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海の関所

箱根の関所が山の関所であったのと対象的に、海の関所であった今切れの関では、海上からの景観が最も良く「新居らしさ」を表わすものとして地域住民と旅行者の双方に理解されていた。当時の日本人の自然信仰の一つに水を渡ることをけがれを去るための神聖な行為と見るものがあった。

安藤広重の道中図にも今切れの渡しは「渡海」の情景として描かれているが、五雲亭貞秀の「東海道荒井之勝景」では大名渡海の有様が一層荘厳な筆致で描かれていて、当時の海を渡る信仰を良く表わしている。 浜名湖における弁天島、礫島が神聖清浄の地であったと同様、安芸の宮島、伊勢の神島、近江の竹生島等が水に拠って俗世界との遮断を計った聖地として著名である。信仰の為のこれらの施設は水を渡ることによって初めて到達できる環境そのものによっている。こうした「海を渡る信仰」を底通するものはけがれを洗い流してくれる水そのものへの信仰であろう。けがれのない水と接して暮らすことが人間生活をより豊かにしてくれるものだと考えられていたのである。

古来我が国では水辺を神聖な清浄な場所として表現する場合、「白砂青松」という言葉をつかってきた。ことに徳川期においては松は神聖な格式のある樹木として、こうした格式に相応しい場所に対して全国的に松をつかった景観形成が行なわれた。新居の歴史的な景観で、水辺を彩ってきたものは、このようにして形成された松の緑による景観である。水質の清浄さを示す「白砂」に対する精神的な清浄さを現す「青松」は新居の水辺にあってこれからも守って行きたい景観要素であると考えたい。

かって今切れの渡しを渡り、新居の関所を潜り抜けた関東の旅人にとって、この斜面緑地は始めて目にする「西国」の風景であったと言えよう。同様に関西へ帰る人々にとっては同じ景色がなつかしい故国の入り口を意味していたはずである。潮見坂から遠望する富士山と太平洋がそうであったように、この斜面緑地は嘗て街道を行き来する人々にとって日本を二分したときの目印であったはずである。そうした意味合いからすれば斜面緑地を含んだこの一帯は関所周辺から旧東海道を臨むときに欠くべからざる背景となるものであり、関所が日本を二分する施設であることを感じさせるためには遠景としてのこの一帯の景観が欠くことの出来ないものだ。

明治23年
(明治23年測量大日本帝國陸地測量部二万分一地形図「新居」より)

大正6年
(大正6年測量大日本帝國陸地測量部二万五千分之一地形図「新居」より)

平成2年
(平成2年測量国土地理院1:25,000地形図「新居町」より)



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