2008.1.1
-幻の近代都市住宅
-幻の近代都市
-幻の近代住宅
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-市中山居
-外壁のこと


1950年代の浜松で,丘の上に白く輝いていた近代的な都市型集合住宅は東京で言えば1923年の震災後に同潤会によって建設された青山アパート、代官山アパートの流れを汲むものでした。その後も自由が丘、田園調布と言った丘の上の近代的なまちなみと、下町の江戸時代から変わらない店舗併用住宅、という二項対立は続きます。しかし「トトロの家」に見る通り,日本人の基本的な生活は和風住宅を基本にしたものでした。戦後になっても丘の上の近代的なまちなみで、たとえば丹下健三の成城の自邸では、和服を着て畳の上に端座されている姿が、自然で当たり前です。

そうした日本人の生活が変わって行ったきっかけのひとつは「座敷」にあるのではないでしょうか。「座敷」の畳に座る人はエライ人で,「土間」で働く人はエラくない、という身分制度の時代の名残が、日本の近代住宅にも呪いの様にまとわりついている様思えます。

女性の地位向上とともに「座敷でゴロゴロしているヤツは役立たずだ」と、土間を中心に据えた近代住宅が考えてこられれば、違う道もあったでしょうが、「土間にある台所を座敷の高さにすれば、女性の地位が向上する」という方向へ突き進んでしまった結果、畳の文化は打ち捨てられ、畳が消えてゆくと同時に、和服も成人式のコスチュームに格下げされて、最近の「メイドファッション」とやら唱える、珍奇な洋服と同列の扱いに貶められてしまいました。

近代建築では一階をピロティーとして部屋を空中に浮かす、というのが流行りました。丹下健三の自邸と同じ時代、有名建築家が建てたいくつかの自邸にはそうしたデザインが見られます。当時は丘の上の広大な敷地の中で空中に浮かんでいたものが、最近では一階は駐車場で一杯なので二階に住むと、変な所でピロティーが利用されています。

「働く床=土間」と「休む床=座敷」の組み合わせで,近代的な生活に適した住宅のデザインが考えられないかと思います。面白いのは吉野ケ里遺跡の復元で、高床式建物は神殿であり,住宅は竪穴式と,用途別に構造が違っていたのではないか、という説があるのですね。卑弥呼も竪穴式の自宅から高床式の神殿に通勤していたのかも知れません。