20世紀以降、世界の都市は「自家用車に取り殺され。つつあるのですが、ソウルもその例に漏れません。日本でも昭和40年代に開発された郊外型住宅地が、自家用車に取り殺されつつあります。当時の日本での自家用車は通勤手段でなく、家長が運転して休日に一家でドライブに出掛ける手段でした。しかし今では自動車通勤出来なければ、収入の道はなく、郊外型住宅地での自家用車台数は成人家族数と同じです。その駐車場の為に郊外型住宅地は急速に変貌しつつあります。
ソウルの下町ではまさかに、自家用車台数は成人家族数と同じは無いでしょうが、私から見ると異常な路上駐車風景です。漢南のまちなみが自家用車を前提とした「人外魔境」であることとも関連しているのでしょうか。これまで韓国経済を牽引して来たのは日本同様、業績が上がらなければ、社長は馘首という、資本主義的営利法人であるよりも、同族経営の私企業という側面が強かった様です。ソウルの下町でもそうした家族経営による生計が多いのではないでしょうか。3ナンバーの自家用車が「社長様の証明」であれば、異様な駐車風景もそれなりの存在理由があることになります。
しかし経済の資本主義化が進めば、家族経営の崩壊と労働の個人化も進むはずです。ソウルの下町はともかく、郊外型住宅地では自家用車台数は成人家族数という時代が来てもおかしくありません。駐車台数が現在の数倍となった時、韓国の住宅地はどうなるのでしょう。日本の住宅地はこれまで、耐用年限の比較的短い木造住宅を主体として来た為、そうした社会経済的変化に対応して、建替えることが出来てきました。マクロにみればそうした柔軟性が、日本経済の強さにもなっていたはずです。
韓国では伝統文化、あるいは住宅建設資金制度の違いも有ってか、遥かに初期投資の大きな、長期にわたる使用を前提とした建物が、住宅の主体となっています。路上駐車風景から見る限り、経済構造の変化に対応して、これを建替えるのは日本よりも困難である様見えます。
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