1997.7.1
  1. 「洋風住宅」とは何だろう
  2. 「ニュー・アーバニズム」の出現
  3. 巨大化とローコスト化
  4. 象徴としての住宅
  5. アメリカの近代住宅が若かった頃
  6. 流通システム、労務・管理コスト

4.象徴としての住宅

会社に勤めて一日8時間の労働をし、自家用車で郊外住宅地の緩やかにカーブした道沿いの自宅に帰るという暮らし方が、20世紀のアメリカにおける代表的な共同幻想(らいふすたいる)であった。 しかしこうした暮らしは、家族構成の点からも変容しつつある。 第一次世界大戦の間に始まった女性の社会進出は「ローリング・トゥエンティーズ」の間に家庭電化製品による家事労働からの解放で華々しく開花した。 第二次世界対戦後もその勢いは衰えず、経済的な男女平等が実現された結果、妻を夫から縛る鎖は宗教的にはあるにしても、経済的には存在しない。

一見自由なアメリカ人の性に関する考えは、既婚の男女の誠実さに対する考え方では、 「浮気」に対して寛容な我が国におけるよりもはるかに厳格であり、「誠実な奴が離婚するのだ。」ということになる。 亭主の権威はもはや存在せず、子供ももちろん親には従わない。家族の寝室は孤立したホテルの部屋のようなものとなり、個室にはそれぞれにバスルームが必要となる。 女子高校生の娘が、クラスメイトの小僧と自室のバスルームで何をしているかを知る権利は親に無い。 いや、マサチューセッツ州では両親の同意と裁判所の許可があれば男子14歳、女子12歳で結婚できるから、女子高校生ではなく中学生と言わねばならない。

かくして家族は限りもなく崩壊して行き、にもかかわらず、いやそれだからこそ家族愛の象徴としての住宅は「より広く、より豪華に」なっても売れ続けるのだ。 なにせ子連れ再婚同士の家庭内ラブコメディーなんてのがテレビで流行る時節である。
 冬に新しい分譲地を訪れたら、日曜日だというのに人影がなく、ブキミでさえあった。(Camas, WA 郊外)