2014.2.1 

Osam’s Place
殿様か下男か
御殿か獄舎か
寄付
殿と獄



「寄付」と書くと、大方は「きふ」と読まれてしまう。茶室の構えでも「よりつき」というのはあるが、どのようなものか、良く解らない。

広沢辺りは戦前から成功したした人が屋敷を構えた所だ。幕藩時代からそうした下屋敷を構える人も居ただろう。なにせ広瀬谷は三方原合戦の折、成瀬正成が本陣を置いた所だそうだ。そうした広沢を歩いて、目に留まるのは「寄付」の玄関構えだ。



引き違いの玄関戸を開けると畳二畳の寄付きに「式台」が付いている。私の如き無作法なものには、こうしたしつらえのところで、ちゃんとした「人を訪ねる作法」というのを知らない。

この例では正面の襖を開けると八畳の座敷になっている。右側は畳廊下、左側は四畳半で今はリビングにお使いだが、書物に見る明治の邸宅の例からすると、女中部屋三畳なんてのもある。書生などと言うものがあった頃には、畳廊下に寝起きしていた書生もあるだろう。

玄関を開けて「ごめん。」とやると、女中か書生、つまり秘書官が出て来て亭主に取り次ぐのだ。そうした「使い方」「作法」も知らないと、住宅の空間構成は良く解らない。

「政治家の修行は書生から始まる。」というのは今も昔も変わらない様だが、ちょっと昔の「書生部屋」というのは畳廊下だったりしたのだ。

こちらのお宅では玄関から拝見した所、寄付二畳から廊下へ続いている。玄関の作法に畳が必要なのだ。玄関が通過の場所でなく、重要な対面の場所であることが分かる。

上つ方の対面作法など知る由もない我々は、

  人生劇場 望郷編
  尾崎士郎
  昭和29年
  新潮社


などで渡世人の作法を知るのみだ。


昨年竣工のOsam’s Placeでは、玄関を対面の場として機能することに工夫した。玄関には居間と食堂の両方から対応出来る。居間とは天井までの障子、食堂とは引き込み戸で区切ってある。

主婦のいる時間が多い流し前から、玄関へ出る距離を近くすることで、対応が楽になる。来訪者を座敷に導くには、左側の式台を上がってもらえば良い。

居間の奥が主寝室を兼ねた座敷だ。寝室の広縁と居間は、やはり天井までの障子で区切ってある。右手の引戸はそのまま食堂に通じているが、玄関土間からこちらを見通すことは出来ない。

「ちょっと御待ち下さい。」と言う訳で、裏から式台の向うへ回って、客を座敷に導く。マンションに見られる様な、廊下を通って各室へ通じる、監獄式の動線では、玄関での対応に自由度が無い。


工夫次第で玄関が多機能に使える、ということに気付かせてくれたのはMさんだ。市内中堅企業の部長職を引退した彼は、大学4年間以外は生まれ育った村に暮らし、引退後も畑仕事に余念がない。そんな彼であるから泥だらけの友達だけでなく、ちょっとフォーマルなお客さんもある。

しかもお嬢さんの御家族との3世代住居だ。しかも近所に住む別の娘家族も日常的になだれ込んで来る。

そうした人達の流れに支障が出ない様にするためには、玄関で交通整理が必要になる。玄関正面は中庭で、掛け障子をしてある。

Court House

図の青はフォーマルなお客さんで赤は家族。下はガレージというか、農作業用倉庫と言ったもので、ここからも上がれるようになっている。中央が下足入れで、そのまま目隠しになっている。ゴム長をここに入れて上がればお客さんを案内出来る仕掛けだ。

設計屋が考えたというより、Mさんのライフスタイルであり、昔ながらの農家の玄関の多機能さを再現したものだ。





Osam’s Place
Court House
風の中の家
22世紀まで使える家
市郎兵衛家の改装 

殿様か下男か
御殿か獄舎か
殿と獄
禍根

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