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瘴癘の地
人外魔境
持家持車
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人外魔境

若者たちが語らっているのはオリンピック公園近くのカフェ。東京で言えば渋谷・原宿周辺といったところか。オリンピックを実現した世代が、未来都市として夢見ていた街角の光景が、ここにはある。若者たちの身なりも、コーヒーの値段も日本と変わらない。

左手に見えるお寺は古刹奉恩寺。新羅時代からの古いお寺だ。仏教国であった高麗の末に、政治と宗教が結びついて弊害が大きかった為か、李朝では仏教が排斥された。故に韓国にある寺は古刹か新興宗教のいずれかだ。

1972年の地図で上の場所を見てみよう。


1972年は朴正煕(旧名高木正男)さんが「維新政府」と称し、金日成さんに対抗するために、核兵器の開発をやろうとして、米国に止めさせられた時代である。戦時下なので、居住系の都市開発なんて思いもよらない、という頃だ。辺りの様子は戦前とそう変わらなかっただろう。

植民地經営は住民の福祉の為に行われるのではなく、本国への富の移動が目的なので、これに結びつく産業近代化は行われるものの、それ以外には手が廻らず、辺りの様子は日本で言えば明治時代、朝鮮王朝時代とそれほど変わらなかったのではあるまいか。渡し船も2カ所程見える。



図の下中央に奉恩寺とある。上の写真は奉恩寺門前から東北東を見ていることになる。



これが現在は下図の様になっている。

オリンピックの為のインフラストラクチャーの整備が終わった状態の都市計画図を見てみる。これによると韓國綜合展示場とあるのが、上の写真で右奥に見える建物であろうか。パックツアーのバスに乗っていたら、これに隣接したホテル地下のミヤゲモノヤに連れ込まれてしまったのだ。

漢江の南側は1970年代から1988年のオリンピックに掛けて、急速に都市化が進められた地域、と考えることが出来るだろう。全体の構図は、多摩川より遥かに広い漢江河川敷のオープンスペースを主軸として両岸に自動車専用道路を整備し、これから両岸へラダーフレームを延ばしたもの、と見える。

江南区・松坡区ではそうした広域幹線に、片側4車線程度の街路が碁盤目状に入れてある。道路幅が広いので、自動車を運転していると、高速で走らなければ申し訳無い様な感じだ。逆に歩行者からすれば、広幅員の幹線道路を横断するには、決死の覚悟が必要となる。

江南区にあるという国立中央図書館へ向った。地下鉄高速バスターミナル駅から行け、という略図を貰ったのだが、地下鉄駅と高速バスターミナル全体はかなりの広さで、複雑な地下通路網で地下鉄駅と結ばれている。そして地下商店街があるのだが、商店街を出て広幅員の幹線道路を、横断地下道で向うへ出ようにも、地理に不案内なものには、周囲が見えないだけ不便である。

人気の無い長大な横断地下道を歩くのは諦めて、地上へ出た。これなら周囲の様子が分かるだけまだましだ。上の図は高速バスターミナル脇の歩道橋から見たところだが、8車線の幹線街路に3車線のバスターミナル誘導路が付き、構内にも送迎レーンが設置されているので、歩道橋はかなりの長さになっている。反対側を見ると、幹線道路の交差点は立体化されているので、これに交差点のランプまで加わっている。

道を尋ねつつ、やっと国立中央図書館を発見したのだが、まだ8車線の川を渡らなければたどり着けない。都の方々は慣れた様子で歩いているのだが、田舎から出て来た外人は、もう命懸け、という感じである。

なるほど、と気がついたのは江南区・松坡区のまちなみは、歩行者の為に出来ているのではないのだね。ここではマトモな人間は黒い色をした、日本で言えば3ナンバーの大型車に乗っており、とぼとぼと歩道を歩くのは「人外」なのである。仁川国際空港から漢南に到る、現代韓国を代表するまちなみは「人外魔境」であったのだ。

図書館周辺にも「人間」になることを夢見て、図書館に通う若い「人外」どもがうじゃうじゃと集まっておったが、「人外」どもは地理に不案内な「外人」には結構親切であった。 しかし3ナンバーのひとり乗りが「人間」だとすると、この街は結構エネルギー多消費型である。これからの低成長経済ではなかなか都市経営が大変なのではなかろうか。



2013.9.30
ハンギョレ新聞
[書評] 欲望と搾取の連結輪、アパートの没落

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