2009.1.21
-市中山居
-イマドキの壁
-縦に住む
-熱気を動かす
-OpenHouse
-Slide Show
-街角の家
-実施図面(pdf)


都心居住だった「ISB計画」は世界金融危機のあおりを食らって中断中。別の都心居住計画が完成しました。しかもこちらは市役所から亀山へ上がる坂の、途中のカーブの突き当たり、という大通りに面した敷地です。


市役所前交差点から亀山交差点に到る道は、昭和24年に戦災復興都市計画で拡げられた新しい道で、江戸時代には馬場があった様です。かっては商店街だったものが、次第に住宅が増えています。都心なので集合住宅も建ち始めていますが、敷地をまとめるのが大変な様で、間口10m以下のペンシルマンションという形が目につきます。

クライアントは小学校以来の同級生の弟さん。兄貴は東京住まいなのですが、弟さんは県内外の転勤族なので、母上の面倒を見るのに、何とか定年までは少し遠くても通勤しよう、ということになった様です。

敷地は浜松市の都市計画マスタープランでは、中層レベルの住宅を基本とする、とされる「都市型住宅地」で、用途地域は近隣商業地域です。かっては商店が並んでいたものが、次第に住宅地になりつつある、という点では用途地域の指定には議論がありそうなところですが、「中層レベルの住宅を基本とする都市型住宅地」と言うことは出来るでしょう。

俳人でもあった御父君が昭和25年に開業して以来、晩年までクリーニング店を開いておいででしたが、変形敷地でもあり、郊外型住宅地に比べて決して広いとは言えません。奥にはご母堂の住む離れもあり、どうしても上に伸びざるを得ませんでした。「縦に住む」というスタイルでしょうか。

前面道路巾が25mであり、「通りに開いた家」では、なかなか落ち着きません。居住性も1階より2階の方が良さそうだ、ということで、LDKを2階に置いています。廊下の代わりに階段が部屋をつないでいる、と言っても良いでしょう。そこで思い切り階段室を拡げて、中庭に似た感じの空間にして、表の通りに目が行くよりも階段室から明かりを採る、という構成になりました。ヨーロッパの都市型住宅によく見られるものです。

「アトリウム」と言うと、ホテルなどで見る米国式の巨大なものを思い浮かべますが、ローマ時代の都心型住宅ではすでに、普通に見られたものの様です。2,000年前のローマの都心では、5階建ての中層住宅というのが、基本形だった様で、敷地が限られており、大方は隣の建物と壁が接している、という都心では、中庭から明かりを採ることが行われてきました。まだガラスの無い時代なので、屋根にあいた穴の下に池など作ってある、というのが「アトリウム」の原型である様です。あるいはこれが都市型住宅の最終型かもしれません。

かってここに建っていたクリーニング店の作業場のトタン屋根にも、小さな明かり取りが着いていました。