1889年に東海道鉄道が開通し、1898年には天竜川駅が開業すると、駅周辺は急速に近代的な工業が集まり始めた。周辺の村々でも、織物工場などを始める人達がいた。天竜川駅は天竜材の出荷にも使われたので、製材業なども発達した。
1923年、関東大震災が起ると、天竜材は復興の為の需要が高まった。金原明善翁が「木を切ったら、植えなさい。」と言ったのもこの頃だ。
1945年、第二次世界大戦が終わると、戦災復興の為の木材需要が高まった。そして1960年代以降には住宅ブームがこれに続いた。
天竜川駅周辺は木材産業、楽器など木材関連産業を中心とした工業化が進み、線路沿いには楽器会社の巨大な貯木場が作られた。
周辺の農村地域は、恵まれた土地条件の上で、それまでと同じく営農が続けられた。
1964年には東海道新幹線が盛土によって飯田町を南北に分断した。新幹線の北側は工場地帯、という性格を強めて行く。
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