2014.1.6 

Osam’s Place
御殿か獄舎か
殿様か下男か
寄付
殿と獄



Oさんちで心掛けたのは、主空間と住空間をきちんとする、ということだった。主空間を家の中心に置き、周辺に従空間を配した。平安時代以来の伝統的な住宅形式は主空間を「殿」、従空間を「縁」「庇」「廂」「下屋」などと呼ぶ事がある。桂離宮の様な、大規模な住宅建築でもこれは原則通り受け継がれている。



開放的な建物にあって、主空間をとりまく従空間は、季節ごとの光・風を取り入れ/遮って、環境を整える環境調整装置としても働く。障子・襖はドアと違う可動スクリーンであって、開けたまま使われる事もあるし、外せば全体がワンルームになる。



これに対して最近の集合住宅では、中央に通路をとる例が多い。概ね北から入り、突き当たりにリビング/ダイニングを配し、通路に沿ってその他諸室を配置する。一見床面積に無駄が無いように見えるが、5年も暮らしてみて、ものがあふれて来るとどうにもならない事が多い。それぞれの部屋の面積が、要求をギリギリに満たすことで、部屋数を満たす、という条件もあるだろう。

しかし日常生活でありそうな室内動線を想像してみると、その差は歴然としている。集合住宅の平面は日常生活の全ての行動を、それぞれの目的に分解して、それに空間を与える、というやり方をとっているのではあるまいか。一見合理的で、無駄が無く、計画性に富んでいるように見える。しかし別の見方をすれば「行動管理型空間計画」ということが出来よう。全ての空間は限られた目的を持ち、そのための「行き止まり」の部屋となっている。そしてそれ等をつなぐのが中央の通路だ。

Oさんちではなるべく「抜けられます。」という空間の組み立てに注意した。「行き止まり」になっているのは浴室と便所のみだ。玄関にしても2方向から対応出来る。戸建て住宅なので、玄関以外からも出入り自由であり、動線はまとまりの無いものとなる。

伝統的には「殿」に居る人のことを「殿様」と呼ぶ様だ。どうも私の場合、一日の全ての時間が目的ごとに管理しやすいことに重きを置かず、自由に動ける方が好みなのだ。

そうした和風の動線と対照的なのが、最近の集合住宅だ。こうした「行動管理型空間」の極地は監獄だろう。どうもこの手の集合住宅は息が詰まっていけない。集合住宅だけならまだしも、戸建て住宅でもそうした動線計画・空間構成の住宅を見ると、ナンダカナー、と首をかしげてしまうことがある。



この違いを辿って行くと「住まいの原型」にまで達するのではなかろうか。我国の住まいの様に「雨露をしのぐ」のと同様「囲い」もまた住まいの要素のひとつだろう。

雨露をしのぐ屋根の次に床が現れる。殿様が殿様になって行くのだ。中近東から欧州に掛けての草原地帯では、日本に較べて雨露の脅威もそれ程ではなかったかもしれない。

英国全土を区切る牧草地の石垣を見ると、敵に対する備えとしての囲いだけでなく、家畜の所有権を裏付けるための囲いも必要だっただろう。都市住宅が発達すれば、これがコートハウスとなろう。

我国の都市は古来、中国/欧州に見られる様な、城壁を持たない集住形態だとされているが、住宅動線でもその辺りが「和風」のエッセンスのひとつではなかろうか。

Osam’s Place
風の中の家
22世紀まで使える家
市郎兵衛家の改装 

殿様か下男か
御殿か獄舎か
殿と獄
禍根

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