大口南小学校研究発表会参加リポート
H16.11.11 文責・土井
以下の記録は、当日土井が記録したものに主観的に加筆したものです。言葉足らずのもの、誤解があるかもしれませんが、その場合はご指摘頂ければ幸いです。訂正いたします。また、係の仕事のため、開会行事、研究発表にも参加していないことを前提にお読みいただければと思います。すべての文責は土井にあり、大口南小学校や授業者、講師の先生には全く責任はありません。あらかじめご了承ください。
平成15・16年度丹葉地方教育事務協議会・大口町教育委員会 研究委嘱
大口町立大口南小学校学習指導研究発表会
平成16年11月2日 12:40〜
テーマ「自ら学び、みがき合う子」−かかわり合う楽しさ・喜びが味わえる授業の創造−
〔 公 開 授 業 〕
2クラスを参観したが、そのうちの一つのクラスについてコメントしたい。
第1学年2組 指導者は高橋先生と田口先生のTT。授業が始まって20分後ぐらいに教室へ入った。
単元は、たのしく本をよもう−「きつねのおきゃくさま」(あまんきみこ サンリード)−
教室に一歩はいると、担任の、あるいはその学校の目指しているものが明確にわかる。
黒板の上には、「 レベル1 話しをする人を見る 、レベル2 最後まで話を聞く、レベル3 うなずきながら聞く」と貼ってある。(他のクラスも貼ってあるのだろう。)
これを見ると、長良東小学校の教室を思い出す。これだけの短い言葉で、子どもをどう育てたいのかが明確にわかる。
元長良東小学校・河井学級の授業を見ると誰もが子どもたちの「話す力」「聞く力」に驚く。ただ、これまでの経験から「話す力」を鍛えるのは難しいことではないと思っていた。本当に難しいのは「聞く力」だと。「聞く」ためには、国語以前の問題、すなわち相手への敬意など、基本的な人とかかわる力の存在が前提となる。それは、学級経営で育てる範疇のものになる。
そして、聞き手の「聞く力」が育った時に、はじめて相手を意識した「話す力」が育つ。
「話す力」は、ただ自分の意見を整然と言うことができるということだけではない。「聞き手」を意識した話し方ができること、それが本当の話す力だと考えている。それを、ここでは「相手意識」という言葉で表現したい。この「相手意識」のある話し方ができるようにするのは難しい。
さて、教室掲示に戻るが、まず話す人を見る事から始めたことは大賛成だ。「話を聞きなさい」は心情に訴える指示であり、人を動かす指示にならない。しかし、「話す人を見なさい」は確実に人を動かす。「前を見なさい」より「おへそを向けなさい」の方が子どもが動くことと共通している。それ以上に、「話す人を見る」というのが、相手への敬意を涵養する効果があること忘れてはならない。
レベル2が「最後まで話を聞く」。これは長良東小ではあまり見かけなかった言葉だが、実践上大切なポイントである。「話す力」と「話す意欲」が高まると、つい相手を遮って話したがる子が出てくる。それは自然な子どもの姿であるが、相手意識、すなわち話し手への敬意を考える時は最後まで聞くことがマナーとなろう。
レベル3が「うなずきながら聞く」。長良東小・川田学級では、「自分の立場がわかるような合図を送る」という教室掲示があったが、1年生としては十分な指導だろう。これは、一つは聞く事への集中化であり、2つめにはその後の話し合いのための意思決定を促す手段、3点目が聞き手への敬意の表現だと考える。実は、この「うなずき」が話し手を育てる。
もう一つの掲示が、話し方の型である。賛成・反対や理由を言う場合の話型が示してある。小学校として、大切な指導だ。
そして、実際の子どもたちは・・・・
実に上手に話している。「はじめに・・・」「次に・・・」「理由は・・・」など、意見の言い方がしっかり訓練されている。
また、時々ざわつき始めた時の、先生の「きき名人になりましょう」の一声で、子どもたちがさっと姿勢を正し、後ろで手を組み、話し手を見る。このタイミングが絶妙だ。
しつけ以外でも、「本から理由をさがさなきゃ」という助言は、国語の本質にせまるものであり、たいへん有効だった。
授業は、次の学習課題で進められていた。
「いや、まだいるぞ。きつねがいるぞ。」
は、だれのことばか、かんがえよう。
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教室へ入った時には、ちょうど自分の意見を挙手により表明しているところだった。なんと正解の「きつね」が1名、他は全員が誤答の「おおかみ」。授業者としては最高の展開だ。
「きつねおのきゃくさま」の内容について触れておこう。
きつねはほかの動物から見れば、危険な動物であるが、そうは思わない動物がいた。それが、“ひよこ”である。きつねに初めて会った“ひよこ”は、きつねのことを『お兄ちゃん』と呼ぶ。そして、自分の家に招き入れるきつねの本心も知らずに『やさしいお兄ちゃん』と言う。
あひるも、うさぎも、初めは“がぶりとやられる”と思っていたが、ひよこによって、その考えは変わり、“親切なお兄ちゃん”“神様みたいなお兄ちゃん”と呼ぶようになる。
自分の良さを見つけ、信頼してくれる、ひよこ・あひる・うさぎによって、きつねの内面が変化する。そして、自分自身も三匹のことを信じている。
だからこそ、三人が命の危険にさらされたときに、自分の命をかけてでも守らずにはいられなかったのである。
この学習課題は、きつねがおおかみの前に立ちふさがる場面の言葉である。
議論が続いたが、子どもだけの話し合いでは、揺さぶりにはなったが決め手にならなかった。しかし、田口先生が「きつね」の立場で意見を言ったら、「そうか」という声と共に、立場が変わる子が続出した。「はじめから迷っていたんだ」と、言い訳まがしい事を言う子もいるところがかわいい。
その後、「いうなり」というひとつの言葉にこだわることにより、子どもは納得していった。
その後、ペープサートによるきつねの気持ちを考えながらの音読、「きょうのなるほど」へとつないでいった。
ペープサートは、TTによる表現豊かなコンビネーションにより、子どもを引きつけていった。
その後の、「きつねさんは前からひよこさんたちを助けようと思っていたのかな」という発問は、悪くはないが、残りの時間がなさ過ぎた。全員が考え、自分なりに答えを出す前に教師の方から答えを出してしまった。やや教師の焦りを感じた。指導案にはなかったので、次時にまわした方がよかったのかも知れない。
「きょうのなるほど」は、最も「なるほど」と思った子を相互に出し合い、全体の前で認める
場である。一人目の子は、単純に黒板を見て目立つ子の名を言った感がしたが、二人目の子はただ一人正解を述べた子の名を挙げた。この2人が意図的に指名されたとしたら、これはすばらしいテクニックだ。二人目の子を全員の前で誉めてやれば、全員が伸びる。
全体を通じて、教師と子どもの人間関係のよさを感じるすばらしい授業だった。
〔 分 科 会 〕
始めに林先生から、物語文教材の取り組みについて報告があった。概要は次の通り。
研究主題「自ら学び、みがきあう子」
子どもたちに学校でしか味わうことができない学習、すなわちかかわり合う楽しさ・喜びが味わえる授業の創造をめざす。
「かかわり合う力」を高めるためにどのような場を設定し、どのような手立てで力をつけていくか。特に、授業の中で、どのように子どもと課題とをかかわせるのか、また、どのように友だちとかかわせるのか、さらにどのように自分を見つめなおし、自己を振り返らせるのか。
特に、国語科の学習では、「話す」力、「聞く」力を育てることが、よりよいかかわりのための第一歩と考え、それによって「かかわる力」を高めようと研究を進めてきた。
愛知教育大学教授佐藤洋一先生に説明文教材を5つのステップで課題ごとにとらえ、学習のねらいを明確にした授業づくりの方法を教えていただいた。
学習計画の5段階ステップ
ステップ1 導入・基礎学習
単元の導入段階として学習課題を確認し、学習の見通しをもたせる。
教材への意欲化を図る。
ステップ2 基本学習
教材文の内容を読みとり、文章構成のよさや話のおもしろさをつかむ。教材文を学習のモデルとしてとらえ、構成の仕方や登場人物の心情のとらえ方、スピーチなどの発信の仕方などを学習する。
ステップ3 応用・個性化学習
「基本学習」で学んだことをもとに、子どもひとり一人が興味や関心のある学習を進め、情報を再構成するなどして発信の準備をする。 ステップ4 発信・交流学習
スピーチや討論会、発表会といった形で、それぞれの学習の成果を発信し、交流する。交流の中で、相互評価を行い、互いのよさを認め合いながら学習の成果を広める。
ステップ5 評価・一般化学習 自己・相互評価、他教科への応用
単元全体を通して、自分を振り返り、自己評価や相互評価をしながら、学習したことをこれからの学習や生活に生かすことを考える。
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物語文の学習では、子どもひとり一人の豊かな読みを大切にし、発信・交流していくことをねらって実践に取り組んできたので、ステップ2の基本学習とステップ4の発信・交流学習で物語文学習の特徴が見られる。
学習シートを利用すると、3つの効果がある。
1 学習シートを作成することにより、1時間ごと、また単元を通しての学習のねらいが明 確になり、子どもが見通しとめあてをもって意欲的に学習に取り組むことができる。
2 学習シートにより時間の短縮になる。
3 学習の流れを振り返りやすくし、達成感をもてるように、さらに自己評価、相互評価 などで自分の学習を振り返ることができる。
指導と評価の一体化という課題から、「評価規準表・学習シート資料集」に、説明文と物語文の評価規準表が載せてある。具体的な評価規準を設け、それに対して判断するもととなる基準を設定した。3段階評価でのBを中心に考えて、作成している。
本校の研究の成果と課題
・ 真剣に友だちの話に耳をかたむける態度や自分の考えを大切にし、進んで発言しようという姿勢が見られるようになってきた。
・ 学級内でいろいろな子と交流を重ねることによって、相手の意見を尊重しようと言う雰囲気も高まってきた。
・ 他教科の学習や委員会の話し合いにおいても、課題とかかわり、人とかかわって話ができる様子も見られるようになってきた。
これらから「自ら学び、みがきあう子」の姿に少しずつ近づいてきたと思う。
課題として
・ 5段階ステップの学習や「かかわり合い」を重視した学習方法をいかに有効に他教科の学習へと生かしていくのか
・ 学習シートを作成するにあたって、どのように内容を精選し、ポイントをしぼって、子どもたちの学習に有効なものを作成していくのか
・ 評価規準と評価方法を見直し、より具体的にどのように評価し、支援をしながら学習を進めるのか
「かかわり合い」を重視した模擬授業
次に、木原先生により、模擬授業が行われた。
〔土井の分科会の感想〕
初めの説明には、紀要にはない情報が多く、紀要だけではわからないことが理解できた。
特に、ワークシートは労作で、すべての物語・説明文教材で、次の5段階でシートが作られている。誰でも、ある程度の授業の質が確保できるという点で、教授システムとしても優れている。
模擬授業はおもしろい。模擬授業が、今回の説明を端的に15分で参加者に理解させた。
これは、説明だけでも、また模擬授業だけでもいけない。両方あったことが、抽象と具象を結びつけ、研究内容をイメージさせることができた。
模擬授業の中には交流があり、話型に合わせて互いの意見を交換した。まさしく構成的グループエンカウンターであり、「人とのかかわり」をつくる上で有効な手段だと思われる。
木原先生もよく全体をリードしていた。
講演「コミュニケーションと現代の子供たち」
愛知教育大学国語教育講座教授 佐藤洋一(要旨)
心と言葉、人間関係、それを学校教育でどのように育てていくかの話しをする。私はカウンセラーでも家庭教育ではないので、国語教育、国語の授業論の立場からお話ししたい
私は昨年5月17日に四役の先生方とお会いした。
そこで長屋校長先生が次のように四点を言われた。
1 総合的な学習をすすめてきたが、きちんと話したり聞いたりする力、関わる力が弱いという 課題が浮き上がってきた。
2 学校しかできない研究をやりたい。
3 教科を絞ることを考えていないが、基礎教科である国語科を中心にして取り組み、そこで培 った力を他教科に広げたい。
4 友達や地域との関わりを大切にしたい。
依頼をお断りしている学校もあるが、校長先生の人柄や国語の学力の大切さを認識しており、総合的な学習を実践した上での課題が見えてきたその問題点を踏まえていることから協力を決意した。そして、講演や授業を含めて7回の授業研究に関わってきた。
今日に至るまで先生方や地域、教育委員会のご苦労とご尽力があった。
コミュニケーションと現代の子供たちについて、そこからどのような人間性、社会性を育てるのがポイントかをお話ししたい。
子どもたちのコミュニケーションの問題は、外で遊ぶことが少なくなる、約15、6年前のゲームから始まった。ここから遊び=ゲームになった。一人で遊ぶゲームが主になり、それまでの
集団での異質な関係で人間関係の作り方、社会性の基礎を学び、それが地域で是正されたこれまでのしくみが崩れた。
また、社会の変化でネット環境の整備や、地域のつながりが薄くなり、社会性を築く場が家庭と学校に限られた。
大南小の地域は協力的で、子ども達もたいへん素直だ。都会などでは、小学校からすれている子はいるがここにはいない。
学校には、子どもの社会性を築く責任があることはみんな分かっている。しかし、そのための具体的な手だてが見えない
子どもは、小4、中2が葛藤のピークである。最も心が揺れ動く。
確かに小1からたち歩きをする子がいることが問題となっているが、やはり小4と中2が最も変わる時。
今の子どもたちの問題は、自分の居場所が見つからないことだ。本心が見えない、安心して発言したり、間違ったことをしてもなおしてもらえないなどのストレスを抱えている。しかし、たった一人でも信頼できる人がいれば安心して生きていける。その人が親や先生ならいいのだが、チャットや出会い系など、そうでない人に求める例もでてきている。寂しさのあまり、仲間がほしくて、自分を見失う子が多い。
女の子の間では、ダイエット、自分は太っているのではないかが重要な話題になっている。大人から見れば何でもないことが問題になる。
また、いつもグループになりたがる。一人でいられないので、無理してグループを作るが、そのグループ内の人間関係により、グループでいることがストレスになる。それがこじれると問題になる。
今の子ども達には、トラブルが生じたときにどうするかを教えてやることが必要だ。具体的に言えば、相談できることだ。
そして、聞く力、人間的な想像力、相手に対する配慮を教えなければ、また、人間関係の因果関係や思考力、そして人間関係を多面的・分析的に見る力が必要だ。言葉の背景や場面を読み解いていく力が必要だ。
たとえば、害虫といわれて引きこもりになった子がいる。言葉には場面と背景がある。害虫という言葉を人に対して使うと、相手がどう思うかと想像する力がない。
言葉の背景を読みとる力が必要だ。そのためには国語科におけるコミュニケーション能力の育成が大切だ。
これは大学生にも必要で、それまで優等生できた大学生が入学したとたん、学校に来れなくなった子もいる。言葉の背景がわからず、言われた言葉をストレートに受け止めてしまった子。いろいろな文脈、言葉の持つ背景、人間関係の距離を受け止められないので、言葉そのものがストレートに自分にかぶさり、傷ついてしまう。
家庭では、人間的な言葉を介したコミュニケーションができているか。
親が一生懸命に話すほど、だめになる子がいる。一つは聞く力、他と関わる力が欠けていることもあるが、親の方に精神的な余裕がなく、ついつい押しつけてしまっている。そして子どもが反発すると、「何不自由なく育てたのに、裏切られた」と思ってしまう。
父親は、そろっている場合には思春期の頃こそが社会の価値観とルール、人生の価値観、本、そういったものを教えていかなくてはならない立場だ。しかし現実に父親は忙しい。そして話しが長い。つい説教になる。いつも母親から叱る役割を与えられるので、人間関係を築けない。疲れているので、人生の価値を語る余裕がない。
子供の発達段階もあるが、親は自分をさらけ出して語り、教訓を言わない。いっしょにニュースを見て、事件について感想を言うなど、対等な関係で聞いてやる、簡潔に短く言うなどの接し方がよい。
愛教大で授業をやるときに私はいつも学生にいうことがある。「誠実で正しい努力をしたものが報われる」こういってやると、学生が明るくなる。そして評価基準を明確に言う。言葉はやさしく、内容は厳しく。たとえば欠席は2回まで、遅刻2回で欠席1回分。レポート、小レポートは必ず出す、など。そして、これを時々繰り返す。
講義の内容が現場にでて役立つかどうかは学生が判断する。大人が学ぶものに対して責任をもって教えることが必要。そして、どうなるとわかったことになるのかを示してやることが必要。
親は子に、「何があっても最後まで信じているよ」というメッセージを伝えることが大切。
みんな悩むのが当たり前だ。うちの子どもも、小学校の頃、座右の銘を書くときがあった。そこで書いたのが、「さわらぬ神にたたりなし」
がっくりしたが、おそらく学級にいろいろな子がいて、子どもなりに無事に生き抜くことを考えていたのだろう。それ以来、親と子は別人格だと思うようになった。
あれこれ結果を心配するよりも、はっきり言わないと伝わらない。友達やおじいさんにもきちんと相手の顔を見て言葉で言う。なんとなくではなだめ。
友達を大事にすると言うのは、言いなりになったり、我慢することではない。悪いことでは悪い。いいこといっしょに喜べる。それが友達ということを教えてやりたい。
これからは、言葉と言葉にならない部分の両方を、学校教育の軸にする必要がある。
大口南小学校の研究で印象に残ったこと5つある。
1 学習シートや振り返りシートによって何がわかればいいのか、何ができなかったのか、目標 が目に見える形で示したこと。
ワークシートの活用は、文科省も言ってきたことだが、国語科では難しかった。
ひまわり学級へ最初に行った。すばらしい授業だった。2組の木田先生のクラスでは、「おおきなかぶ」の授業で、生き生きと学習していた。振り返りシートは、小学校2、3年生レベルで使える内容だ。振り返りで、「お話をすることが楽しかったです。」と言っていた。楽しくなければ中身は伝わらない。
振り返りは次のものがあった。
「話しをする人を見て話しができましたか。」
姿勢や態度を振り返らせている。大切なことだ。
「みんなに聞こえる声で話しができましたか。」
音声のレベル。よく、「大きな声で読みましょう」というが、これはいけない。適度な音量で聞こえるようにコントロールする事が大事
「ぼくは・・・です」と丁寧に話しができた
文型や話型は、論理的に話すベースになる。
「みんなの方を見てきちっと話が聞けましたか。」
これも伝える基盤。
最後まできっちり話すことができることも大事で、語尾を意識させる事が重要。聞く側も、何を言いたいのか考えて聞く
「友達のよいところは・・・・・・です」
いつもよいところを見つけて聞くようになる。欠点はすぐわかる。
どこがよいのか普段から教える必要がある。
振り返りシートは、何がどうできるのがよいのか目に見える形を示す。教師は何を教えたいのかを明確にする必要がある。
授業では、児童が先生が指名しないのに言っていた。エピソードが選ばれている。
おじいさん、おばあさんのイラストを張って、誰のことを言いたいのか名札をはらしていた。
重要な発信である。
こんぎつねで、登場人物に手紙を書きましょうという授業があった。普通はごんや兵十に書くが、その中に兵十のおっかあという子がいたら、その子はよほどユニークかわかっていないかのどちらかだ。好きな人物を選ぶことも立派な学力である。
丹下先生の授業もよい授業だった。
料理は目に見える形で授業が成立する。
完成した料理には、順番があり、手順がある。論理的、分析的に友達にわかりやすく説明できなくては料理ができない。
声が小さいときは、「先生にわかるように言ってね」と、少し離れて後ろに座って言った。わかりやすく、段階的に、資料を使って、音声によってわかるように言わせている。こうしたことは、学校教育を貫く重要なことである。
学習シートはあんなにつくらなきゃいけないのか?
実は、あんなにつからなくてよい。基礎から発展まで、作ることが今回は大事なことだった。正直言って、まだ直さなきゃいけない所もある。しかし、よく1年6ヶ月でここまでやったものだ。
なぜ学習シートを作るのか、意味は3つある。
@ 説明文や物語分の読み方のモデルを示す。
ごんぎつねをやったら、他の物語でも応用できるようになる。
A 自分の考えやを書くことで発信の元になる。
B ノートや学習記録として振り返ることができる。
学び方の学習だから、いつも作らなきゃいけないことではない。ここで学んだことは、他教科や他の学年でも通用する一つの方法である。
シートづくりはたいへんなことだったが、これからの公教育の課題は教師の授業力が大変重要
まず5段階を元にシートを作ってみる。そして、慣れてきたらシートを作らなくてもよい。
苦手な子が理解できる手だてが大事。教師の中には、10時間ならこれは教える、これはどうするのプランニングの力が必要だ。
大口南小の2番目の特色。
つける学力を明確にして指導案に明記したこと。
戦後50年 国語科は学習指導要領では評価の基準が見えてこない。
現指導要領では「論理的に」と書いてある。これ自体は画期的なことだ。ところが、論理的とはどこをどうすればよいのかが書いていない。これは一例で、「要点をまとめる」、「段落相互の関係をつかむ」などはもっとひどい。
いろいろな学者がおり、あまりにもある学者や団体の説を引用すると文句が起こる。そのためにつける学力を整理しにくい。したがって、国語の学力はあいまいなままきてしまった。
まちがっててもいいから、まずはこうするという例を示してやってみることが大事
3番目の特色。
段階的な学習課程をくんだことだ。なぜ5段階でなくてはいけないのか。
これまでの導入、展開、まとめ。さらに1次、2次、3次・・・。これでは漠然としている。
よく始めに課題づくりが行われるが、賢い子は2回ほど読めばだいたいわかる。そうでない子は、何回かよんでも誰が主人公かもわからない。神奈川で実際にあったのに、ある子が単元の終わりの方の段階で「大造じいさんは狩人かハンターか」という質問が出た。区別が付いていなかった。趣味(ハンター)か、生活(狩人)かわかっていない。一番肝心の確認すべきことがわかっていない。生活がかかっているという兵十の切実な思いがわからない。
教えるべきことはきちんと教える。話し合うべきことはきちんと話し合う。
賢い子は読みとっただけできちんと言える。読みとることができない子はお客さんになる。そのためにスモールステップを作る。それにより、発信や交流ができ参加できる。
今回は全部5段階でやったが、慣れてきたらメリハリをつけることが大事
4番目の特色は、トレーニングがしっかりできること。
話し合う基礎のトレーニングがしっかりしている
5番目は、掲示物。どの教室も掲示物が整然としている。よく教室中を掲示物で飾り、見るだけで大変の学校があるが、掲示には意味がある。今日は整然としている。
掲示は、1 学び方、モデルをA3ぐらいにまとめる。
2 輝いたもったいない子供の姿を掲示する。1年に2回ぐらいみんながほめられるようにする。
3 話し合いの中での子供の活動を整理する。1学期はこの10個が目標だよ、などコンパクトにシンプルに掲示する
今後の課題
始めに、研究主任の中村先生から話があった。今回ようやく形になった。国語で新しい授業研究の提案をするのは難しい。私が言ってきたことも、はじめはわかってもらえなかった。先生方に受け入れにくいものがあったのだろう。
やっと形ができてきたが、話の質や内容では、まだまだ評価が生きていない。
これからは言葉の中身の質や、その子らしさを認めながら全体のものになっていくことが大事である。
また、物語の研究の始まりが遅くなった。
説明文から始めたことにより、情報の発信やモデルとすることは定着してきた。よく説明文は子どもの思いがどうのこうの言う人がいるがそうでない。説明文こそが論理的思考や、まとめ方のモデルとなる。
説明文の授業が苦手な先生は授業が下手ということだ。
説明文を、情報や文字・資料を理解するための論理的なモデルとする。そして、それを発信していく。よく言葉の学習にイラストを使うと怒る人がいるがそれは狭い国語観。実際は私たちは国語以外でコミュニケーションしている。本当に必要な時は、映像が必要。豊かなコミュニケーションは身振り手振りを含めて、様々なものを組み合わせて行っている。子どもたちは、アニメーションも言葉に変換してとらえている。そうした技術をきちんと教えることが大事。
その意味で説明文から入ることはよい。
文学は説明文にないものがある。文学の研究に入るのが遅かったので課題が残った。
基礎・基本の徹底が不十分
学習シートの活用、振り返りは、作ることが目的でなく、どう使うかが問題である。今後、研修のシステムをどうするか。よく絶対評価は大変だという人がいるが、そうでない。
戦後50年たって、やっと授業研究が一般的になった。喜ばしいことで、今はチャンスだ。
今、授業力が問われている。
今後ますます、子供たちを育ててほしい。
時間を守ることも大事なコミュニケーション。3分すぎてしまいました。終わります。
〔 全体を通した土井の感想 〕
〈研究の内容〉
私たちは、社会科の授業研究に毎年取り組んできた。
昭和の社会科研究は、教師による素材の発掘と教材化が主であった。いわゆる、教師による教材の研究だった。これが平成に入ると、児童・生徒が体験的活動や討論・表現活動により社会認識を深める研究に変わっていった。いわゆる子どもの学びの研究だ。これがいわゆる、「教」から「育」の転換だ。
高度経済成長期の「教」一本やりが、受験戦争を招き、落ちこぼれや自殺者を生み、その反省から「育」の発想が生まれた。さしずめ、現在の総合的な学習の時間は、「育」の時間の典型であろう。
そして、研究の対象が「教師」から「子ども」に変わった時、大きな壁が立ちふさがってきた。
それが「言葉の壁」だ。
「育」の研究は、子どもの姿で評価する。その姿とは、具体的には文字言語か音声言語、すなわち「言葉」に行き着く。結局、国語力を育てなければ、「育」につながらないのである。
この意味で、今回の大口南小学校の研究テーマは大正解だ。
教科全体を広く研究する手法はよく取られているが、その多くは教科間で理論的ばらつきがあり、結局何をやろうとしているのかが見えてこない。授業が上手な教師の自己満足に終わってしまう。
社会科の県大会で講師をお願いした小西先生も、次のように言われる。
いろいろな研究会をまわるが、多くは抽象的なテーマがあって、授業も抽象的。それなりに上手な考えられた授業が多いが、どこがどう研究主題と関係あるのかが見えない。この原因は、研究が主体的に捉えられていないこと。県の指定だからとか研究会のテーマだからとか指導要領が変わったからとか人が集まりそうだからというような軽い動機で主題が決まる。研究動向を見ない。その学校や地区の実情や先生方の切実さから出ていない。だから授業にそれが反映しない。テーマも説明も立派だが授業は去年と一緒。(以下略)
しかし、南小学校は、子どもたちの実態と教師の願いから出発している。そして、図書館教育のベースがあったために、結果的に国語に絞った。実は、この国語力をつけることが、全ての教科や道徳、特活、総合的な学習全体のレベルの底を上げることにつながるのである。
そう、たった1年半の研究では、広くはできない。的を絞り、全校で取りくむことが何より重要であることを研究スタッフが見抜いていたことがすばらしい。
ただし、国語力は最も基礎的な力だ。継続して積み上げないと子どもたちは育たない。今後、たとえどんな研究指定がまわってこようとも、メンバーが入れ替わろうとも、国語力の育成だけは学校の幹として貫いていただきたいと思う。
当初教科を絞らない方針だったそうであるが、結果的に国語に絞った。これは正解だ。だとしたら、本発表会に限っては、研究サブテーマの「授業の創造」は「国語授業の創造」の方がより大口南小の主張として明確になったと思われる。そうしなかった所に、他教科・領域へ広げようという強い意志を感じたが…。
〈書く力〉
子どもたちの書く力はどうだったか?
授業参観の始めに、全クラスを概観した。ざっと見たところ、各ワークシートに書かれたものを見る限り、書く力が育っていると見た。書く力とは、まずは量で、それから質に転化する。量のレベルは達していることがわかる。
書く力上達のノウハウは説明からは見えてこなかったが、確実に育っていることは事実だ。今後は、ぜひ、質の育成をめざしてほしい。
〈大南小の子どもたち〉
この日、近くで授業を参観していた知り合いの新任教諭にこう尋ねられた。
「なぜ、1年2組の子どもたちはこう落ち着いているんですか?」
私はこう答えた。
「一つは教師の指導力、もう一つは大口南小の子どもたちがもっている地域の力。7割の家庭が三世代同居で、おっとりした子どもたちが多いのはまちがいないよ。」
これまで、大口南小の授業を数回見たことがあるが、伝説ともなっている道徳教育研究の頃からのおっとりした姿は今も変わらない。ただ、「おっとり」は、おおむね長所であるが、短所になる要素も持ち得る。2、3年前に見た大南小の子どもたちは、「落ち着いているが、やや覇気に欠ける」というのが私の正直な印象だった。
そこを、今回の研究では、アトラクションで見せた「よっちょれ」や群読のような表現の場を組み合わせることによって、うまくカバーしているのではないか。一朝一夕に変わるものではないが、こうした表現活動を今後継続することで、バランスのとれた子どもたちが育つのではないかと思う。
後になったが、アトラクションはたいへんすばらしかった。
〈かかわりを明確にした指導案〉
本研究では、かかわりを3つに分類している。
「課題とのかかわり」「人とのかかわり」「自分とのかかわり」
この発想は佐藤学先生のグループと似ている。発想はよくわかるが、まだ私は個人的に「自分のかかわり」が理解しきれていない。おそらく、佐藤学先生の考え方で見てしまっているのだろうが、めざす方向性は十分理解できる。
〈分科会のもち方〉
分科会はあっという間に時間が過ぎた。第2分科会に参加したが、模擬授業、特にその中の「交流」がよかった。あの部屋の雰囲気が、その前と後で大きく異なった。まさしくエンカウンター効果である。その効果を整理すると次のようになる。
・受動から能動へ :分科会への参加意識が能動的になる。
・シミュレーション:実際にやってみることで、理論が具体的に理解できる。
・集中化 :制限時間と行為を明示したことにより、集中して動くことができる。
・リラックス効果 :じっと座っていると人間誰しも眠くなる。歩き回れたことで逆にリラックスできる。
・人とのかかわり :3名の人と交流できたが、全く初対面の人とも話をすることができた。人とかかわりも持てるということはいいものである。
この模擬授業、とくに「交流」は、今後の分科会のもち方としておおいに参考にしたい。
次に、私の主観で南小の課題と思うところを述べてみたい。
課題1「相手意識」の育成
今回の研究テーマは、長良東小の河井学級が私のイメージにあった。めざす児童像を見る限り、まさしく河井学級の子どもたちの姿である。であるとすると、あの子どもたちと大口南小学校の子どもたちと比べながら、今後めざす方向を課題としたい。
その1点目は「相手意識」である。
長良東小の子どもたちは、まずクラスの仲間全員に説明しようとする。このあたりは、以下のリポートに目を通してほしい。
始めにひととおり、全クラスの授業を見せていただいたが、見た限りでは、相手意識はあまり感じられなかった。「みんなに」話すと言うより、「先生に」話す意識が強い。まだ、多対多ではなく、一対多のイメージが教師にも子どもたちの中にもあるのではないか。
1年6ヶ月という短い時間であるが、河井学級では、受け持って数ヶ月で相手意識をつくってしまう。やはりそれなりのノウハウがあるはずだ。
河井先生にその理由を聞くと、学級づくりという答えが返ってきた。その部分をWEBから読み取っていただきたい。
まさしく、「相手意識」育成は学級づくりにあるのだ。意見を言えば聞いてもらえる安心感が話す力を伸ばしている。
佐藤先生も言われた、「大きい声で」より「みんなに聞こえる声で」は、まさしく相手を意識した言葉である。この発想が重要だ。
課題2 「ワークシート」の改良
算数のワークシートは一度作れば毎年使うことができる。しかし、国語のワークシートは学び方、考え方を指導するものだ。この違いは大きい。
国語の場合、初めはていねいでよいが、学び方を習得するにつれて形をシンプルにして、子どもの思考・創意工夫を促すようにしなければならない。そのためには、今の1、2年生が5、6年生になるに従って、順次改良をし続けなくてはならない。たいへんな労力だが、子どもの実態に合わせて作るワークシートであるべきだ。
課題3 言葉の整理
このところの研究発表会の研究紀要には物足りなさを感じていた。ビジュアルで見やすいのだが、理論が書かれていないので何をしようとしているのかが今ひとつわからない。「見やすいがわかりにくい」のが最近の紀要の流れだ。
南小の紀要も、若干これに近い。私自身がはじめの研究発表を聞いていなかったせいもあるが、紀要だけでは何をしようとしているのかが今ひとつわからなかった。それが、分科会で10数分間の説明を聞いてやっと理解できた。だったら、その分科会で話された内容を紀要に載せてほしかったというのが正直な感想だ。
研究の成果を分かち伝えるのは、直接研究発表会に参加するか、研究紀要を読むことしかない。書くべき事は書いてほしい。
関連するが、紀要に望みたいのは、言葉の概念規定を明示してほしいということである。たとえば「自分とのかかわり」とは何か?「人間関係力」「自己認知力」とは?わかるようでわからない。研究の基本用語は短い言葉で示してもらえるとありがたい。
研究の基本用語のとらえが間違っていると、人によって解釈が異なるおそれがある。
これは、どうなるか。紀要にも表れている。
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自分とのかかわり |
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ふりかえり
※ふりかえりカードの活用
ペア・グループ交流
※みがき合い
相互評価
※よさの発見・可能性の伸長
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P3の「自分とのかかわり」には左のように書かれている。※印の「ふりかえりカードの活用」は手段であるが、※「良さの発見・可能性の伸長」は目的である。
ペア・グループ交流は「人とのかかわり」と思っていたのだが、ここに来る意味は何か?など、疑問がわいてくる。そもそも「ふりかえり」「ペア・グループ交流」「相互評価」は並列か?
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まだある。紀要P7の「考える」「聞く」「かかわり方」「話す」が同列に並んだ表ができてしまう。このように異なるカテゴリの言葉が並列に並ぶのは強い違和感を感じる。
さらに、見出しは「聞く」「考える」「話す」の順であるが、内容は順番が変わっている。その意図は何か?
また、説明に「「かかわり方」や「基本的な話型」を示した」とあるが、「かかわり方」として書かれている内容はあくまでも「基本的な話型」であった。これはミスなのか?では、「かかわり方」はどこに書かれているのか?
これらは、すべて、言葉の規定があいまいだったことからおこった現象である。やや僭越な言い方になるが、もう一度、言葉を整理し直す必要があると感じた。
人とかかわる力が弱い子どもが多い今、「人間関係」と「教科指導」の2本の軸の融合を試みた実践に敬意を表したい。その手法は、他の小学校や中学校でも十分に参考となり得よう。
大口南小学校の研究が、丹葉管内はもとより、県内の学校へ広がっていくことを望みたい。