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瘴癘の地
人外魔境
持家持車
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瘴癘の地

「瘴癘」というのは「湿熱の気候風土によって起こる熱病や皮膚病」なのだそうで、清国にとって台灣は「瘴癘の地」であった。乙未年に台灣が大日本帝国に割譲された時、「馬子が馬をもらった様なもので、乗れもせず、飼わせられもせず、持て余すにちがいない。」と大いに心配したのは、後藤新平か誰かではなかったか。

清国にとっては、肩の荷を下ろした様なところもあったろう。しかし現地住民にしてみれば、肩の荷どころではなく、唐景崧を押し立てて、「台湾民主國」の旗を揚げるのだが、肝心の唐景崧も逃亡してしまう。唐景崧も清国によって台湾巡撫に任じられた広西人なので、肝心な時には役に立たないのだ。

京城では乙未年に大日本帝国の意を体した三浦梧楼が、東海散士こと柴四郎なぞを使嗾して、国母弑害事件を引き起こしている。 当時の京城は「瘴癘の地」とは逆に「四神相応の地」であり、都を立ち出て漢江に到れば、田面を渡る風は心地良く、別荘など建てて、「鴎を馴すには私心が有ってはならぬ。」などと嘯く権臣もおったようだ。 しかしこの「四神相応の地」は誠にデリケートなものであって、都市化の進展とともに「瘴癘の地」と化しつつ有るのではないかという印象を持った。まさか無いとは思うのだが、近代産業が排出する「瘴気」も少しは混ざっているのではあるまいか。

韓国の住宅所有は、半数が持家、半数が非所有とのことだが、非所有の中には「チョンセ」と称する補償制度がある。住宅価格の50%程度の保証金を家主に預けると、家賃を払わないで使用出来るというもの。右肩上がりの経済成長期には、所有者、居住者双方に取って利益のある制度だったのだろう。特に所有者に取っては莫大な資産運用が可能になる。

公共住宅の割合、家賃住宅の割合は解らないが、「現代」「三星」「SK」などと誇らしげに建物に描き込まれたアパート群が、「チョンセ」運用であるならば、軍事政権下で急成長した韓国財閥の資産運用の元手となっているのだろう。しかしこれが低成長経済期に入ると、とんでもない混乱を引き起こす可能性がありそうだ。既に下位の住宅供給業者では、倒産が始まっているにも関わらず、入居者の保証金には充分な保護制度が無い様だ。

東京と京城をGoogleの衛星写真で比較してみよう。





衛星写真で市街地っぽいところを暗く塗ってみた。正確なリモートセンシングイメージも探せば手に入るだろうが、これでも概ね市街地の様子が分かる。





東京都の人口が1.300万人と言うが、これは概ね2-3階の低層住宅を主体にしており、住宅地に対する密度は1.5階建てにも満たないのではないだろうか。ところが京城は廻りを山に囲まれており、1,100万人と言う特別市の人口は、30kmx20km程の盆地に居住している。東京を10に割って、上に積み重ねたものと思って良い。 産業近代化とともに、首都に流入する人口を収容する為に作られたのは、膨大な高層マンション群であった。そして韓国では日本における住宅公団の様に、公益事業体がこれを行うのでなく、現代建設初め、民間企業がそうしたマンション群を供給したのだった。事業の公益性を根拠に、莫大な税金が投入されたであろうことも想像に難くない。



タイトル写真は概ね左図近傍である。画面左に広大な日影を生じているのが、私的営利法人によって開発された、韓国を象徴する近代的都市型集合住宅だ。画面中央の清溪川は、画面下で中浪川に注ぎ、すぐに漢江に合流する。元々川の落合は水温の差によって水蒸気を発生するのだが、近年の都市化による気温の上昇で、これが加速されているはずだ。「湿熱の気候風土によって」様々な障害が出ているのではないかと、他人事ながら心配である。



既存市街地に襲いかかる近代的都市型集合住宅群の姿はソウル市内の至る所に見ることが出来る。竜山では反対派住民に戦闘警察との衝突で死者が出て、今だに解決していない様だ。

既存市街地に伸びる超高層マンションの日影は、まるで健康体を蝕む「黒色腫瘍」にも見える。



江南では旧市街とは比べ物にならない規模で、大規模面開発が行われ、今も続けられている。右図は高速バスターミナルの東側一帯。周辺は全て壁状の25階建て前後の、日本でいえば「超高層」マンションだ。面密度が余りにも高いので、お見受けしたところ京城の市街地全体が「巨大九龍城」と見えてしまう。



産業近代化と都市集住という時期の左図、多摩ニュータウンの永山団地でも建物住民ともどもに老朽化し、「ここで死なしてくれ。」という訳で建替えが思う様に進まない。「80年代に3,200万円で買い、バブルの頃には4,000万円と言われた自宅が、先年査定したら800万円、今では500万円を切っているだろう。定年まで3,200万円の残債を払い続けるとなると、何の為に生きているやら。」なんて事例を京城市民もご参考にしたら如何だろう。



日本では1960年代後半以降の住宅ブームで人々を引きつけたのは、都市型集合住宅よりも戸建て分譲地だった。このほうが建替えに際しても個人の責任がはっきりしている。左図は横浜市港北区すみれが丘近傍。こうした低層戸建て住宅地が、うまく更新出来れば良いのだが、都市計画法、建築基準法と言うザルの目をかいくぐって、日本の住宅地を「巨大九龍城」にしようという「無法者」が全国で騒ぎを引き起こしている。



欧米に眼を移してみよう。左のパリの東北郊外というと、ジタンの育ったところで、貧乏人の住むところということだ。集合住宅が主体なのだが、市街地のフィジカルスペックには余裕が有る様だ。



イミョンバク氏によれば市街地を自家用車が時速80kmで突っ走るのが近代都市、ということの様だが、米国では戸建て住宅の外延化が高速道路建設の圧力となっている。インターチェンジから5分以内の戸建てしか売れないのだ。「超高層住宅は開発途上国向け」というのが1970年代以降の欧米の共通認識であって、貧乏人は敷地300坪、建坪150坪の巨大住宅のサブプライムローンに喘いでいる。

大統領は建設業の御出身ということで、小生と同業なのは心強い限りだが、学生の頃に教えられた、「都市型集合住宅」というのとは、お考えは大分違う様だ。下の写真はバンクーバーの「都市型集合住宅」だ。

先日「建築雑誌」で目にしたのだが、軍事政権下でソウルの都市交通計画の基本デザインに関わった康炳基先生が、晩年は「まちづくり」に転じた、という話も興味深い。



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