2008.1.1
-幻の近代都市住宅
-幻の近代都市
-幻の近代住宅
-中心市街地に住む
-木の家に住む
-市中山居
-外壁のこと

丘の上に白く輝いていた近代的なまちなみと対照的に、下町の商業地域では昭和30年代から急激な変化が起こりました。耐火建築物促進法によってそれまで2階に住んで下で商売、というスタイルだった商店街が3階建てから4階建ての共同ビルに変わってゆきました。新しい「ショッピングセンター」が近代的なまちなみを作り出し、やはりきらきらと輝いていました。これに遠鉄名店ビル、西武デパートなどの新しい大型店舗が加わった頃が浜松市中心商店街の一番元気だった時代だと思われます。

都市化の圧力によって郊外に住宅地がどしどしと開発され,人々は狭い下町から明るい近代的な郊外住宅へと引っ越してゆきました。やがてそれまで歩いて中心商店街に来た人も、近郷近在からバスに乗って浜松へ買い物に来た人も、自家用車でやってくる様になりました。実は浜松市の中心部を観察してみると、1950年代には、娯楽の殿堂であった映画館などの奥に、裏までびっしりと建物が建ち並んでいたものが、1960年代から駐車場面積が増えています。

郊外住宅の広がりとともに自家用車の時代が始まりました。そしてやがて人々は自家用車の駐車が簡単な郊外型大規模店舗へと足を向け始め、中心商店街の相対的な地盤沈下が始まりました。松菱デパートが消えて松菱ストアが残り、西武デパートが西友ストアに変わります。

最近目に付くのは都心型マンションです、それも本来低層住宅地と考えられていた地域が、高度経済成長期に高密度の商業地域に変更され、そこに高層住宅が建つという開発が下町の姿を変えつつ有ります。都心商業がこの先爆発的な成長を遂げることは考えにくいのですが、そうした前提のもとに変更された密度の限界まで、高層住宅が建ち並んでしまうことが、未来の都心の姿として望ましいものかどうか、疑問が残ります。

「商業地域の方が建ぺい率・容積率が大きいので、土地価格が高くなる」と考えられていた時代に、絶対的財産権として変更された密度を、見直すのはなかなか大変なことでしょう。