「別れの釜山停車場」にうたわれた朝鮮戦争の頃の大統領は、アメリカ帰りのイ・パクサこと李承晩さんで、戦前からの反日派でした。そして近代国家としての大韓民国の基礎づくりに、大きく貢献した朴正熙さんはれっきとした元日本人、元満州国陸軍高木正雄少尉です。大統領に就任したのは1963年であり、大日本帝国の崩壊から18年目ですから、国民の大半も元日本人です。朴正熙さんの時代は独立国の国民として、元日本人という穢れを振い落とすためには「反日」が国是でなくてはならなかった時代だと思われます。
ところが政治よりずっと血液に近いところで受け止められる、演歌の世界では、「酒は涙かため息か」という時代、内地でも軍国主義の強まった時代である1930年代から続く「シカタガナイ」という思いが、独立後も歌い続けられて来たのではないでしょうか。朴正熙さんの時代に作られた「カスバの女」を、私の親爺も一杯機嫌で口ずさんでいたものですが、これも久我山明こと孫牧人の作品です。そして日本が「シカタガナイ」から植木等歌うところの「スーダラ節」に乗って「所得倍増」の10年へと進んでからも、韓国ではしばらく軍事政権下の「シカタガナイ」という時代が続いていました。
「冬のソナタ」の主人公たちはその頃に生まれた子供達、ということになるでしょうが、彼等の幼稚園時代に朴正熙さんが暗殺され、軍事政権の強要する「シカタガナイ」が、光州市の全南道庁前で血塗られた最後を遂げると、時代は転がり始めました。1880年に2,000ドルちょっとだった国民所得は2003年には17,700ドルになり「所得倍増」どころではありません。オリンピックの頃にはカセットテープに入って、夜店の屋台で売っていた「ポンチャク」もCDになっているようであります。最早酒の勢いで「ポンチャク」を歌う若者には、元歌に込められた「恨」が分らなくなりつつあるのでしょう。「冬のソナタ」の持つ「陰り」には子供達には分らない親の世代の「恨」、19世紀末から1980年代まで長く尾を引いた、「シカタガナイ」という想いの物語り、という側面もあるように思えます。
さてこの「ポンチャク」のノリは何だろうと考えてみると、参考になるのはサッカーなどで登場するカネ・タイコの一団であります。カネとタイコで集団酩酊状態をつくり出す、というのは伝統音楽でいう「農楽」のノリではないかというのが私見です。してみると「ポンチャク」というのは、演歌すなわち植民地時代の「シカタガナイ」歌謡の「農楽化」ということになります。韓国における産業近代化の秘密兵器は、実は伝統民俗音楽であったのではないかと。
ところで日本を代表する伝統芸能である能楽の謡本では、リズムをつけるところには、物語る部分と区別するために「ノル」と記されています。能楽が発達した時代、千利休などにとって韓国は憧れの先進国であったわけで、謡本でリズムをつけるところに「ノル」と記すのも彼の地から来たものかも知れません。それが時代が下がるにつれてリズミカルなことを「ノリ」「ノル」と呼ぶようになったとは考えられないでしょうか。