば、こんな光景はよそでは決して見られない。
 
 この言葉に、海外に合計15年も住んでいた文筆家の加藤恭子氏は次のような感想を持った。
 
  内なる「外の眼」(JOG注: 海外生活体験を持つ日本人の眼)を意識している私も、ここまでは気づかなかった。
 いつもせかせかと急いでいる私は、「傘の群舞」に眼をとめたことすらなかったのだ。真の「外の眼」のみが指摘できる特徴だったのだろう。[1,p240]
 
 日本人には「せかせかとした雑踏」としか見えないスクランブル交差点で入り乱れる傘の群れを、この老夫妻は「規則正しくゆずり合って滑って行く」日本人の姿として捉えていたのである。
 加藤氏が編集した『私は日本のここが好き! 外国人54人が語る』[1]には、こうした「外の眼」から見た日本人の様々な姿が描かれている。そこには我々自身も気づかない自分自身の姿がある。
 
■2.お互いに「すみません」■
「スクランブル交差点での傘の群舞」とは、一人ひとりの行きたい方向はそれぞれだが、互いに他の人のことを思いやって、 全体として一つの秩序を生み出している日本社会の見事な象徴である。そこには一人ひとりの自由と、共同体としての秩序が共存している。
 我が国ははるか太古の時代に「大和の国」、すなわち「大いなる和の国」と自称した。アメリカから来た老夫妻が見た「スクランブル交差点での傘の群舞」は、まさにこの国柄が現代にも息づいていることを窺わせる。
 「大いなる和の国」が成り立つのは、一人ひとりがすれ違う相手のことを思いやる心を持っているからである。この思いやりは、日本に来た多くの外国人が感じとっている。
 中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。
 これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。
 ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。
 日本人は他人の生活に干渉しません。うわべの付き合いのように見える関係は、多くの中国人が偽善と感じるものですが、私は、自分の主張を人に強制して受け入れてもらう必要はなく、干渉せず、お互いに好意を持って付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良いと思います。[1,p31]
 お互いの自由な生活を尊重しつつ、困った時には助けてあげるのが、「大いなる和の国」の流儀である。
 
■3.周りの方の「がんばれー」光線■
 この流儀は、もちろん海外から来た人々にも発揮される。北アフリカのチュニジアから来た学生のアシュラフ・ヘンタティさんは、まだ滞在1年未満だが、こんな体験をしている。
 
 僕はまだ日本に慣れていなくて、日常生活でも、日本語でも、悪戦苦闘の日々なのですが、いろんな場面で、皆さんが「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」と声を掛けて下さいます。
 実は初め驚いたのです。よその国では、そういう経験があまりないからです。日本では乗り物などでマゴマゴとまどっていたりすると、周りの方の「がんばれー」光線を感じます。身も知らぬ僕のためにハラハラと心配してくれているのですよね。例えば、これがフランスなどですと、むしろ冷たい視線を受けてしまいます。自分の権利やふるまいには自信や主張を強く持っていますが、他人にはかなり冷たいところのある国ですから。
 逆に日本は、僕のようにあまり深いつきあいのない外国人であっても、そんな風に誰もが励ましのエールをくれます。温かいなあと感じます。「がんばって」と身近な皆さんに言われて、それがプレッシャーだった時もあるのです。こんなにがんばっているのに、自分はそんなにがんばっていないように見えるのだろうか、と。今は、その言葉が励ましの意味だけでなく、むしろ「見守っていますよ」という温かい気持ちの代わりの言葉なのだと解って来ました。 [1,p167]
 
 「スクランブル交差点での傘の群舞」の中で、一人マゴマゴしている外国人がいれば、「がんばって」と声をかけるのが、「大いなる和の国」を成り立たせている思いやりの心である。
 
(中 略)
■8.「日本は他の世界と共有するものをたくさん持っている」■
 世界の多くの国民国家は、多かれ少なかれ、こうした家族的側面を持っている。北欧諸国やタイなどはその模範的な存在である。その中でも、我が国はもっとも理想に近い国民国家と言えよう。
 スイスから来て滞在10年のビジネスマン、ウルフガング・アンベールドローさんは、こうアドバイスしている。
 今日のグローバル社会において、日本は、他の世界と共有するものをたくさん持っているという事実にもっと気がつくべきだと思います。[1,p222]
 
 ここで紹介した人々が共感した「大いなる和の国」の光景は、まさに「幸福な国民国家のあり方」として、他の世界と共有しうる理想であろう。
 この理想は、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」として、十七条憲法の冒頭に掲げられたものである。                               (文責:伊勢雅臣)
 
(2)1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』45,000部まぐまぐID:0000094236
「日本人はどこまで減るか」古田 隆彦、幻冬舎(2008/05)\798
■人口の減少がはじまった日本ですが、人口の歴史、そしてこれからどうなるのか、について教えてくれる一冊です。
 私には世界の人口の歴史が非常に興味深く読めました。
■歴史を見ると、世界でも日本でも、ある壁を突破したときに人口が急増しています。
 その壁とは、石器を使うようになったとき、農業を始めたとき、工業が発展したときなどです。
 こうした文明の発展のときに人口は大幅に増加しているのです。
■こうしてみると、人口というものは、社会状況によって人間が制御しているとも言えると思います。
 それは強制的なものではなく、そこに生きる人が、経済状況などから子どもを生むのか生まないのか選択しているということなのでしょう。
■日本も人口が減っている状況に対し、「どうすれば増えるのか?外国人を入れるべきか?」などという議論がされていますが、著者は、日本の人口は減っていないと主張しています。
 つまり、老人の定義を六五歳以上から七五歳以上へ変えれば、働ける人は増えているということになるのです。
 確かに60歳で引退するのは、ちょっと早いかなと感じるところもありますね。
 ・子どもの定義を十五歳未満から二五歳未満へ、老人の定義を六五歳以上から七五歳以上へ、それぞれ変えていけば、2030年ころまで「子どもは増え、老人は減る」のです(p10)(以下略)
☆★☆ コメント ☆★☆
 おもしろい論です。というより、私も常々感じていました。「少子高齢化」の「子」は社会に出る前の人という意味ではないのかと。人口は平和度と比例すると聞いた事がありますが、それなら今はどうなる?
 

  問い合わせは 土井謙次  syaraku@tcp-ip.or.jp