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便利なことはなんて不便なんだろう

(社)静岡県建築士会・浜松支部/まちづくり委員会・CC会の合同企画で信州大平宿へ行って来ました。 案内のパンフレットには

不便である点はむしろ喜びとして、進んで古き良さを生かした生活をすること。
とありました。

CC会メンバーの手料理で豪華なキャンプを無事終え、最も印象に残ったのは、 信州大平宿下ノ紙屋さんの便所の戸の閂でした。次の様なものです。

杉の板戸の桟に閂を組み込んだもので、戸の竪框と上下の桟を除けば

  1. 閂の押え(右)
  2. 外閂
  3. 把手
  4. 把手雇いほぞ
  5. 内閂
とたった5つの部品から出来ています。部品は全て戸と同じ杉で出来ています。 ちょっと昔、我々がまだ子供の頃には、こうした簡単な閂は結構普通に見ることが出来ました。 現在でも和風の簡単な戸締まりには使われることがあります。閂という字があることから見ても、 かなり昔から使われて来た戸締まりのメカニズムに属するものだと思います。

これだけで、

  1. 簡単に外閂をはずして開くことができる
  2. 戸を閉めた状態を保持する
  3. 人が中に入ったら、外から入れない状態にする

という基本的な機能を満たしています。しかし、我々はこれを

  • 手を放してスウィングさせただけでは閉まらない
  • きちんと戸を閉めないと閂が掛からない
  • 把手が木なので汚れやすい
  • どこが把手が良く解らない
  • 把手を動かしにくい
  • 中で人が倒れたら、外から開けない
    あるいは単に
  • 「便所の戸」みたいで貧相だ
等といった理由で使わなくなってしまいました。そして代わりに使われる様になったのは、 回せば戸が開き、手を放してスウィングさせても自然に閉まってくれる、ラッチを持った ドアノブです。

確かに便利になりました。しかし、

不便である点はむしろ喜びとして、進んで古き良さを生かした生活をすること。
と言われてみると、便利にするために何が変わったか、便利になったことで、我々は何を失ったか、 を振り返ってみても良い様な気がします。そんな訳で今風のドアノブと昔風の閂を較べてみました。

次の絵はあるメーカーの、廊下、クロ−ゼットなどに使われる空錠ノブです。 便所のノブだとこれに内側から閂を掛けるサムターンと、外からピン、 ドライバーなどで閂をはずすメカニズムが加わります。
これで手を放してスウィングさせても、戸が自然に閉まってラッチが掛かる様になり、便利になりました。 真鍮の取っ手は汚れにくく、拭けばきれいになります。 戸と同じ材料で出来た昔風の把手と違い、どこが把手かはっきり解ります。 中から閂が掛かっていても、いざとなれば外からピン、ドライバーなどで閂をはずす事ができる様になりました。

こうした「便利な把手」を実現するため、最も変わったものは素材でしょう。 ドア本体と同じ素材ではなく、鉄、鋼鉄、ダイカスト、真鍮などが使われています。 部品点数も50個近くになり、特殊な設備を必要とする特殊な加工が増えています。

元々日本文化は「引き算の文化」とも言われます。 一つのものが「あの用」にも使われると同時に「この用」にも使えることが洗練だと考えて来ました。 これに対し、西欧文明の元となる文化は「足し算の文化」と考えることが出来ます。

  • 手を放してスウィングさせただけで閉まる
  • 閂が簡単に掛かる
  • 把手が汚れにくい
  • どこが把手が良く解る
  • 把手を動かしやすい
  • 中で人が倒れたら、外から簡単に開けられる
  • 豪華に見える
という様に機能を分解・単純化させてそれぞれに解決策を与え、再び組み立てる、というやり方です。 そのために素材から始まって便所の把手を作るのに必要な業種は 製鉄業、真鍮冶金、プレス、ねじ切り、鋳物、と限りなく複雑化して行きました。 最早そこに使われている素材の全てがどこで、どのようにして造り出されているかを知るすべはありません。

同じ様にして現代の我々の生活は、その全てがどのようにして成り立っているかを知ることが出来ない、 という不安感に満ちています。近年声高く叫ばれる「環境問題」の根本にも、我々の暮らしと、 環境との間の関係が解りにくくなっていることが上げられるでしょう。 コンピュータ2000年問題もそうした不安を象徴する出来事です。

信州大平宿下ノ紙屋に泊まって覚えた安らぎは、これと正反対に、食べ物から建物に至るまで、 そこでの生活を囲む全てのものの成り立ちを想像できる、という「手づくり」の安心感でした。 ものの成り立ちを機能分解し、外へ外へと拡げる事で発達した西欧文明と対照的に、 日本では江戸時代を通じて自給自足経済を高度に発達させました。 おそらく大平宿の建物も下から材木を運びあげるのではなく、現場に木挽き職人が来て、 その場で製材した材木を使って作られたはずです。同じ材木を使うのでも、一旦山の下の製材所まで運び、 製材してから再び山に運び揚げるしか無くなった時代、大平宿は廃村とならざるを得なかったのです。

西欧に発祥した「足し算の文化」が世界全体を覆うと共に、「環境問題」が叫ばれる様になりました。 「足し算の文化」の行き着くところ、目前の「便利」が大きな「不便」あるいは「危険」の元になることを、 誰もが予感し始めています。 人類が21世紀に今より幸せになれるとしたら、「リサイクル」という言葉で表される様な、 江戸時代に大平宿で育まれた様な暮らしの中にそのヒントがありそうな気がします。