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「浜名湖の立面図」
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古山恵一郎
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建築士が浜名湖の

未来を考えるとき、今の浜名湖の姿をかたちづくっている歴史を振り返ってみるのはいかがでしょうか。東京などの圏外資本によって進められる開発は地域の歴史を踏まえ、地域の暮らしに配慮した地元建築士の目でチェックされる必要があると思います。自然、環境といったものと建築を調和させるためにはどうしてもその地域で実際に暮らし、業務を行なっている建築士の協力が不可欠だと思われます。これからの浜名湖を考えていくうえで、現在に至る浜名湖の過去の姿を振り返ることは貴重な手掛かりとなるに違い有りません。そうした地域の歴史を専門家の目で描き出すことの出来るのは我々地域に根ざした建築士以外にはありません。我々の子供達に胸を張って浜名湖を受け継がせるためにももういちど浜名湖の今までの歩みを振り返って見ようではありませんか。

しばらく前から建築デザインの世界でも「ポストモダン」という言葉が登場しました。先進国の近代化が日本を最後に世界を一巡し、それまではっきりと人々の頭のなかにあった「未来像」がゆらぎ始めていることもポストモダニズムの底流のひとつになっています。特にアメリカでは西部劇以来の伝統で近代化の前提となっていた、大自然に対する人間の挑戦としての「限りない成長」がそろそろ終着点に達し、自然環境にも限界があるのだという意識に変わりつつあります。

都市計画の分野でも「成長管理」の考え方が取り入れられるようになり、これからの都市では、今までに蓄積されてきた歴史的建築物ないしは歴史的なまちなみを再生、活用して行くことが都市の景観的価値を高めるうえでの最大の資産であると認識されるようになってきました。

我が国においてはこれと対照的にその限られた国土から産み出された生活の知恵として、自然に溶け込み、自然と調和して暮らすという歴史が数千年にわたって繰り広げられてきました。浜名湖岸でも漁船の発動機化、観光、交通などの産業施設の一部を除く日々の暮らしには自然に溶け込み、自然と調和して暮らすという伝統的な暮らし方が広く残されていました。

そうした暮らし方は1964年の東京オリンピック前後から今までのほぼ30年の間に、それまでの数千年の歴史を上回る変化をとげたといってよいでしょう。私達が少年だった日のあの浜名湖の輝きは、見事に近代化を成し遂げた現在の私達の環境を照らしだす絶好の鏡だと思います。

建築士会浜名湖委員会ではこれからの一年間で湖岸に住み、業務をされている皆さんから今までの浜名湖の話をお伺いし、これからの浜名湖をかたちづくって行くための資料として取り纒めたいと考えます。

取敢ず話のタネとして明治23年、大正6年の地図を現在の地図と較べて用意し、メモを書き出してみました。これを元に皆さんの手で「浜名湖建築誌」とでも言うものにして行ければと考えております。限られた時間で取り纒めた不完全な原稿ですので誤字、脱字だけでなく、間違い、勘違い、不心得など有ると思います。取っておきの話をお聞かせくださるだけでなく、そうした原稿の不備についても御注意くださるようお願い申し上げます。

懇談会の時間には限りがありますので、いつでもお気軽に浜名湖委員会にそうした話をお聞かせくださるか、事務局まで原稿をお持ち頂ければ幸いです。


1.浜名湖の地形、海況
  • 浜名湖は周囲103km、面積69.27km2、容積330,000,000m3、平均水深5m、最大水深15.8mの中海、サロマ湖、宍道湖などと並ぶ我が国第8位の大きさを持つ塩水湖である。

  • 湖口部は巾200mの今切口により外海(遠州灘)に開口し、湖岸は入江に富み、その面積は本湖の40%に達する。浜名湖は天竜川台地の沈降あるいは浸水により形成されたもので、周囲は丘陵地帯、南方には天竜川から排出された流砂による砂洲が発達している。

  • 湖南部の底質は砂質で浅く、とくに弁天島周辺には砂堆が広大に形成されている。

  • 湖北部は新所〜舘山寺線から急に深度を増し、入出沖から細江湾口に至る海底平原は10m等深線に囲まれていて湖奥部の底質は泥である。

  • 浜名湖水の動きは潮汐流によるものであるが、湖内の海況は地形の特殊性によって極めて複雑で、一般に湖南部は鷲津、村櫛付近まで潮汐流の影響を直接受けて塩分も高く、水温は湖北部に比べて夏期低く、冬季高い傾向を示す。

  • これに対し湖奥部の海況は低塩分で内陸湖型の特長を持ち、夏期には水温の成層ができ、特に盛夏には表底層の水温差が8-10度Cにも達し、4m前後では溶在酸素量が激減し、硫化水素の発生も見られる。

  • 秋期水温が下がるにつれて、この水温成層が崩れ、春までの循環期にはいる。この秋期湖水の循環初期に底層の悪水が表層に出て、いわゆる「苦潮」を現出することが常である。

  • プランクトンは春期および秋期に珪藻類が大繁殖し、特に秋期「苦潮」の出現前後に鞭藻類の増殖による赤潮が湖奥部に見られることが多い。

  • 浜名湖に流入する河川は14余りあるが、湖最奥部に位置する都田川(流量1.5m3/sec)が最も大きく、他は通常湖水に大きな影響を及ぼすほどの流入量はない。

  • 浜名湖に棲む生物はその複雑な地形、多くの入江、陸水による豊富な栄養の補給、水生植物の繁茂など、一般的に幼稚魚の生息に適した条件の多いことが特徴で、これまで魚類276種、エビ類11種、カニ類19種、貝類64種、その他の軟体類6種の計376種が報告されており、植物では有用種として7種があがっている。 
舞阪町刊「水産の舞阪」より

2.浜名湖の近代

明治 91876年通運丸  浜松堀留ー湖西日之岡開通 郵便物逓送
明治141881年浜名橋  舞阪ー新居間開通 有料橋
明治221889年東海道線開通 浜松ステイション
馬郡ステイション、鷲津ステイション
弁天島海水浴場 那須田又七、茗荷屋、桝屋、紀の国屋による
明治231890年浜松町町制施行 人口13,624人
明治271894年浜松商工会議所設立
養鰻池計画始まる
明治331900年浜松町広小路開通
新姫街道改良工事  浜松ー気賀町ー三ケ日
有料浜名橋解散 渡船に戻る
明治361903年浜松電灯会社設立
明治391906年弁天島仮停車場開設
明治401907年浜名湖巡航船会社 鷲津ー気賀町、鷲津ー北庄内村堀江
鷲津ー東浜名村都築、鷲津ー西浜名村三ケ日
明治411908年浜松二俣間輕便鉄道開通
明治421909年電話交換局新設
明治441911年 浜松ガス会社設立
明治451912年浜松市市制施行 人口36,782人
大正111922年西野島浦に「楽園」
大正121923年西ノ島浦地先埋立認可
昭和 71932年浜名橋開通


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