(1) 教育情報 Magazine/ある小学校教師の独り言 2/10
またまたいつも紹介しているMMから紹介します。前回の伊那小の平野先生の講演と重ねると理解が深まります。
−−−−−−−−−−−−−−−− 以下引用 −−−−−−−−−−−−−−−
■《目標の二重化構造》■
総合的な学習の時間における児童の「学習目標」って,どんなものか考えて見たいと思います。
例えば次のような実践を考えたとします。長いスパンの話で申し訳ありませんが。
例:4年生での実践:学区のおもしろガイドをつくろう
この単元での子どもの目標は
「学区のよさや問題点を個性を生かして調べることができる」
また,
「絵地図や1枚新聞,パンフレットなどにまとめて家庭や地域の方に紹介することができる」
とします。
つまり,子どもたちは
「調べて,まとめて,紹介しよう」
という目標のもとにがんばるのです。
しかし,教師には
「地域に根ざした問題解決学習を設定し,それを解決していく過程において生きる力を育てる」
という単元の目標があります。例えば,次のような観点から。
1 知ることの喜びを味わい,自ら学ぼうとする意欲をもつことができる。
2 ものごとを見つめる新たな目や考え方を伸ばすことができる。
3 自分の生活と結びつけて考え,これからの生き方を考えることができる。
つまり,子どもたちは学区のよさや問題点を多くの人に知らせるために追究活動を重ねます。指導者はその過程において,学ぶ楽しさを味わわせたり,自分の生き方を振り返らせたいのです。
これらは教師が子どもたちに身につけてほしいと願っている力であって,子ども自身が1〜3のことがらを目標としているわけではありません。
このあたりが教科の学習と異なる点だと思うのです。
総合的な学習の時間はご承知のように教科ではありません。時間です。私たちはともすれば,総合的な学習の時間を教科と同じレベルで考えていやしないでしょうか。目標だけにとどまらず,単元構想にしろ,評価にしろ,さまざまな面で。これは大きな落とし穴だと思うのです。
このことが私が目標の二重構造化に関心を持った理由です。きちんと考えていけば総合的な学習の時間の実践も少し変わってくるのではないかということです。
■《奈須正裕氏の論》■
★★★★子どもは活動を目指し,教師は内容を目指す★★★★★★
活動と内容の区別は重要である。しかも,子どもたちが目指すのは活動であって内容ではない。子どもからすれば,活動こそが目的であり,内容は活動展開の手段として,あるいは活動に伴って,結果的に学ばれてしまったものなのである。
子どもたちはおいしいジャムをつくりたい,山羊を飼いたい,筏で川下りをしたいのである。彼らは何も,現代の食をめぐる切迫した状況や命の大切さ,学級みんなで団結して何かをなし遂げることの素晴らしさを学ぼうとしたのではない。それらは活動の展開の中で,結果的に学ばれてしまったのである。しかも,大事なことは,子どもたちもそれによって,より深く納得し,活動に取り組んでよかったという気持ちが強くなることであろう。〜中略〜 活動の自然な展開の中で,教育的に価値のある内容の学習を実現することこそが教師の目的であろう。
奈須正裕著「総合学習を指導できる教師の力量」明治図書刊
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ここに書かれていることはまさに「目標の二重化構造」ではないでしょうか。子どもの目標と教師の目標は明らかにちがいます。
私が二重化構造を初めて知ったのは鳴門教育大付属小での世羅教授のお話でした。はじめは「当たり前だ」と思ったものでしたが,案外これは盲点になっていると思うようになりました。
子どもたちに「さあ,今日の授業では,ジャムづくりを通して食糧問題について考えるんですよ」なんてことを言う教師はいないと思います。
これは評価の観点にもつながってきます。
「現代の食をめぐる切迫した状況を理解することができたか」
とか
「命の大切さを感じ取ることができたか」
といった観点は教師がする評価であり,子どもたちは「おいしいジャムをつくることができたか」「見事に筏下りを成功させることができたか」という観点になります。できなかったら「なぜできなかったのだろう」を考えればいいのです。できたグループになぜできたのかを尋ねればいいのです。これは方法知重視の授業にもつながります。