3.巨大化とローコスト化
これらの主として公共セクターと共同した、計画系からの働きかけとは別に、
高速道路沿線ではますます豪華に「大きなことは良いことだ」という「夢の近代住宅」を追い求める住宅開発が進行して行く。
技術革新とともに建設コストは格段に低化して来た、
それにもかかわらずこれらの分譲住宅の価格が年々上昇し続けたのは「より広く、より豪華に」という供給側の提案が消費者に快く受け入れられたためであろう。
シアトル周辺で見れば都心から高速道路沿いに20マイル、(ラッシュ時を除けば車で20分程度である)敷地1/4エーカー、建物60坪ないし80坪、
土地建物合計の分譲価格が20万ドル台といった規模である。10年後
もっともわが国に見られるような、圧倒的多数の中産階級の存在しないアメリカ合衆国であるので、住宅地もそのグレードは様々であろう。 1960年代、コロラド山中に突然開発が始まったアスペンは高級リゾートを自認するだけあって、戸建て住宅の価格は最低10万ドルであるという。 そしてアスペンの街を作り上げているそうした住宅の所有者は大多数が東海岸に住む金持ちであり、常住人口は敷地の中に建てた管理小屋に住む使用人で、 商店街、レジャー施設の従業員の多くは隣町から通勤しているとのことだ。
ちなみに4人世帯で1991年の年収13,942ドル以下に相当する「貧困」層はアメリカ合衆国全人口の14.2%を占めている。 「アメリカでは建売住宅が坪20万からあるそうな。」という現状には、所得の平準化を進める社会的メカニズムが、日本程には働かないアメリカ合衆国では、 ローコスト化のメリットが公共セクターを通じてこうした低所得者向け住宅の生産に注ぎ込まれていることも考える必要があるだろう。 建設コストの低化と反比例するように住宅建設のための環境コストは急速に増大して行く。 ここしばらく世界的な規模で「環境にやさしい・・・」という発想が重要な社会的イシューになっているが、アメリカ合衆国に限って言えば、 80年代以降のエンヴァイラメンタル・コンシャスな発想は、こうした無制限な住宅開発に対抗するものとして磨かれてきた側面も大きい。 これを書いたのがちょうど10年前、そして10年後の今日、話題になったのは米国のサブプライムローンに端を発した金融波動であった。日本の銀行が訪れた客に金を貸すのを断って、サラ金に金を貸して食いつないでいるのと同様、米国の銀行も住宅ローン相手の高利貸しに金を貸していたのがおかしくなってしまったのだ。 この十年間の米国は住宅バブルであって,所によっては住宅価格が10年間で2倍になったのだが,おかしなところは日本の住宅バブルが「遠高狭脱出」という民族悲願につけ込んだに対し,米国の住宅バブルでは、ラスヴェガス、フェニックス、マイアミといった博打銘柄が主体であり、デトロイト、クリ-ヴランドなどは「脳死」、少し前まで博打の対象であったデンヴァーも「失速」といった姿に見る通り,「値上がりしまっせ」という一般消費者の投機心理につけ込む側面が強かったことだ。 8月25日付けの「住宅価格下落の徴候」というニューヨークタイムズの記事が分かりやすかった。 |