静岡県磐田郡福田町の佐藤さんのお宅は、昭和の始め頃に掛塚港で、新築から程なく売りに出された旅館の建物を譲り受けて来て、その材木を使って建てられたものだそうです。
この時代は東海道線によって天竜川沿いの材木の積み出し基地が福田港から天竜川駅に移りつつあった時代ですが、
同時に戦時統制の始まる前で、近代木造建築技術の頂点を究めた時代でもありました。
今回、家を新しくしたいのだが、出来れば今建っている建物を残して改装、改築できないか。
というお話を伺って建物を見たときにも、当時の大工技術と、福田港の繁栄ぶりを偲ばせる建物だなと感じました。
そのため改装にあたっても、できるだけ元の建物の新築当時の良さを残して計画しました。
畳の茶の間から床を下げたダイニングキッチンというのは、この辺りの民家の土間が伝統的に持っている合理性によくマッチします。
海外生活の長い息子さんも寝室の増築を和風とすることに賛成していただけました。
改装前の外観。右側に見えるのは今のご主人達が結婚した頃に増築した部分。改装まで「おばあちゃん」が綿布の作業場に使っていました。
南向きの広い軒下は農作業スペースでもあり、農閑期には「屋外の居間」にもなりました。
役付きの家だったので、江戸時代の公務スペースである「入側」の格式を残して建てられています。
改装後の外観。右側が若夫婦の寝室
広い軒下をそのまま残しました。屋外の多目的空間として使い道が広い。
大黒(丑持)柱の手前の玄関土間はそのまま残して応接スペースにしてある。黒いフローリング部分がかっての土間。
背戸(家の北側)から涼しい風が入る、と言うのは贅沢でも何でも無い普通の心地良さだったのですが、今では忘れられています。
かっての土間にダイニングキッチンが、9寸上がって「茶の間」。
障子を閉めると茶の間は落ち着いた空間になります。
新しい寝室は畳敷の広縁付き。無駄に見えてもサンルーム、家事室、と多目的に使えて、洋風の住宅に負けず合理的です。
広縁の端が書斎になる。これだけ贅沢な寝室を作れたのも建て替えをやめて昔の建物を残したからです。
殿様か下男か