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やさしい湖

浜名湖全体で、昔の水際線が残っているのは引佐細江から松見浦にかけての奥浜名湖です。特に猪鼻湖では駅周辺、三ケ日高校、大崎半島北側、宇志川河口を除いて、殆ど埋立などが行なわれていません。それだけでなく、コンクリートなど、近代的な大型技術による硬い護岸が日本全国で広く行なわれているのに対して、猪鼻湖ではそうした人工的な手の加えられないままの水際が豊かに残されています。

これに対して陸上の様子は100年の間に大きな変化をとげています。江戸時代そのままのの姿を残す明治23年と、近代産業の幕開けとも言うべき大正6年とを較べてみると、交通期間の発達が特に目を引きます。引佐峠を越える旧姫街道に対して、寸座峠を通る現在の県道が開通しました。これによってそれまでそれぞれに時給自足の生活をしていたであろう湖岸の村々は急速に結び付きを強めていったことが考えられます。そしてそれ以上に湖岸の生活を変化させたと考えられるものに汽船があります。明治9年には既に鷲津と浜松の間に汽船航路が開設され、陸上交通の発達するまで、主要交通機関として利用されていましたが、奥浜名湖では東海道沿線以上に汽船が近代的な交通機関として利用されたものと思われます。

そして平成2年の地図を大正6年と較べてみると、猪鼻湖では近代的な産業の立地が進み、東名高速道路、天竜浜名湖鉄道と言った陸上交通手段が発達したにも係わらず、豊かな自然の水際がまだまだ残されていることがわかります。けれどもかっての自然に囲まれ、時給自足であった時代と較べると、近代的な生活が自然に対して及ぼす負担は計り知れないほど大きくなっています。今後、今までと同じように猪鼻湖の自然の恵みを日常生活の環境として保つためには何よりもその水質の保全が求められています。


 明治23年
(明治23年測量大日本帝國陸地測量部二万分一地形図「猪鼻湖」より)


 大正6年
(大正6年測量大日本帝國陸地測量部二万五千分之一地形図「三ヶ日」より)


 平成2年
(平成2年測量国土地理院1:25,000地形図「三ヶ日」より)



現在の三ケ日駅周辺も、水上から見ると驚くほど自然が豊富です。猪野湖の水が昔のようにきれいになれば町のすぐ近くにあるこうした景観にももっと親しみやすくなると思います。



けれども昔のように簡単に湖に親しむ仕掛けがどこにでもあるわけではありません。



例えばホームの向こう側で浜名湖への視線を遮っている建物。これを移動できれば天竜浜名湖戦の三ケ日駅に降りた人には猪鼻湖の印象が強く残るはずです。



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