2008.1.15

真打ち阿部君が夜逃げをした後は,首相の見解を問われて、「あ、ソレはね,アレなんじゃないデスカ、今検討しているんじゃ。」と他人事みたいな福田赳夫君の登場です。参議院で与野党逆転ということで、早速沖縄での集団自決に軍命があったかどうか、書き直させた教科書の「訂正を受け付ける。」ようであります。しかし同時に、第11管区海上保安本部の中城海上保安署を「中城海上保安部」に格上・増員(琉球新報)なのだそうで、その理由が、普天間飛行場移設先の海上警備強化なんだそうであります。いやはやなんとも。

集団自決についていえば、「滅私奉公」は法律に基づく命令なのか、というところでしょう。テレビで興味深い証言が有りました。特攻隊が成果を上げられなかったのは、壊れかけの練習機しか与えられず、目標海域に達する前に、大部分が水没しているのだそうですが、関係者によれば

神風攻撃隊は天皇の命令によるものでなく、志願兵であるから、ちゃんとした飛行機は、天皇の命令による正規の航空隊に廻し、失っても良い飛行機を特攻隊に廻した。
のだそうです。
2007.7.20

「安倍内閣が財政再建以外のことに手を出したら、日本は崩壊する。」というニューヨークタイムズの苦言には耳も貸さずというか、そっちは柳沢クンに任せて、保守本流を自負する安倍クンは教育改革に余念がありません。与野党逆転の恐れもあってか、教育基本法と関連法を強行採決してしまいました。

「真打登場」という安倍クンが掲げたお題目が「美しい国、日本」でアリマス。国が美しい為には先ず身を美しく。その為には「躾」が基本というわけです。国が美しい為には従軍慰安婦であるとか、日本軍が沖縄戦では住民に「集団自決」を強制した、などと取り上げるのはもってのほかというわけで、どうも先年総スカンを食らった「新しい歴史教科書をつくる会」方面への摺寄っている様でもあります。

時の為政者のお気に召す理想的な教育として、浜松市には「大久保教育」がありましたので、その遺跡を少し見物してきました。校舎はすでに無く公民館になっていますが、上の写真に見る石段は当時のものの様です。「大久保教育」は昭和13年、静岡県浜名郡神久呂村にあった、大久保尋常高等小学校に赴任した中村鏡太郎校長先生が、草葉弘さんの主宰する「国民訓育聯盟」の精神に深く共鳴し、これを実践したものです。昭和15年/国民訓育聯盟発行の「興亜學村大久保教育」を覗いてみましょう。大久保教育は

  • 國體の本義顕現
  • 八紘一宇の精神陶冶
  • 國民的信念強化(唯神の大道)
  • 帰依随順の精神涵養
  • 滅私興亜報國訓練
  • 日本文化の發揚
  • 亜細亜盟主の責任感堅持
  • 世界的大国民に錬成
  • 大陸雄飛開拓の訓練
  • 興亜體力の鍛錬
  • 銃後奉公強化
  • 皇國経済観確立

といったことを目指し、職員には「咲いてよし、散って亦よし櫻かな」といった職員訓、児童には児童訓が与えられています。「天子様のからだです、大事にします鍛えます」というわけで「先生のおっしゃることには絶対服従です」。教員もまた「自分の都合の良いことのみを考えないで、」「國體の本義に則り、皇國民の自覺有るならば、興亜への大行進は唯默働、理屈は抜きで先生馬鹿となって」教育に邁進しなければなりません。自分の頭で考えなくてもこの本にはお題目がたくさん載っており、「挨拶」「敬語」「乾布摩擦」など日常の起居は全て立派に定められているので、これを児童に服従させるだけで理想の教育が実現します。

浜松私立図書館にコピーがある「興亜學村大久保教育」の原本は中村鏡太郎校長先生か、近い人の持っていたものらしく、随所に推敲の後があります。我国は言霊の國なので、「天子様のからだです、大事にします丈夫にします」よりも「天子様のからだです、大事にします鍛えます」の方が七五調で美しいようだ、といった語呂合わせがほとんどですが、「練成一日の相」で「最敬礼」を詳述するなど面白い書き込みも見られます。

「大久保教育」の真髄は「天子様のからだです、大事にします鍛えます」に尽きる様です。現代の我々からすると朝鮮民主主義共和国で見せる10万人マスゲームと似た感じではないでしょうか。確かに北朝鮮にくらべると現代日本の我々は「滅私報國の精神」に欠けるところがある様です。

「新しい歴史教科書をつくる会」の方々は現代日本の「性の乱れ」にも我慢が出来ないらしく、「正しい」性教育を進めなくては、と頑張っている様ですが、「興亜學村大久保教育」でも「天子様のからだです」を高等科女子児童に実地に教え諭すエピソードも載っていて、ニューヨークタイムズに「従軍慰安婦は軍の強制ではなかった」という意見広告を掲載し、顰蹙を買った人々の感性とも共通するものを感じます。端から見ると北朝鮮の10万人マスゲームと同様、滑稽の極みであり、さすがに血を大事にする韓国民も「あれは止めてくれ。」と辞退するようになった美女応援団「喜び組」を誇るのと同じ感性でしょう。「先生には絶対服従」で作られる「美しい国」は御免被りたいと思います。




現在、大久保国民学校跡地の向いには農協の出荷施設があります。周辺には大規模温室が立ち並び、さながら「野菜の工場」といったおもむきです。チンゲンサイ、ネギ、ミツバといったものが全国でも主要産地となっている様です。もしかすると「考えなくても良いから、言われた通りにしなさい」という大久保教育の成果がこれまでの農業近代化でも発揮されたのかも知れません。

しかし時代は変わり、農業近代化は曲り角に直面しています。大久保に見られるような「大規模」経営農業は例えば中国野菜の進出によって、突然苦境に立たされることが考えられます。WTOの農業部門を取り仕切る米国などの国際農業資本も「一つの農場が5,000ha以上でないと成り立たない。」というケタ違いの経営規模で、「世界中で一番安い農産物」を生産し、世界中にそれを供給しています。

農業に見切りを付けて、というのでしょうか、近くには AEON の郊外型大規模ショッピングモールがあります。自家用車に乗った「お客さま」と貨物自動車に載せた「商品」をコンピュータで制御して思い通りに動かす、という巨大なシステムです。巨大立体駐車場に自家用車が次々と吸い込まれてゆくのを見ていて、ふと思い出したのはチャップリンの「モダンタイムズ」でした。「軍国主義」と「消費主義」の違いはありますが、あれも現代の「大久保教育」ではないでしょうか。

日本の製造業がGNPに対してピークに達したのは1960年代であり、それ以降は漸減しているのだそうです。「考えなくても良いから、言われた通りにしなさい」という「大久保教育」は、文明開化の時代から高度経済成長期までの「どこかにお手本があってそれと同じものを大量に作る」という開発途上国の時代に適した教育だったかもしれません。しかしこれからの先進工業国としての日本には必ずしも適した教育法ではないような気がします。

我国では政治家の不始末が露見して辞任する際、相変わらず「悪いことをした」からではなく、「世間をお騒がせした」からというコメントを出します。「百姓は50回米を植えて一生を終わる。」という、変化の緩やかな農業主体の経済では「世間をお騒がせ」することはマイナスイメージでしょうが、技術革新のスピードを競う工業社会では「世間をお騒がせ」することが経済成長の基礎となります。これからの日本では「先生のおっしゃることには絶対服従」では食べていけないのですが、それがこの国ではなかなか受け入れられないようです。「悪いことをした訳ではないが、世間をお騒がせ」した責めを負って辞める、という政治家のコメントからもそれが伺えます。

2002年にノーベル章を受けたお二人のうち、東京大学名誉教授小柴昌俊博士に較べ、島津製作所の田中耕一係長が国民的同感を呼びました。博士の方は30年にわたり巨額の税金を投入した国家事業の長であり、「どうしてもノーベル章が欲しい。」という悲願を、浜松市内P社のH社長が見るに見兼ね、おんぶにだっこで世界中を根回しして、ノーベル賞を「とらせてあげた」というのが浜松では真相とされています。これに対し田中係長は、「課長になると雑用が増えて研究が出来ないから、」とナッパ服を着たまま会社の売り上げに貢献しての受賞でした。「偉い人は何でも知っている」というのが、朝鮮中央放送の演出による金正日さんの国内視察ですが、先進工業国では「偉い人は何でも知っている」訳ではないのですね。「先生には絶対服従」で「美しい国」を作ることが出来るのは開発途上国ではないでしょうか。

中村鏡太郎校長先生が「国民訓育」を目指した大久保尋常高等小学校は日米開戦と同時に「皇道の道に則りて、初等教育を施し、国民の基礎的練成をなすをもって目的とす」る国民学校になりました。いわゆる非常時でアリマス。

シカシ鬼畜米英ガ居ヨウガ居マイガ、朝敵賊軍ガ居ロウガ居ルマイガ、我国はおおむね60年毎に役人と御出入業者によって食い尽くされて財政上の非常時になっています。終戦から60年を経て国債地方債発行残高1,100兆円と、現在すでに財政的には非常時なのですね。「コノ非常時ニ戦時国債ヲ買ワナイヤツハ非国民ダ」というのが前回の筋書きでした。幸い金正日さんという悪玉もいることだし、あれをタネに「先生には絶対服従」の大久保教育で少国民を練成、ということになっては亡国の道です。