1997.7.1  
  1. 「洋風住宅」とは何だろう
  2. 「ニュー・アーバニズム」の出現
  3. 巨大化とローコスト化
  4. 象徴としての住宅
  5. アメリカの近代住宅が若かった頃
  6. 流通システム、労務・管理コスト

6.流通システム、労務・管理コスト

住宅における価格破壊を考えたときにも、アメリカ合衆国の家造りには参考とする点が多くみられる。 建材について考えれば、他の産業分野でも同じことなのだが、流通システムの我が国とアメリカ合衆国の違いは根深い。 あなたが我が国で、たとえばドアを購入しようとする。展示場を探してたどり着き、「このドア下さい。」と言うと、あなたが最初に受ける質問は「オタクどなた?」である。 以下、質問は「ウチのことだれに聞きました?」「そこじゃどのぐらいの仕切で入っているって言ってました?現金だと何とかなるんですけどねえ。」と続く。 問題の商品の納入条件の話が出るのはそれから後である。アメリカ合衆国ではホームセンターと称する建材店があちこちにある。 年間契約でもするのでなければこうしたところで充分である。車で乗り付けて「このドア100本下さい。」と言うと、「自分で運びますか。」と聞かれる。 「運んでくれ。」と言えば搬入先と搬入時間を聞かれて、運賃が判る。ポケットからカードを出すか、銀行に行って振り込めば現場に物が着く。 西部劇の時代の続きで、あなたが誰であるかを聞かれることはない。

我が国で住宅購入した決定の動機を調べるのに、「営業担当者の人柄が気に入って。」という項目が相変わらず含まれているようである。 営業担当者の人柄を買う訳でもないのに、去年まで乗用車の営業をやっていて、来年は健康食品の営業をやるかもしれない人物 の人格がどうして重要なのだろう。いわゆる土下座営業というものだ。契約対象となる住宅に関して横からアドバイスするのも、我が国では営業上の争いごとと考えられている。 「オレがその気にさせた客だ。煮て食おうが、焼いて食おうがオレの勝手だろう。」ということで消費者の権利が守られるのだろうか。 流通革命というとき、どうも話がハードウェアに片寄りがちだが、それよりもこちらのほうが重要なテーマであるような気がしてならない。

住宅産業ではこうした建材流通にも絡んで、さらに大きな問題が横たわっているよう思える。自動車を含む他産業では考えられないほどの「労務コスト」「管理コスト」をどうするかである。 たとえばあなたが現場で職人さんに「その柱あと50mmこっちに寄せられない。」と言ったとする。「オレじゃ決めらんねェから、監督さんに言ってヨォ。」とくる。 監督に言うと、「本社の担当に聞いてみますんで。」15分後に携帯電話が鳴って、「すみません、設計のものは居るんですが営業担当がつかまらないもんで、後で連絡させます。」 監督が謝ったって仕方がない。「責任は全部俺が取るから。」と言おうと思うと、既に「やることは決まってる。」と、職人の若者は準備にかかっている。

我が国の労務管理システムは現場の職人を「飯を食うロボット」にすることを目的としてきた。「飯を食う」のがやっと、という時代には魅力的な発想だったであろうが、 そうした時代は過去のものだ。

これまで「建設産業に若者が入って来ないのは、キツイ、キタナイ、キケン、だからだ。」とお題目のように唱えられてきたが、 若者たちにとっては「飯を食うロボット」に未来が感じられないことのほうが大きいのではないだろうか。アメリカ合衆国の建設現場には若者が多い。

よりローコストに、という企業間競争は激しい。(Eugene, OR 郊外)


「ひたすら安い。」ということであれば、モービルホーム。と言っても、あちこち動く、というシロモノではなく、「現場工事費を軽減し続けるとこうなる」 という「究極のプレハブ」としての「居座りトレーラー・パーク」が定着しつつある。

新「築」で200万円くらいから。もっとも安いのは建築基準法の網の目を潜った粗悪品が多いので規制を強化しているそうだ。(Camas, WA 市内)