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2019.2.6

佃島は年貢・地子に代えて魚献上という御菜八ケ浦ではなく、別格と言いますか、御菜八ケ浦が地付の漁業権「表の江戸前」だとすれば、将軍家直属の「裏の江戸前」というような扱いだったのではないでしょうか。


将軍家御用達

佃島が御菜八ケ浦の筆頭株として将軍家に江戸前の魚を献上する役割であったのと同様に、浜名湖では家康公浜松在城当時、入出村村前の内浦で取れたコイ、フナを献上して以来、ここを御浦と称し、入出村が御用網を命ぜられたのだそうです。その後寛永九年に暴風雨のため御浦に潮水が進入し、コイ、フナが絶えて代わりにボラが泳ぐようになって以来、コイ、フナの格式に代えてスズキを献上するようになったとあります。寛永十二年三代将軍家光広上洛の折の、新居代官所からの注文書が残っています。「将軍様だろうが何だろうが、魚は捕れんときゃあ捕れんよ。」という声が聞こえて来そうな注文書です。



寛永十二年三代将軍家光公上洛時新居宿ヨリ御用肴被仰付其命令書ハ上ノ如シ(湖西市史より)

岡崎から浜松へ家康公が移ったころにはまだ将軍家では海の魚のおいしさを知らなかったのではないかと思います。勿論暴風雨でコイ、フナが取れなくなったというのもあるでしょうが、浜名湖の海の幸に出会ってコイ、フナよりもこっちの方が良い、ということになったのではないでしょうか。それまでコイ、フナであった将軍家の御馳走に海の魚を献上した点では浜名湖は江戸前の先輩格ということになります。

入出も佃島と同じく、いわゆる佃煮が有名ですが、上のようなことを考えると、佃島よりもこちらの方が元祖という感じもします。そう考えると小魚の煮染めを「佃煮」というのは良くない。今度から「入出煮」と呼ぶことにしよう。「佃島の入出煮」なんちゃって・・・。

 明治23年
(明治23年測量大日本帝國陸地測量部二万分一地形図「新居」より)

 大正6年
(大正6年測量大日本帝國陸地測量部二万五千分之一地形図「新居」より)

平成2年
(平成2年測量国土地理院1:25,000地形図「新居」より)



かって将軍家に鯉と鮒を献上した池は埋め立てられて田んぼになっています。



しかし「御用網」の迫力は今も残る花崗岩の立派な護岸からも解ります。

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