1. 「まちなみ」とは
  2. 明治以前のまちなみ
  3. 海外の歴史的まちなみ
  4. 我が国の近代的まちなみ
  5. 北米における近代的まちづくり
  6. 参考図書

2.明治以前のまちなみ

「盛り場」

江戸の町は大通りに面して越後屋さんのような大店(おおだな)が並び、路地を入った裏側に店子が住んでいました。表通りの大店はすっかり見違えるようなビルになっていますが、一歩路地を入れば、江戸時代とそれ程変わらない裏店のまちなみがつながっています。


出典1より

裏店で特徴のあるのは路地の中央にドブが設けられていることですが、ここでは今でもそうした排水溝を見ることが出来ます。 江戸の町は平屋ないし1.5階建ての建物が広大な面積で広がっていたようです。日本橋などの「盛り場」でもこれは変わりません。そして物流の中心となったのは堀伝いに延びる船での輸送でした。

浜松ではまだ表通りにも昔風の建物がいくつか残されています。しかしこれも路地裏とは違い、次第に少なくなって行くのではないでしょうか。大安寺上の林さんは商売柄もあって昔ながらの店構えで商いをしておられます。





空襲を受けた浜松市の中心部では江戸時代のものがそのまま残っている訳ではないのですが、戦災後、昔の形を復元したものだと思います。もっとも軒の高さが完全な二階建てになったのは明治以降のはずですが。



江戸時代の街道筋は公儀の、武家の用途を第一と考えた場所でした。商店も「御用達」を勤めるような格式の店に限られていたのではないでしょうか。大名行列の前を横断すれば討ち首、という街道筋に対して「新道」などと呼ばれる裏通りが「盛り場」となりました。表通りの建物の様子は変わっても、こうした「路地裏」のありかたには昔から変わらないものが残されているのではないかと思われます。

「組屋敷」

裁判所の近くにあるこの家も古い時代の武家の住まい、今でいえば公務員住宅のイメージを良く残しています。「粋な黒塀、三階松」のこのお宅には「花道師範」の看板が掛けられていて、なるほどと思いました。杉皮の庇というのも「市中山居」という趣味人の理想的な暮らしを良く表わしています。そして裏には畑があり、日常の菜を自給する、というのが当時の武士階級の暮しだったようです。 高町から鴨江へ



「街道筋」



歴史的な浜松のまちなみを構成するデザイン要素の一つは東海道の宿場としての建物でした。「しもたや」は元々「仕舞タ屋」で、店舗併用住宅が店舗営業をやめたものだ、ともいわれますが、「町屋」では写真の様な建物が店舗、住宅といった広い範囲の用途に使われることが一般的でした。

「再利用」

街道筋の建物もおおむねこうしたデザインが基礎になっています。街道沿いの建物は東海道筋では地域的な違いはそれ程顕著ではありません。白須賀宿が元宿から現在の場所に移ったときの元請けが江戸の業者だった、といわれるように、公儀御用の宿場建築には幕府の統制が働いていたのでしょうか。

秋葉街道に面した飯田市内では右のような試みがされていました。周辺に昔ながらの建物が沢山残っているので、そうした「まちなみの遺伝子」を組込んで新しく造られたお寿司屋さんの建物です。街道に面して造られた駐車場がまちなみを壊してしまうことが良く見られますが、ここでは駐車場を裏に廻しています。もっともこれも表側の軒の高さをなるべく抑えて、通り沿いの空を狭くしないことが前提でしょう。

「河岸」

吉良湊とは較べ物になりませんが、浜松藩でも江戸廻米の為には掛塚湊を中心とした舟運が利用されていました。明治になっても鉄道開通までの間、東海道の物資輸送に役立てるため、湖西市新所から浜松城下まで運河が整備されました。写真は当時の運河沿いの並木ですが、つい最近になって取り払われてしまいました。残念。

「在所」

「盛り場」「街道」「河岸」といった都市的要素に対して遥かに広い部分には農村的な景観が広がっていたはずです。気候と切り離せない産業としての特徴から、農業的な景観には地域の特徴が良く現われます。 江ノ島町

伊那谷の伝統的な住宅ははこうした大屋根で棟を南北にとったものが基本になっているようです。屋根裏に明りを採りやすく、養蚕などに使われていたものでしょうか。

「遠州からっ風」と言われるとおり、遠州地方の農村景観を特徴付ける最大のものは生け垣でしょう。冬の間西風を防ぐ生け垣は夏の間には日陰を作り出します。遠州の農業集落では道沿いに建物がむき出しになることは少なく、こうして屋外の作業空間を生け垣が囲っています。

同じデザインの農家建築でも実にしっかりした造りの堂々とした建物も数多く残っています。手入れをきちんとしてやれば思ったよりも長い間使うことが出来る様です。南の軒下のこの空間が生け垣と並んで遠州地方の伝統的な住宅の要素です。遠州地方の春夏秋冬が余すところなく建築デザインとして表現されています。



以下は私の手がけた改装改築の例です。

Sさんのお宅は骨組みのがっしりした建物でしたので、こうして補修すればまだまだ使えます。遠州地方の住宅文化の伝統を残す設計を心掛けました。
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こちらのお宅は現在東京にお住まいで、セカンドハウスに使われています。
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明治以降は天竜材の出荷基地として栄えた中ノ町に新築したこの建物が、伝統的なまちなみの遺伝子として役に建てばよいがと思います。
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「坪庭」

かっての京都を代表とする日本の都市住宅では「鰻の寝床」的な敷地条件を克服する為、「中庭」「坪庭」がありました。
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